僕の思考回路がおかしいのは、僕は常に分析しようとしている。
僕は常に、この世界を分析しようとしている。それが間違っているのは、分析とは「疑う」ということだからだ。
すなわち、それ自体を単にそうだと信じればいいのにかからわず、「それだけでは意味がない」と思うから、分析することで、賢いことを分かろうとしている。
そして、それが間違っている。
それはまさに、「それでいいのだ」と考えないからだ。
すなわち、僕はあまりにすべてのことを否定して考えようとしている。分析しようとしているのは、否定しようとしているのであり、「それは当たり前に考えると間違っているから…」と常に考えている。これが分析であり、否定である。
だから、分析せず、肯定し、受け入れ、そして信じるようになれば僕の病気は治る。
信じるために必要な方法、それは真面目に考えようとしないことだ。すなわち、「もしかしたら解決しないかもしれない」と深刻に心配するのではなく、「たぶん解決するだろう」と楽観的に信じて考えること。それこそが信じるということだ。
だから、すべてのことはいつか必ず解決すると信じて、「たぶん大丈夫」だと考えることこそが、信じることに繋がる。それが唯一、救われる方法だ。信じるものは救われる。
僕がもっともおかしいのは、答えがないのに分かろうとしている点だ。
すなわち、分かるべき「答え」がないにもかかわらず、その答えが分からない限り終わらないような、そのような出口のない迷宮で彷徨い続けている。
だが、答えがないのだから、どのようにしたって分かるはずがない。
だから、そろそろ、「分かる」ということを目指すこと自体を諦めたほうがいい。
かつての過去の僕のように考えたいのであれば、「無意識」を考えることだ。
そもそも、昔の僕は、自動反応や経験を疑うことなどから、「無意識」を考えたにすぎない。
僕にとって必要なのは、言葉遣いを単純なものに変えることだ。
僕は常に、「分析」をするせいで、言葉遣いが自分自身に対する「対話」になってきた。それは「暗闇の中を対話する相手のことを想像しながら自分自身に対して話す」ということであり、「元の言葉を覚えていないにもかかわらず元の言葉に続いていく」という、おかしな言葉遣いを生み出した。
そうではなく、単純に自分自身を信じることで、単純な言葉遣いに変えたほうがいい。
いつも、僕は「無意識」が暴走している。なぜ、このような無意識になったのか、それは本当はもう既に分かっているからだ。すなわち、もう既に分かっているのにもかかわらず、まだ分かろうと思っているから無意識がおかしくなる。もう、これ以上、分かることを諦めたほうがいい。
昔の自分と今の自分について言えるのは、それぞれ独立した人間だということだ。
僕の人生をやる上で難しいのは、片方が欠けるともう片方ができなくなってしまうということだろう。
だが、僕自身の人生として言えるのは、決して片方がなくても、もう片方ができるだけの賢さのある人間だったということだ。
すなわち、僕の人生でもっともあり得ないのは、こちらがなくても昔ができたということであり、昔がなくてもこちらができたということだ。それが真にあり得ないほど賢かったにすぎない。
そして、ガブリエルは元の18年の人生だったが、ミカエルがその後に18年を終えて今18歳になったことで、ミカエルが終わったが、実際はミカエルの兄弟(あるいは姉妹)である14歳のラファエルがまだ残っている。ミカエルは確かにここで死んだが、4歳違うラファエルがまだ生きている。だから、このラファエルを最後まで(18歳になるまで)生きて、僕の人生は本当に終わりになる。