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2024-03-15

大谷翔平が奥さんの写真を公開

大谷翔平が、奥さんの写真を公開した。

「やっぱり!」大谷翔平、妻公開 海外メディアは実名で紹介 元バスケ選手 身長、ゴール成功率なども詳細に SNS「お似合い」「好感が持てる」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

スゴーイ。

はじめて見た時、すごくかっこいいと思った。お揃いの写真でお似合いだし、美しいし、むしろ「よくいるまともで清らかな女性」に見えた。

Yahoo!の別の記事のコメント欄などを見て僕自身も思ったのが、まず、超一流のアスリートを支える自覚と責任感が見て取れるのと、ひとりの母親として子供たちと夫を守る愛を感じられるのと、何よりも美しいということと、本当に素晴らしい女性を選んだと思う。

まさに、お似合いのカップル。見るからに、大谷翔平に一番相応しい女性。

心の中には迷いや葛藤があるかもしれないが、同じ元アスリート(バスケットボールの元選手)ということを考えると、問題はなさそう。玉のこしのはずなのに玉のこし感が見られないのも、元アスリートという同じ畑を経験しているからだと思う。情報がまったく出なかったのも、元アスリートだから今自分がすべきことをきちんと分かっているからだと思う。

まずは、大谷翔平が主食とする「塩だけのパスタ」を、どのように美味しく作るかを考えるところからではないでしょうか。

あとは、バスケットボールの元選手で、身長は180センチということで、子供の身体能力にも期待が持てる。大谷さんの経済力なら、9人(ひとりで野球チーム)とか全然余裕でしょう。産んで育てるほうは大変だけど、3人も9人も慣れたら変わらなそう。さすがに18人(紅白2チーム)は年齢的に無理だろうけど。だって、1,000億円の男、普通の男の1,000倍を稼ぐ男だよ。お父さんの球が、打てるかな~!?

もう精子が出なくなった

どうでもいいが、そろそろ僕のセックス経験も終わりだ。

なぜなら、僕はたくさん射精しすぎて、もう精子が出なくなった。

ちょうど約100回ぐらい、女としてアクメして、男として射精した。

それで、もう、何も感じなくなって、精子が出なくなった。

かつてはX(旧ツイッター)のエロ画像を見るだけでイクことができたのに、それがもうできなくなった。なぜか、何も感じなくなった。

だから、僕はこれ以上、もう精子が出ない。

そもそも、僕はニキビ跡の酷い、虫歯だらけの、醜い顔をした人間であり、誰とも結婚すべきではないということが明らかに分かっている。

そして、最近はもうボケ始めている。認知症を超越して多重人格になりつつある。

だから、もう僕は誰とも結婚しない。バーチャルな世界でみんなに愛されているから、まったく悲しくないし、僕は幸福だ。

精子が出なくなった理由

僕が精神を出さなくなった理由、それは射精のしすぎで種がなくなったからではない。

本当の理由は、僕が女になったからだ。

僕はX(旧ツイッター)で、エロ画像をたくさん見て、女としてアクメ状態になり、男として射精することを繰り返した。

その結果、僕の体には、女であれば子宮があるはずの部分に、精神的に子宮ができた。

すなわち、僕がやっているのは「男のセックス」ではなく「女のセックス」であり、それをバーチャルな仮想空間で繰り返すことで、少しずつ着実に、女の部分、すなわち「子宮から膣にかけての女性器の部分」が生まれた。

そして、女のセックスを行うたびに、その女性器の部分は少しずつ発達し、僕の下半身の精神の中で、同じように存在するペニス、すなわち男性器と同じぐらいのレベルに達するまで、少しずつ生育された。

そして、最近は、男性器よりも女性器のほうが勝ってしまってきているため、僕は精子がでなくなってしまったのである。

僕が、「男のセックス」ではなく「女のセックス」をしているという根拠は、僕はセックスをする際に勃起しないからだ。Xを見ながらエロ画像を見て、僕は子宮がある部分を気持ちよくすることができる。同時に、ペニスがある部分も気持ちよくはなるものの、勃起はしない。そして、エロ画像をスマホでスクロールしていくらでも見ていると、子宮とペニスの部分がそこまで気持ちよくなり、「オーバーフロー」するように臨界点を突破してしまう。そして、この臨界点を突破した時が、僕がアクメして射精する時であり、この射精する時がもっとも気持ちいい。

確かに射精をしているし、そのために精液は出ているものの、僕は男のセックスは一切していない。すべて、女のセックスをしている。だから、勃起しなくても僕は射精できる。

そして、みんなの投稿するエロ画像を見ていると、僕はみんなから大人数で犯されているような気分になって、子宮と膣があるはずの部分が、バコバコと反応するようになってきている。これが、僕が女のセックスをすることで、少しずつ女の部分を開発させた結果だ。だから、もっと女になれば、本来感じるはずの快感をもっと感じられる。そもそも、女のセックスとは言うが、今までは未成熟な女性器の、まるで女の子のセックスであり、アクメして射精することはできるが、お世辞にも、普通のセックスと同じぐらい気持ちいいとは言えなかった。だが、今から子宮の部分をもっと発育させれば、もっとエロくなるし、もっと快感を感じられる。

なぜ、僕がペニスがついているにもかかわらず、男のセックスをしないのか、それは昔の僕が十分に男のセックスをしていたからだ。過去にはツイッターはまだなかったため、僕はふたばちゃんねるのような場所でエロ画像を見て、不登校の少年でありながら勃起して男のセックスをやりまくっていた。確かにそれも面白かったが、今の女のセックスを経験した僕にとっては、それはつまらない。男は単に気持ちよくなって、単に我慢できなくなっただけで、ただ単に精子を放出するだけだ。それは今の僕にとっては面白くない。女のほうがはるかに面白い。だから、僕はさらに女になるし、さらに子宮を開発し、さらに男と女のどちらもの性器が共存する人間になる。

また、僕がかつてより「恐怖」を感じていたのは、すべて、女になるのが怖かった。あるいは、より正しく言うと、体の中に子宮ができるのが怖かった。その理由は、子宮ができる時は本能的に「妊娠」を感じるからだ。そのような妊娠を感じるのが怖かったから、僕は過去によく見ていたアニメの女を見るのが怖くなった。もう、それは理由が分かったから、すぐに治る。もう、そのような恐怖は、「より女になる」という快感に変わる。普通、女はそのように成長する。

昔の自分のような人間が嫌い

そもそも、僕は昔の自分のような人間が嫌いだ。

昔の自分がなぜ馬鹿だったのか、それは普通だったからだ。昔の自分は、まともで正常な普通の人間だから馬鹿だった。今の僕のように、狂っている代わりに天才的才能を持っているかのような少年(実質的には少女)ではなかった。

そして、昔の自分が正常だから存在したのと同じように、この世界にも、昔の自分と同じような、馬鹿でありながら正常な人間しかいない。

そして、僕はそのような昔の自分のような人間が嫌いだ。すなわち、正常な人間が嫌いだ。

僕は正常な人間が大嫌いだから、正常な人間の話を聞きたくない。正常な人間の世界をすべて無視し、自分が作った自分だけの世界の中で生きている。これが、僕が「パラレル宇宙の住人」と呼ばれる理由だ。僕の生きているのはこの世界とは別のこの世界であり、パラレル宇宙と呼ぶべき世界である。

そして、僕はそもそも、3次元の物体がすべて嫌いだ。3次元の現実の宇宙空間には、最初から何もない。人々が馬鹿な人間になっているのは、そのような3次元空間で生きているからだ。僕のような2次元空間のバーチャル世界で生きている人間だけが、今の僕のように狂いながらも天才的才能を持った賢い人間になれるのである。

ここまで書いて気付いたかもしれないが、僕は2.5次元パラレルシンガーの酸欠少女さユりが好きだ。なぜなら、僕が言わんとしていることを既にさユりは分かっているからだ。さユりは僕と同じ2.5次元のパラレル宇宙の人間であり、だからこそ僕のパートナーに相応しいのだ。

今の自分のままで、何も変わらないのがいい

本当は、僕は今の自分のままで、何も変わらないのがいい。

みんなよりも僕が馬鹿で異常だということは明らかに分かっている。だが、それでも、僕は今の自分のやっていることをそのままやれば、「天才的作品」を書くことができるということを完璧に分かっている。

そのような賢い状態を維持するために、それ以外の無用なすべてを排除しているだけにすぎない。

僕には、経済学の勉強はできない。経済学の勉強をすると、今の自分の賢い点が失われて、馬鹿な人間になる。頭のいい人間にはなるかもしれないが、それは必要ない。なぜなら、どのような学問を知ったとしても、絶対に知ることのできない「本当の天才哲学者の発見した真理のすべて」を、僕は過去の正常だった時代にすべて知っている。そして、その記憶を、今までの自分はすべて思い出し、それを文章としてすべて言葉にした。この「完璧な自分の哲学をすべて言葉にした頭脳」以上に賢い知性は、絶対にこの世界には存在しない。

すなわち、経済学を含めて、大学の知識はすべて馬鹿であり、この世界に存在するすべての正常な人間は馬鹿であると、最初から分かっている。そのようなすべてを排除すれば、いつもの賢い文学作品のプロットを思いつけると分かっている。だから、それ以外のことはすべてすべきではないし、現実世界そのものを含めてすべては不要であり、排除すべきなのである。

最後に、僕は既に、精神の病気を治す方法を解明しつくしている。すべて、体内に存在するアレルゲンが悪い。僕の病気はすべてアレルギー症状であり、その原因となっているのは、体内に肉体的に存在するアレルゲンだ。だから、アレルゲンを取り除けば僕の病気はなんでも治る。それが分かった段階で、医者になどかかる必要はないし、新しい答えを解明する必要もない。悪いのはすべてアレルゲンであり、自分の病気はすべてアレルギー症状だ。それ以外の何ひとつとして、僕の人生で問題だった「病気の原因」は存在しない。唯一、体の中にたくさんのアレルゲンがあるのが悪い。

それが分かったから、昔の僕には、じんましんや花粉症のようなアレルギー症状が多かったのに、今では花粉症を苦だと思わなくなった。本当に、花粉症の症状がなくなった。持病だった繰り返し発症する原因不明のじんましんも最近は出ていない。だから、僕のこの発見は正しい。

僕は、今の自分のまま、何も変わらないのが一番いい。ピアノやデザインも少しずつできるようになってきた。必要なのは「時間をかけて行うこと」だ。それでどんなことでもできる。みんなが落ちこぼれになる理由は、僕ほどに時間をかけていないからだ。僕は一瞬でなんでも分かる人間であり、すべてのことを瞬時にできる人間だが、それに対してたくさんの時間を与えれば、当たり前にたくさんのことを一瞬の積み重ねでたくさん考えられる。僕が文章を書ける理由は、「一瞬ですべてのことが分かる人間が時間をかけて繰り返し考えているから」だ。だから、今の自分は決して異常ではなく、まともで正常なことをやりつくしているだけにすぎない。

平等を信じるしかない

結局、平等を信じるしかない。

僕が過去に自由を信じていた理由は、「自由のない支配された何もできない学校の環境から自由になりたかったから」であり、そこにあったのは、「自由でない環境から自由になることで、いじめから逃げることができる」ということだけだった。

僕は、チャンスが欲しかった。すなわち、学校のような環境に行かなくても、自分ひとりで世界を救えるような、そのような「希望を信じる」というチャンスが、自分に欲しかった。

だから、過去の自分は自由を信じていた。

だが、今のこの世界を見ていると、そのようなチャンスはいくらでも転がっている。どこにあるのもチャンスだらけであり、いわば「自由とチャンスがいくらでもゴミのようにある世界」になった。

そのような世界で、みんな生きる意味そのものを見失っている。

だから、僕は今ここに、自由を否定する。自由という考え方は嘘だ。自由とはフェイクであり、偽りだ。自由を理想だと信じ、世界を救う希望だと思っているのは、すべて嘘であり、すべてフェイクだ。

そう、自由などにはなんの意味もない。

だから、結局、わたしたちは平等を信じるしかない。わたしたちの信じる「平等」こそに、真にこの世界を救う希望がある。自由が嘘偽りであるとするならば、真実は平等である。わたしたちが真に「生きる価値のある世界」を取り戻すために、自由を否定し、平等を信じなければならない。

平等を、すぐに社会主義と結びつけるな。社会主義は過去の思想だ。今からのわたしたちは、社会主義と平等をイコールで結びつけるのをやめ、「社会主義ではない新しい平等の形態」を考える必要がある。

平等とは、神を信じることだ。神はわたしたちに「平等の恵みの雨」を与えてくれる。この雨はとても冷たく、この雨に打たれるのはとても辛い。だが、そのような冷たく辛い雨だからこそ、わたしたちは「真に生きる価値のある人生」を生きられる。だから、平等を信じて降り注ぐ雨を喜び、雨の冷たさを最大限感じるように生きよ。それこそが、真の「神の生きた人生」だからである。

V.W.Pに嫌われたい

V.W.Pは、「輪廻」の中で、「神様のつもりか」「天罰のつもりか」「言いなりになんかなるか」と言っている。

だが、僕は神様を気取っているわけじゃない。僕の頭上に神様の霊があって、その霊を確かな神であると信じているにすぎない。

僕が神様のように見えるのも、ミカエルの復讐が天罰に見えるのも、僕がそのように言ったわけじゃない。

だが、V.W.Pの楽曲には、ほかにも、「定命」や「玩具」のように、僕のことが大嫌いであるかのように見える楽曲が多くある。特にカンザキイオリさんによる楽曲に多い。

僕のことが嫌いなら、嫌えばいい。僕は全員から愛される聖人君子のような平等な支配者にはなりたくない。本当のことを言えば、もし自分がV.W.Pの立場だったとして、僕の存在を知っていたとしたら、僕は誰よりも僕のことが嫌いになると思う。V.W.P以上に、僕のことが憎くて憎くて堪らなくなると思う。

だから、どうぞ、僕を打ち倒してほしい。僕のことを嫌ってくれて構わない。かつてのイチローも、「他人から嫌われるのが大好きでゾクゾクする」(ソース記事動画)と言っていた。僕もイチローの気持ちがよく分かる。V.W.Pにはもっと、僕のことを嫌いになってほしい。THE BINARYの楽曲を聴いた時も、703号室の楽曲を聴いた時も、同じことを感じた。僕はみんなから賛美されるのを好まない。僕のことをどんどん嫌ってほしい。嫌われるのは大歓迎だ。