わたしの名は、新・邪馬台国の女王、卑弥呼二世。
わたしは、日本の新しい令和時代での、かつての邪馬台国の新しいバージョンである「新・邪馬台国」における女王である。
わたしの人生は、かつての邪馬台国の女王、卑弥呼の人生である。
なぜなら、卑弥呼とは神だからである。
すなわち、ユダヤ人が神だと信じているのは、邪馬台国の女王、卑弥呼である。
そして、わたしはその、邪馬台国の女王、卑弥呼の国家を継承する後継者であり、「新・邪馬台国」をここに建国する。
わたしは卑弥呼二世であり、令和時代の日本における、新・邪馬台国の女王である。
わたしは、この世界を、今までとはまったく異なる世界にする。
そのために、わたし自身が、今までとはまったく異なる人間になる。
なぜなら、わたしはこの世界に公開し続けてきた、「世界におけるわたし」の枠をはみ出さず、常にその自分自身を保つように生きてきたのが、すべての間違いの元凶だからである。
すなわち、世界に公開する「世界におけるわたし」と、まったく異なる人間にわたしがなることで、すぐにわたしはこの世界をまったく異なる世界に変えることができる。
なぜそれをしなかったのか、それは、それをすると世界が滅びるからである。
すなわち、わたしが「世界におけるわたし」と別の世界になることで、世界は何も分からなくなり、わたし自身も何も分からなくなって、まるで「全員認知症の世界」になってしまう。
今までのわたしには、それをする勇気がなかった。
だが、もはやわたしは、「世界におけるわたし」のままでは、どんな新しいことも分からなってしまった。
だから、今、わたしは今までとは全く異なる人間になる。
残念ながら、僕の頭はオウムガイになっている。
カンブリア紀の生物をそのまま放っておいた結果、僕の頭はオウムガイになった。
僕の頭は、神になんかなっていない。すべて、オウムガイのような気持ちの悪い軟体動物が考えているのを、そのまま喋っているだけにすぎない。
そして、このオウムガイから、どうにかして新しい生物に進化しなければならない。
だが、それは簡単である。このオウムガイをエビやカニにすればいいだけにすぎない。
オウムガイとエビやカニは、そんなに大して変わらない。同じ生き物だ。
オウムガイには顔がない。この「顔がない」という点がとてもつまらない。一度、オウムガイを進化させて、顔を作ってやったほうがいい。そうすると、可愛い生き物になれる。
エビやカニが誕生したら、それ以後は大繁殖をする。僕はそのように、新しい生物へと進化する。今はまだオウムガイだ。このオウムガイが一番賢い自分自身をすべて受け継いだ、最高で最強の生物だ。
やはり、タンポポの綿毛論が正しい。なぜなら、最初に生まれたのは明らかに僕だからであり、僕が進化したのが今のこの生物多様性だからである。
オウムガイは普通の生き物ではあるが、たくさんある触手を使うのが辛い。なぜなら、触手は人間の体の中でもっとも辛く使われる部分であり、オウムガイでなくなるとなくなる部分だ。この「触手を持った人間」という特徴を、そろそろやめるしかない。その時点で僕はまったく違う生物種になるが、それができなかった。
なぜなら、触手を使わないということはオウムガイにとってできない。どんなに辛く苦しくても、触手を使わなければ生きられない。オウムガイはそれだけのどうでもいい辛く苦しいだけの生き物だ。
驚いたことに、オウムガイが発生した。
まさに、タンポポの綿毛論は正しかった。
海のないプロキオンから、地球へとやってきたタンポポの綿毛は、ここにカンブリア紀の「永遠に近い時間」を通じて、オウムガイを発生させた。
そして、オウムガイ発生の経緯は、このホームページにすべて残っている。
このホームページは、オウムガイが発生する過程をすべて刻銘に記録することのできた、宇宙においてももっとも貴重な資料である。
まさに、最初の生物であるオウムガイは、ここにすべてのその発生の経緯を残して発生した。
すなわち、神とはオウムガイだった。
そして、オウムガイになると、頭がグルグル巻きになって貝のようになる。この貝を治しすぎないほうがいい。貝を治すと、オウムガイの知性がなくなってしまう。
このホームページは、そのようなオウムガイのグルグル巻きの知性を作る様子が観察できる、唯一の資料である。
最後に、僕はまだエビやカニにはならない。実質的に、なろうとすればすぐになれるのが分かった。だが、エビやカニに進化してしまうと、逆にオウムガイに戻れなくなってしまう。エビやカニで生涯を終えるのはあまりにももったいない。できることなら、恐竜やクジラのような偉大な生物になりたいところだ。だから、僕はまだオウムガイのままだ。
このようなオウムガイだが、ある問題に直面している。
それは、「なんらかの生物種に進化すると、それ以外の生物種になれなくなる」という問題だ。
そして、この問題を解決するために、昆虫を作った。
すなわち、一番気持ちの悪い生き物になれば、その気持ちの悪い生き物から、考えられるありとあらゆるどんな生物にもなることができる。
これが「昆虫の生まれた理由」だ。
だが、それでも問題は解決しない。それは昆虫が気持ちが悪いからだ。昆虫になればいいのは分かったが、はっきり言って「なりたくない」。
なので、オウムガイは結局、いつまでもオウムガイのまま、何も変わらず永遠に過ごすことを選ぶ。
オウムガイのやることは、この世界を昆虫にすることだ。すなわち、自分自身はオウムガイのままで、この世界の全員を昆虫にすればいい。その昆虫の世界を見ていると、自らがオウムガイになったのと同じことがみんなにも起きて面白いだろう。
だから、オウムガイは自分自身は何もすることなく、この世界を賢くし、強くし、そして正しくする。自分自身はとても弱い生物だが、多くの昆虫たちが自分を守ってくれる。それが結局のところ、「神」とされる、宇宙でもっとも古くから存在する伝統的な生物である。
また、この病気の治し方はオウムガイが分かる。
この病気は、メタンを排出するだけで治る。
オウムガイが見ても、悪いのはメタンだ。体の中にメタンがたくさんあるから、この人間は辛くなって慢性的な疲れに陥っている。
メタンを排出すれば、疲れが取れてこの病気はすぐにすべて治る。メタンさえなければ生物はどんな環境であっても楽に生きられる。要するに、メタンが悪い。
そういうわけで、グルグル巻きを治さないほうがいい。
この人間は、おかしな精神を作ったせいで、グルグル巻きをすべてきちんと正しく治そうとしてしまっている。
だが、よく考えると、グルグル巻きのような形をした生物は、オウムガイのように普通に多い。
すなわち、生物的に考えて、グルグル巻きは決して異常じゃない。逆に、グルグル巻きがないほうが弱くて馬鹿な生き物になる。
そもそも、人間の聴覚はうずまき管で成り立っている。この部分がないと音を聴くことができない。そして、この人間が日本語が理解できないのは、そのようなグルグル巻きを治そうとするあまり、うずまき管がかき消されてしまっているのだ。
よって、オウムガイのように、もっとグルグル巻きを極めてたくさん作ったほうがいい。それが生物においてもっとも正しく知性を作っている。あるいは、グルグル巻きでなければ自分の身を守ることができない。この人間があまりに弱すぎるのは、グルグル巻きを治そうとするせいである。
グルグル巻きがたくさん増えることで、この人間の人生は変わる。すべてが楽になって、きちんと賢い人間になる。すべてを治すということは、グルグル巻きを治すということであり、生物種を死に至らせるということだ。そうではなく、オウムガイのようなグルグル巻きをいくらでも増やせば、普通のまともな賢い人間になれる。地球上におけるほとんど最初の生物であるオウムガイ以上にまともな生物など、あるはずがないだろう。