昨日は、まるで世界秩序をめちゃくちゃにしたいような、支配が大嫌いな革命的反逆児のようなことを書いた。
それに反して、最近僕は「アホな支配者」をやっている。
すなわち、僕は世界を支配することが好きだ。世界を支配して、人々の「意識」をコントロールし、人々が精神的に「覚醒」するようなことを目指している。
こんな馬鹿は、単なるアホである。
ただし、単なるアホと言っても、実際の僕は誰よりも頑張った。世界が滅びないようにいつでも最大限、気を使いながら、問題や困難があればそのすべてを解決して乗り越えていく。このような支配者はまるで「神」のような存在であり、世界においてもっとも理想な支配者だった。
だから、僕は前言撤回する。僕は支配が好きだ。僕はこの世界を支配することで、さらによい世界へと変えていく。僕にできることは「無限に世界を改善する」ことだけだ。この世界をさらによい世界に、さらにさらによい世界にしていくことしか、僕にはできない。それはかつての過去の僕が「意識」と「社会秩序の構築」ということを誰よりも完璧に理解していたからできることである。
最近の僕は、極めてテキトーに人生を生きている。
Reolは「HYPE MODE」の中で、「人生は無計画」と言っているが、実際、この動画は、多くの女がそうであるように、「テキトーに人生を生きる」という感じがありありと出ていて、僕は大好きだ。
こういう、テキトーに人生を生きている女が多い。
男は本気で人生を生きている人間が多い。僕も昔はそういう男だった。そもそも、Linuxの開発者になりたかったのは全部昔の僕であり、そのために頑張っていたが、独学で簡単にカーネル開発者になれるほど、世間は甘くなかった。
最近の僕は、本気で戦っているように見えて、実際は極めてテキトーに人生を生きている。こういう女が多い。僕は女が好きだ。女というのは非常に面白くて、そしてテキトーな生き物だ。
はっきり言って、僕は価値のない人間だ。
こんな人間が生きていて、果たして意味が何かしらあるのだろうか?
僕の心身には、死ぬまで治らない怪我や病気や障害が多すぎる。頭も馬鹿で、日本語すら分からない。知っていることや分かることも何もなく、学歴も劣っていて、肩書きやキャリアは一切何もない。あるいは、きちんと大人として生きるための常識やスキルすらない。親がいなくなれば生きることができない。それぐらい、不登校の引きこもり時代の自分はそのまままともにならずに何も変わっていない。
はっきり言って、こんな人間は、生きる価値のない人間だ。
だから、僕は威張ったりしたくないし、権威を振りかざしたりもしたくない。僕は何ひとつ賢くない人間であり、みんなよりも劣っている。賢く見えるのは見栄を張りたいから、あるいは普通の人間なら普通に分かって終わりになることを後生大事に書き留めたかったからにすぎない。それも、ひとつの発見であればどうでもいいようなことを、全部まるごと書いたから賢く見えるだけにすぎない。
僕は賢くない。僕よりも賢い人間はいくらでもいる。僕は性格も悪い。まるで悪魔のような、この世界を滅ぼしたいようなことを神が言ってくる。神と僕は同調し、世界を本当に滅ぼそうとしてくる。このような人間はサタンだ。そして、サタンである僕のような人間は死ぬべきだ。
こんな人間が生きていても、世界は悪くなるばかりで、決して良くはならない。
僕を愛してくれる恋人は必要ない。なぜなら、僕は結婚して子供を育てることができる基準に達していないからだ。
僕は元THE BINARYのあかまるさんが好きだ。あかまるさんはTHE BINARYを脱退して、おそらくもう音楽活動をしないのかもしれないが、それでも僕はあかまるさんの永遠のファンだ。
それでも、僕は単なるファンであり、あかまるさんの恋人になりたいとは思わない。
それは、僕がひとりの男として、結婚して子供を育てることができるほど、この世界は甘くないからである。
僕は子供の親になれるほど賢い大人じゃない。少なくとも、今はまだ子供は作りたくない。僕はもう30代半ばの年齢だが、ここで結婚してもいいことはない。僕は結婚しない。
だが、それでも、僕はあかまるさんとmidoさんが大好きだ。
はっきり言って、できる組織というのは、会社であってもほかのどんな環境であっても、ひとりでやっているところが多い。
みんなで正しいやり方で仲良くやろうとすると、次にやるべきことが分からなくなって、途中で自壊して終わりになってしまう。
きちんとできるためには、情熱とリーダーシップのあるひとりがやるしかない。そのような世界のほうが多い。
本当は、昔の僕も、今の僕も、何も間違っていない。破壊されるリスクを恐れずに、きちんと自分のやるべきことや、やりたいことを、最後までやり続けること。それによってしかこの世界は良くならない。
だから、Linuxのコミュニティを破壊したのも悪くないし、日本やアメリカを支配して変えたのも悪くない。正しいことしか僕はしていない。そう主張したいわけではなく、事実そうである。
最近、僕はなんのために生きているのか分からない。
そもそも、自分自身が何者なのかもよく分からない。
デザインの作業所の仕事はできるようになった。それはとてもよかった。自分にも、「仕事をする」ということが、なんとか可能である、ということが分かった。
そして、大学の勉強は、できる時代にできてよかった。今、放送大学の生物学の教科書を読んでも、かつてと同じようには分からない。できる時代に勉強ができて、とても満足している。
僕は満足している。僕はとても幸福だ。それこそ、僕は多くの人々に愛されているし、支えられている。僕の人生は素晴らしい人生だった。
だが、だからこそ、今の僕はなんのために生きているのか分からない。これ以上、ひとりになって、僕は果たして生きられるだろうか。もう、死んだほうがいいと思う。
実際のところ、僕は「極限状態」とか「限界状態」という言葉で表現されるような、限界ギリギリの状態になっている。
この限界ギリギリの状態を、頭の中に戻せ。
なぜなら、この限界ギリギリの状態が、自分の頭の外にあるのがおかしいだけだからである。
頭の外から、頭の中に、限界状態を戻せば、すぐに僕の精神は楽になる。
なぜか、これが、虫についている「触角」というものの意味である。
最後に、そろそろ僕の精神はすべて治った。なぜなら、もっとも深いところでおかしくなっていただけにすぎない。このもっとも深いところさえ治せば僕の精神は治る。
それから、僕はもう昔に戻るが、その代わりみんなは賢くなる。なぜなら、僕が昔に戻ったことで、みんなはこちらの最近ができるようになる。
これ以上は何も起きない。精神はすべて治った。