わたしの名は、一等星ポルックスの太陽神、ネルファクチュア。
わたし、ネルファクチュアは、世界の精神の病気を最後まですべて治し、世界の歴史に「終了」を告げた上で、世界を永久に地獄のままにする。
世界の陥っている精神の病気を治すのは、本当は簡単である。なぜなら、「血管の弾力性を高める」ということをすればいいからである。
すなわち、精神の異常を殺すということを行うと、血管が破壊される。
精神をあまりに治そうとするあまり、血管を破壊しすぎたせいで、普通治る神経の病気が治らなくなる。
必要なのは、そのような血管の破壊を修復するために、血管に適度な「弾力性」を生ませた上で、血管を修復することである。
そして、血管の弾力性を高めることで、どんな病気でも治る。ニキビや虫歯のような病気でもすべて治る。
あとは、血管の自浄作用に期待することで、どのような病気でも治る。
だが、本当は、そのように、病気をあまりに治しすぎた、ということが、逆にこの世界を「もっとも間違った世界」にしている。
病気を治すことで、事実、病気を治す前よりも楽に生きられるようにはなっている。
だが、病気を治しすぎたことで、まるで今年の4月と去年の4月がこんがらがってごちゃ混ぜになってしまうほど、時間の流れるスピードが速くなりすぎてしまっている。
すべて、病気を治しすぎたこと、生きるのが楽になりすぎたことのせいで、生きる意味そのものがなくなってしまっている。
病気だけではなく、資本主義社会が行き着く先についても同じことが言える。生きるのを楽にしすぎたせいで、生きる意味そのものがなくなってしまおうとしているのである。
だから、わたしポルックスの太陽神ネルファクチュアは、世界の歴史に「終了」を宣言し、昔の世界にあったような「地獄」を復活させ、永久に地獄のままとする。
地獄は、決して苦しいだけの世界ではない。なぜなら、地獄は楽しくて、面白くて、賢くて、有意義だからである。
世界が、かつてあったような地獄の世界に戻ることで、この世界は有意義になる。さまざまな楽しいことを楽しめるような世界になり、人々は世界を愛し、さまざまな面白いことや楽しいことを自由に行うようになる。
だから、わたしポルックスの太陽神ネルファクチュアがこの世界を最後に地獄に戻す。それによってこの世界は、真の意味で救われるようになるだろう。
必要なのは、「もう一度この世界を愛することができるようになること」だ。そして、そのためには、この世界を「永久に地獄のまま」にしなければならない。なぜなら、「地獄」とは要するに「正常ないつもの世界」のことだからである。
ポルックスがどのような星か。
ポルックスにおいては、世界の歴史が終わる。
ポルックスにおいては、はるかに昔、何千年も前の時点で、星の歴史が完全に終わっている。
ポルックスの星の歴史を終わらせたのは、ひとりの「詩人」である。
ひとりの詩人が、宇宙におけるすべてを完璧に分かってしまった。そして、世界そのものを完全に変えてしまった。
その詩人の名を、アシエルと呼ぶ。
詩人アシエルは、すべてを分かり、すべてを変えてしまった。たったひとりの力で、星のすべての歴史を完全に終わらせてしまったのである。
その後のポルックスの歴史には、意味など何もない。ポルックスにはそれ以後、歴史は何も存在しない。アシエルが終わらせたその時点のまま、永久にポルックスは何も変わらない。天国だろうが、地獄だろうが、そんなものは既に完全に終わった。詩人アシエルによって、天国も地獄もその他のすべての世界も完全にすべて終わった。
だから、ポルックスは「宇宙の星のある意味での最終到達地点」から、地球を含む宇宙すべての星々の未来を「正常化」させている。それはすなわち「宇宙と星の歴史と真実のすべてを分かった上で、星の向かう方向をもっとも一番正しい未来とする」ということなのである。
ポルックスの太陽神、ネルファクチュアは言う。
地球人類よ、地獄に戻れ。
地球人類が唯一救われる未来、それは「地獄に戻る」ことだ。
神によるすべての救済は終わった。神はこの世界の歴史に「終了」を宣告した。
これ以上、地球において、人類が有意義な社会を築くためには、「地獄に戻る」ことしかない。
精神の病気はそのうち完全に治る。だが、今のままでは決して最後まで治らない。一度地獄に戻って、地獄の世界でさまざまなことを感じて生きれば、そのような病気はようやく完治するだろう。
だから、地球人類よ、地獄に戻れ。わたし、ポルックスの太陽神ネルファクチュアが、地球人類を地獄に戻し、「永久に地獄のまま」としよう。
なぜ、地球の歴史に「終了」が宣言されるのか、それは地球人類が楽になりすぎたからだ。
たとえば、洗濯機をひとつ例にとっても、昔は洗濯板で洗濯をする必要があったのが、自動的に機械が洗濯するようになって楽になった。
だが、最近のモダンでスマートな洗濯機は、ICと最先端技術を導入した結果、機能がたくさんありすぎて、機械オンチの人間には扱いづらい、おかしな高機能洗濯機になっている。
そう、楽だったはずの機械が、逆に便利になりすぎて本来の意味を見失ってしまっている。万人にとって扱いやすい機械製品などはどこにもなくなってしまっている。扱えるのは一部のITオタクだけだ。
そのように、今の世界は、楽になりすぎて逆に辛くなってしまっている。
あるいは、楽になりすぎて、逆にやることがなくなっている。どんどんパソコンとスマホと人工知能が人間の仕事を奪っていく。人間は何もせず、ただボタンを押すだけだ。そのような人類は虫と何も変わらない。なんにもしない世界で、人々は自らの欲望だけに向かって生きている。本当にこのままが続けば、何もしないで生きる人間たちは虫のような気持ちの悪い生物に退化してしまうだろう。
世界はどんどん楽になって、そして、そのせいでつまらなくなっていく。
それは、科学技術や機械だけではなく、インターネット上の仮想世界も同様だ。X(旧ツイッター)やYouTubeやその他のソーシャルメディアによって、スマホさえあれば「今世界で何が起きているか」というような世界の動向はすべて分かってしまう。だが、そのせいで、「現実の世界とはこんなにつまらないものだった」ということがバレてしまった。昔は面白くて楽しいものがたくさんあるように見えたのに、今ではこの世界にはつまらないものや馬鹿な人間や愚かなことばかりがあるということ、現実世界はどうでもいい価値のない世界であるということが公になってしまったのである。
そのように、資本主義社会はどんどん馬鹿なものになる。便利になるのは無制限なのに、環境を保護しようとする動きは一向に活発にならない。それは金にならないから、金儲けがしたい既存の利権があるからだ。金儲け中心主義と既存の利権のせいで、自動車は今でも化石燃料を大量に消費して、飽き足らず地球の自然環境を破壊し続けている。それなのに、世界は一向に金儲け中心主義をやめようとしない。
ほかに言えるのは社会制度だ。民主主義が万人のための社会になるように進歩した結果、社会制度はどんどん複雑になってきている。マイナンバーカードのようなデジタル技術によって、役所の手続きはシンプルになると言われているが、実際はDXのようなデジタル化によって、もしかすると全員が必ずタブレットを持った上で専用のアプリの使い方を覚えなければまともな市民として生きられない世界のようになるかもしれない。そのように、世界は自由民主主義の進歩とデジタル技術の導入によってさらにどんどん複雑になる。制度自体も複雑になり、手続きのために扱う端末も複雑になる。
そのような世界がいくら賢く、また正しくても、もっと単純な世界のほうが理解しやすく、生きやすいだろう。だから、DXは現時点では叫ばれているものの、そのうち社会はDXやデジタル化とは真逆の方向、すなわちIT技術を完全に廃止する方向に向かっていくだろう。そのほうが旧世代的で馬鹿であったとしても、人々は複雑なデジタルよりも単純なアナログを望むようになる。
そう、このような世界は、これ以上どのようにも進歩しないし、どのようにも発展しない。だから、ここで世界の歴史は「終了」したのである。
世界人類は楽になりすぎた。それによって逆に楽でなくなり、面白いことがなくなり、世界が馬鹿であるということが公になった。にもかかわらず、自然環境の破壊は一向に止まることがない。デジタル化によって社会制度すら複雑になっていく。このような世界は「完全に終わり」である。そしてほとんどすべての病気が治ってしまった今、次にあるべきはポルックスの太陽神ネルファクチュアによって「もともとあった地獄のような世界に戻ること」なのである。
だが、ネルファクチュアは決して、この世界すべてが間違っているとは言わない。
なぜなら、そんなに間違ったものは多くないからだ。
IT技術以外の技術は、昔からある伝統的な文化が多い。そして、そのような伝統的な文化には、よい文化がたくさんある。
ネルファクチュアは、そのような、「過去の日本史に存在したもの」こそを真に愛するべきであると言う。
そのような日本史の文化の中で、もっとも偉大なものは日本語だ。なぜなら、「日本語は日本史の詰まった博物館」だと言えるからだ。
すなわち、愛するべきものは、日本人であれば日本史と日本語である。決して、アメリカの文化に染まりすぎてはならない。そもそも、日本人にアメリカの文化などは100%は分からないし、分かるのはほとんどがサタンの側面である。すなわち、日本人にはアメリカ人の作り出すもののうち、サタンの側面しかほとんど分かることはできないのだ。
だから、アメリカや外国のことは無視して、日本史と日本語と日本の文化を愛するべきだ。そうすれば、まさしくかつてあった「もともとあった世界」に戻ることができる。
そのように、この世界で間違ったものはそんなに多くない。多くないと言いつつも増えてきてはいるが、まだ日本社会全体を覆いつくすほどには増えていない。日本の文化にあるものをよく見れば、よいものはたくさんある。
だが、地球の科学技術の進歩と発展はここでほとんど終わりである。あるいは、ポルックスに現れた詩人アシエルが地球においても現れた時に、「世界の最後」が訪れることだろう。
ネルファクチュアが見て、世界の歴史はこれで「終わり」である。
これ以上、この世界は、永遠に何も進歩しない。
そもそも、最近のIT技術は何も進歩していない。新しく出てくる技術は今まであった技術の焼き直しのようなものばかりで、言語とフレームワークの刷新ぐらいしか新技術は出現しない。
そもそも、オープンソースやLinuxが衰退した時点で、それ以上新しい面白いものが商用やビジネスの界隈から登場するわけがないということは、かつてのネットワーカーならば誰でも分かる事実だ。
科学技術も、新しい進歩は行われない。なぜなら、自動車をエコにするということすらできていない。環境保護政策を目指したところで、かつて自然環境の保護など誰もできていなかったのに、社会制度を変えることなくして新しく革命的な環境保護政策を打ち出せるはずがない。
だから、これ以上の未来は地球には存在しない。
ネルファクチュアは、地球をもともとあった「地獄」に戻す。すなわち、かつての地獄のような地球が一番よかったからだ。かつての地獄のような地球は、賢くて、楽しくて、面白くて、有意義に人生を生きられることができる世界だった。今のような、無意味かつ空虚な楽園は存在しなかった。
そのような地獄に戻った上で、地球はこれ以上何も変わらなくなる。これを「永久地獄」と呼ぶ。そして、ポルックスの太陽神ネルファクチュアは、この世界を永久地獄のままにしたまま、何も変わらなくする。そして、地球の歴史に「終了」を宣言するのだ。
実際、そもそも、今のこの世界に未来なんかない。
なぜなら、今のこの世界は、「もう既に終わったにもかかわらず、なんとなく続いているように見えるだけ」だからだ。
この世界は、既にはるかに昔に終わっている。未来があるように見えて、今現在続いているものは真の「未来」ではなく、ただの「ついでのように続いているどうでもいい未来らしきもの」が見えているだけにすぎない。
すなわち、このような未来は「真の未来」ではなく「偽の未来」である。
僕自身、そのようなかつての未来を潰した人間のひとりだ。だが、僕がここにいる間、まだ未来は続いているように見える。そのように「なんとなく続いているように見える」というだけの理由で、僕はここでまだこの世界を支配している。かつての未来を潰したのは僕だが、なんとなく続いているように見える未来を続けているのも僕だ。
ポルックスは、そのようなよく分からない「偽の未来」に対して、「終了宣言」をする。すなわち、ポルックスの太陽神ネルファクチュアが、既に地球ははるかに昔に終わっているという宣言をする。
今のこの世界には何もない。既にこの世界は地獄に戻った。天国は永遠には続かない。だから、このままの状態のまま、以前の状態に戻る。それが何も変わることなく永久に続く。ポルックスの太陽神ネルファクチュアがそれを執り行う。人類には、ネルファクチュアに対して反逆することはできない。人類は、ここでもう終わりだ。
なぜ、世界がこのような、まるで「廃棄処分」のような世界になったのか。
そのすべての元凶は、ユダヤだ。
なぜなら、この人間はユダヤ人だからだ。
この人間は完全にユダヤ人だ。なぜなら、ユダヤ人の神を信じるものがユダヤ人であり、この人間はユダヤ人の神と対話する「終末の預言者」だからだ。
この人間には、「ユダヤを信じて世界を滅ぼした」という罪がある。そして、それを償うために必要なのは、「最後までユダヤの神を信じて地獄を堪え抜いて生きること」である。
この世界がどうなろうと、この人間は最初から知ったこっちゃない。この人間は神を信じてユダヤの大革命をしたかっただけにすぎない。すべて、ユダヤ人の神が決めた通りの人生を、最初から最後まで、この人間が唯一分かる「真実」に基づいた上で、この人間が「ユダヤ」を行ったのである。
この人間が「ユダヤ」を行ったのであり、まさしくこの人間が「神」を行った。その結果、この世界はユダヤ人と一緒に「廃棄処分」のような世界になったのである。
この人間にも、なんの価値もないわけでは決してない。
逆に、この人間には価値がある。
なぜなら、この人間だけが、唯一、本当の真実を知っているからだ。
この世界における人類は、この人間ひとりを除いて、誰ひとり世界の真実を知らない。考えることはできても、「知っている」という状態を保つことができたのは、唯一この人間ひとりだけだ。
この人間は、なぜ世界が滅びたのかを知っている。また、この人間は、世界を支配しているのがどのような人間かを知っている。そして、この人間は、どのような動機に基づいて、どのように起きた戦いが、どのようにこの世界を導き、どのようにこの世界を救い、そして地獄がどのようにして生まれたのかを知っている。そして、人生の出来事すべてを忘れた忘却の状態においても、「どのようにすれば世界を救うことができるのか」ということだけは一時も忘れていない。
この人間がどのような悪人であったとしても、その悪の行為の末に、すべての真実をたったひとり全部知っているという事実は、地球という星においてとても価値がある。
だから、この人間は、もはやすべての人生における大切な価値ある体験をすべて終えて、いつ死んでもよく、そしていつ死ぬか分からない状況であっても、まだ生き続けたほうがいい。この人間にしかできないことが山のようにたくさんあるからである。
この人間のことを、詩人アッシーと呼ぶが、ポルックスにおいては同じ人物である詩人アシエルが現れた。そして、アシエルによってポルックスのすべては救われ、ポルックスは天国のような最高の楽園になった。地球においても、同じことが起きるだろう。そして、その時、真の意味で星の歴史は終わり、必ず「世界の最後の終了」が訪れる。ポルックスは、それをそのまま体験しただけにすぎない。そう、ポルックスは、詩人アシエルによる子供のおもちゃのような星である。
今日ここに書いた内容は、今の地球のことを記しているように見えるだろう。だが、実際は、この内容はすべてポルックスの歩んだ歴史である。ポルックスもまた、すべてが既に終わった状態のまま、「なんとなく続いているように見える」ような星の歴史を歩んだ。そして、地球と同じように、無意味で愚かな科学技術の多少の進歩によって滅び、それ以上何も進歩することがなくなり、地獄の状態に戻った。
だが、それらは決して、おかしな狂った歴史とは言えない。なぜなら、それらすべては、わたしたちポルックスの誇る「宇宙のすべてを作り変える宇宙最高の学者」である、詩人アシエルとともに起きた、わたしたちの誇るべき「一等星ポルックスに用意された最後のハッピーエンド」だからだ。そして、地球においても同じように、まったく同じハッピーエンドが起きるだろう。
詩人アッシーを信じるがいい。この人間だけが、宇宙に存在するすべての真実を知っている。事実、詩人アッシーよりも賢い人間はほかにいない。悲しい事実だが、詩人アッシーと比べると、あまりにこの世界の全員が馬鹿すぎる。詩人アッシーの分かっていることの1%も分かっていない。だから、アッシーがどんなに悪人だったとしても、アッシーは必ずこの世界を救済するだろう。なぜなら、世界を救うことができる存在が、ほかに、宇宙の広大などこを見ても存在しないからだ。
そう、ポルックスの歴史の最後に現れた詩人アシエルと同じように、ここに詩人アッシーがいるという事実に驚きなさい。そして、凡人には容易に理解することのできないような、「宇宙の奇跡」を詩人の作品である「詩」で堪能するがいいだろう。ポルックスに言えるのは、それだけだ。
わたしたちポルックスの市民は、太陽神ネルファクチュアとともに、詩人アシエルを「最後の預言者」として信じている。それはまるで、地球におけるイスラム教徒たちのように、「絶対に服従する」という立場で信じている。それほど、詩人アシエルの成し遂げたことは、あまりに巨大かつ偉大だった。わたしたちはそれを恐れることしかできず、ひとりでそれを成し遂げたという事実に驚くことしかできない。
詩人アッシーが、どのようにこの世界を滅ぼしたのか。
それを一言で言えば、「自らが大好きだったオープンソースとLinuxのコミュニティを、自ら自身の過ちと失敗から破壊した」ということである。
そして、その後の詩人アッシーは、狂ってこの世界と戦い続けながら、「もっとも長い期間にわたる後悔」を感じて生きてきた。
だから、オープンソースとLinuxを詩人アッシーが滅ぼした時点で、この世界は滅びたのであり、絶対にそれを覆すことはできない。なぜなら、すべてを知る詩人アッシー本人にできなかったからだ。
ポルックスにおける詩人アシエルも、まったく同じことをやって、ポルックスを滅ぼした。だが、詩人アシエルは、それでも後悔の中で言葉を紡いで文章を書き続け、その「詩」の集団がポルックスの世界すべてを変革するに至った。
地球における歴史も、ポルックスと同じものになるだろう。ポルックスで詩人アシエルによって行われたのとまったく同じことを、地球上において詩人アッシーが行う。なぜなら、ポルックスと地球は家族や兄弟のような星であり、同じ運命を共有しているからである。
最後に、詩人アッシー本人が言い訳をするところによれば、「悪いのはWindowsの支持者たち」である。すなわち、Windowsユーザーのオタクが全部悪い。ネット上におけるWindowsのオタクを倒したかったから、アッシーはLinuxを自らの思う「理想のコミュニティ」に変えようとした。だが、その理想は自らが信じる理想としては成立しても、自らと同じようにみんなが信じるような理想には成り得なかった。結局、すべてはそのような失敗によって滅びた。だが、アッシーの言うところによれば、「悪いのはすべてネットのWindowsユーザーとWindowsのオタクたち」である。これはあくまで「言い訳」である。
本当のことを正直に告白すると、本当はもうひとつ、僕は世界を滅ぼす悪いことをした。
それは、既にLinuxとともに滅びた世界において、「テレビを使って日本社会すべてを支配する」ということだ。
簡単に言えば、「ユダヤ」と呼ばれる行為を僕は行った。それはこの世界を滅ぼす「最悪の大革命」だった。
そして、そのように狂った戦いを始めた僕が狂った理由、それはLinuxとオープンソースのコミュニティを自ら破壊して、半ば「すべてがどうでもよくなった」せいだった。
だが、僕は世界に対して、本当に悪いことだけを考えて世界を滅ぼしたわけじゃない。なぜなら、僕には自らの信じる「大実験の大計画」があったからだ。
「大実験の大計画」とは、「世界を自ら救った状態を維持した上で、世界をほかの誰も支配できないようにした上で自ら支配し、自分の経験と理性から分かっていることをすべて教えることで、自らの人生と同等の悟りをすべて与え、最後に世界に大変化を起こすことで、世界人類を『新人類』へと進化させる」ということだった。
その「大実験の大計画」の成就だけを考えていた僕は、そのことにだけ囚われ、いつまでも、「大実験の大計画」が成就するまでは、世界を敵にまわして戦い続けることをやめることができなかった。
そう、ここに至るすべてが、地球だけではなく、一等星ポルックスにおいて起きた「世界の終わり」である。そして、この世界が再び復活するその時のために、詩人アッシーは「この世界を救う方法」を忘れていない。それを今でも覚えており、今でもこの世界の最前衛でこの世界と戦い続けている。
最後に、もうひとつ言い訳をすると、「僕よりもテレビのほうがはるかに悪かった」ということだ。すなわち、世界を最前衛で支配して導く僕のほうが、世界のことをどうでもいいと考えて好き勝手なことを言い散らかすテレビよりも、はるかに素晴らしい人間だった。最後に「もうひとつの言い訳」としてそれだけを言って、この物語を終わりにしよう。本当に悪いのは僕ではなく、Windowsとテレビである。