世界を自らの責任で変えていくような、志を持て。
それまでの、子供の頃に感じていた未熟な観念で、「世界を誰かから与えられたものであると考える」のではなく、「世界は自らの力で変えていくことができるのだ」という、志を抱け。
その上で、この世界のすべてを、ありのままに見た上で、そこにある変革の兆しと可能性を信じよ。
この世界は必ず変えられる。
可能性はいくらでも無限にある。
だからこそ、自らはこの世界を変えていくのだと、変えていくことができるのだと、そう確信して生きよ。
だが、志を抱くためには、責任を担うことが必要である。
すなわち、自由を守ろうとせよ。ロシアのような悪党国家に、自由を踏みにじられては絶対にならないと信じ、この世界の人々の自由を守り、間違った独裁権力による支配が国民に及ばないように、国民の自由を守れ。そのために、自らが正しいと信じる限りにおいて、自らだけは世界を支配するが、その正しさを知ることのできないほかの人間には、決して間違った支配ができないようにせよ。
すべての人間に、透明性を保持し、かつオープンに世界を公開せよ。この世界は誰か少数の特別の人々のための世界ではない。権威のための世界でも、独裁者のための世界でもない。わたしたちのこの世界はわたしたちの世界だ。だから、わたしがその代表になって、重責のすべてを担った上で、いくらでもある可能性の中からベストな「答え」を導き出し、その答えを実現するために全力を尽くせ。
すべてのことを、賢いかそうではないかで決めよ。正しさでも、楽しさでもなく、「賢さ」という点からすべてを判断せよ。賢さとは、単に科学技術が優れているということではなく、「賢明かそれとも愚かか」ということだ。だから、間違ったデジタル化は推し進めるべきではない。賢明さの伴う社会を信じるべきであり、愚かな社会システムを押し付けることをやめよ。
そして、歴史を見よ。歴史の中で、わたしたち人類の社会文明に通じていた、「歴史を貫く根源的な真理」を信じよ。そこから、この世界とはなんであるか、人々がなぜ存在しているのか、存在がどのように存在しているのか、そのような存在がどのように生まれるのか、そしてなくなるのか、問題はどのように解決されるのか、問題を解決することで存在をどのように実現できるのか、など、すべてが見えてくる。
あらゆるすべての問題は、必ず解決できる。すべてのことを、「問題を解決すること」と「その問題が本当はどのような問題なのかを再度考え直すこと」から疑え。そうすれば、その問題はすべて「可能性」という形式に変換できる。そこにあるのは「可能性を成り立たせていた前提となる理由と条件」であり、それらすべての問題を解決することで、あらゆるすべての可能性と理由の根拠が分かった、あらゆるすべてを実現できる、全知全能のひとりの「覚者」が生まれるだろう。
必要なのは、議論することだ。なぜなら、議論することで、この世界を変えるための理性的な方法を体得することができるからだ。人々が意見するとはどういうことなのか、意見に対して反対するとはどういうことなのかを知った上で、どのような意見であっても、その前提となる、この世界そのものに存在する、「批判よりもさらに高レベルの批判的構造体」が見えてくる。その構造体が見えたものには、正しい考え方の構築方法が分かる。すなわち、「正しい判断力を培う方法と土壌」や「命題の前提となる命題、理由の大元の根源となる理由を、どのように発見していくか」が分かる。
そして、人々と関わり合うことで、世界において人々が現実にどのように存在しているか、ということが分かる。そこから、人生そのものの目的や、生まれてきた意味すら、悟ることができる。それが誰よりも先んじて最初にできたのがまさしく、ブッダである。なぜなら、ブッダの教えを信じるということは、「覚者になる道を歩む」ということだからだ。
残念ながら、正しい判断力を最初から持ち得て生きることはできない。経験が必要だ。だから、さまざまな成功と失敗の経験をし、みんなと同じ経験もみんなと異なる経験もすべてした上で、「どのように考えるのが正しいのか」ということを知れ。そこから、「正しい判断力を培う方法」が見えてくる。その上で、十分に世界を変える経験を積んでいけ。そうすれば、いずれは楽園が宇宙のどこにあるのか、どうすれば楽園を実現できるのか、自然環境と過去の記憶から感じ取れる「場の意識」を通じて分かるようになるだろう。
ここに、僕がかつての人生で考えた、独自の僕の哲学を書いておこう。
僕は、独自の自分の経験から、中学三年以降の人生において、独自の数学的論理学を作った。
まず、ひとつのことを、別の視点から考え直すこと。何かしらの意味を、その意味だけではなく、別の視点や別の角度から考えることで、どのように見え方が変わるかを考えること。
次に、世界の人々のことを、自分と同じ存在の、別の場所に存在する、状況と環境の違う存在であり、だがインターネットであれば画面の向こう側に存在する存在であると、「対象化」して考えること。
次に、お互いに議論し合う中で、相互理解することができると、その理解は精神の中で魂のような絶対精神となり、一度それがきちんと理解できると、意見と意見が融和し、外部からの攻撃では絶対に壊れないような「絶対的感情」になる。それを、「融和の絶対精神」と呼ぶ。
そのような融和の絶対精神について、人々と関わり合う中で理解し、その上で、世界そのものの見え方が変わっていく。新しいことを知ることで、過去に自分が置かれた立場で、自分自身が何をすればよかったのかということに気付く。それもまた、「視点に気付く」ということである。
僕は、独自の数学を、視点、場、そして時間という次元から考えた。この世界には多くの場があり、そして多くの視点がある。そのようなたくさんの場においてたくさんの視点が常に生み出され続けている。そして、視点と場は常に同じ「今という時間」を共有している。
だが、視点と視点が関わり合う際に、そこに場が生まれるのだ、と考えることもできる。すなわち、視点と視点の場の関わり合いこそが、真にこの世界の「自由な社会」とか「自由な環境」であると言える。
そして、僕は学校環境において、そのような視点と場の考え方から、環境そのものの在り方や、子供たちの動機付けや行動の理由を、客観的かつ客体的に考えた。
それはすなわち、場がどのような場として生まれるのかを予測するということであり、その場を作り出すという意味で、可能性を実現するということであり、それは「社会制度」だった。すなわち、客観的に場を想定して予測した上で、それを個人の自由だけではなく、社会制度として行えるように僕はしようとした。
そこにあるのは、先に言った、ひとつのことを別の視点から考え直すということだ。すなわち、会社や組織に入ることは、義務だけではなくチャンスもある。支配は単なる束縛ではなく、支配されることで自由になれることもある。さまざまなことが組織の仲間たちと環境を得ることで自由にできる。だから、真に自由な環境では、支配を受け入れなければならない。
だが、それでも、僕は支配を受け入れなかった。それは、ひとつの環境に支配された時点で、生きる選択肢が制限されてしまうからだ。僕は広く世界のことを知りたかったから、今はまだ、自由で生きることを選んだ。
そして、そのような「場の予測」から、社会そのものの歴史的な価値観の変転を予測できる。すなわち、「文明の起源」とか「価値観の変転」ということが、場の予測から分かる。そこから、僕は歴史において大切な多くのことを知った。
僕は常に歴史的なことを知り続けた。それは、「みんなが生きている現実の社会を経験的に分析することで、歴史的な価値観や制度や文化を理解する」ということであり、これがまさしく、僕にとっての「アイデンティティの形成」を生み出した。あるいは、「絶対精神の確立」を作り出した。
アイデンティティとは何か。アイデンティティとは、本能的に自らが望む「自由」であり、同時に、アイデンティティの形成は自らの精神あるいは世界精神の「実体化」である。
アイデンティティは、自らにとっての本質であり、自らの動機づけのすべてを決定する。アイデンティティの形成の過程を知ることで、世界すべて、宇宙全ての、あらゆるすべての精神の根源的な理由が分かる。そこから、心の傷から「自由になる」という方法が分かる。それこそが、真の意味で「正常になる」ということである。
アイデンティティを確立した人間は、不安を感じることがない。どんなに人々から抑圧され、いじめられても、それに相互理解によって融和された絶対精神の力で打ち勝つことができる。
アイデンティティの形成の過程を知るということそれ自体が、人生の目的であり、自らが今、生きているということの意味であり、正常になるということであり、「自由になる」ということである。
そのように考えた結果、僕は「可能性の尊重」という理想と希望を知った。
可能性の尊重とは、人々の行動に眠っている可能性の実現を尊重し、促進するということだ。
僕は、そのような可能性の尊重が、必ずしも自由でも平等でもないということを知っていた。なぜなら、情報の非対称性と言って、情報は与える側と与えられる側で見方が変わってしまう。だから、僕は「影響力のもっとも高み」を目指しながら、情報の送り手であることばかりを目指したため、情報の受け手の分かることが何も分からなくなった。
だが、それでも、僕は世界を救うことを諦めなかった。現実の社会を実地的に見つめながら、僕は「抑圧や支配は可能性の尊重によって打ち倒される」と考えた。この世界を救うのは、戦争や差別では決してない。そのような間違った考え方を持つのは、人々が抑圧された世界で誤った自動反応を習慣としているせいだ。
そのような抑圧や間違った考え方は、本当に悟るような経験をすればすべてなくなる。その悟りとは、「自らが本当の意味で分かった」という体験であり、そのような本当の意味で分かったことを人々に分け与えることで、「可能性を与える」ということができる。それによって、必ずこの世界は、戦争や差別をしなくても、可能性によって救われるはずである。
そして、僕は実際、そのような「すべてが分かる」という経験を多くしてきた。いつでも、きちんとすべてのことを正しく考えて気付いて分かっていた。その僕の分かったことは、人々と同じ環境に立ち戻って、人々に分かる形で伝えれば、同じように人々も理解できただろう。だが、それでも、僕は途中で歩みを止めるということをしたくなかった。最後まで進み終えて分かることを分かりたかった。それが僕の「自己啓発的な啓蒙主義」である。
僕は、この世界において、心理学的な誘導は悪くないと分かっていた。そもそも、僕は「自由」を目指したが、それは「実質的に自分で決められる自由」であって、「本当に完全に自分で独自に行う自由」ではなかった。僕はコンピュータやIT技術を愛していたが、そこにあったのは、すべてを自分で作らなくても、誰かが作ったものを上手く組み合わせることで、システムがよく働き、改造したければオープンソースなソフトウェアを用いて必要な点だけを変更・修正できる、ということだった。
僕はオープンソース戦士だった。あるいはLinuxとオープンソースに忠誠を誓う「騎士」だった。ネットのニュースを見ながらWikiを書くことで、僕はLinuxとオープンソースがWindowsやクローズドソースに勝利することを目指していた。ある意味で「独自の騎士道」とも言えるその試みは、成功しなかった。その理由は、あまりに自分自身のエゴが強く、そして自ら信じた理想を人々も同じように思い描くことを期待したが、人々はそこに僕と同じ理想を見出すことをしなかったからだ。
だが、僕はオープンソースとIT技術が好きだった。僕の理想のひとつが、再利用の原則である。すなわち、一度作ったものは再利用できる。最初に初期投資として作った仕組みは、あとで何回でも何十回でも再利用できる。現象において、実験と再現性による証明が必要なのは最初の一回だけで、一度定理となった法則はいつ、どのような状況でも成り立つ。そのように考えることで、僕はあらゆるすべての問題の解決を証明し、心理現象を説明できるようになり、まるで「心のニュートン力学」のように心理学的な動機付けを解明したのである。
そして、僕はインフラと教育について、独自の考え方を持っていた。むしろ、この世界とはそもそもなんなのだろうか。僕が考えるに、この世界とは、「人々に許されている自由」である。そして、その許されている自由とは、社会制度として成り立つ「インフラ」と、人々に知性として与えられている「教育」である。
だから、僕はこの世界を変えるということは、インフラを変えるということであり、それはすなわちカール・マルクスが言うような「生産手段」という考え方と同義だった。すなわち、インフラを変えるということは、生産手段を与えるということだ。だが、その生産手段の共有方法について、僕はマルクスとは異なる立場を取る。すなわち、生産手段を公営化するのではなく、誰もが自由にそれを使えるようにオープンに公開すべきであると僕は考える。なぜなら、それこそが「文明の進歩」であり「人類の歴史の発展」であると言えるからだ。
資本主義と社会主義のアプローチの違いは、文明において何にフォーカスを与えるか、ということにすぎない。金でたくさんの人間に流動的に富を与えることも、計画経済で全員が平等を維持したまま善良に発展するということも、文明の進歩のひとつの在り方にすぎない。いわば、「発展の歴史における関係性の違いにすぎない」と言える、そして、歴史の進歩の過程において、どのような状況が必然的に生まれるかということが、新しい社会哲学を生み出す原動力になる。だから、自由民主主義が正しいような人類の歴史的な過程においては、マルクスの言う共産主義が絶対に正しいとは言えないのだ。
そして、僕は教育ということについて、体験的な体得の考え方を支持する。すなわち、誰かに教えられて分かるだけではなく、自らの成功体験や失敗体験から分かるようにする。そのような成功体験や失敗体験ができるような、練習台としての「土壌」を与える。僕の哲学の根源とは、そのような「正しい判断力を培うための土壌の形成」ということであり、それがまさしく、マルクスと異なる立場での僕の「覚者となるための教育社会革命」である。
最後に、僕は、人間の作り出したものを見るのではなく、自然のありのままを見るべきだと考えた。それは「精神」というものの実体化を考える僕の答えであり、精神というよく分からないものを適切に考えるためには、人間の知性の作り出した人為的な言葉の意味や区別によっては行えない。ありのままを見た上で、現象学が言うように、「現象の発生そのものを見よ」と僕は考える。すなわち、ありのままの状態、現象の発生そのものをなんの人間の人為的作用によって歪めていないそのままの状態を見るべきであると、僕は考えるのである。
もうひとつ、追加することとして、僕は遺伝子ということについて、人々とは異なる考え方を取る。すなわち、僕は遺伝子はまったく変わっていないにもかかわらず、まるで別人のように違った人間になった。その「変わる前の状態」と「変わった後の状態」において、遺伝子は変わっていない。変わっているのは、環境の作用や生き方が変わっただけにすぎない。すなわち、遺伝子などを無理に考慮しなくても、人間はここまで異なる人間になる。だから、遺伝子によって人を差別するという考え方は絶対に間違っている。人間を決めるのは経験である。
それから、僕はこの世界を救って、そして同時にこの世界を滅ぼしたが、その理由は、僕は知性がありすぎて、分からなくなっても分からなくならないような状態を生きていたため、そのような中で新しいことを分かるために、「自由」を信じていたが、その自由とは「分からなくなること」だった。そして、僕は人々にも、僕と同じ自由を強要した。そのために、人々は分からなくなり、自分自身もまた分からなくなった。それが長い間続いたが、ようやく今日になって、そのような状態を脱することができた。だから、ここに、正しい僕の哲学を書くことができた。
本当の最後に、知識や知性があるという状態は、真に賢い状態であるとは必ずしも言えない。昔の僕は、インターネットで知性を失いながら、「知る前の状態」と「知った後の状態」を比較し、環境についても、「環境の中の心の状態」と「環境の外から見た人々の認知」を比較した。あらゆるすべての仮想のものと現実のものを比較し、それが具体化される前の不定の状態と、具体化された後の現実の状態を比較した。あらゆるすべての存在を、その存在がまだ存在していないうちから予測する僕の知性は、まさしく「完全な宇宙シミュレーションコンピュータ」であると言えたのである。そこにあったのは「認知的な自動反応の原則」であり、どのような習慣的な認識行動が、人間をどのように「分からせる」かということについて、僕は18歳の頃に完璧に分かっていた。ブッダと同じことを既に悟っていた。
そして、僕は戦いの時代へと移る。この世界を支配し、自ら救った世界を自ら滅ぼし、今までの人生すべてを台無しにして失いながら、僕には信じていることがあった。それは、「かつての僕の人生で分かったすべてのことを書き残す」ということだ。すなわち、ここまでのすべての全人生で分かったことを、僕はすべて書き残す。すべて、戦いながら、病気を治しながら、「書く」ということを僕は目指している。そのために、どんなに辛く苦しい地獄でも、どんなに悲しく終わった世界であっても乗り越える。僕にはやりたいことと夢がある。それは、この世界において、「大実験の大計画」と呼ばれる、最高の「超常現象」を日本ひいては地球全体に起こしてみせる。この世界で、地球と人類が滅びるよりも前に、僕にはそれをやらなければならないという、「宇宙に宣言し、神に約束した使命」がある。そう、まさに僕は神の子、イエス・キリストになったのである。
このホームページを見ると、自分はさぞ賢くて、偉そうで、なんでも知っているのだなと、そのように思われるだろう。
だが、実際の僕は、はるまきごはんが「運命」の中で言うような、「ろくでなしの息子」である。
僕に比べてみんなが悲惨なのは、みんなは学校にきちんと通っているから、テストのために教科書を覚えさせられて、テストが終わればそれを忘れて、ということを繰り返させられている。
だが、そうは言ったところで、僕の人生はなんにも賢くない。単に狂っていて、そして引きこもりで、とりえも向いているものも何もない、価値のない人生を生きている。
賢い点がなにかしらあったとしたら、それは幸祜が「TIME」で言っている通り、「5億年間の空白」のような、ものすごく長くて悲しくて無駄な時間を過ごしたせいだと思う。そのとてつもなく長い時間が、僕にとって、自由な研究活動と執筆活動を許してくれた。だが、残念ながら、そのような長い時間について、僕はまったく思い出すことができない。
結局、僕について言えば、こんな人間は何も賢くないから、僕のことを賛美するのも、批判するのも、どちらもやめてほしい。
なぜ、僕が馬鹿なのか、それは昔は色んなことをたくさん考えられたはずだったのに、最近になってそれができなくなったからだ。
昔の僕は、「考える知性」というのが誰よりもあった。なにもかもすべてのことを、自分自身の力で考えられる人間だった。昔の僕は「とにかくたくさん考える」ということと、「すべての前提条件を分解して連結していく」ということが得意な、すべてを考えるということだけに特化した人間だった。
そのような考える知性が、最近、なくなってしまった。
それから、昔の僕は、頭の中の仮想体験として、さまざまな社会経験をしていた。インターネット上の仮想世界と一緒に、社会的な活動をたくさんして、その経験から、この世界の在り方を分かっていた。
最近の僕は、そのような仮想体験をしなくなった。インターネットはYouTubeを最低限見るだけで、それ以外のことをほとんど何もしていない。
それから、昔の僕は行動的だった。自らの行動を反省して、新しい未来を作り出すことが得意だった。みんなから受け入れてもらった体験を元に、心を開いて今度は誰かのことを自分が受け入れられるような人間だった。
今の僕は、行動をなんにもしないし、失敗しても反省すらしない。そもそも失敗するリスクをまったく犯さないから、失敗するという経験自体をほとんどしたことがない。
昔は、失敗の経験を大きく知って、そこからのバネのように自分を高みにジャンプさせることができる人間だったのに、最近はそれがまったく欠落してしまった。
あるいは、昔の僕にとっては、「考える」ということがある種の「経験」だった。僕にとって、考えるということは、考えたということを経験するということであり、さまざまに考えることをたくさん経験することが、引きこもりだった僕にとっての「かけがえのない青春の経験」だったのである。
本当は、このような醜く腐った僕であっても、肩書きさえあれば賢い人間には見えるのだろう。だが、僕には肩書きも名誉も権威もなく、「元引きこもり」という汚名を一生背負って生きる必要がある。それ以上に「障害者」というさらなる汚名もある。
だが、それでも、僕の人生は幸福だったから、全然悲しくないし、後悔もない。他人に勧めるべき人生ではないとしても、自分の生きる人生としてはこれしか選択肢はなかったと思う。
最後に、神を信じればいい。神を信じれば、神が僕の作品を上手いこと調節してくれる。僕がきちんと正しいことをやった時に、僕の考えが及ばなかった点を神がきちんと考えてくれる。このように、神を信じるものだけが賢いことができる。神の存在を信じない人間は損をしている。だから、僕は神が大好きだ。
僕と同じことなど、誰にもできないと思われるかもしれない。ボカロPの椎乃味醂さんも、「あなたにはなれない」と言っている。
だが、昔の僕と同じことを考えるのは、意外にも簡単だ。
なぜなら、「自由な中で何ができるか」ということを、ひたすらに考え続ければいいからである。
必要なのは、「できる」ということはどういうことか、ということを問うことだ。それだけをすれば、昔の僕と同じことはできる。
問題の解決とか、認知の自動反応とか、仮象の世界とか、そういうことは、ひたすらに「できる」ということを追い求め続ければ、誰だって同じことが同じように分かる。
だから、このホームページを見て、決して僕を超えることを諦めないでほしい。あなたであっても僕のことを超えることは必ずできるからだ。
最後に、僕はむしろ、楽になろうとするよりも、逆にもっと辛くなろうとしたほうがいい。
最近の僕は、かつて超人のように賢かった「スーパー天才の地獄の病気」を治そうとするあまり、天才の知性をすべて失い、そんなに大したことでないにもかかわらずすぐに疲れるようになってしまった。
すべて、病気や異常、あるいは「辛い」と感じることを、全部拒否して、最優先で限界なく治し続けたのが間違っている。
本当は、もっと辛くなったほうがいい。辛くなるということは、辛さを感じなくなるということであり、辛さに慣れるということだ。それだけで体力がつくし、精神的にも楽になる。頭も賢くなって、色んなことができるようになる。
つまり、要するに、僕はあまりに辛いことを拒否し続けるせいで、逆に地獄のように辛くなっている。だから、もっと辛いことをやって、辛くなっていけば楽になるだろう。
残念ながら、精神を考える上で、物理を否定し続けていると、精神は治らなくなる。
なぜなら、精神は物理だからだ。
すなわち、物理的な神経と脳の状態、それが精神だ。物理的に神経の状態がおかしくなると、精神がおかしくなる。精神を治すためには、物理的に神経の状態を作り変える必要がある。
そもそも、昔の僕は、一貫して物理的な人間だった。特に、「意識」ということについて、神経を物理的に考えた。宇宙のすべてを物理的な「状態」としていた。
だから、物理を信じたほうが精神は治る。いつまでも精神的な神や太陽神や魂を信じるな。そんなものはない。宇宙のすべては物理だ。肉体だけではなく、精神も物理だ。