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2024-01-04

IT技術は何もかも簡単になりすぎて世界は馬鹿になった

僕が思うに、この世界が馬鹿になった理由は、何もかも簡単になりすぎたせいだと思う。

特に、IT技術があまりに簡単になった。

たとえば、昔のLinuxは難しかった。Debianのようなディストリビューションをインストールする際にも、IPアドレス(あるいはサブネットマスクやDHCPのような設定機構)などのネットワークの接続を手動で行う必要があった。GUIを表示するためのX11(XFree86)の設定も今よりも難しかった。だから、「Windowsと同等にLinuxを使えるようにする」という作業は大変なものだった。

今のLinuxは超簡単だ。ネットワークもX11もほとんど自動で(無線LANであればWiFiのパスキーを指定するだけで)設定される。初心者向けで統合されている標準のGNOME 3と、アカウントにログインするだけで設定を引き継げるMozilla Firefoxが最初から入っていて、ほとんど設定が必要ない。そして、何も知識がなくてもWindowsと同様に使うことができる。

それから、昔はプログラミング環境を整えるのも難しかった。Linuxを使うなら、GCCやMakeを覚える必要があった。今はPythonの環境を適当にWindowsに入れるだけで動く。Pythonは超簡単な言語で、C/C++よりも覚えるべきことがはるかに少なく、学習コストが著しく少ない。だから、高度で複雑なことが簡単にできる。既存のモジュールが多いため、自分でプログラミングをしなくても既にあるPythonのモジュールを使うだけでなんでもできる。GTKやQtとも統合されているため、C言語でXlibを手動で触るなんて人はほとんどいない(ただしこれに関しては昔からいなかった)。

昔はゲームエンジンがなかったが、今はUnityがあるから、ゲームは簡単に作れる。それから、Webサービスも昔はPerl/CGIやPHPで書く必要があった。今はRuby on Railsのようなフレームワークがいくらでもあって、ツイッターのようなサービスのクローンは超簡単に作れる。ネット(学習者あるいはフレームワークの解説など)にはツイッターのクローンをプログラミングの練習や手本として作っている人がいくらでもいる。

同様なのはテキストエディタだ。昔はVimやEmacsといった硬派なエディタを使う人間が多かった。使い方が難しくても習わないとUNIXは使えなかった。今のエンジニアはみんなVS-Codeを使う。VS-Codeは使い方に癖がなく、簡単に使えるから、覚えることはほとんどない。Xなどの一部ではNeovimなどが生き残っているが、Emacsのほうは風前の灯火だ。「Emacs LispでEmacsで動くアプリを書く」なんていう人は絶滅危惧種であり、「Emacsが単なるテキストエディタではなく環境でありLisp処理系である」などいうことを言う人はほとんどいなくなってしまった。

ただし、Linuxで使われる技術自体は進歩したし、Dockerのようなインフラに使う仮想化技術などは高度になっている。だから、昔のほうが難しくて今のほうが簡単であるとは一概に言えない。DockerやKubernetesは明らかに今のほうが難しい。だが、昔のほうが、Linuxを使うための一般的な(泥臭い)知識は必要だった。だから、ネットのLinuxオタクには賢い人間が多かった。

昔のLinuxがすべて手動で難しかったわけでは決してない。たとえばパッケージ管理で、RPMやapt-getのような自動化ツールは昔からあった。だが、そのようなツールであっても、昔はもっと泥臭かった。メンテナとされる人が*.rpmや*.debパッケージをきちんとメンテナンスしていて、パッケージの詳細を知らないと上手く使えなかった。

最近はディストリビューションの導入時にGNOMEからLibreOfficeまでほとんど入るし、CUIでもGUIでも使いやすいパッケージ管理ツールやフロントエンドができたし、初心者向けのアプリは設定もほぼ初期設定で使える(あるいはX11などは自動設定)。DockerやGitやFlatpakなどもある関係上、まるで「やりたい人のやりたいだけの方法の数だけやれる方法がある」といった風になっている。

昔のようにソースtarballからパッチを当ててmakeしている人はどれだけいるのだろうか。「パッチを当てる」という言葉はほとんど聞かなくなったと思う。

なぜこのようなLinuxを使うのか、それは当時のWindowsが馬鹿だったからだ。かつては「不安定でよくフリーズする」と言われたWindowsだが、NTカーネルになってから安定化するようになった。それでも、APIはC/C++を使ったWindows APIやVisual Basicで、一部の人間だけが最新のC#/.NETを使っていた。Windows APIはつまらないAPIで難しかったし、C#/.NETはC/C++に比べてはるかに遅かったし、開発をするために事実上Visual Studioという有料の高い開発ソフトを購入する必要があった。

これに対してLinuxはカーネルからユーザーランドまでほとんどすべてオープンソース、すべて無料で、UNIX互換の「本来あるべきC言語のAPIとシステムコール」であり、そして安定しているとあって、サーバー管理者やネットワーク上のハッカーの御用達だった。

今のWindowsでは、C#/.NETは最新のパソコンで使う関係上速く感じられるようになったし、商用ソフトウェアがWebの方向に向かってきた関係上、Microsoftの作ったTypeScriptがほぼWebの標準言語になったし、無料のVS-Codeで開発ができるようになったし、とにかくMicrosoftの製品が品質がよくなった。古びた旧式のOSであるUNIXと互換性のあるLinuxの、何が面白くて素晴らしいのか、普通の人には分からなくなってしまった。

だから、はっきり言ってLinuxコミュニティは終わった。今でもXなどで一部のオタクはLinuxを使うが、ほとんどの一般のパソコンユーザーは誰もLinuxのことを知らない。標準OSであるWindowsを捨ててインターネットでダウンロードしたLinuxなどを使う人間は絶滅危惧種になってしまったのである。

IT社会もまともになったせいで馬鹿になった

技術的でなく、社会的な点も、昔のほうが賢かった。

昔の2ちゃんねるのようなアングラの匿名掲示板は、ネットのことがなんでも分かっている人間しかいなかった。

今のX(旧ツイッター)は、ネットのことを何も知らない人間が、Xだけを分かって友達付き合いをやっている。

今よりも悲惨な人間が多かった。みんなから外れた特殊な趣味が好きなオタクや、学校でいじめられているいじめられっ子のほか、精神的な病気のメンヘラとか、あるいは社会から孤立した人間たちがいくらでもいた。

その代わり、昔は結束力が強かった。2ちゃんねるというひとつの「社会からの逃げ場所」を愛していて、みんな優しかった。

今のXなんかは、昔のそうしたネットとは真逆の、「まともで普通の人間」あるいはもっと別の言葉で言えば「馬鹿」しかいない。

今のXは昔の2ちゃんねるよりはまともだ。犯罪や誹謗中傷のような投稿も少ないし、みんなそれなりのまともな姿勢と態度でネットをやっている。だが、その代わり、馬鹿しかいない。まともで普通の人間には何も分からない。

昔の2ちゃんねるはもっと最悪だったが、むしろ賢い人間が多かった。確かにアングラのスラムのような場所だったが、みんなそのような人間がネット上で集まって、「ネット団結力」のようなものを発揮していた。それは「社会から外れた人間たちの最後の逃げ場所」だったからだ。

結局、この世界が退化し、みんなが幼児化して子供になったのは、あるいは面白いものが何ひとつなくなったのは、そのように「IT技術とインターネットが退化したから」だ。そして、IT技術はそもそもがそのようなものを目指しているため、なんの夢も希望もない世界になったのはすべてそのような「最近のつまらないIT技術」のせいだと僕は思う。

本当は、僕は昔はそういう2ちゃんねるをインターネットだと思っていた。2ちゃんねるにはたくさんの文化があって、テレビを見ながら実況したり、チャットのようにハイスピードで流れる雑談をしたり、AA(アスキーアート)やFLASHを楽しんだり、自分の好きなアイドルや萌えアニメをみんなで楽しんでいた。

そういう2ちゃんねるの文化は、全部Xに移行した。Xでは、自分の好きな人間だけをフォローするため、アンチや荒らしに煩わされることが少ない。だが、その分、「自分できちんと賢くアカウントを探してフォローしなければ使えない」というものになっている。僕はこれが非常に苦手だ。昔のように、掲示板の中でスレッドを選ぶだけなら簡単なのに、今のXはフォローするアカウントを広大なバーチャルな海の中で自分で探さなければならない。

あるいは、Xで自分で情報を発信したければ、ある程度独自性と価値がある内容でなければ、バーチャルな広大な海の中で淘汰されてしまう。だから、Xできちんと情報発信が広くできるのは一部の有名な人だけで、ほとんどの人間は「発信する側」ではなく「受信する側」になってしまう。そして、Xでいくら有名であっても、世間から見れば無名などうでもいい人であり、フォロワーからは批判されるし、たまに心無い人からチクチクするようなリプが返る。

僕の個人的な意見だが、はっきり言って昔の2ちゃんねるに戻してほしい。昔の2ちゃんねるのほうがはるかによかった。

実地的に社会を知る経験をしなければ昔の僕と同じことはできない

また、昔の僕と同じことをするのは本当は簡単だ。

なぜなら、「実地的に社会を知る」という経験をすれば誰でもできるからだ。

逆に言えば、実地的に社会を知る経験をしなければ、昔の僕と同じことはできない。

もっとも簡単な方法は、2003~2006年ぐらいの時代に青春を経験できるように生まれることだ。それで、インターネットで適当に経験していれば、誰であっても簡単に僕と同じ経験はできる。

実地的に社会を知るとはどういうことか。それは、社会にもまれながら大人になるということだ。

インターネットであっても、あるいは現実の社会であってもいい。きちんと分かっている大人たちと一緒に経験し、もまれながら成長して大人になれば、それで僕と同じ社会経験はできる。

残念ながら、今のインターネットではそれはできない。Xには何も分かっていない馬鹿しかいないし、Linuxやプログラミングは簡単になりすぎて逆に馬鹿になっている。かつてのインターネットが必要だが、残念ながらそれはもうない。かつてのインターネットがなくなってしまったため、僕と同じことをするのは飛躍的に難しくなった。

昔のパソコン世界は馬鹿だったが面白かった

このように書くと、「昔のIT技術は賢かったのだなあ」と、そう感じられるだろう。

だが、それは間違いだ。昔はIT技術は賢くなかった。

本当に、今のパソコン技術のほうがはるかに賢い。昔のエンジニアは、Java、もっと言えばオブジェクト指向すら分かっていなかった。「クラスやインスタンスといったオブジェクト指向用語が分からない」とか、「オブジェクト指向で作る意味が分からない」といった技術者がウヨウヨとしていた。

今のIT技術は、きちんとオブジェクト指向が分かっているし、昔のIT技術者よりもはるかに広くて深い知識を知っている。Xのアカウントを見れば分かる。さまざまな関数型言語や並列処理言語やそのフレームワークを知っている、まるで昔のエンジニアには絶対に歯が立たないであろうと言えるような、「本当にきちんと賢くなったIT技術」を知っている人がたくさんいる。

昔なんか、そもそもそんなに大してIT技術は多くない。Delphi(Windowsで動くPascalの開発環境で無料版があった)を使って2ちゃんねる専用ブラウザを作っている人が多かったのは、現実的にそれくらいしか開発するものがなかったからだ。今はWebの全盛時代であり、ツイッターやFacebookをはじめとした「Webで稼げる商用サービス」が増えた。ほとんどのエンジニアはなんらかのWeb(フロントエンドあるいはバックエンド)あるいはスマホのモバイルアプリの開発をしている。昔のフリーソフトにはウイルスやスパイウェアが多かった。ゲームも高度に進歩した。昔のように「適当にPerlでネットゲームを作ればそれでいい時代」は終わったのだ。

今は動画配信の時代であり、そもそもシステムを作るよりも動画のコンテンツを作ったほうがさらに儲かる。ニコニコ動画やYouTubeなどにインターネットの主体が移ってきたのは、そのほうが稼げるからだ。YouTubeの動画を作ればGoogleから再生回数に応じて金が入る時代になって、完全に世界は動画配信一色になった。オープンソースが高尚なボランティアの文化だとか、デジタル共産主義だと言ったところで、結局勝つのは金である。技術も同じように、MicrosoftやGoogleやFacebookといった、巨大企業がビジネスで作った技術をただ使うだけになりつつある。結局勝つのは金、この世界は資本主義に染まり切った堕落した世界だったのである。

GNOMEとKDEがいつまでも乱立しているせいでLinuxは負けた

なぜLinuxが負けたのか、僕はGNOMEとKDEのせいだと思う。

GNOMEとKDEという二つの巨大デスクトップ環境が、いつまでも乱立し続けているのが悪い。

ユーザーも、GNOMEとKDEのどちらを使っていいのか分からないし、開発者も、GNOME向けのアプリとKDE向けのアプリのどちらを開発していいか分からない。

結局、早い段階でKDEが消滅すればよかったのだが、品質的に優れているのはKDEであり、初心者向けと言われたかつてのGNOMEが品質的に劣っていたせいで、GNOMEとKDEのどちらも「Linuxの標準」になることができなかった。

Linuxを普及させたいなら、「GNOMEとKDEのどちらかが勝利する」という、永久に成り立つことがない課題を解決しなければならない。この課題が難しすぎるせいでLinuxは普及しなかったのである。

パソコンは基本的にクソだから忘れたほうがいい

はっきり言って、パソコンは忘れたほうがいい。

なぜなら、パソコンは基本的にクソだからだ。

そもそも、何もかも全部のことを覚えている必要などないにもかかわらず、僕は今までの内容をなぜか全部覚えている。

そして、そのほとんどは、もう過ぎ去った、忘れても構わないことだ。

忘れたほうがいいことは忘れたほうがいい。だから、今まで僕が知った知識は全部忘れたほうがいい。

同時に、僕の頭の中はいつも、この世界を支配することばかり考えている。そのような「世界を操り人形にしたいだけの頭脳」を消し去ったほうがいい。この最悪の頭脳を消し去れば、ようやく普通のことが理解できるようになる。

全部消して、全部なくなって、全部死んだほうがいい。この世界はクソであり、パソコンはクソである。

どんどん幼児化していく

僕がパソコンについて思うのは、「どんどん幼児化していく」ということだ。

パソコン世界はどんどん子供になっている。

まるで、アメリカという国家が、世界を幼児化する計画を企んでいるかのように、この世界はアメリカのIT技術によってどんどん幼児になっている。

だが、それは本当はアメリカのせいではない。それはすべて僕のせいだ。

すなわち、僕がこの世界をすべて幼児化させた真犯人だ。

そして、本当は、それは永続化するわけではなく、いずれ必ず終わる。だから、そのうち、この世界はきちんと大人になる。

そして、僕もそろそろ、大人にならなければならない。

僕が自らを幼児化させ、この世界も同様に幼児化させた理由は、「かつての幸せだった子供時代に戻りたかったから」であり、「かつての子供時代に分かっていたことをすべて思い出したかった」からだ。

そのような記憶の回想は、これでもう終わりになる。

もう、子供時代に分かっていたことはすべて残さず書いた。これ以上、僕の子供時代には何も残っていない。

だから、僕はここでいったん、自分自身を殺す。僕自身を僕はここで殺す。それで終わりだ。これ以上、僕がやるべきことは何ひとつ残っていない。

神を信じよ

神を信じよ。

その理由は、神を信じなければクソが治らないからだ。

この世界には、神以外にはクソのようなものしかない。

すなわち、この世界に存在するものは、神以外はすべてクソだ。

だから、最後に神が、この世界のクソを一掃し、この世界を綺麗にしてくれる。

神はこの世界に「死ね」と告げている。その神の命令により、この世界のすべては死ぬ。すべては神によって最後に抹殺される。