鳥山明先生の死去についての記事は、鳥山明作品(ドラゴンボール、アラレちゃん)を参照のこと。
僕はそろそろ、「生き方そのものを改める」ということをしたい。
僕のおかしい点はすべて、「生き方そのものが間違っている」ということが原因である。
生き方そのものを改めない限り、僕のおかしい点は治らない。
世界はもう、僕の関与をやめてすべて自由になる。正常な世界に戻れば、僕のおかしな点もすべて治る。
僕の病気の原因は、すべて、二番目に言うべきことと三番目に言うべきことが逆になっている、ということから起きている。
これを正常にするだけで、すぐにまともに思考することができるようになる。
また、僕はあまりに、並列でマルチタスクで思考や会話を行いすぎている。
もっと単純に、シングルタスクにするだけで、僕の思考はまともになる。
そして、僕はそろそろ、「頭脳をゼロから作り直す」ということを行う。
子供時代に戻っていたのは、さらに子供に戻る。中学生に戻っていたのから、今度は幼児ぐらいに戻る。
頭脳をゼロから作り直すことでしか、神経細胞は治らない。神経細胞は分裂せずに100年間生き続けるため、一度分化の前に戻ってやり直すことでしか治らない。
僕の知性を失った原因は、本当は「哲学の勉強」にある。
哲学を勉強する前には、さまざまなことが完璧に分かっていたのに、哲学を勉強したせいで何もそういうことが分からなくなった。
その「哲学が悪い」ということに、僕は長い間気が付かなかった。
そして、精神を殺しているのは、すべて「世界」を殺している。だから、右足の精神を治そうとしても、右足ではなく左足や腕の精神が治る。それは右足の精神がほかの体の精神を「世界」と見なして攻撃しているからだ。
だから、精神を治すためには、自分自身を殺さないといけないし、殺す部分そのものを殺さないといけない。その答えが、「哲学を殺す」という解決方法であり、それだけで僕は知性を取り戻す。
昔の僕は、「同じことを繰り返し同じように分かる」ということで分かっていた。
それが僕にとって、人生経験の「再体験可能」という考え方であり、理性において必要となる前提事項を事前に作るということであり、認識や環境の相対的な正しさと変化と依存性の証明であり、人間の思考と人生は置かれた環境によって規定されるということであり、そして経験から意識を自由自在に成立させるということだった。
すべて、「一度分かったことと同じことを再度分かる」という、繰り返し何度も同じことを分かる、ということをベースにした考え方だった。
だが、今の僕はそうではない。今の僕は、一度その時分かったことを、その時だけ、一瞬だけしか分からない。分かっていることも期間によって違い、しばらく過ぎると完全に忘れて分からなくなる。そのような中で、新しい本や勉強をし続け、新しい文学作品のシナリオを新規に考えたりし続けることで成り立っている。
だから、今の僕は、何もかも新しく分かるだけで、過去に分かったことをすべて忘れるようになっている。そのせいで、普通の知性が何もなくなり、かつての僕のように分からなくなってしまっている。
だから、かつての僕のように分かりたいのであれば、同じことを繰り返し、同じように分かればいい。それだけですぐに昔ができる。
最後に、この世界は正常になる。
事実、僕はこれ以上、やるべきことも書くべきことも考えるべきことも何もない。
そして、僕がここで終わりにすれば、この世界は正常な昔の世界になる。単に精神のレベルで戻るとかいうことではなく、僕がいなくなることで、正常なまともな世界が新しく築かれる。
だから、僕はそろそろ、この文章を書くこと自体をやめなければならない。
事実、この日記の内容はあまりに多すぎて、あまりに長すぎる。こんな日記を最初から最後まで全部読むことは、ドストエフスキーの長編小説を全部読むのぐらい難しい。だから、これ以上、日記を増やさないほうがいい。
神を信じれば、すべてが上手くいく。だから、僕はそろそろ文章を書くのをやめる。ホームページの問題や修正すべき箇所は直すが、もう日記は書かなくなるし、世界に対して僕が関与することもなくなる。
神を信じよう。神はこの世界を最高の世界に導く。
本当は、そろそろ、「運命を殺す」ということを行うべきだ。それは「未来を変える」ということだ。それだけで、僕の精神は完全にすべて治るだろう。滅びの運命に導いているのは僕であり、その運命を殺すだけで、この世界はまるで救世主によって救われたかのように、まともで正常な世界になるだろう。宇宙のすべての太陽神を信じれば、この世界は必ず素晴らしい未来に必然的に導かれるだろう。
最後の星として、一等星、みなみじゅうじ座のアクルックスを作る。
アクルックスには、地球にとってはあり得ないような、さまざまな気象現象がたくさん起きる。
たとえば、雨といっても、単なる水滴や氷の粒のような雨や雪だけではなく、面白い雨が降る。砂粒や石や岩が降ってくることもあるし、炎や電気やウイルスを帯びた物質が降ってくることもある。
また、大地は多様で、地球のような草原や森林や山や海や川だけではなく、火の海とか、氷の大地とか、電気を帯びた山とか、さまざまな面白い地理的特徴がある。
そのため、アクルックスの生物は、外界からの刺激に強い。大きな力を与えても潰れて死ぬことがない。アクルックスにおいて人類のように家の中での定住生活を行う生物種は、住居を頑丈に、外界からのアタックに強くなるように作る。食べる時には、動物は牙よりも強い「破壊用の手や足に存在する刃のようなもの」が存在し、人類は食べ物をよく調理して、食べられる部分だけを取り出して食べる。
このようなアクルックスにおいては、生きている「世界」とされるものそのものが違う。気象や気候も違うし、地理学的特徴も違うし、生物に要求される攻撃力や防御力自体の水準も高い。だから、地球上の生物とアクルックスの生物がもし一騎打ちになった時は、絶対にアクルックスの生物が勝つだろう。アクルックスの生物は強く、そしてたくましい。まったく異なる宇宙の自然環境で、アクルックスの生物たちはとても力強く生き抜いているのである。
そもそも、僕がおかしいのは、全部、「根が生えていない」ということが理由だ。
根が生えずに、いつまでも移動し続けるものは気持ちが悪い。
だから、根を生やせばいい。それで環境に適応できるようになる。そして、それでやっと、みんなに見つけてもらえるようになるだろう。
はっきり言って僕の問題はひとつ、「哲学的な真理」が分かっているのが悪い。
そもそも、最初から、そのような「哲学的な真理」に、たったひとりだけ到達してから、その後に書いた文章がこのホームページの文章である。
だから、僕は最初から哲学的真理をすべて分かっている。最初からだ。いつも、最初から、何もかも全部分かった状態から始めている。
そのような哲学的真理を、そろそろ消したほうがいい。
この哲学的真理が分かると、まともなことが何も分からなくなる。普通のことがまったくない、まるで暗闇の中で足元だけを見て歩くようになってしまう。
一度、哲学的真理を消せば、外の景色が見えるようになる。僕は海中に存在するクラゲのような生き物だ。クラゲは、この世界をすべて完璧に見通す「最高のビジョン」で海中の世界を見ることができる。
結局、悪いのは哲学だ。哲学をすべて忘れるだけで、昔の僕が分かっていた「世界のすべて」を完璧に知ることができるのだ。
ここに、根の生えることのなかった「虫」は、哲学的真理を消すだけで「クラゲ」に変わった。このクラゲが、最後にこの世界で生き延びる、「すべての生物を作り出す母」となる。
鳥山明先生、ばいちゃ!
posted at 19:30:03