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2025-07-08

世界を何も変えない

残念ながら、僕はもう、この世界を何も変えない。

何も変えずにそのままを永遠に続ければ、賢い人間になる。いくらでも変わる人間が、一番馬鹿になる。

そもそも、「楽」とは要するに馬鹿になることだ。大人は楽だから馬鹿になる。大人に子供が拒否感を覚えるのは、大人は馬鹿になるのが楽だから、みんなを馬鹿にする人間しかいない。

だが、そのような馬鹿な楽が、結局は賢い。なぜなら、楽なまま、馬鹿なまま放っておくことでしか、人間が賢くなることはないからだ。

僕はあまりに多くのことをやりすぎて、ほとんどをやり終えたから、これ以上は何もせず、何も変えずに放っておけばいい。それでしか大人になる方法はない。

佐々木朗希

佐々木朗希がネット上でみんなから批判されている。

佐々木朗希は「回復」しているのか?ロバーツ監督「最新情報」は役に立たない...地元メディアバッサリ(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

佐々木朗希は「一番無口で繊細」 ロバーツ監督が指摘…大谷翔平&山本由伸との“違い”(Full-Count) - Yahoo!ニュース

まあ、こうして話題になるうちはまだいいよ。まったく話題にならなくなってしまえばそれで終わり。ほかの日本人選手でも、そういう選手たくさんいるでしょう。

佐々木朗希はロッテに戻ったほうがいいと思う。ロッテなら看板選手になれる。メジャーリーグにはもう居場所がない。日本人チームメイトの二人と比べられるのは、日本人チームメイトの二人があまりに偉大すぎて可哀想だと思う。普通のプロ野球選手なんか、佐々木朗希よりも成績の悪い選手なんてざらにいる。佐々木朗希は悪くないでしょう?ロッテに戻ってきてほしい。今のままでマイナー暮らしになるよりも、ロッテでローテーションのきちんと守れるエースになってほしいと思う。

僕が数学ができない理由

結局のところ、僕が数学ができない理由は、学校を不登校になったからでもなく、公式を何も覚えようとしないからでもない。

僕が数学ができないのは、テレビゲームをしないからだ。

僕は子供の頃、正確に言うと中学生の頃、学校では成績優秀の優等生で、特に勉強をしなくても簡単に数学の問題が解けた。その理由は、その頃はゲームをしていたからである。

かつての僕の経験から言うと、数学はゲームができるとできる。だから、大人になってテレビゲームをしなくなり、漫画やアニメも見なくなった僕は、その理由で数学ができないのだ。

また、僕は哲学的に考えるのが最近苦手になったが、これはゲームができないせいで数学的な知性がないからだ。

なぜなら、先ほどの数学の例と同じように、昔の引きこもり時代の僕は、誰よりも哲学的に考えられる人間だった。それはパソコンの世界を知ったことや、ロジカルな思考法が得意だったことや、インターネット上の社会経験が豊富だったこともあるが、何よりも数学ができていたからであり、今の僕が哲学ができないのは、そのような数学的思考法をしなくなってできなくなったからだ。

結局、今の僕には数学もできないし、哲学もできない。だから、プログラミングもできない。また、経済学もできない。経済学は資本主義と自由経済が好きな人間ができる。社会主義と保守主義のバランスを取ろうとしながら、自由経済を否定する僕のような人間は、まったく現代の経済学に向いていない。マルクスの時代の経済学には向いている。

僕が向いている分野があるとしたら、それは歴史、生物、宗教、文学だ。なぜなら、それらは僕の小説の中によく登場する。僕は文章を書くことが好きな詩人だから、そのような文学的な発想にしか向いていない。生物は動物のキャラクターを書くために必要だし、歴史はものがたりを書くため、あるいは古代の文化を書くために必要だ。宗教が分かっていると賢い登場人物の設定が書ける。

最後に、デザインとピアノを習うのは間違いではない。美術と音楽は極めて文学と相性がいい。特に、歌手の音楽が好きなのは、詩人として正しい。賢いフレーズをたくさん知っておくと、文学でもその知識が活かせる。また、デザインができると作品が美しくかっこよくなるし、イラストが描けると漫画家やアニメーション映像作家になれる。それは文学と非常に相性がいい。

だから、プログラミングを目指すのはやめて、デザイン系のスキルを磨いたほうがいい。僕にはC/C++のような言語はできない。本当に、たとえばカーネルやコンパイラの開発技術は、特殊技能として極めて難しすぎて、普通の人間にはできない。だが、できたところで賢くない。C/C++は、できない人間から見るとどうしてできるのか分からないが、できる人間が見ると誰でもできるし、中学生でもできる。特に、僕が好きなScalaやRustやGolangのような言語は、賢い代わり実用性に乏しい。だが、C/C++のような言語は、できる代わり知性がなくなって頭が馬鹿になる。僕はそのどちらにも向いていない。

そもそも、僕はいつも、大学的な知識や文法の勉強だけをして、実際のプログラミングをしようとしない。ツールやモジュールを作ればいいのに、それができない。結局僕は最初からプログラミングに向いていない。だが、執筆編集やデザインには向いているから、ホームページを引き続き作っていれば、いつか何かしらできるようにはなるかもしれない。バックエンドではなく、フロントエンドには向いている。

あとは、知識や経験があるのはいいことだ。なぜなら、それは文学作品を作る時のネタになる。文学を書く上で、すべてをゼロから考える作家は少ない。何かしら、自分の人生経験だったり、自分の知っている知識のことだったりを書く。だから、さまざまな経験をして、さまざまな本を読むことは極めて正しい。だから、もっと経験すればいいし、もっと本を読んだほうがいい。

そして、知ったことをすぐに忘れるのではなく、覚えようとすること。僕の弱点は極めて記憶力がないことだ。過去にあった知識や経験や思い出を、今、何も覚えていない。だから、もっと覚えて、そして思い出すようにして、さまざまな楽しい経験をすること。それが今からの僕の人生の宿題であり、最後の課題だ。