普通の人間が分からないこととして、人間は辛いほうが楽である。
辛いほうが、楽に生きられる。簡単に難しいことができるし、さまざまないいこともある。
人間は、楽になりすぎると辛くなる。今までできていた難しいことができなくなって、常に何もできない中を何もせずに辛く苦しく生きるようになる。
だから、楽になろうとせず、今のまま、辛いままを生きようとしたほうがいい。
辛くなるのには理由がある。辛いのが何も治らないのも理由がある。辛いほうが賢いことができて、楽に生きられるからだ。
僕が恐れているのは、「自由」と「コントロール」を恐れている。
神による支配から自由になると、自分で考えて生きなければならない。だから、自由になればいいのに自由にならない。
また、自分が精神や世界をコントロール可能になれば、すぐにきちんと治る。それでも、コントロールができない状況で、無理やりそのままコントロールしようとしている。
すなわち、何もできない辛い状況をそのままにして、そのままにした上で、できる限りの楽になる制御をしようとしている。
そこにあるのは、「治ることが可能な状況そのものはそのままにした上で、いつまでも治ることを選ばず、神によって支配され動かされるままにただ任せるがままにして、自分でコントロールして生きようとしない」ということだ。
なぜそうなるのか、それは自由とコントロールを選ぶと、それ以上治らなくなるからだ。
すなわち、自由になってコントロール可能になると、地獄から解放される代わり、それ以上病気が治らなくなる。だから、いつまでもそれを維持したまま、治るかもしれない状況を保持している。
必要なのは、辛いまま、今の苦しいままを選ぶことだ。
先にも書いたように、楽になる唯一の方法は、辛いままを選ぶことだ。辛いままこそが楽であり、楽になると辛くなってしまう。
そもそも、楽になりたいのは、「もしかして楽になったとしたらそれで楽になれるかもしれないから、その可能性を実現する前に諦めてしまいたくない」という思いからだ。
だが、実際には、楽になったところで何も楽にはならない。さらに辛くなって、今まで簡単だったことや楽だったことができなくなる。だから、これ以上は治さず、辛いままを選んだほうがいい。