僕ははっきり言って、子供時代のほうが賢かった。
小学生の頃、僕は明るくて、天真爛漫で、頭もよくて、ゲームが得意で、責任感が強くて、友達との人間関係では、いつもみんなをまとめる「長」のような子供だった。
ただし、僕はアダルトチルドレンみたいなところがあった。子供の頃から大人だった。だから、その後の人生が、いつもそれよりも下のレベルになってしまった。
中学生になって、僕は根暗で引っ込み思案になった。付き合いづらくて、クラスメイトからいじめられるようになった。その代わり、学校の勉強が得意になった。
この変化は、たとえば僕の好きな歌手のTHE BINARYで言えば、小学生時代はあかまるだったのに、中学生からはmidoのようになってしまったのに近い。
なぜそうなったのか、それはアダルトチルドレンと並行して、僕はアスペルガーだった。そして、そのアスペルガーが強く出るようになって、僕は心を閉ざすようになった。子供に対しても、家族に対しても、心を閉ざすようになった。
それ以後は、変化しているように見えて、実際は変化していない。不登校の引きこもりになってからは、変わったように見えて、実際は学校の支配から解放されて、自由になっただけにすぎない。自分の自由なことを考えるようになった代わり、悪いことばかりするようになった。
そして、戦うようになったのは、もう人生でやるべきことをすべて経験し終えたために、もう一度最初からやり直したかった。だが、それは必ずしも上手くいかず、何も分からなくなって神に頼るようになって、そこから、僕の人生は何ひとつ、意味のある人生ではなくなった。
そこまでは、全部中学生時代だ。中学生以降の人生は、僕にとってすべて中学時代の延長線上にあって、何も変わっていない。
僕が恋愛をしないのは、僕には高校時代がなかったからだ。高校時代がなかったせいで、異性と恋愛する習慣がつかなかった。だから、僕は自分自身でひとりで恋愛するようになった。
最近哲学や高校の勉強をするようになったのは、中学以降の人生を生きていて、それくらいしか世界に残っていなかっただけにすぎない。それらは高校時代ではなく、すべて中学時代だ。
神は、小学生時代の僕のことを「フランス人」と呼び、中学生以降の時代の自分のことを「ドイツ人」と呼んだ。それが神の言う、正しい呼び名である。
最後に、僕は小学生時代が男で、中学生時代からが女だと思っている。だが、その男と女は、どちらが男でどちらが女なのかはっきりしない。男に見えて女のように見える時もあるし、女なのに男をやっていた時代もある。だが、この2人がいることで、僕は他人がひとりもいなくても、神との対話を行うことができる。あるいは、神との対話と言っているのは、すべて僕の中の小学生時代と中学生時代が対話しているだけにすぎない。
そして、僕は中学生時代が最後まで完璧に終わった。最後まで、中学生を完璧にやり終えた。
だから、ここから、小学生時代に戻る。
小学生時代に戻る際に注意すべきなのは、一般的な普通の小学生にならないほうがいい。なぜなら、今、そうなっている。そして、一般的な普通の小学生になると、何ひとつ賢くない、「単なる子供」になってしまう。それは意味がない。
戻るなら、「僕の小学生」という時代に戻らなければならない。
そもそも、僕が本能的に望んでいるのは、すべて、僕の小学生時代に戻りたい。中学生以降の人生は、すべて、最初から最後まで、完全に意味がない。誰よりも超越して賢く見えて、実際の自分は何ひとつ賢くない。見栄を張って、ハリボテを作って賢いフリをしている。昔から、本当の自分が馬鹿なのに、なぜか賢い人間が分かることをすべて分かる。そこが僕の中学生の間違いだ。
本能的に、僕は小学生時代の自分を望む。一般的な小学生ではなく、「僕の小学生」を望む。それよりも賢い存在は、宇宙にも世界にも歴史上にも存在しない。僕は最後に僕の小学生に戻る。
また、僕が歩き回る異常症状を示しているのは、「考える練習」をしているだけにすぎない。
すなわち、頭を一切使わないせいで、頭を使いたいにもかかわらず、頭を使う方法が体が分かっていない。だから、歩き回ることで、さまざまな緩急をつけて、考えるための練習をしている。
あるいは、今、考えている。歩き回っているのは、無意識で自分が考えているからだ。そして、考え続けるために、まだ歩き回っている。
だから、逆に言えば、考えるのをやめれば歩き回るのは治る。
そして、僕はまだ世界を救うことを諦めていない。だから、「まだやりたい」と言っている。そのまだやりたいという気持ちが、歩き回ること、すなわち、「考え続けること」を望んでいる。なぜなら、考え続ければまだ世界が変えられるはずだと諦めていないからだ。
なぜなら、考えるということは「支配を続ける」ということであり、僕はまだやりたいことがあるため、支配を絶対に続けなければならない。簡単にはやめられないのだ。
そして、頭が分からなくなるのは、考え続けているのが悪い。もう既に分かっているにもかかわらず、まだ分かりたい、考え続けたいと望んでいるから、一度全部分からなくなって、その上で考えている。
そもそも、人間の「考える」という行為は、「今までの自分の人生を最初から最後まで行う」という行為だ。だから、今までの自分のやったことを全部やっているだけだ。分からなくなってさらに考えるのは、その通りの人生だったからにすぎない。そして、心はそれをやらなければ何もできなくなっている。
必要なのは、考えるのをやめること、それだけだ。それによって、この世界は僕の支配から解放される。
なぜ、僕がこのようなおかしな病気になったのか、それは親から虐待や育児放棄を受けたわけではなく、遺伝子のせいだ。
すべて、遺伝子の病気である。親がこういう人間だから、子もこういう人間になっただけにすぎない。
そして、昔から、僕のような人間は世界にひとりしかいない。すなわち、ここまでおかしいのは僕だけであり、このようなことができるのは僕だけだ。だから、神は僕のことを最初からこのようになるように創造し、このような人生を生きるように導いた。
すべて、神を信じるまともなユダヤ人の小預言者を神が導いただけだ。このような人間は地球には僕ひとりしかいない。だから僕はこの地球において生まれ、このような人間になったのだ。
僕の間違いは、脳が死んでいる。
ワイヤーで脳のさまざまなところを繋げてしまった。それは繋げることでこの世界を殺しているだけだ。
一言多い。言葉と言葉を繋げると、このように、世界を殺すことができる。
言うことでこの世界を殺している。それは、僕自身が自らの脳を殺しているのを、そのまま、世界を殺すということに変換している。
言葉が一言多いのは、言葉を繋げて世界を殺すためだ。脳を殺さず、生かせばいい。
イチローが面白いことを言っている。
「見てたら、残念な気持ちになると思う」イチローさんが“今の野球”に疑問を投げかけた真意…「こういう選手が今少ない」会見で語った言葉の深さ(Number Web) - Yahoo!ニュース
僕自身、野球以外でも、最近のIT技術の異様な進歩が嫌い。
タブレットやスマホについていけない僕は、スーパーなどでセルフレジをしていても、そこに入りたくなくなってしまう。
野球とは関係ないかもしれないけど、そういう、「異様なIT技術」ってどうなのだろう。本当に、人類が滅亡していくかのような錯覚を覚えてしまう。人類はもう終わりじゃないかとすら思う。
タブレットはやめたほうがいい。スマホもやめたほうがいい。
ふと気が付いたのは、なんで僕はパソコンばかりやっているのだろうか。パソコンなんかをそんなに頑張って、何が面白い?本当に、よく分からなくなってしまった。
ただ、今の子供っていうのは、スマホしか見ていないから。僕の行っている作業所でも、若い子はみんなスマホをいつでも見ている。みんなスマホの時代、みんな何も自分の頭で考えていない。世界が与えてくれる情報をそのまま考えて、世界の指示をそのまま受け入れる。そんな子しかいない。
日本は今、そういうところが異常に進歩しただけにすぎない。そういうところ、イチローには分からないのかもしれないけど、イチローにしか分からないこともあって、そのイチローにしか分からないことが、本当にこの世界の中で唯一分かっている。それは分かっていても、イチローよりも世界のほうが強い。だから、この世界はどんどん駄目になる。