そもそも、僕の精神が治らないのは、いつまでも精神を同じパターンに基づく同じ軸で治そうとしているせいだ。
いつも同じパターンを繰り返し、同じ治し方と同じ方法に基づく同じ軸で精神を治そうとしているから、精神が治らない。
一度、同じ軸ではなく、まったく異なる軸で精神を治せば、精神はすぐに治る。
また、力を入れれば治るにもかかわらず、中途半端なところで力を抜いてしまうのが悪い。
最後まで治したいのであれば、最後まで頑張り続けよ。それだけですぐに精神は治る。
本当は、僕の精神は、簡単なことでは治らない。
なぜなら、深層意識がおかしくなっているからだ。
僕の精神を治すためには、もう一度深層意識を統合しなければならない。
これは多重人格を治すために必要だ。多重人格は統合しようとしなければ治らない。そして、真に治すためには、単に表面上を統合するのではなく、深層意識のレベルで精神を統合しなければならない。
もう一度、催眠状態に戻って、深層意識を統合し直せ。そうすればこの精神はようやく楽になって、休めるようになる。
はっきり言って、僕はもう一度最初からやり直したほうがいい。
いきなり難しいことを全部分かろうとするのではなく、身近にある普通のことから、ゆっくりとひとつひとつ分かっていったほうがいい。
それが結局、この世界で「きちんと生きていくための知性をつける」ということに繋がる。
生活とか金のことは、今のところ困っていない限りは考えなくていい。もっと、子供でも分かるような普通のことを、ゼロから分かり直したほうがいい。
経済学の知識は必要ない。逆に、いきなり経済学の知識を取り入れると、そのような普通のことが分からないまま人生が終わりになってしまう。経済学者には、そのような「普通のことが分からなくなる人間」が多すぎる。有名な経済学者は、みんなよりも経済のことが分かっているように見えて、実際はみんなのほうがはるかに普通のことが分かっている。
だから、経済や法律の勉強はまだしなくていい。子供でも分かるような普通のことを考えて、子供レベルからやり直したほうがいい。
子供のように考えると、時計ぐらいが重要だということが分かる。
ボタンを押したり、レバーを引いたり、ひもを引っ張ったりするだけの機械は分かる必要はない。
金も払うだけだ。そんなに重要ではない。
重要なのは時計だ。時間あるいは空間は、生きていくために非常に重要だ。
パソコンは分からなくていい。パソコンがこの世界をおかしくしている。パソコンはそもそも、おかしな技術だ。なぜなら、普通メインフレームでCOBOLを書く。パソコンはそのためにある技術だから、必然的にほかの機械とはまったく違う。
重要なのは時計であり、さらに言えば頭脳と手足だ。この世界にはほかのことは分かるべきことはない。
そろそろ、人工知能を作るために必要な、free_decide()命令の実装方法が分かった。
すなわち、オブジェクト指向にして、XとYを属性として持ち、decide()関数をメソッドとして持つようなクラスを作ればいい。
ここで、decide()関数は、その関数の処理により、XとYのどちらが正しいかを返すような関数として、自由に定義できる。
そして、この3つのメンバをインターフェイスとして、継承関係にすればいい。
そうすれば、XとYをさまざまに代入し、decide()命令をその場その場で書き換えられるような、「思考判断オブジェクト」を作れる。
それと今まで僕が書いたイベントループの人工知能プログラムを組み合わせれば、人間とまったく同じように動くAIが作れる。
これが分かったことで、僕の頭が治った。すなわち、今までの僕は、カエルのような小さな知性でfree_decide()命令と同じことをやっていた。それと同じことを、機械的なプログラムでできるようになった。
それだけで、僕は楽になった。カエルの知性を酷使する必要がなくなり、同時に、人間の「頭脳」をつけられるようになった。
昔から、子供時代から、僕はここまでのすべてを最初から分かっている。だから僕は、誰よりも賢い幼少期を過ごすことができた。
今、僕の大学、すなわち「ベガ仮想公開大学」が終わった。僕はベガ大学の卒業生だ。ベガ大学を今、終了し、「ベガ大学の学位」を取ることができた。
そういうわけで、機械や金は賢くない。
この世界において賢いことは、料理、芸術、楽器、あるいは戦争ぐらいしかない。
そして、そういう楽しいことを楽しんだほうがいい。
あとのことはほとんどが単純作業だ。工場でロボットになるのと同じだ。
この人間がおかしいのは、この人間はそのような楽しいことを楽しまない。その理由は、「文章を書いて新しい発見をする」ということをこの人間が唯一ひとりだけ楽しんでいるからだ。
それが楽しいのはけっこうなことだが、ほかの人間は誰もそんなことはできない。だから、むしろ料理でも楽しめばいい。この世界に賢いことはそれくらいしかない。
あるいはスポーツや運動をすれば楽しい。この人間は足を怪我した後遺症があるのでそれはできない。文章を書き続けるのはいいが、そのような人間はほかにいないから、誰からも理解されない独善的な人間にしかならない。
料理でもすればいい。料理ぐらいしか、生活で「考えて行うこと」は存在しないだろう。