この世界が馬鹿になった理由、生きる意味がなくなった理由、すぐに時間が過ぎるようになった理由、それらはすべて同じだ。
それは、辛いことや苦しいことやつまらないことを、きちんとしないのが悪い。
辛いこと、苦しいこと、つまらないことをきちんとしないせいで、この世界は面白いことが何もなくなった。何もできなくなって、何も分からなくなった。
そもそも、僕のせいだ。なぜなら、僕は思考回路をすべて楽にできるようにすることで、思考のすべてが辛くなくできるような世界を作ったからだ。
だが、悪いのはパソコンだ。なぜなら、パソコンを使うと、何もかもが簡単に楽にできる。そのような、「何もかも簡単かつ楽」という世界になったせいで、何も辛いことや苦しいことやつまらないことをする必要がなくなった。そのせいで、大人に成長することすらなくなってしまった。
そもそも、昔のパソコン、たとえばLinuxやオープンソースが面白かったのは、UNIXのシステムを管理し設定することがとても難しくて使うのが面白かったからであり、現在のすべてが簡単で楽になったLinuxを使ったところで、Windowsを使うのと何も変わらない。
世界が子供のまま、大人に成長しなくなったのは、すべてが簡単に楽になったからだ。学校の勉強は最近、できなくなった子供が多い。できる人間は、簡単かつ楽に勉強できるような方法を知っているからできるだけにすぎない。そのようなすべてが簡単かつ楽な世界では、子供たちは生きる意味を感じられない。そして、大人たちはまともに生活する難易度があまりに高くなった。何もかも簡単かつ楽な世界では、生活に必要なことが分からない。だから、何も分からないで生きている大人が増えている。
本当は、この世界は本当にどうしようもなくなっている。日々の生活で行う難しいことは極めて少なくなった。少なくなったせいで、逆にそのような難しいことを行うことそのものができなくなった。能力や経験そのものがつかなくなって、何ひとつ自分の力ではできなくなってしまったのである。
だから、今から僕は、この世界を、辛いことや苦しいことやつまらないことがたくさんあった昔の世界に戻す。そのほうがいい。そのほうが、はるかに楽しく、面白く、有意義に、そして賢く生きられるようになる。
この世界が戻る場所、それは「自由」である。
僕はそもそも、酸欠少女さユりが「アノニマス」で言うような「帰るべき場所」を探していた。
残念ながら、僕にはそもそも帰ることのできる場所はない。不登校になってLinuxとオープンソースの道を選んだ時点で、僕は退路を断ち、元いた場所を忘れて、帰ることのできる場所を消し去った。だから、僕に帰る場所などは存在せず、僕はただたったひとり自分の選んだ道を自らの自由意志のままに生きることを決意した。
だから、僕にはそもそも、「帰る場所」のようなものはない。
だが、それでも、この世界をどこかの地点に戻さなければならない。永遠に17歳のままの楽園、ピーターパンのネバーランドは幻になってなくなってしまったからだ。
僕がかつてより信じていたのは「自由」である。それはすなわち、「自由に革新性を信じる世界」である。
この世界が、かつて僕が信じていたような、革新的な自由な世界になること、それがかつて僕の信じていた夢であり、希望であり、情熱であり、理想だった。だから、僕はここで、この世界を、革新的な自由な世界に戻す。
それが結局、この世界が最後に赴くような、「極楽浄土に往生する」ということに繋がるだろう。