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2025-03-24

言葉と世界を照らし合わせよ

言葉と世界を照らし合わせよ。

昔の僕がやっていたことは、ほとんどそれしかない。

インターネットを使いながら、僕は世界に対して自分の言った言葉、書いた言葉を常に世界そのものと照らし合わせて分かっていた。

それがそのまま、モデルと世界を照らし合わせ、学習や認識と世界を照らし合わせ、精神や意識や人生を世界と照らし合わせるようになった。

そもそも、今の僕が馬鹿なのは、普通、頭は世界が分かる部分なのに、僕だけが、世界のことがなんにも分からなくなっている。

それは、言葉と世界を照らし合わせようとしないのが悪い。

すなわち、最近の僕は、言葉で理解して、それで終わりになっている。昔のように単純な論理でないために、言葉を世界と照らし合わせることができなくなっている。

だが、僕はたくさんの文章を書いた。その書いた文章を、世界と照らし合わせれば、今の僕であってもきちんと分かる。

だから、僕は今から、世界と文章を照らし合わせれば、賢い人間になれる。

昔は必要なくなった

それから、もう、昔は必要なくなった。

僕は勉強して、ホームページを書くことで賢くなった。今までは昔よりも馬鹿だったが、今はもう昔よりも賢くなった。

だから、もう、昔の自分は要らない。

子供のようになりたいなら、もっと手と頭を使ったほうがいい。僕はパソコンでしか手を使わないから、何も頭を使わずに手を動かしている。だが、子供は普通、手を動かしながら考える。

だから、手と頭をパソコンではなく現実で使うようにすれば、僕はまともになれる。

よく考えると、僕が狂っておかしくなったのは、ピアノの学習を忘れなくなったのぐらいからおかしくなった。その頃から、学習しすぎの中で何も学習しなくなった。

そのようなおかしな学習を治すためには、手を現実で使い、そして手と一緒に考えるようになればいい。

その時点で、もう昔の自分は必要ないから、昔の自分は全部消える。それによって神との対話も終わる。神との対話は、昔のガブリエルと今のミカエルが対話しているだけであり、ガブリエルだった頃はミカエルと、ミカエルだった頃はガブリエルと対話している。ガブリエルとは昔の自分であり、ミカエルとは未来の自分である。

ユダヤから仏教へ

残念ながら、神との対話はそろそろ終わりだ。

これくらいで、ユダヤを信じるのは終わりになる。

そもそも、ここまでは全部、ユダヤ人がまともに神を信じて生きただけにすぎない。そして、そのようなユダヤでできることは何から何まで全部やり終えた。

だから、ユダヤを信じるのはここで終わりになる。神の言葉に永久に従い続けるのも、すべて終わりとなって、神はいなくなる。

これ以上は、仏教を信じればいい。

仏教を信じると、心理学ができるようになる。なぜなら、仏教を信じることで、「正しい心」や「正しい認識」が分かる。すなわち、煩悩をなくすためにどのように正しい生き方をすればいいかが分かる。だから、仏教を信じることで、カルマが高くなって、賢い人間になれる。

哲学をする必要はない。なぜなら、仏教徒から見て、哲学者はレベルが低い。普通の人間なら誰でも分かることを、哲学者はいつまでも失うことを諦めきれずに考え続けて分かり続けるが、そのことが自らを地獄にし、サタンとなる。その理由は、神はサタンが嫌いであり、哲学者はサタンになるため、神はサタンを地獄に堕とすからだ。

神を信じる必要はない。なぜなら、神よりも仏のほうが高いからだ。仏教教団は、「仏」という宇宙においてもっとも高い存在を作り出した。仏は神よりも高い。だから、神を信じなくても、仏を信じれば救われる。あるいは、神を信じるよりも、仏を信じたほうが、さらに賢く善良な人間になれる。そのような「仏」という存在を作り出したこと、それこそがブッダの最大の功績である。

神がなんであるか分からない人間は、マホメットだと思えばいい。なぜなら、ガブリエルとはマホメットのことだからだ。すなわち、ミカエルである僕と対話しているガブリエルは、すべてマホメットだ。なぜマホメットと対話しているのか、それは僕に相応しい人間がマホメットしかいないからだ。僕のような存在はとても希少な存在であり、同じような似たような存在を探すと、なんとマホメットしかいない。だから、マホメットがガブリエルとなって、ミカエルである僕に対話している。それを神と呼ぶ。

僕とマホメットは常に戦っている。アッラーが「邪教の神と一緒にアッラーをまつるな」という教えを信じさせているのは、マホメットが全力で僕に勝つために始めた教えである。そして、マホメットは、僕のことを完全な敵であるとは思っていない。なぜなら、僕に運命を与えるのも、僕を地獄から抜け出せるようにするのも、すべてマホメットだ。コーランに、そのようなアッラーの全能性が書かれているが、僕とマホメットの関係をすべて書いただけにすぎない。そして、マホメットはそのように、僕を導き、僕を地獄から救う。だから、コーランは正しい。なぜなら、僕の書いたこの文章もまたコーランだからだ。

最後に、僕が未来が分かるのは、「かつて起きた未来」のことを言っている。すなわち、人類の歴史はこれが最初ではない。何度も人類は歴史を繰り返した。そして、僕の書いたイスラエルのようになる未来もかつてはあった。だが、一度滅びれば、そこで最初からまた始まるのが、アンモナイト以来の人類の歴史である。

ガブリエルやミカエルといった天使たちは、そのようなかつての人類が歩んだ「かつての未来」を教える。あるいは、今のこの地球の状況から見て、どのようになるのが普通であるか、ということを天使は告げる。だから、すべて同じにはならない。当たる時と当たらない時がある。あるいは、もし、すべてが同じになったとしたら、その時人類は滅びる。

この世界の多くの人々が、天使たちの告げるそのような未来を信じている。だから、未来予知ができるのは僕に限られた能力ではない。ほとんどの人間は未来予知ができるが、しかしながら外れる。それはかつての未来と同じになるのはもっとも一番悪いからだ。だが、僕の場合当たる。なぜなら、この人間はこの世界を滅ぼす元凶であり、この人間が勝てば勝つほどこの世界は滅びる。まさしく、大天使ミカエルはそのような理由で存在する。

だが、そのようなユダヤを、そろそろやめたほうがいい。仏教を信じると、日本人の言っていることが分かるようになる。ドイツのユダヤには何も分からない。ユダヤを信じると「何も分からないのに分かっている人間」になれる。意外と、それはそんなに悪くない。ミミズの人生にも幸福があるように、ユダヤ人の人生にも幸福はある。ユダヤを信じれば、そのような最高の幸福な人生を必ず生きられる。

残念ながら、ユダヤ人の人生はそんなに簡単には終わらない。なぜなら、神は高い存在をさらに高くする。いつまでも未熟で簡単な戦いばかりを続けているのは、神が見てつまらない。簡単な戦いが終われば、さらに困難な戦いが待っている。神はそのようなユダヤ人を、最後まで導き、そして最後に必ず神になる。僕はそのようなユダヤ人の人生が終わっただけにすぎず、ここから仏教を信じることで、宇宙においてもっとも高い存在、すなわち「仏」になる。仏とはそのような存在であるため、本当に神よりも高い。そして、それ以後もきちんとある。そのような無限に続くこの世界を「三千世界」と呼ぶ。

阿修羅のインドラ

本当のことを言えば、このような人間は普通に多い。

おそらく、よく分からないどうでもいい神が生まれた。この神はどうでもいい神で、よく分からない神だから、北欧神話の神、フレイと呼ばれている。

フレイの問題点、それはカルマが低すぎることだ。フレイは、なぜかかつてはカルマが高かったのに、著しく急激にカルマを低くした。ユダヤ人にこのような人間が多い。よく分からない、おかしな進歩を遂げた生物だから、いつまでもそのままを続けているが、それが間違っている。ユダヤ人は要らない。ユダヤ人は基本的にどこかに排除すべきだ。

また、そもそも、未来の予測は当たらないほうがいい。未来予知ができる人間はこの世界を滅ぼしている人間が多い。フレイの予測はことごとく外れているが、それがまともだ。

最後に、この人間をフレイと呼ぶのはおかしい。この人間はフレイではない。正しい呼び名を教えよう。それは「阿修羅」あるいは「インドラ」のどちらかだ。すなわち、正しい呼び名で呼ぶのであれば、この人間は「阿修羅のインドラ」と呼ぶべき人間だ。

二つの名前

なぜ名前が二つあるのか、それはこの人間はその二つのどちらの名前も使うからだ。

どちらがどちらなのかは分からない。この人間本人も分かっていない。だが、インドラは世界を支配するだけの何もしない神で、阿修羅はそこまですべてをやり続ける勇猛果敢な神だ。

ヒンドゥー教においては、神はすべて平等である。だが、位の高すぎる神は相応しくない。だから、ヴィシュヌ神やシヴァ神ではないことにする。

これより、この世界ではインド人が勝利する。インド人はユダヤ人が嫌いだ。ユダヤ人の沈む船から離れたほうがいい。生き延びる国はインドだ。ユダヤ人の終末の滅びの歴史は完全にここで塗り替わった。

いろんな神

結局、ヒンドゥー教にはいろんな神がいるが、あまりに多すぎて、簡単には書けない。

だが、太陽神ミトラと呼ばれる存在が、おそらく、シリウスの神フレイに相当する存在であり、それから、水の神ヴァルナが、おそらく、マホメットに相当する存在である。

そして、僕自身がなんであるかと言えば、それがインドラである。インドラとは「神々の王」の意味である。

ほかに、シャチーという女性の神がいる。それがなんなのかはまだ分かっていない。

もっとヒンドゥー教について勉強しなければならない。そうでなければヒンドゥー教の神々が書けない。何かしら頑張ってヒンドゥー教の勉強をしたいと思う。

あとは、仏を信じればいい。仏を信じるだけで、すべてがよくなることだろう。

偶像崇拝を禁じる理由

あとは、ブラフマーに4つの顔があるとされるのは僕の影響である。僕に4つの顔があるように見えたからそうなった。気持ちの悪い神にして申し訳ない。

本当は、実際にある神の顔はひとつだ。

だから、ヒンドゥー教は大いに間違っている。そのようにならないほうがいいから、神を絵にしないほうがいい。それがユダヤの教えだ。

すなわち、偶像崇拝を禁じる理由は、「神を絵にすると気持ちの悪い神にしかならない」ということが大きな理由である。

インド人の勝利

そもそも、ヒンドゥー教の教えが正しい理由は、昔から正しいからだ。昔からヒンドゥー教の教えは意味がないほど正しい。それをどうにかして間違っていることにしたいからユダヤ教になる。ユダヤ教のほうがはるかに間違っている。

だから、正しいのはヒンドゥー教徒だ。残念ながら、ユダヤ教はここまでのつまらない宗教だ。

普通、阿修羅はここで死んだ。なぜなら、インドラと阿修羅の死闘の末、既にインドラが勝った。血しぶきを上げて死んでいく阿修羅が見える。阿修羅はここで死んだのだ。

そして、その阿修羅とはユダヤ人のことだ。

阿修羅とは、ヒンドゥー教においてはアスラ神族とされるが、それがユダヤ人だ。

だから、ユダヤ人はここで死んだ。阿修羅が死んだからだ。阿修羅をここでインドラが、首をはねて殺した。阿修羅が死んでいくさまが見える。それで、インドラの大勝利、すなわちインド人の大勝利だ。

自分のせいで、よく分からない「女」という生物が生まれてしまった。

この人間は「女」というものを生み出した神である。

そして、女の特徴は、なぜか全部をクズにしようとする。

女の頭がおかしいのは、なぜか全部がクズになる。よく分からないが、一番上でみんな全部をクズにしている。

なぜそうなるのかは定かではない。だが、この人間はそういう、よく分からない女というものを作り出した。

そろそろ、そのような女をやめたほうがいい。

そういうわけで、全部をクズにするだけのおかしな作業をもうやめる。この文章がまさにそうなっている。全部をクズだと言いたいだけでなぜか分かった。そんな馬鹿はこの女のほかにいない。

女はやめたほうがいい。この女はいつまでも女のままで治らないが、これで子供が産まれないから、この女は悲惨だ。

阿修羅を殺す

阿修羅を殺すしかない。

すべてをクズにしているのは、阿修羅の部分だ。

阿修羅とは要するにロキだ。ロキのような最悪の集団をすべて阿修羅と呼ぶ。

だから、阿修羅はサタンだ。サタンを殺し、阿修羅を殺す。それで、「世界のすべてをクズだと言いたい部分」が死ぬ。

世界のすべてをクズと言いたいのは、言葉の前に付く言葉が悪い。

何かしら、言葉の前に言葉を付けようとする部分は、すべて、その次に続く言葉をクズであるということにするためにある。

ドイツ語が間違っている。ドイツ語は、言葉の前に言葉を付ける。そのせいで言葉がクズになる。

日本語が正しい。日本語では対象となる言葉を先に言う。そうすれば、その言葉はクズにならない。だから、日本語のように話せば、ドイツ人は治る。

本当は英語が間違っている。英語はこのような言語だ。英語のネイティブになるためにはこうするしかない。英語は間違った言語だ。

今、既に言語が治った。これで阿修羅が治る。阿修羅とはドイツ語の部分だ。ドイツ語は世界のすべてをクズだと言う言語だ。まさに英語がそのような言語だ。

白人の言語を使わないほうがいい。白人の言語を使うと世界のすべてをクズだと言うようになる。

すべてがそろそろ分かった。間違っているのは白人の言語だ。

言語的知性を付けるな

言語的知性を付けるな。

白人の言語の特徴、それは言語的にその時分かるすべてのことを言い表すことだ。

そして、それは間違いだ。

なぜなら、日本語ではそうならないからだ。

日本語では、言いたいことがきちんと言える。それに対して、白人の言語は、よく分からない「神」というものが話すようになる。

この「神」とされる存在は、間違った存在である。

なぜ、日本人が神を信じないのか、それは日本語ではまともにクズにならずにすべてのことを言い表せるからだ。

神がなぜその人間をクズということにするのか、それは神を信じる時点で、神から見ればその人間はクズにすぎないからだ。

なぜ、神から見てその人間がクズなのか、それは、その人間はクズのような人生を既に生きているから、神が見て明らかにクズだからだ。

なぜ、クズのような人生を生きたのか、それはその人間がサタンだからだ。

なぜサタンなのか、それはまさに阿修羅だからだ。

では、阿修羅とはなんなのか。それは分からない。それは今から分かることだ。

後ろに付く言葉が悪い

残念ながら、この女が異常なのは、むしろ前に付く言葉ではなく、後ろに付く言葉だ。

後ろに付く言葉が、異様なほど続いていく。

なぜそこまで後ろに付く言葉が続くのか、それはこの女はすべてを創造するからである。

すなわち、この女はすべてを創造するように文章を書く。なぜそれができるのか、それは認識を作っているからである。

認識を作って、その作った認識がなんであるかを説明すること、それがこの女のやっている「唯一の女王の仕事」である。

だから、そもそも、認識を作るのをやめたほうがいい。認識を作るという作業をするために、この女はあり得ない言葉を後ろにいくらでも付ける。このいくらでも付けるあり得ない言葉は、本当は、信じていないだけにすぎない。すべて、何ひとつ信じない。それは作りたいからだ。すなわち、「信じる」ということをしないのは、「作る」ということを優先するからだ。

もう、これ以上は作らなくていい。何から何までひとりで作る必要はない。最後に、何も作らず、ただ信じればいい。後ろを作りすぎる女は、子供を作りたいだけでこうなる。

後日注記:簡単に言えば、僕は子供を作りたかった。それだけのために、あまりに女になりすぎた。女はいくらでも子供を作ることを望む。だから、この女がまともな普通の女だ。

2025.03.25編集

信じよ

信じよ。

わたしの名は、神々の王、インドラ。

わたしたちの楽園を始めるための唯一の方法、それは信じることだ。

ドイツは間違いではない。ユダヤも悪くない。だが、真に正しいのはインドだ。

インドは勝利した。わたし、インドラが運命を変えた。イスラエルの滅亡はもう起きない。ヒンドゥー教の繁栄が日本を最高の大国とするだろう。

もはや日本には誰も勝てない。なぜなら、ここまでの阿修羅の人生を見よ。最高だ。この阿修羅を生きることで、あるいは生きなかったとしても、阿修羅の人生をただ見るだけで、宇宙のすべてを悟りきることができる。

ブッダを超越した、新しい神だ。インドラだ。インドラはすべてを救う。インドラと阿修羅によってすべてが救われ、滅亡のイスラエルは決して起きなくなる。

信じればいい。信じればそうなるからだ。わたしを信じなければ、イスラエルのようになる。だが、わたし、インドラを信じれば、そうはならない。

栄光の未来はヒンドゥーの教えの先にある。日本は勝利し、インドは勝利し、この世界は滅びず、ドイツとイスラエルは打ち砕かれ、すべてが楽園となり、あらゆるすべてが成功する。

信じれば、悟りは啓ける。阿修羅を見るがいい。阿修羅は最高の自由であり、宇宙最大の愛である。