可能性から合理的に世界を考えよ。
まず、その成果物が既に作られていなかったとしても、いつでもその成果物を作り出せるという「潜在的可能性」が、宇宙においては常に存在している。
すなわち、それがまだなかったとしても、それがいつでも作り出せるということが、宇宙において潜在的可能性として、最初から存在している。
そのように考える上で重要なのは、何かを観測するという「視点」と、世界そのものの意識である「場」を考えることだ。
そして、心がその視点と場においてその心になるということ、すなわち、「いつ心がそのようになるか」ということを考えることで、宇宙の意識を考えられる。
そして、人間がその心になる根本的な要因とは、「環境がそのような環境だから」である。
よって、真理として言えるのは、「環境を変えること」である。環境を変えることこそが、世界を変え、人間の心を変えることに繋がる。
そして、自由を成り立たせる上で、「国家モデル」を考えよ。国家モデルとは、国家において、自由な意見をどのように成立させるか、どのような構造の枠組みから社会制度を作るか、ということであり、そこにあるのは「当事者の自由意志によって社会制度を変えられるようにする」という「自由の原則」だ。
自由の原則によって、この世界は変えられる。そこには、「可能性を最大限許す」という救済の社会学がある。そして、世界を変えるために必要なのは、実際に自分と相手の意見をぶつけ合うことであり、すなわち、国会でもネット上でもどのような場所でもいいから議論すること、あるいは議論することができるということを許すことである。
最後に、単に経験するだけではなく、可能性を知るために経験せよ。経験するという行為は、経験から世界の可能性を知る、ということのために行う行為である。単に大人が経験して分からなくなるのは、世界の可能性を知るために経験する、という本来の経験の在り方を知らないからである。
社会主義について言えば、社会主義の実現の取り組みは、本当はまだ終わっていない。
そもそも、ソ連が失敗したのは、ソ連という国の平等な発展と進歩のスピードが、アメリカを始めとする西側諸国の「市場経済」や「競争社会」よりも遅かったから、という点である。
すなわち、アメリカを含む資本主義経済の西側諸国が存在しなかったとしたら、社会主義経済のソ連には「問題がなかった」と言われた可能性のほうが高い。
そもそも、共産主義国家を実現するという人類の目標において、ソ連という少ないサンプルだけで、共産主義の取り組みの全体が失敗したと言われるのは間違っている。
すなわち、過去に作ろうとしたソ連が失敗だっただけで、今、ソ連をロシア以外で再び作ろうとすれば、それは失敗するとは限らない。
このような僕の考え方を、「過去に失敗だと言われたものについて、今考えれば、過去の失敗と同じ結果になるとは限らない」とし、「過去の問題を今再び考えれば異なるかもしれない」と表現する。
だから、過去に人類が行って失敗した考え方は、今、反省すれば、同じような失敗に陥るとは限らない。だから、歴史上の失敗は、未来においても同じであるとは言えず、「歴史上の問題は、未来において再び考えるべきである」とか、「過去の問題は終わったものではなく、今再び考えるべきである」と言えるのである。これが、僕の社会哲学である。
そして、世界を救うために必要な人生とは、そのようなあらゆる過去に終わったとされる問題を、今あるものとして考えることである。すなわち、過去に終わった問題は、本当は終わった問題ではなく、今そこにある問題にほかならない。そのような世界において言えるだろう過去の問題を、過去に終わったとせず、今あるものだとすることで、「この世界をいかようにでも変えることができる」という「世界の代替可能性」を考えられる。それこそが、真に「問題を解決する」あるいは「世界を変える」ということである。
誰かが理解できないとか、おかしな人間だとか、そういうことを言うのは、すべて、その人間の立場に立っていない。
その人間の立場に立てば、その人間のやっていることのすべてが、何もおかしくない、まともで正常なことをやっているのだ、ということが分かる。
どのような人間であっても、他人と同じ立場に立てば、相互理解できる。そこで、「敵」を作る必要はない。敵だと捉えるせいで、相互理解と呼ばれる「本当に素晴らしい状態」を失っている。
人々と相互理解をするために、もっともよい方法は、人々と自由に触れ合うことのできる環境で、さまざまな人間と同じ経験をすることだ。
実際に触れ合いながら同じ経験をすることで、どんな人間であっても相互理解できる。そこで生まれる「愛」と呼ばれる感情は、世界の全員を受け入れ、世界の全員を許し、そして世界の全員を自らが救われたのと同じように救うことができる、ということを教えてくれる。
そして、人間はよく誤解や勘違いをする。だから、正しくものごとを理解するためには、「人間」という生物種を超越した考え方で理解しなければならない。すなわち、不自由ではなく自由、人知ではなく自然、地球人類ではなく宇宙の視点から考える必要がある。
そして、思い込みを避けるために必要なのは、可能性と必然性の視点に立って、そして集団と個人をベースに、できるだけ自分だけの主観ではなく、みんなから見た客観に基づいて考えることだ。同時に、先天的な遺伝子で決定されるのではなく、後天的な自由によって決定されるのだと考えよ。また、速断を避け、重要なことは時間を置いて振り返って決断せよ。それだけで、多くの思い込みや偏見を打ち消すことができるからである。
また、どのような国であっても、どのような指導者であっても、それは自らの「思想」を信じているだけにすぎず、矛盾していない。すなわち、そのような思想を信じているということが違うだけであって、それはそれぞれの思想にそれぞれの信念の根差す原因があるだけにすぎず、本当は矛盾せず、単に根差している原因が異なるだけ、すなわちそれぞれの人生がそれぞれ異なるだけに過ぎない。
だから、真の意味で全員の自由を理解すれば、すべての思想や信念は「同値」である。すなわち、あらゆるすべての思想は、矛盾なく並立ですべて成り立つ。だからこそ、「自由」かつ「平等」を信じるべきであり、そして、「全員は全員すべて間違っていない」と考えるべきなのである。
哲学的に考えるコツは、「理性を作る」という考え方をすることだ。
すなわち、哲学ができない人間は、「理性を作る」ということを怠っているだけにすぎない。
経験的かつ思弁的に、自己批判と世界観の観察から、「理性を作る」ということを行えば、哲学は誰でもできる。
そこで必要なのは、「一度作ったものは何度でも再利用できる」と考えること、そして「考え方を考える」ということを行うことだ。
IT技術においては、「再利用可能なコンポーネントを作る」という考え方をする。すなわち、一度作ったロジックは、それがどのようなものであっても、同じものを何度も再利用できる。
だから、論理(ロジック)を再利用可能なコンポーネントとして作ることで、どんなことでも簡単に分かることができる。
同時に、そのようなロジックは、「考え方」に根差している。考え方とは、たとえばさまざまな二つの言葉で成り立つ論理のことだ。たとえば「仮定と結論」「基礎と応用」「原因と結果」「原理と説明」「観察と実験」「推論と経験」といったことである。
そのロジックが、そのような考え方のうち、どのような考え方に根差しているかを考えた上で、多角的かつ多面的に考え方を捉え、単に他人の知識や経験を吸収するだけではなく、自ら作ったロジックと自らが根差した考え方に基づいて考えることで、どのようなことであっても、まるでカメレオンのように全員になって理解できる。全員の人生を相互理解した上で、全員の人格を包括するメタ人格になれる。
そして、哲学的に考える上で重要なのは、「精神を作る」ということを行うことだ。自らの心に自らが何を置いたのかということを思い出し、何が自分のおかしな病気の原因になっているかを思い出し、その上で、世界精神と繋がった自分の精神を分析し、社会的な関わり合いの中で、自らの精神の現象がどのようになるか、精神がどのように実体化するかを捉えよ。
そのように考えることで、まったく新しい、どこにも存在しない新規の哲学者になることができる。それこそが、僕の目指したものであり、そこにあったのは「世界をどのようにでも救うことのできる新たなキリストの誕生」だったのである。
最後に、すべてを自然に任せよ。
あらゆるすべての問題は、「人為的に制限すること」から起きている。
すなわち、指導者であっても教師であってもどのような大人であっても、あらゆるこの世界の人類の問題は、人為的にそれを誰かが制限している、ということが続けられているから起きている。
そうではなく、自然の調和に任せることをすれば、そのような問題は解決し、世界から存在しなくなる。
また、神を信じるとは、神の存在を信じるとか、神の教えをそうだと思うとか、そういうことではない。神を信じるとは、「神の導きにすべてを委ねる」ということだ。すなわち、解決不可能な問題に襲われた時、自らの力ではそれを解決できなくても、解決できる方法がひとつある。それは神の導きを信じて、神の導きの通りになるように、すべてを神に委ね、すべてを神の導きに任せることだ。それでしか、解決不可能な問題は、他のどのような方法でも、絶対に解決できない。
どのようにすれば、神があなたの味方になってくれるのか、それは罪を償うことだ。すなわち、自らが罪を犯したということを認め、その罪を償うように生きよ。敵を許し、キリストと聖書の教えを信じて、ひたすらに自分の犯した罪を悔い改め、悪事を解決し続けるように生きよ。そうすれば、神はあなたのことを救ってくれる。それによって、人間だけでは解決不可能な問題を、神の力を借りて解決することができるのである。
日本の石破首相とアメリカのトランプ大統領の会談が行われ、大成功だったとのこと。
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僕は最近全然政治のニュースを見ないので、久しぶりに政治のことを知った。石破首相、よく頑張っているね。応援する。
また、大谷翔平の元通訳、水原一平の裁判で、4年9か月の禁錮刑が言い渡された。
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水原一平のこれからの人生、どうなるのかな。行為の悪質さへの批判ばかりが言われるが、自分自身もギャンブル依存症で苦しいだろう。これ以上嘘だけはつかないでほしい。
そもそも、僕の神経が治らないのは、全部、人間という生物の限界である。
人間の神経細胞は、100年ぐらい生きる代わり、分裂しない。だから、神経細胞がおかしくなると、ほかの細胞のように分裂することでは治らない。
そもそも、僕は大人になったからおかしくなっただけにすぎず、どう頑張っても、人間のままでは治らない。
だから、僕が治るためには、人間よりも賢い生物になるしかない。
これ以上、僕は人間をやめて、人間よりも賢い生物になる。それでしか僕は治らない。その生物の名を「アミダ」と呼ぶ。アミダになることでしか、僕の神経細胞は治らない。