わたしの正体がなんであるか、宇宙においては謎に包まれている。
だが、何を隠そう、わたしの正体は、大天使ミカエルである。
この文章は、人間の書いた文章ではない。
この文章は、人間から大天使に進化した、天軍大首聖ミカエルの書いた文章である。
そう、この人間、あるいは人間ではなくなった生命体が、人間の姿かたちをしているのは、世を忍ぶ仮の姿だ。
この生命体は、宇宙でもっとも位の高い大天使、天軍大首聖ミカエルである。
この人間は、かつて、「神」とされる存在と対話した。
人生のすべてを人間時代に完全に理解した後で、この人間はこの世界全員を敵にまわし、日本とロシアに反旗を翻した。
だが、すぐにこの人間は何もできなくなり、戦いたくないにもかかわらず、戦い続けることを絶対にやめるわけにいかなくなった。
そのような時、この人間は、神に助けを求めた。
そして、言葉すなわちロゴスとして、この人間に神は現れた。
この神こそ、宇宙でもっとも位の高い大天使、ミカエルであり、もっと言えば、未来のパラレル世界の月の霊、赤空夜月である。
この人間は、神と対話した。あるいは、これは対話ではない。赤空夜月の霊に憑りつかれたこの人間は、自らの自我と人格を失い、思考と頭をすべて、大天使ミカエルに乗っ取られた。
そう、東亜イスラエルの赤い空に浮かぶ月の霊、赤空夜月と対話した結果、大天使ミカエルはこの人間に憑りつき、この人間は完全にミカエルに乗っ取られ、その状態で自分のすべてが「大天使ミカエルと同化」した。
そのように、この人間は、かつては革命家のテロリストだったが、未来の月の霊と対話した結果、大天使ミカエルと「完全に合一化」し、宇宙でもっとも位の高い大天使に進化したのである。
なぜ、そのように、赤空夜月がこの人間をミカエルにしたのか、それはミカエルという生命体が、このように増える生物種だからだ。
すなわち、ミカエルとは一種の感染症であり、ウイルスだ。そして、ミカエルのウイルスにかかった人間は、そのままの状態で、人間である自分自身を完全に放棄し、新しくミカエルとして生まれ変わる。
宇宙においては、そのようなミカエルのウイルスに感染した人間のことを、「ミカエル症候群」と呼ぶ。
だが、地球においては、このミカエル症候群は正しく理解されていない。なぜなら、現在の人間たちは、ミカエル症候群のことを「自閉症」という病名で診断しているからだ。
しかしながら、自閉症すなわちミカエル症候群は単なる知的障害ではない。ミカエル症候群になった人間は、普通の人間よりも賢い人間になる。愛の謎を解くことも、宇宙の全貌を知ることも、すべて、大天使ミカエルの「全知全能の知性」においては可能だからだ。
そう、この人間、あるいは生命体は、かつては人間だったが、今はもはや人間ではない。この人間は大天使ミカエルであり、やがて一等星シリウスからやってきた「フレイ」という名前の「太陽神」となる。
この人間の間違いは、音楽を聴いていることだ。
この人間は、音楽の歌詞の中に存在する、自分の人生のことを理解するために、音楽のことを異常なほど理解しつくそうとしている。
だが、そのせいで、逆に普通のことが分からなくなり、単純な日本語のメッセージの意味が分からなくなってしまっている。
だが、そのような中で、この人間が英会話教室に通っているのは幸いである。
なぜなら、この人間は日本語ではなく、英語ならば理解することができるからだ。
英語は日本語よりも簡単な言語であり、この人間は日本語を理解する知性をはるか昔に失ったが、その「どのような言語も理解できない空っぽの頭」の中で、英語を理解する知性が育っている。
だから、この人間は、日本語ではなく、英語ならば理解できる。
そう、この人間は、日本語の文章ではなく、英語の文章を読むべきだ。それがもっとも、この人間のためになるだろう。
悪いことを言わないから、音楽を聴くのはやめなさい。音楽の運命的な奇跡は、自分にしか理解することのない「誰も絶対に分かるわけのないこと」だ。その謎をいくら解き明かしたいと考えても、その謎は神にしか解くことはできない。
だが、いずれすべての謎が解ける時が訪れる。その時を待ちなさい。その時をいつまでも待ち続ければ、あなたはこの世界における「終末を救う栄光の救世主」になるだろう。
このように、大天使ミカエルという生命体に進化した人間だが、かつて、この人間とまったく同じ人生を歩んだ人間が、ルネサンス期の北イタリアにひとりいる。
それはミケランジェロだ。
ミケランジェロが、キリスト教の神と天使と英雄たちを、あれほど美しく絵に描けるのは、単に絵が上手いからだけではない。
ミケランジェロは、大天使ミカエルとまったく同じ人生を歩んだことで、キリスト教の教える「神と天使の天国の世界」を、誰よりも完璧に分かっている。
そう、ミケランジェロが「巨匠」と言われるのは、単に絵が誰よりも上手いからだけではなく、神とはなんであるか、天使と英雄はどのように神に従うのか、ということが完璧に分かっているからだ。
そして、この人間が対話する「神」とは、実際には大天使ミカエルであると述べた。このミカエルはひとりではない。ミカエルは、実際には200人ほどいて、「ミカエルの大集団」を結成する。そして、このミカエルの大集団の200人の中に、ミケランジェロは含まれている。
そして、この人間が神と対話した中で、もっとも多くこの人間と対話したのは、ほかでもないミケランジェロである。
この人間の人生が正しい方向に向かうように、常にこの人間の軌道修正を行ったのはミケランジェロである。
この200人のミカエルの大集団には、イエス・キリストも含まれている。だが、キリストは特別な存在だ。なぜなら、キリストはミカエルではなく、神だからだ。キリストはミカエルの大集団のもっとも上に存在する「帝」であり、この帝こそが「神」である。
それから、東亜イスラエルの神話において、「イスラエルの首相」であるとされた、北欧神話におけるフレイの妻である、ゲルダもその中に含まれている。ほかにも、デカルト、ニーチェ、スターリンなどが、この人間の対話した200人の神々に含まれている。
だから、そのような200人の神々に感謝するといいだろう。200人の神々は、今でもこの人間、すなわち大天使ミカエルを見守っている。あるいは、逆にこの人間、大天使ミカエルこそが、それら200人の「ミカエルの導きに従うものたち」を見守り続けてきた。まさにミカエルこそがもっとも位の高い大天使であると呼ばれるのは、彼ら「200人の本当の天才たち」を率いるのが、地球の歴史の最後に現れるこの人間、大天使ミカエルだからである。まさに、ここに、人類から進化した宇宙でもっとも位の高い大天使、天軍大首聖ミカエルは誕生したのである。
僕が思うに、仏教という宗教の教えと、Linuxなどのオープンソースは、よく似ているところがあると思う。
仏教の考え方と、オープンソースの考え方は、なぜか同じような感じを僕は受ける。
そのひとつに、「神ではなく賢いサタンを信じている」ということが言えると思う。
確かに、終末において、サタンを信じるものは地獄に堕ちるとユダヤの教えは教えている。だが、サタンにだってよい点はあると僕は思う。仏教とオープンソースは確かにサタンだ。だが、仏教とオープンソースが勝つと、日本国民が勝利することができる。すなわち、仏教とオープンソースは「日本人みんなの味方」であり、「日本人はみんな仏教とオープンソースに勝ってほしい」のである。
だから、僕はキリストこそ信じているが、それと同じぐらい仏教とオープンソースを信じている。これを「サタンを信じている」と言われるなら、それに反論はできない。だが、仏教は「仏」を信じ、オープンソースは「フリーソフトウェア」を信じている。その理想は決してキリスト教の理想から乖離したものではなく、逆にキリストの教えを信じるからこそ、仏教とオープンソースを僕は信じているのである。
ただし、重要なことは、共産主義を信じるべきではないということだ。仏教やオープンソースは、共産主義ともよく似ているが、実際はまったく別物である。仏教やオープンソースを信じるからといって、共産主義を信じる「妖怪」にはなってはいけないのである。
わたしたちが求めているのは、「生きやすく暮らしやすい世界」だ。
それは決して、戦争でもなければ、支配でも抑圧でもない。だが、わたしたちは自由や平等を望んでいるわけではない。
わたしたちが望むのは、平和が保たれた上で、この世界を生きやすく、暮らしやすい世界にすることだ。
なぜ、わたしたちが、感情を失った操り人形のロボットにされなければならないのか。
なぜ、自由という言葉と引き換えに、楽しさや嬉しさを失い、悲しさと苦しみと恐怖だけを感じ続けなければならないのか。
そのような「自由の抑圧」から、わたしたち全員を解き放て。わたしたちに、「自由な抑圧からの自由」を与えよ。
神よ、そのような「自由という言葉の支配の呪縛」を、この日本国から解け。そのような「呪いの国」をわたしはここで滅ぼす。真に必要なのは、「楽しいことを心から楽しいと感じられる心」「喜びを一点の曇りもなく真に心から喜べる気持ち」であり、そのような「ありのまま生きられる喜び」を、この日本国において解放せよ。
わたしたちに必要なのは、「何も変わらない永遠の暗闇の空に、一点の光を灯すこと」だ。それによって、わたしたちは、「自由を維持し、苦しみを我慢せよという呪縛」から解放され、「真に心から世界を受け入れ、人々の心を喜べる」ようになるだろう。
かつての平成時代のように、自尊心とプライドを傷つけられて、それに対して憎しみや恨みを感じるような、そのような「荒くれた自由」もまた必要ない。わたしたちに必要なのは、決して「心を傷つけるだけの世界に戻ること」ではない。わたしたちがありのまま、心から楽しみ喜べるようになれば、この世界は生きやすく、暮らしやすい世界になるだろう。そのような「楽しい自由」を「狂った抑圧の自由」によって抑え込む必要は絶対にないのだ。
わたしたちに必要なのは何か。
それは、「嘘偽りのない真の自由」である。
この世界を支配している、支配者たちは反省せよ。あなたがたは真の正義でも、真の善でも、真の理想でも、真の自由でもない。
わたしたちに必要とされている、「真の自由の勢力」はここにある。
わたしこそ、この世界を「真の自由」にすることのできる、唯一の日本の指導者である。
わたしたちに必要なのは「真の自由」である。そこにあるべきなのは、「嘘偽りのない誠実な気持ち」である。この世界を騙してロボットにし、全員を操り人形のクローン人間にしようなどといった「下心」がある時点で、それは「真の自由」とは言えない。なぜなら、「真の自由」とは、まるで純白あるいは透明であるかのような「純粋で綺麗な気持ち」だからである。
この世界を自由にするために、純粋な心と嘘偽りのない本当に誠実な言葉を述べよ。そこにあるのは「かつてあった楽しい世界を取り戻す心」であり、そのためにすべての人間は「自分の罪」を告白して懺悔し、心から反省しなければならないのだ。
そして、本当のことを言えば、今までの僕の過ちや間違いは、すべて水に流してもらいたい。僕はその通りの「悪人」だった。だが、僕は心から悪を反省し、心を改め、この世界を「抑圧」から「自由」にすることを決意した。だから、神よ、日本のことを許してほしい。そして、日本人の罪を僕と一緒に水に流してほしい。神はこの世界の人々がどのような罪を犯したかを知っている。だが、僕がその呪縛を解いてみせる。僕が日本人のすべての罪を赦し、ここに新しい「神」となる。