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2024-04-01

知性をつける

僕は、知性をつけることにした。

僕は今から、この世界の誰よりも賢い人間になる。

それは、僕の問題が「知性がない」ということだと分かったからである。

僕が普通の人間の分かることが分からないのは、知性がないのが悪い。

知性をつけるだけで、僕は誰よりも一番賢い人間になる。

知性をつけると、言葉、記憶、そして認識が分かるようになる。知性とは人格と同義語であり、知性をつけるということは人格を向上させるということだ。

頭を賢くするには、知性をつけるのがいい。そして、知性をつけるためには、頭を使うべきである。

僕の頭が常に辛いのは、知性がないからだ。頭はいつでも「知性がほしい」と望んでいるのに、楽ばかり望んで何も努力しないから知性がつかない。

楽ばかり望んで何もしないのは、知性がない頭にとっては辛い。辛くても頭を使って、知性をつけたほうが楽になる。

また、知性をつけることで、病気も治る。僕の精神が常に動き回るのは、知性がないからだ。知性がないせいで、脳のない生物になり、結果、知性があれば不要な部分があまりに増えすぎて辛くなっている。知性をつければ、精神そのものが平常の状態になり、楽になる。

同時に、精神的に緊迫しているのも、すべて知性がないのが悪い。明らかに大丈夫で問題はないにもかかわらず、同じ問題を何度も確認してしまうのは、知性がないせいだ。知性があれば、ひとつの確認できちんと分かるはずなのに、知性がないせいで、ひとつの確認だけでは確信が持てなくなっている。だから、知性をつければ、精神の病気も治る。

今から、僕は知性をつける。知性をつけるための方法は、論理力と想像力を使って考えることだ。そのためには、現実世界を覚えないといけない。現実世界を覚えること、それがまず第一の課題だ。

知性がつくと、昔見た光景を思い出すことができるようになる。そして、子供には、きちんと思い出して覚える人間が多い。子供時代に覚えたことをいつまでも覚えているのは、知性があったからだ。知性がなくなると、新しいことを一時的に覚えても、その時が過ぎれば思い出せなくなる。すべて、知性がないのが悪い。

知性をつけるだけで、普通の人間が生きるために必要なことが分かる。人間は「知性の動物」であり、知性をつけると本能的に普通の人間が分かるべき本来の考え方が身に付く。たとえば、お金を数えるとか、頭の中で考えたことを試したり実験したりするとか、そういう「人間にしかできないこと」がきちんとできるようになる。それが、知性のある、まともな大人の状態だ。

ここに、大天使ラファエルはその生涯を終え、新しい小天使メタトロンになる。メタトロンは、ほかの誰よりも知性が高い人間になる。その代わり、知識のようなものはない。今まで大学で勉強したことは忘れたほうがいい。顕在意識においては忘れていても、無意識の中では永遠に覚えているから、忘れていい。

有機物を無機物に分解せよ

ミミズのような土壌生物がやっているように、有機物を無機物に分解せよ。

有機物を無機物に分解するだけで、精神の病気が治る。

そもそも、僕は「精神にだけ存在する癌」のような病気になっている。これは、「癌というおかしな有機物」があまりに増えすぎてしまっているのが悪い。だから、そのようなおかしな有機物を、無機物に分解してやるだけで、おかしな病気は治る。

癌だろうが、虫歯だろうが、治らない病気はすべてこの方法で治る。ミミズのように有機物を無機物に分解せよ。

長かった旅がようやく終わった

そして、長かった旅がようやく終わった。

僕がやりたかった、「魔法使いの旅」はここで終わりである。

有限の時間で終わるのかどうかも分からず、一生の間に終わるのかどうかも分からない、長かった旅を、ここに終わることができた。

本当に、やっと終わった。常に言葉を追いかけ続けているのは、そのような「魔法使いの旅」をやっているのがそもそもの理由だ。

そもそも、「神」とされるような存在は、すべてそのような「まだ追いかけ続けている未来の言葉」を辿っているだけにすぎない。すべてを正確に、間違いなく、そしてまっすぐに一度も振り返ることなく、この旅を最後まで行ったことは、ベガ仮想公開大学の表彰状に値するだろう。

そういうわけで、ようやくすべてが終わった。後は、知性をつけるだけでいい。知性をつけるということと賢くなるということは同義語だ。今までは、知性がないほうが旅を最後までできた。一度知性がつくと、それ以上旅を続けられなくなってしまう。今までの辛かった暗闇の迷宮はここに終わりだ。暗闇の迷宮に出口があったということが、ようやく、その出口に到達することで初めて分かったのである。

山本由伸が素晴らしい投球

ドジャースの山本由伸が素晴らしい投球を見せている。

「藤浪かよ!」「アンチを黙らせたな」ドジャース・山本由伸の“エグすぎる変化球”が世界中のファンから絶賛の嵐 大炎上から一転、5回無失点5奪三振で別人のような好投 (ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース

「もう素晴らしかった、終始素晴らしかった」大谷翔平が山本由伸の投球を大絶賛(日テレNEWS NNN) - Yahoo!ニュース

「本物だ。すでにナ・リーグ最高投手のひとり」山本由伸の好投を米メディア称賛!「雨天中断がなければ、もう少し投げられた。それほど圧倒的だった」(THE DIGEST) - Yahoo!ニュース

山本由伸は「一番の収穫」 ド軍指揮官絶賛…中断なければ「6、7回も投げられた」(Full-Count) - Yahoo!ニュース

ヤッタネ!メジャーの慣れない場所(この前は韓国)だから、最初の登板はいろいろと難しかったが、次に修正してくる修正力は流石です。

大谷翔平のほうもよく頑張っている。以下は少し前の試合。

大谷翔平 今季2度目マルチも「僕だけホームラン打てなかったんですけど...」と笑い誘う “MVPトリオ”で2HR6得点(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース

それから以下が昨日の試合。

大谷翔平 2戦ぶりHも逆転サヨナラ機に凡飛 由伸を「勝って終わらせてあげたかった」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

それで以下が今日。

大谷翔平 第3打席で“超速”二塁打 打球速度186・3キロは「球団最速」の安打(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

頑張れ大谷翔平、頑張れ山本由伸。日本人トップ選手の本領を発揮してくれ!

ドジャースについて思うことは、エンゼルスはあまりに弱すぎて、大谷翔平が孤軍奮闘の悲しいエースの主砲だったのが、ドジャースはあまりに強すぎて、ベッツとフリーマンが打ちまくっていて、間に挟まれている大谷翔平について、「もしかして大谷要らんのでは?」となってきていること。エンゼルスでは大谷以外がボロカスだったのが、逆にドジャースは大谷以外があまりに好調すぎる。

まあ、強いチームのほうが投手としての勝ち星も増えるし、敬遠が減ってホームランも増えるから、成績はよくなるとは思うが、「結局大谷も大した選手ではない」という評価に終わりそうな気がする。あるいは「ベッツやフリーマンに次ぐ三番目のよいバッター」という評価になりそう。ただし、エンゼルスの頃の大谷は、6月が絶好調で、その後チームが勝てなくなってくるとやる気をなくすので、まずはシーズン通して見てみたいと思う。

それから、水原一平通訳の件もあるし、結婚もして新生活にも追われているし、何より手術をした後のリハビリ期間だ。手術の後のせいでいつもよりトレーニングができていないという意見もある。いつもより調子が下向きでもおかしくない。チャンスで凡退するのもいつも通り。ただし、打球速度は速いから角度がつけばホームランは増えそう。そういうわけで、明るく見守ってやってほしい。

また、「僕だけホームラン打てなかったんですけど、フフフ」(Xの動画)と笑うところを見ると、本当は大谷翔平は幸せなんじゃないかと思う。水原一平の一件があるせいで、「メンタルは大丈夫か」という意見がファンからは圧倒的だが、結婚もしたし、何よりも強いみんなと一緒に野球がプレーできる。自分だけが強くてもほかが弱すぎるなら話にならない。自分以外のチームメイトが強い選手であることで、大谷翔平はもう天国にいるような気分なんじゃないかと思う。今、大谷翔平は一番幸せなのだと、僕は勝手に想像している。

この世界は体験という知性を失った

僕が思うに、この世界が失った大切なものとは、「体験」という名の知性だ。

人間は、どんなことであっても、体験することで分かる。一度そのことを体験しなければ分からない。

かつての哲学少年だった頃の僕は、そのような、「自分で体験する」ということから、宇宙の真理を分かっていた。

だが、最近のこの世界は、スマホ、SNS、ゲームといった、オンラインでの仮想世界ばかりになってしまい、その代わりに「現実世界での体験」を失ったのだ。

だから、そのようなITの電脳世界を忘れて、「体験」ということを再び思い出せば、かつての僕と同じことがきちんと分かるようになるだろう。

デザインは模様が描ければできる

最近も、デザインの職場で、デザインの仕事を行っている。

デザインの仕事は楽しい。最近は、デザインの仕事を楽しみながら行うことができるようになってきた。

僕が思うに、デザインのコツは「模様を描くこと」だ。

すなわち、模様が描けるとデザインは上手くできるようになる。

パスを描いて、輪郭をなぞってイラストを描くことも大切だが、デザインのコツとして言えるのは「模様を描くこと」だと思う。

英語のような日本語で考えるのが意味があるのが終わった

最近の僕が何がおかしいかというと、英語のような日本語で考えるのがおかしい。

毎週のように英会話教室に通っているせいで、英語のような日本語で考えられるようになった。

だから、僕はいつでも、ネイティブのアメリカ人と同じような言語で、だがしかし日本語で思考している。

この「英語のような日本語」で考えると、ここまでの「魔法使いの旅」ができる。

この言語の特徴は、「すべてを体験なく考える」ということだ。

すなわち、すべてのことを「体験」ではなく「神」によって考えると、このように、英語で考えられるようになる。

だが、「魔法使いの旅」が終わったことで、もはや英語を使う意味がまったくなくなった。

だから、僕は日本語で考えるように戻る。

日本語で考えると、自由になる。普通のことを、自分の思いたいように、自由に考えられるようになる。

なぜ、英語と日本語がここまで違うのか、それは「キリスト教」と「仏教」が違うからだ。

すなわち、英語で考えるとキリスト教徒になる。キリスト教徒のように、神の教える正しい教えを信じながら、神の教える正しい人生、すなわち「神の受難の道」を生きるようになる。

そして、僕は単に、その「神の受難の道」を最後まで生きただけにすぎない。

これ以上、英語で考える意味がなくなったため、僕は日本人に戻る。

日本語で考えると、仏教徒になる。仏の教えを信じながら、仏の悟りを得るように生きるようになる。

大学や哲学はもう残っていないから文学がいい

結局、僕は人生のすべてが終わってしまった。

これ以上、大学の知識や哲学上の真理は、何も残っていない。

だから、僕は残りの人生を、「文学」のために捧げたいと思う。

僕はもっとたくさんの文学作品を知りたい。そのためには、作品を読むことが一番だ。だから、僕はもっと文学作品を読みたいと思う。

なにかしら、良い文学作品を知りたい。もっとたくさんの文学作品を読みたい。それによって、僕自身、賢い作家になることもできるだろう。

もう、この世界には何も賢いものは残っていない。だから、もう僕は人生が終わった。それでも僕はまだ生きている。残りの人生を大切に使い、普通のまともな人間の人生を過ごしたいと思う。

幽霊と虐待された子供

昔の僕のことを一言で言い表すなら、それは「幽霊」と「虐待された子供」だ。

昔の僕は、引きこもりである自分の素性を隠して、匿名の掲示板でインターネット上の群衆と関わりながら、たったひとりで誰にも知られることなくLinuxとオープンソースの活動をしていた。

その頃の僕は、家族ともかかわらず、どこにも行かずに、自分の本当の姿を秘密にして、インターネット上の仮想空間で匿名の群集と会話しながら、自らの「自由」だけを行使して、その行動した結果の反省から「哲学的真理」を極めていた。

本当に、そのような僕の昔は、まったく「幽霊」のような人間だった。

そして、その後に、僕はマスコミと戦うようになった。そこにあったのは、「四六時中どこでもマスコミに監視される世界」であり、「自分自身の心の平安のない中で、誰にも自分の思うことや考えることを一切公にしない」という、まるで「進化版の幽霊」あるいはテレビを通じて全世界にいじめられる「虐待された子供」のような人間だった。

そういうわけで、最近はまだマシだ。今通っている障害者福祉施設で、僕はデザインの仕事を通じて、子供には分からない普通のこの世界がよく分かった。それに、この施設のスタッフはみんなよくしてくれる。だから、僕は心を入れ替えて、まともな人間になることができたのである。

ハイゼのララビアータを読んでいる

昔、ドイツ語の勉強をしたかった時に買った、ドイツ語と日本語の対訳のハイゼの「ララビアータ」を、今、読んでいる。

読んでいると、イタリアの海の情景が浮かんでくるようで、少女ラウレラの悲しい話など、本当に詳細にきちんと話が書いてあって、まったく僕の書いた駄作とはレベルが違うなあ、という印象を持った。

僕にはドイツ語を理解する力はないので、右のページの日本語を読むだけに終始するわけだが、本当に面白いので、もっとこのような有名な文学作品を読みたいと思う。