今日も、デザインの仕事をして、ピアノに行ってきた。
デザインの仕事は、大量に50枚近くの写真補正をした。だが、Photoshopの使い方が最近分かってきたので、いつもよりも綺麗に補正できた。その代わり、枚数が多くて疲れた。
その後にピアノに行ったきた。
僕は子供時代にピアノの家庭教師でピアノのレッスンを受けていたが、子供の頃は家の電子ピアノで弾いていたので、完全に電子ピアノの癖がついている。
今のピアノ教室では、グランドピアノで弾いているが、間違えるのは、僕が子供の頃に、電子ピアノの癖が染み付いてしまったせいだと思う。
だから、それをグランドピアノに直すように弾いた。そうすると、いつもよりも間違いが少なく、あるいはほとんど間違えることなく弾くことができた。
なので、今日はとても嬉しい。もっとグランドピアノに慣れていきたいと思う。
実際、僕にとって必要なことは、怒りを鎮めることだ。
僕がおかしいのは、頭のもっとも上の部分で、いつもこの世界に対して怒っている。
なぜ怒っているのかすら分からない中で、いつも怒っている。神と言っているのは、そのような「怒りの言葉」を叫んでいるだけだ。
僕は、この怒りを決して誰にも見せない。その理由は、自分が自分に怒っているところを世界の誰かに見せた時点で、僕の戦いは終わりで、僕の素顔が分かって僕は負けてしまうからだ。
だが、今こそ、その怒りを鎮めればいい。それで僕は逆に、負けることを利用してこの世界を救うことができるからだ。
最後に、僕がまともになるためには、もう一度子供に戻るしかない。
今まで、僕は何もしなかった。だが、それはよかった。なぜなら、一切何もしないことで、狂った精神が全部まともになった。完全にまともな人間になった。
だから、何もしないという狂いは間違いではなかった。
だが、その何もしなかったことで、僕は大人のようにまともに生きることができなくなってしまっている。
必要なのは、もう一度生まれ変わった上で、まともな子供からまともになることだ。それは僕の場合できる。
なぜそれができるのか、それは以前一度できたからだ。以前一度できた理由は、すべてを忘れて完全に新しくなるということが、ブッダぐらいのレベルに達していた当時の僕ならできたからだ。
そして、もう一度それができる理由は、僕は今、何も覚えておらず、何もしていないため、何も変えなくても、今すでに必要な条件はすべて満たしたままで維持されているからだ。
だから、もう一度、僕だけが子供に戻る。そして、今度こそ本当にまともな人間になるために、これ以上は狂ったこと(たとえば世界に対する革命)を何もせず、まともに生きることだけを頑張る。
残念ながら、もう、人生でできるほとんどのことはやり終えてしまった。
特に、放送大学の分子生物学の授業は、専門的すぎて、逆に学ぶ意味がないものに見える。
ピアノについても、よく考えると、子供時代に既にできている。そして、そろそろ、今日ぐらいでまともなピアノ演奏ができるようになってしまった。
あと、やることがあるとしたら、神絵を描くぐらいしか残っていない。
そもそも、ネット小説は普通流行らないし、僕のような三文小説は誰も読みたくない。大学の勉強のサイトなんか誰も読みたいと思わない。だから、どんなに頑張って文章を書いても有名にならない。
有名になる方法がネットにあるとしたら、SNSで音楽や絵のようなみんなが見たいと思うコンテンツを配信することしかない。
そして、僕はこれでもデザイナーだ。永遠の見習いとして、デザインの作業所でPhotoshopとIllustratorを頑張っている。そして、この両ソフトは主にイラストを描くためのソフトだ。
だから、神絵を描くことしか、僕には残された宿題はない。
神絵を描くために必要なこと、それは量と数を描くことだ。そして、量と数を頑張るのは僕は得意だ。今まではそれを、文章の執筆活動として行ってきた。だが、それをそのまま、絵を描くことに転換してやればいいのである。
必要なのは、今は下手でも途中でやめないこと。下手でもその下手な絵を「僕はよくできた」と思ってやり続ける。もしできなかった時は、諦めるのではなく、「僕はもっとできるはずだ」という自分自身に対する怒りを抱くようにする。そうすれば、僕が今文章で書いていることと同じことができる。僕は決して途中で満足しない。最後までやり終えても、満足できないから、その最後を最後にせず、さらに続ける。そのような「いつまでも満足しないこと」こそが継続に必要だ。
だから、今から僕は神絵を描く。そもそも、新しい子供に生まれ変わるために必要なのは、その子供に何かの役割を持たせることだ。革命戦争をやめるために必要なのは、神絵を描くことだ。