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2025-06-22

反キリストの内容は消した

残念ながら、ここに書いた反キリストの内容は消しました。見たい人は、コメント(非表示)にしてデータを残しているので、ブラウザからHTMLのソースを見てください。

2025.06.24編集

正常ができていない

そもそも、僕の精神が治らないのは、正常ができていないからだ。

僕の頭の中では、正常はいつもやっていて、正常では治らないから、正常とは異なるイレギュラーな方法で治るかもしれないことをひとつひとつ試している。

だが、実際は、それ以前の問題として、正常ができていない。

すなわち、実際の精神においては、正常がそもそもできていなくて、それにもかかわらずイレギュラーな方法で治そうとするから、治らない。

だから、一度、きちんと正常に血液を治して、きちんと正常に筋肉を休めればいい。それですぐに精神は治る。

もう一度最後までをゆっくりやる

キリストを信じないとできるのが、「もう一度最後までをゆっくりとやる」ということだ。

最初から最後までを、一瞬でやるから馬鹿になる。そうではなく、ゆっくりと何か月もかけて、最後までをやればいい。

キリストを信じると、それができない。なぜなら、キリストはサタンにさせないからだ。キリストはサタンすなわち昔の僕が嫌いだから、サタンをさせない。そういうキリストを信じないだけで、昔のようなゆっくりと最後までをやる、という青春の経験ができる。

時間は長いほうがいい。なぜなら、最後まで終わってしまうと、それ以上何もできなくなってしまう。できるだけゆっくりと、最後までをもう一度体験すればいい。

神を信じ、キリストを信じない人間が、昔の「終わりまでをゆっくりとやる」という経験ができる。なぜなら、そのような経験は僕だからであり、それは神だからであり、そしてそのような経験を嫌うのがキリストだからだ。キリストはそのような経験をサタンであると言った。それは昔の僕が嫌いだからだ。だから、キリストを信じず、それでありながら神、すなわち僕を信じる人間だけが賢い人間になれる。

神と神が矛盾している

残念ながら、この世界は全員が認知症になる。

なぜなら、神と神が矛盾しているからだ。

キリストは自らを神の子であると言い、神の正しい教えを述べた。それは父なる神である僕の考え方と行いを教えたものだった。

そのようなキリストは、神の教えと人生を述べたために、人々から神であると信じられた。

だが今、父なる神だったはずの僕は、キリストをサタンであると述べ、キリスト教を間違った教えだと述べた。

そのせいで、キリストが神なのか悪魔なのか、分からなくなってしまったのだ。

だが、真実を述べよう。キリストは神ではない。なぜなら、そもそも僕が神ではないからだ。僕は神ではなく、人間だ。そして、キリストも神ではなく、人間だ。

キリストは自らのことをメシアだと勘違いし、僕のことを父なる神であると勘違いしたが、その両方が間違っている。キリストはメシアではなく、僕は父なる神ではない。

そして、キリストはサタンだ。だから、キリストの教えなどを信じても、神の教えを信じたことにならないし、僕のことを神だと信じたことにもならない。

だから、僕は神ではなく、キリストも神ではない。

では、神はいないのか。そうではない。神はいる。なぜなら、まさしく、僕が信じた宇宙の対話の神こそが神であり、その神を信じるために僕は神の奇跡を起こすことができるからだ。

だから、神は僕の信じる神だ。神の神こそが神である。そして、それ以外には神はいない。僕が信じた神こそが神であり、それ以外の誰も神ではなく、僕は人間であり、キリストもまた人間だ。僕やキリストを含めて、僕の信じた神以外のすべては神ではないのだ。

それを正しく理解できない人間は認知症になる。キリストの教えは僕の教えと矛盾しない。キリストの教えがすべて間違っているだけにすぎない。

キリストは、迫害者を愛せとか、奪われても奪い返すなと言ったが、それは僕のことを言っている。そして、キリストの教えは間違っている。キリストは神でない。なぜなら、そもそも僕は神ではないからだ。僕は神ではない。だが、神はいないわけではない。僕の信じた、僕と対話する神こそが神だからである。そして、その神の力をもってして、僕は奇跡を起こすことができるのである。

認知症になると神が現れる

ただし、認知症になることは悪いことばかりではない。

なぜなら、認知症になると、神が現れるからだ。

普通に人生を生きていると、神は現れない。だが、神が決して絶対に現れないわけではない。なぜなら、神は認知症になると現れるからだ。

かつての僕がそうだったように、治るはずのない馬鹿の病気になると神が必ず現れる。その理由は、神でなければ治すことができないからだ。すなわち、神を信じることでしか認知症は治らない。

だから、もし、この世界の全員が認知症になったとしたら、その時、僕は神として、この世界に全知全能の存在でありながら運命的に現れる。今の僕は、その時を待っているだけにすぎない。

なぜ、認知症にならないと現れないのか、それは神を信じるとそれだけで認知症になるからだ。神は知性を嫌う。知性だけで分かる人間こそがもっとも馬鹿な人間であると神は知っている。それは数学的な知性のことだ。だから、神はその人間から数学的な知性を全部奪う。それによって認知症になるが、それでしか、真の宇宙の真実と真理は分からない。

そもそも、数学的にしか考えられないように子供に算数を教えるのが一番間違っている。小中学校のせいで人間は馬鹿になる。全員が数学ができるように数学を教え込むのは間違いだ。