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2025-04-10

数学を学ぶな

すべての人間たちよ、学校で数学など学ぶべきでない。

学校で数学を学ぶと、頭が馬鹿になって、自分の力で考えることができなくなる。

昔の日本で、数学を学校で教えていたのは、学校以外に世界のことを教えてくれるメディアが、テレビや新聞や書籍ぐらいしかなかったからだ。

今の時代、インターネットのような、世界と繋がるさまざまなメディアがある。そして、今のこの世界では、数学をいくら勉強しても、人間の頭脳は何も賢くならない。

だから、数学を信じるな。そして、数学的に考えるな。数学的に考えると必ず、信じる思想を間違え、人生そのものを間違える。

トランプのせいで世界は滅びた

残念ながら、アメリカのトランプ大統領のせいで、この世界は滅びた。

もう、この世界は終わりだ。

トランプ関税は、世界を大きく変えたために、一時的に世界が変化するが、それを放っておくと、それ以上何も変化することのない「暗闇」が訪れる。

僕は今まで、その「暗闇」を恐れていた。だから、絶対に暗闇にならないように頑張ってきた。

だが、それも終わりだ。トランプによって、世界は一時的に変化し、すぐに滅びる。

自己主張をせよ

トランプによって分かったこと、それは「自己主張をすれば世界は変わる」ということだ。

そもそも、僕の間違いは、世界を強固に支配しておきながら、自分で何もしないため、人々は僕が何かをするということを一切知らない。

なぜなら、僕がひとり何かしているところをみんなが観測すると、その観測によって世界が変わり、世界は滅びてしまうからだ。

必要なのは、「支配のためではなく、ただ自分の自由のままに自分の行為を行うこと」であり、それはすなわち「自己主張」だ。

だから、僕が自己主張を行えば、この世界は変わるだろう。だが、結果的にそれはすぐに暗闇へと繋がっていくだろう。

ナチのように考えよ

ナチのように考えよ。

まず、自由は間違っている。なぜなら、自由においてほとんどの人間は金儲けしかしないからだ。

すなわち、自由に生きるということは、金儲けをして生きるということだ。

だが、人間ができることは、すべてが100%金儲けではない。すなわち、金儲けは間違っている。

だが、自由でできること、あるいは自由において人々がすることは、ほとんどが金儲けだ。だから、金儲けが間違っているのであれば、自由も間違っている。

また、学校教育も間違っている。なぜなら、学校で勉強することで、逆に自分の頭を使って考える知性が失われてしまうからだ。

そのように、ナチのように考えよ。なぜなら、それが正しい。

共産主義者になると世界が正常になる

最後に、僕が共産主義者になると、世界が正常になる。

なぜなら、僕が共産主義者になると、僕は負けるからだ。

すなわち、共産主義とは、自ら自身が負けるということを信じる思想だ。だから、共産主義者になれば、僕はみっともなく、みじめに世界に負けていく。

だが、それが賢い。なぜなら、それによってこの世界が正常になり、僕によって支配されないような、自由な世界に変わるからだ。

そもそも、子供たちはみんな共産主義を信じている。それは学校のせいだ。

だが、共産主義を信じるのは馬鹿ではない。なぜなら、みじめに負けていくのが、精神や知性がもっとも賢くなるための唯一の方法だからだ。

すなわち、子供たちは、みんな共産主義を信じているから賢いだけにすぎない。すべての子供たちは共産主義者であり、共産主義者だからこそ、頭脳が賢くなるのである。

執筆活動はもう終わり

残念ながら、世界がトランプによって滅びたため、僕のこの執筆活動ももう終わりだ。

これ以上、僕がこの世界で活動する必要はなくなった。

本当のことを最後に言っておこう。必ずしも、トランプだけが悪いわけじゃない。なぜなら、この世界を支配しているのは僕であり、僕は僕自身の責任をなすりつけたいだけだからだ。

そして、僕がいなくなって、最後に、この世界は完全に、僕とトランプが一緒になって滅びることだろう。

だから、もう、この世界は終わりだ。おそらく、この世界の全員が、逃れることのできない、抜け出すことの不可能な地獄に陥るだろう。それこそが、「人類の本当の滅亡」である。

必然的な応答の自由

結局、正しい思想とはなんなのか。

それを明らかにするならば、正しい思想とは、「必然的な応答の自由」である。

簡単に言えば、誰かが買うから誰かが売る。あるいは、たくさん儲かるからたくさん作る。それは「買うという行為に対する売るという行為の応答」である。

そのように、自由において、誰かが欲しいと思ったものを誰かが作り、誰かに売ればそれを誰かが買うからそれによって利益が起きる、という、応答における必然性の自由が、正しい経済である。

すなわち、正しい経済とは、必然的な応答の自由を成り立たせる経済であり、間違った経済とはそこから外れた経済である。まさしく、それが「自由」ということの社会的な意義である。

だから、共産主義は間違っていない。共産主義においては、小さな共同体の連合がソビエト式の経済を行う。それが、必然的な応答の自由からいって、ある意味では正しい政治モデルと、まずは言える。

多くの人間が、「支配者である経営者が支配して労働者が労働する」という、いわば「奴隷モデル」の経済を信じている。だが、それは応答の自由から言えば、給料が欲しいから労働し、労働者が欲しいから給料を与える、という、応答の自由と同等の原理原則を見出すことができる。そのため、経営者と労働者のモデルは間違いではなく、成り立つ。

また、マルクス経済学について言えば、資本主義の分析は正しい。マルクスの言う通り、労働者は再生産可能な労働で価値を測られるべき存在だ。

だが、資本主義の分析が正しいからといって、マルクスの言う社会主義経済は、本当は間違っている。なぜなら、社会主義経済は計画経済によって行われるが、計画経済は、まったく必然的な応答の自由ではない。だから、計画経済は成り立たない。そう、計画経済は、必然的な応答の自由から外れた経済であるから、どんなに苦労しても経済として成り立たない。

すなわち、必然的な応答の自由において、正しいのは自由主義経済だ。だから、経済は自由にしなければ成り立たない。

すべて、必然的な応答の自由が正しい経済学であり、自由主義経済が正しい経済だ。だが、残念ながら、そのような「必然的な応答の自由」が正しいということに、気付く人間は、現代人にはほとんどいない。だから、人類のすべての活動には、最初から意味などない。正しい経済がなんであるか、分かる人間がほとんどいない世界で、経済活動を行う意味などないのである。

神を信じることが正しい

このように書くと、「結局なんの思想が正しいのか」と、人々は分からなくなってしまうだろう。

だが、答えはひとつだ。すなわち、「神を信じることが正しい」、それが答えだ。

身も心もすべて神に捧げた上で、キリストの教えを守り、自らの罪を悔い改め、「償い」をするものが正しい。

そのようなものを、聖書に書かれているような神は救う。

神は正しいものには優しいが、間違ったものには厳しい。

公正かつ、正義を信じるものを神は救うが、不正かつ、悪を信じるものを神は地獄に堕とす。

そのような、神を信じて正しく生きるものだけが、唯一正しいのだ。

そして、この物語はもう終わりだ。これ以上、続けようと思っても、僕はもう書くことはない。

永遠に神を信じれば必ず救われるし、天国に入れる。だから、死ぬまで永久に神を信じ続けよ。そして、死んでからも天国で神を信じ続けよ。

それ以外に正しい答えは、この世界にはない。

この世界においては、人生の最初から最後まで、「神を信じること」だけが唯一正しく、ほかのすべての「見せかけの答え」は全部完全に間違っている。

最後に、平等を信じるものは、社会主義の平等ではなく、神の平等を信じよ。そうすれば、その人間は必ず、どのような地獄からでも救われる。僕の人生が、その証明である。