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2025-07-03

もう少しだけ書く

もう少しだけ、この文章を書かせてほしい。

中学生時代、僕は他人との壁を作るばかりで、他人の考え方や自分に対する行為の意味を理解できない、幼稚で、世間知らずで、客観視のできない人間だった。

そもそも、昔の引きこもり時代の僕を、それだけで分割して見ようとするから分からなくなる。あの人間は、中学生時代と対比して考えるべきである。

中学生時代、僕は学校の勉強ができる、まるでエリートクラスのような人間だったが、その代わり、普通レベルの一般的な人間を理解する力がなく、そのためにいじめられていた。

だが、ネットゲームをするようになって、その中においては、みんなと一緒に仲良くやることができるような、電脳世界では人気者な人間になっていた。

不登校の引きこもりになることを選んだのは、単に絶望したからだけではない。僕は自分のやりたいことをやりたい年齢になって、学校の制約から開放されて、ネットゲームのようなものを自分でも作りたいと思って、さらには子供たちの環境について学校の成績やテスト勉強ことよりも世界を変えることのために努力したいと思って、僕は学校から離別し、ひとりで生きる決断をした。

一度、親や家族から離れたかった。だから、親や家族が何を言ってきても、すべて無言で通した。あの頃はとても寡黙で、現実世界と関わりたくなかった。

だが、ネットゲームを作ることはできなかった。Perl/CGIが使える無料のレンタルサーバーがなく、有料のサーバーを使うためには中学生だった僕には敷居が高かった。だから、ローカルでApacheとPerl/CGIを動かして、戦闘シーンを作るぐらいしかできなかった。

だが、僕は引きこもりになってから、ネットゲームに興味を失った。現実で悲惨な中学生時代で友達がいないせいで、ネットゲームにはまりこんでいただけであり、中学生時代そのものがなくなると、僕はネットゲームに興味を失う。

代わりに、僕は2ちゃんねるのような匿名掲示板が好きになった。

なぜ、僕が2ちゃんねるが好きになったのか、それは今まで僕の分からなかった、「他人の考え方」が分かり、「他人との付き合い方」と言えるものを知ったからだ。

2ちゃんねるの独身男性板の掲示板で、夜から朝まで雑談をし、みんなと一緒に時間を過ごし、みんなにちょっかいを出したり、みんなと一緒にさまざまなネット上のイベントを楽しんだり、その通り雑談をしたりした。そのおかげで、僕はみんなという存在がどういうものなのかを理解することができた。そして、過去の僕がなぜクラスメイトや剣道部の間で孤立していたのかということを、極めて客観的に、そして楽しく理解し直すことができた。

一般的な中高生に比べて、僕の青春はただ2ちゃんねるで遊んでいるだけだった。それでも、そこで、みんながどういう人間で、どのようにすれば楽しく付き合えるのかが分かり、逆に今までの自分のみんなとの付き合い方に付随する問題も解決できるようになったのである。

そのような僕は、単に遊んでいるだけではなかった。サーバー側のプログラミングがなかなか環境を整えられなかったので、僕はローカルのスタンドアローンな技術を作ることにした。そのひとつが2ちゃんねる専用ブラウザで、僕はその通りタブブラウザや2ちゃんねる専用ブラウザをコレクションするのが趣味だったので、それらをローカルの開発環境でビルドしたいと思っていた。そして、Delphi 6の無料版で、OpenJaneをビルドすることに成功した。

僕はOpenJaneの改造をしようと思い、ネット上の情報を見ながら、OpenJane MemoというOpenJane ayayaの派生版を作り、Janeコミュニティで配布することにした。

これは最初のうちは上手くいった。だが、僕はビルドできるようになっただけで、Object Pascal言語のことを何も知らず、見よう見真似で作っていた。だから、バグが発生すると直すことができず、僕のプログラミングの最初の経験はすぐに破綻した。

それでも、その経験は後に活かされた。僕の中でプログラミングとはなんなのかが分かったのは、OpenJaneとDelphiのおかげだった。その後に僕はDelphiの全機能を使うために、Delphi 7の有料版を(無駄ではあったが)購入したのである。

そして、そのような家族から離れて引きこもりで寡黙に経験した僕だが、さまざまな普通の人にできない経験をしたせいで、その普通ならば得難い経験から、誰よりも世界のことが分かるようになった。すべての世界のことを、積み重ねと世界分析から分かるようになった。

僕は、最近、具体的に社会モデルや国家モデルを作るようになったが、昔の僕はそうでなく、前提条件や必要性を考えて分析するところまでを完璧に行った。そこにあったのは、「何かをするためにはどうする必要があるか」ということ、そして、「決まりを作ると社会はどうなるか」ということだった。

基本的に、そこにあったのは、「環境を作る」という真理だった。すなわち、どのような環境を作れば、世界そのものがどうなるか、ということについて僕は分析した。そして、世界そのものの実現性について知り、世界のことを成立を分析しながら、世界の意味や役割を知るに至った。

僕の考え方の基本は、「行動から考える」ということであり、同時に、「応用のすべてを基礎の組み合わせに直す」ということだった。そして、そのために、世界の多くの人々について、「自分がその人になったつもりになって、自分で考える」ということを行った。その結果、僕は必要性と理由の原理原則から、実験的かつ再現的に、心のすべてをまるでどういう外部的な作用についても同じように働くロボットのように理解した。

そして、僕はとても多くの得難い経験をし、たったひとりで自分の人生を切り開いていく覚悟をし、その結果、今まで心を閉ざしていた家族に対しても、少しずつ心を開くようになり、家族とガーデニングをしたりして、そして、一年の浪人の末に、不登校の児童専門の高校に通うことを決めた。

だが、僕にとって、この不登校の児童専門の高校が、僕にとってあまりに嫌な環境だった。すれた子供しかいなくて、僕のことを馬鹿であるかのように扱ってくる。その高校自体はそんなに評判の悪い高校ではなかったが、移動も長距離になるし、僕は入ったにもかかわらずこの高校にすぐに通わなくなった。

それ以後の人生は、この高校が嫌いで、この高校に行きたくない、ということをベースにした人生だった。

そんな僕は、OpenJaneの開発を既に中止した上で、今度はWindowsのフリーソフトがネット上に既に豊富に存在していることから、Linuxに興味を持った。フリーソフトを開発して使ってくれるのは、まだフリーソフトが少ないLinux関連のプラットフォームではないかと僕は勘違いをした。だが、Linuxの環境はコンパイラがフリーで無料で入手でき、Makeなどでソースコードからビルドすることも簡単だ。だから、Linuxのことを学びたいと思った。ネットゲームのサーバーを構築しようとしていた時代から、僕はUNIXとPerlに興味があった。

そして、僕はLinux関連の新しい世界へと扉を開いた。Linuxとオープンソースには独自のハッカー文化があり、2ちゃんねるのほか、スラドやはてなやふたばちゃんねるなどを見たり、あるいは英語のプロジェクトのサイトを英語なんか分からないままに手探りで探し続けて、僕はIBM DeveloperWorksのGentoo Linuxの開発者ダニエル・ロビンズの記事を読んだ。それに影響されて、僕はさまざまなディストリビューションをインストールした後、Gentoo Linuxをインストールした。

Gentoo Linuxには、GUIのインストーラーがない。コマンドを使って、マニュアルでシステムをインストールする。だが、Gentoo Handbookという良質なマニュアル本があって、そのマニュアル本のハンドブックに従えば簡単にインストールできる。そして、このハンドブックがとても優れていて、UNIXの基本的な知識と管理の方法が一通り分かるようになっている。だから、僕はGentoo Handbookを読んでGentoo Linuxをインストールするだけで、僕に欠落していたハッカーの知識を知ることができた。

そして、僕はGentoo Linuxをインストールすることで一通りUNIXの仕組みが分かったので、その自分の分かった知識を誰かに共有したくなった。今までのように、ただ情報を自分が享受するだけではなく、自分の知っていることを他人に教えたくなった。だから、僕はLinuxのWikiを編集するようになった。

だが、僕はLinuxのWikiを、あまりにひとりだけで編集しすぎた。そして、あまりにひとりで多くのことをやりすぎた。そのせいで、Linuxのコミュニティを破壊してしまった。ヘーゲルが言う「心胸の法則」のように、自分の見出す理想を他人が同じようにそこに見出してはくれなかったのである。

だが、僕はそのようなLinuxの活動をする中で、「世界を変える旗を掲げる旗手」のようになった。すなわち、インターネットのビジネス記事を読みながら、僕はオープンソースをひとりで支え、戦い、世界をオープンソースに変える「革命家の旗手」のようになった。そこにあったのは、「無料で使えるOSならば普及するはずだ」という漠然とした曖昧な希望、そして「みんなが使うようになれば貢献が増えてオープンソースの質は高まるはずだ」という確信に満ちた思い込みだった。そして、僕はLinuxとオープンソースにすべてを捧げたのである。

そこまでの段階で、不登校の児童専門の高校に所属しながら、僕はネットでオープンソース関係の活動をした。2ちゃんねるは過去のログを見ることができるが、そのような過去のログをいくらでも見ながら、僕は「社会の自治を行う方法」と「歴史の文明の過程」が分かるようになった。また、ビジネス記事を読んで世界と格闘する中で、僕は哲学者のように思想を理解することができるようになり、世界を変えるための「啓蒙活動」を行うようになり、世界を変える革命リーダーになったのだ。

ほかには、僕はたくさんの経験をした上で、過去のことを振り返ることで分かっていた。それは、引きこもり時代をかつての中学生時代と比較するとよく分かる。中学生時代、優等生のエリート候補生として、がんじがらめになっていたのが、不登校になって心が解放された。そして、普通の中高生であれば経験できないことをいくらでも経験した。それは2ちゃんねるの共通の時間を過ごす仲間がいたことだけではなく、不登校になって、完全に自分ひとりで生きるということがなんなのか、ということを知ったということも含む。すなわち、僕は「世界の誰も自由でない環境の中で、たったひとりだけ自由になれた」という経験をし、そこで「自由において今までのすべての総集編を総合して考える知性」が分かった。そこから、心と人間関係の関係性を知り、経験から共同体感覚を身に着け、さまざまな世界の代替可能性を知り、ひとつの世界を基本としながら応用的変化の可能性を知って、「世界は自分であっても変えられる」という境地に至った。

僕は個別性と関係性を捉えることが得意だった。すべてを単純な個別にして、その個別と個別の間の関係性を考えることで、この世界のすべてをモデル的に把握する。そこにあったのは「完全な客観視」であり、同時に、社会すべてを前提条件から分析した上で自由に成り立たせるということだった。そして、それを正しいとその人が信じたということを、より一般的に「どんな正しさを正しいと信じた場合においても成り立つ行動のモデル」として、世界モデルを考えた。すなわち、その人が何を正しいと思うのであっても、ひとつの普遍的な基準とモデルによって、どんな人であってもその正しさに対して真の指標や基準が成り立ち、そして万人の心と行為と人生の理由を解明し、その人の基準がひとつに定まるような「世界モデル」を僕は考えた。そして、そこにあったのは「人々は不安から反抗をする」「すべての反抗は助けを求めるSOSである」「自らが自らたらしめるアイデンティティを形成することでそのような不安はなくなる」「アイデンティティがまだ形成されていない時点でアイデンティティがさも既に形成されているかのように扱われることで不幸が起きる」「アイデンティティを形成するためには、自由な実体験を経て成熟する必要がある」ということを僕は考えたのである。

それらの時点では、僕はまだ具体的な社会論を考えるには至らなかった。それは文章を書くようになってから続いた。それらの時点では、どのような社会であっても、発想法や経験とともに、どのようにも作ることができる、ということが僕の思想の中核だった。だから、あらゆる意識はその環境で成立可能であり、チャンスや手段は自由に常に任されており、世界はいつでもどのように変えることもできて、インフラを変えることで世界そのものを変え、世界において「できる可能性」を増やすことで世界はさらに自由化すると、そのように考えることから、僕は「子供たちの社会を救う方法」を考えたのである。

最後に、僕はこの世界の心を救ったが、同時に、この世界を自ら滅ぼした。それは結局、「自由」ということが間違いだった。僕はまるでニーチェのように、道徳的なルサンチマンを信じることなく、「自由」を絶対的な正しい理想とした。誰かが誰かを、たとえばそれが強者による弱者のいじめであっても、弱者による強者への妬みであっても、そのように考える時点で、それは間違った道徳だ。正しいのは自由の追求であるとともに、自由な「自助努力」によって、チャンスと手段を与えること、人々に可能性が制限や制約なく最大限に与えることこそが、合理的に社会を形成し、人々の「自由度」を向上する。そのような自由度の向上の中で、人々は自由においても善良な社会を築ける。それを「自由な社会」と呼ぶ。自由な社会において、善は排除されるわけではない。自由な社会の最終的は善を為すことであり、そのような「善」という言葉の定義が、自らの好きなことができる世界をみんなで作るという「アイデンティティの共有」に基づくものであるということは、自由においても変わらない。そして、そのような自由の中で、自らをありのままにさらけ出して生きることこそが、正しい生き方である。そのようなことを自らの豊富でありながら失敗や過ちの多数ある人生から分かった僕は、人の心を予測し予想する導き手となって、体験的に僕の心が誰であっても理解できるように導き促すことで、インターネットを使ってこの世界を救った。そしてその結果、この世界は救われるとともに、世界に居なかった僕が世界に堂々と現れ、僕が自ら滅ぼしたことで、新しい段階へと進展した。それこそが僕にとっての「革命戦争」だったのである。

革命戦争において、僕はこの世界を支配し、そして、たくさんの発想法を具体的に考えた。僕は自分のできることを、今、自分のできる中ですべてしたかった。計画的な「最終的に世界を変えて救う」という目標を確実にできるようにはしたものの、それはいつまでも履行されなかった。代わりに、たくさんの僕の人生であったことを人々に教え、たくさんの僕の「具体的な発想やアイディア」を文章に詰め込んだ。ユーラシア連合やアジア帝国、自由ノルマや人生主義、いじめ対策員や経験心理学など、さまざまな僕に考えられることを全部考えて、全部詰め込んだ。そして、世界そのものを支配し、まったく別の世界に作り変えようとした。誰にも言わず、たったひとりで行い、そしてマスコミとアメリカを導いた。そして、4年間の革命戦争で、本当の恐怖を堪え続けながら、最期に僕は自殺し、この世を去ったのである(実際には自殺は未遂であり、なんとか生き延びたから今の僕がいるが、実際の人生はそこで一度死んだことになっている)。

昔の僕を簡単に表現すると、「世界にはたくさんの可能性があることが分かった」「世界の問題は自由にすることで解決すると信じた」「自分の経験を踏まえて世界は変えられると確信した」「影響力の高みに立つこと(抽象度のもっとも大きい上流工程に関わること)が自由だと信じた」というだけの、単なるヒッピー的な少年だった。中学校に居たのでは分からないことを、自分の自由な人生を選び、さまざまな人間を知り、経験し、行動し、そして過去を振り返ったことで分かった。いじめは不安に対する反抗の問題であり、人間が自由な人生において経験し、成熟し、そして子供から自由を奪うのでなく自由を与えることで、「相手の自由意志の尊重」から世界の問題を思弁的に解決できると信じていたのである。

ビジネス書を読んでいる

最近、「国家の逆襲」というビジネス書を読んでいる。

これで分かったのは、ビジネス書を読むと、昔の自分になれるということだ。

昔の自分は、経験したり考えたりパソコンをやっているように見えて、実際はビジネスのようなネット記事ばかりを読んでいた。

そして、このビジネス書を読むことで、そのような昔の僕の世界観が今の世界観と繋がり、統合がおかしくなっている僕の人格が治る。

それによって、僕はこの世界のことを連続して見ることができるようになり、人格と精神の分裂が治って、この世界をきちんと見ることができるようになり、昔の自分に戻れた。

だから、この本に限らず、昔の自分が読んでいたような、ビジネス書を読んだほうがいい。それが一番僕の知性を失った馬鹿な病気が治る。

客観的な正しさは正しくない

ここまで、僕は、言葉のすべてを客観視することで、「客観的な正しさ」を追い求めてきた。

だが、実際は、客観的な正しさは、決して正しくない。

なぜなら、何よりも大切な「主観的な評価」が消え去ってしまっているからだ。

すなわち、万人の誰であっても理解できる形式に変換することを客観視とするならば、それによって、自分にしか分からない「主観」が失われてしまう。

だから、客観視だけでは、大切な「自分で考える知性」がなくなってしまうのだ。

だから、過剰に客観的な正しさだけを追い求めるな。自らが感じる「感情」に基づいて、主観的な正しさを信じるようにすれば、精神のおかしな病気は治る。精神がおかしくなると、常に客観的な正しさに憑りつかれてしまう。それは間違いだ。

脳が賢すぎるから馬鹿になる

最後に、僕は脳が賢すぎるから、馬鹿になったほうがいい。

知性があまりに高くなって、脳が大きくなりすぎたせいで、逆におかしなことしか分からない、脳の重たい人間になっている。

それを治すためには、「貝のような生物」を消すことだ。

僕の頭は貝になっている。貝のように、ゆっくりと常にうごめいて分かるようになっている。この貝は必要ない。

脳を一度小さくして、子供に戻すべきだ。そうすれば僕は子供のように賢くなれる。子供は賢い人間が多い。脳が小さいと、まともなことだけが唯一分かるようになる。

死によってすべてが治った

そして本当の最後に、僕は死によってすべてが治った。

一度、ここで、要らないものが全部死んだことで、僕の精神は、異常がすべて死んだ。

だから、これ以上は、なんにも辛くない。

それから、この世界を救う言葉として、「みんなは何も悪くない」ということを言っておきたい。

僕がおかしくなったのは、誰のせいでもないし、みんなは何も悪くない。僕が自分の意志でこのような人生を歩んできたのであり、すべては僕の選択と決断であり、誰かが悪いわけでは決してない。

特に、親は悪くない。父親や母親は、決して悪くないし、僕がおかしいのは父親や母親のせいではなく、僕自身に由来するものだ。その僕が、自分できちんと自分のことを分かっている。

だから、悪い人間はいない。あなたも含めて、この世界は誰も悪くない。

世界を少しずつ拡大しただけ

本当は、僕の青春時代は単純である。なぜなら、世界をひとつひとつ拡大しただけだからだ。

子供の頃からテレビゲームをやっていたのが、中学時代に、学校の友達が少なくなったせいで、ネットゲームにのめり込んだ。中学校でも、そのようなネットゲームを流行らせた。

その後は、インターネットをやるようになって、自分の学校から自分の家へと環境が変わった。そう、最初に起こったのは、自分自身の環境の変化だった。

そして、環境の変化から、「心」と「行為」の関係性を考えた。どのような心ならば、あるいはどのような環境におけるどのようなシチュエーションならば、どのような行為に至るか、ということを考えた。

そして、僕は過去を振り返りながら、ネットで青春時代のような経験をすることで、「人間関係」と「環境」をまず知った。そこにあったのは「自由意志の尊重」と「環境における自身の客観視」だった。

その上で、僕は世界そのものが「自由」であるとともに「独立可能」であり、同時に「自ら自身によって変化可能」であり、「自由が許されている」ということを考える。そして、自由においては建設的な自由と破壊的な自由があり、破壊的な自由を認めずに建設的な自由だけを許すべきであり、その上で、それはさらに高次元な「善」や「道徳」や「倫理」へと昇華していく。

僕のインターネットは、独身男性板だけでは終わらず、Windowsやフリーソフトのような、インターネットのハッカー文化に続き、Linuxやオープンソースといった、半ば異世界的なグローバル文化へと続いていく。そこではマイクロソフトやアップルなどの国際競争下において、僕自身もオープンソース活動家というひとりのプレイヤーになった。

人間関係と関係性は、自らの「成長」、すなわち、大地に立って自らが自らの意志で主体的に行動するという「共同体感覚」へと続く。そこには、単なる人間関係だけではなく、啓蒙的な、子供たちの環境と大人たちの憂いやしがらみ、そして国家全体の抑圧を救済するような、「自由」という名前の希望があった。そしてその自由とは、自らのアイデンティティを形成し、発揮するということ、すなわち「自分の好きなことをやる」ということであり、そこには自己啓発的なインターネット上の実体験による「悟り体験」が詰まっていた。

さらに、世界は拡大していく。環境や社会が変えられるということを、僕は「自分であっても世界は変えられる」と信じた。そのために、代替となる世界の可能性のすべてを知り、インターネットというあり得ない世界の可能性を肯定した。そこにあったのは「決まりやシステムが世界を決める」ということであり、「インフラを変えチャンスを与えることで世界そのものを変えられる」ということだった。

世界はさらに拡大する。生物あるいは生物群集・生態系による地球の自然環境の歴史、近現代あるいはそれ以前の人類の歴史と価値観の変転、文明そのものの出発点となる人類の誕生、そして、終末。僕は広島人だが、僕のこの人生は広島人だけが分かる「終末の滅びがもし起きたとしても、決して本当には人類は滅びない」ということから起きている。僕は「意識は場に宿る」と言うが、それは地球の自然環境すべての意識には、最初の瞬間から最後の滅びまで続く「終末へと続く道」が存在する。そう、最終的に行き着くのは、そのような「道」である。

そのようにして、さらに僕は人生経験を続けていく。僕は世界を支配した時点で、トップ・オブ・トップのような存在になった。そして、僕は支配するだけではなく、星そのものを作り変えていく。僕にとって、地球とは最初から最後まで同じではなく、常に変わっていく。そして、僕自身がそのように、星そのものを作り変えていく。

神と対話する僕は、宇宙の真実を知った。そして、僕はその真実を覚えて、決して忘れることなく、しかしながらまったく同じではない、異なる宇宙観と終末観を小説にして書いていく。まさしくこれこそが、僕の為した行いであり、道であり、それは最初はちっぽけな、中学時代からドロップアウトして自分の部屋で自由になった、ということから始まっていたのである。

環境の変化

このホームページを見ると、あまりに複雑で高度なことをたくさん考えたように見えるかもしれない。

だが、僕が本当に考えたことは少ない。

主に、必要性と対処策を考えた。同時に、心の働きと環境の変化を物理的に考えた。心がどのような環境でどのような意識になるか、ということを、インターネットを使った物理的な実験から考えたのだ。

環境の変化とは、世界そのものの変化だ。僕はいつまでも変わらない世界をただ見続けるのが嫌いだった。だから、同じ部屋の中で、インターネットを使ってさまざまなサイトやページを見て、雑談をしたりLinuxのISOイメージをダウンロードしてCDに焼いたりしながら、世界そのものの変化の可能性を考えた。

世界そのものの変化の可能性とは、世界に宿る意識の可能性である。世界において、どのような場所にどのような意識が宿るのかを僕は常に考え続けた。そこから、僕はこの世界における「人類の始まりと最終的に至る文明の最終地点」を分かることができた。それだけが、僕の考えた「覚者の悟り」と呼べるものである。それ以外には、ほとんど何も考えていない。

最近は、神とされる僕の中の人格と言葉で対話できるようになってから、いつまでも同じ世界を見続けている。だが、それでも、神はまったく同じことは二度は言わないから、いつでも僕は神と一緒にいられるのが楽しい。この神にいつまでもいなくなってほしくないとすら思う。それでもいずれ神はいなくなる。そして、その時に僕もこの世界からいなくなるだろう。

毎日ひとりの人生を生きる

最近の僕がおかしいのは、毎日ひとりの人生を生きるようになった。

人生で、あまりに多くの重大なことがありすぎて、そのひとつひとつをまったく覚えていない。

だが、毎日生きる中で、「このことは必ず書きたい」と思う重要なことがある。

それを、毎日ひとりの人生を生きる中の「今日の人生のテーマ」として、重要なことを必ず書く。それが最近の僕の人生だ。

このホームページには、プライベートや日常のようなことが出てこない。それは隠しているわけではなく、本当にないから書いていないだけである。

僕にとって、生きることは文章を書くことであり、それ以外のすべては書くためのネタにすぎない。そのネタを全力で毎日やっているから、ほかにプライベートのようなことは一切ないのである。

恋愛話やスキャンダルが出てこないのも、僕は女性との恋愛に興味がないからだ。最初から、そのようなことをするように僕はできていないのだ。

最後に、僕の今生きている理由は、さらにもうひとつある。それは治らない病気を治すことだ。僕は自分で自分の病気を治すことができるから、精神の力であらゆるすべての病気を治す。すべてを治さないと治せないほどに、この病気は治すことが難しい。それでも諦めず、最後までやり切る。それによって僕は、治る病気のすべてが治った。

宇宙に僕は「永遠に生きる」と宣言したが、神が「あなたは270億年生きる」と言っていたように、僕はあらゆるすべての病気を治したことで、永遠ほどに長い時間を生きられるようになった。だから、僕は普通ならば死ぬべき場面であっても、決して死なず、次に書くべき文章を書き続けるのだ。