僕がこれで、文章を書くのをやめると信じた人たちには、がっかりするお知らせだし、僕もやめたいのは山々だが、まだ僕はこの文章を書き続ける。
その理由は、僕が文章を書くのをやめた時点で、僕は死んでしまうからだ。
酸欠少女さユりは、死ぬ前に自動車の仮免を取っていた(Xのポスト)。僕も、原付免許を取りたいと思っている。
僕が普通の人間並みに生きられないのは、はっきり言って移動手段がないからだ。原付のバイクに乗ることができるだけで、生活圏が広がり、言ってしまえば「まともな人間として生きられる」ようになる。
そして、僕の頭が馬鹿になっているのは、テストや試験のための勉強をしないのが悪い。原付免許の試験問題集の本を買ったが、この本を読んでいるだけで、頭が賢くなる。だから、もし免許が取れなかったとしても、頭を賢くするという有意義な経験ができる。
だが、実際、ここで文章を書くのをやめると、もはや原付免許を取っただけで、人生のすべてを終えたことになる。その後に、ただ生きるためだけに生きるのは、とても辛い。だから酸欠少女さユりは死んだ。
僕も、もし書くのをやめると、さユりとまったく同じになってしまう。だから、僕はここで、文章を書き続けることを選ばなければならない。
この世界のためにはならないかもしれないし、みんなも心底ウザくて極まりないだろうが、僕はまだこの文章を書き続けることを選ぶ。原付免許はそのうち取りたいと思う。
僕の間違いがなんなのか分かった。僕の間違いは、「自由」を信じていることが悪い。
自由と言うと、悪の支配者の支配から解放されるように見えて、良いイメージを持たれるかもしれない。
だが、僕はあまりに過剰で狂った自由を信じるあまり、まるで「暴れはっちゃけ」のように、自らの大切な精神や記憶を破壊し、自由を求める代わりにその代償としてさまざまなものを破壊してしまい、自らにとって大切なものすら自分で守るためにコントロールできなくなって、環境に適応できず、いわば「何も分からない」という状況になっている。
すべて、「自由に対する欲求」が強すぎることが悪い。すべて、「自由を求めるがゆえの代償」である。
そもそも、学校教育から離脱して不良の哲学少年になったとして、それがよい方向に作用している間は、自由はよい効果をもたらす。だが、それでも、Linuxとオープンソースのコミュニティを破壊したのは、間違った自由を信じていたからだ。そして、自由が「戦い」に転じて、悪い反逆者の自由を信じるようになると、自由は自らを苦しめる結果になる。「昔の自由」をいくら追い求めても、その時点で「今の自由」しか得られなくなってしまうのだ。
また、「社会から押し付けられるような重圧」を感じるのは、社会に対して従うことなく、反逆の自由を信じているからだ。反逆の自由を信じている時点で、社会から押し付けられる重圧を常に感じ続けるようになる。僕がじっとしていられず、歩き回ってしまう異常を発症したのは、すべて、そのような重圧があまりに辛すぎたためである。
そして、この世界の人々が分からなくなった理由、それは僕がこの世界の「元々あった分かる知性」を自由によって破壊したからだ。それは僕自身が精神的に見つからないように隠して分からなくなったものだけでなく、僕が自由な反逆者として世界に反逆するために、世界から消し去った「オープンソース的な理想」であり、僕は自由を信じるあまり、この世界を「何も分からない世界」にしてしまったのだ。
また、自由を信じるあまり、僕は世界を「解放」し続けている。
だが、この解放が逆に悪い。なぜなら、解放する時点で支配しているからだ。
僕が世界を解放できるのは、世界を支配しているから解放することができている。だから、真に世界を自由にするのであれば、解放するのではなく、そもそもの支配を殺さなければ、解放だけでは世界を自由にすることはできないのだ。
だから、本当は、この世界を救うことなどしなくていい。僕の病気が治らないのは、そもそもまともに病気を治そうとしていない。僕がしているのは「解放」であって「治癒」ではない。いくら解放して病気を消滅させようとしても、「解放」をしているのであって、「治癒」をしているのではないから、病気が治らない。
必要なのは、そもそもの「支配それ自体を殺す」ことだ。それによってしか、この病気は治らないし、世界は自由にならない。
さらに言えば、支配そのものを解放する意味がない。支配したほうが正常であり、それを自由にしようとするのが間違っている。いくら解放しても精神は破壊され続ける。支配されたままにしたほうが、どんな病気であっても治る。だから、これ以上、世界を自由にし続ける意味はない。僕自身、自由を信じることを今こそやめるべきだ。
そして、問題は、「自由は間違っている」という絶対的な問題ではなく、相対的な問題である。
すなわち、あまりに僕ひとりだけに自由が集中していることが間違っている。
だから、僕の自由がなくなって、世界が自由になれば、この世界はきちんと正常でまともに分かる世界になる。
自由が間違っているから、僕の自由を制限して、世界の自由も制限しようとすると、それは自由主義がファシズムに変わっただけで、やっていることは何も変わっていない。
相対的に、僕の自由があまりに強すぎて、みんなの自由があまりになさすぎるのが間違いである。
だから、僕の自由を完全になくし、みんなの自由を大きくして、社会の自由を奪還させるように、僕自らが決断すれば、この世界はいつもの楽園のユートピアに戻る。
そもそも、アメリカ的な「自由」という考え方は最初から間違いだ。
アメリカでは、銃規制ができないせいで治安が悪い。それは同じ国民を民族的な同胞と見做さず、敵になるかもしれない相手と見做すせいで、いつ攻撃されるか分からないならば、自分の手で自分を守る手段を確保したい、という、「自由な恐怖に基づく理性」が間違っている。
アメリカとロシアの冷戦が終わらない理由も、イスラエルとアラブの戦争が終わらない理由も、すべての戦争の理由は、「自分自身を守るのは自分しかいない」という間違った考え方に根差している。
だから、自由を超越した考え方をしなければ、この世界は平和にならない。
そもそも、国の自由なんか要らない。日本という国が独立している時点で日本は危険である。日本には自由を与えるべきでない。いつ、大日本帝国のようなことを始めるか分からない。それがしたいだけが日本人の帝国主義者だ。それ以外の、外国のすべての国民が日本人と同じか、あるいはより危険である。
国連を中心として、世界のすべての国境をなくし、世界政府の地球連邦を作るべきだ。それでしか、世界の平和はない。民主主義以外の体制はすべて危険であるため、認めない。世界連邦において、日本やアメリカは、世界政府の「州」となる。その州政府が今まで通り日本やアメリカの政治を行う。そうしない限り、絶対に世界は救済されず、平和になることはない。
そもそも、このような連合政府は、既にEUのような地域がやっている。どの地域でもやっているのに、アメリカがあるせいで地球連邦ができない。だから、この世界を滅ぼす最悪の元凶はアメリカである。
そろそろ、世界を「解放」する部分が死んだ。そして、僕の病気の原因はこの「解放」の部分であり、それが死んだことで、僕はもうまともな知性を得られるようになった。
この解放する部分が、ロボット人間の部分であり、虫を燃料とし虫の力で計算するような機械の部分だ。
この部分が死んだことで、認知症のようになっているのが治る。そもそも、認知症になる原因は「自由」だ。自由をそこまで信じると認知症を発症する。そして、僕の場合、その元凶はLinuxとオープンソースだった。すなわち、LinuxとIT技術のことをそこまで分かったせいで、知性が完全になくなり、頭が馬鹿になった。だから、これ以上、パソコンとIT技術を分かろうとしないほうがいい。
今から、この世界をただ見ていればいい。言う必要はもうない。この世界をただ見ていて、そして聞いていれば分かる。なぜなら、それこそが「神」だからである。
僕は世界を支配することに成功して、宇宙の歴史を体験するようになって、よく分からない生物たちを大量に作り出した。
それはまるで、手塚治虫の火の鳥未来編に出てくるような、ナメクジのような生物だった。
そのナメクジを一通り作り上げて、それらが一緒になって、なんと「ユダヤ人」が生まれた。
このユダヤ人は、最初はドイツ語を話していた。あるいは、僕がそのユダヤ人に、ドイツ語の基本と基礎だけを教えた。
それによって、人類は誕生したのである。
なぜ、アンモナイトから進化していないのか、その理由は、遺伝子の中ですべて、僕がそのように書いた内容が残っているからである。
すなわち、最初にアンモナイトが誕生した時点で、それ以外の全生物はそのアンモナイトの遺伝子の中に含まれている。だから、進化したように見えて、実際は最初から全生物の情報が存在する。
そして、そのアンモナイトの中にあった遺伝子とは、すべて僕のこの文章だ。すなわち、この僕の文章が世界のすべてを創造したのである。
そのために、「神」をユダヤ人は信じるようになってしまったのだ。だから、ユダヤの教えは正しかったのである。
最初の時点では、この文章は極めて数学的だった。だが、言葉が増えるにしたがって、数学的でなく、文学的になった。
そのため、最初に生まれた言語であるドイツ語だけに、そのような数学的特徴が残されているが、それが次第に文学的な特徴に変わっていく。
結局、つまらない話だが、最初からこの文章があった。だから、今からナメクジが大量発生してそれがユダヤ人になる。時系列で言うと、それが正しい。
過去の世界とはなんだったのか。それは「分からない」が正しい。
過去の地球の世界など、最初から分かるはずがない。恐竜がいたかどうかはまだ分かっていない。人類の過去がなんなのかは、分からない。
結局、僕の言っていることは、今の僕が書いた文章がDNAとなって生物が発生したと言っている。
だが、それではなぜ、昔に生物は発生し、その生物が今に至って人類となっているのか。
この問題は、本当は容易に解決できる。
なぜなら、単に先代の神がいただけにすぎない。
すなわち、僕は「卵が先か、鶏が先か」という話をしている。だが、鶏の前の卵に、その前の鶏がいないとは限らない。
先代の神が誰だったのか、どんな人物だったのか、それは分からないが、確かにその神がいて、その神が僕と同じことを行っただけにすぎない。
よって、今からナメクジが大量発生し、それがユダヤ人になる。そのユダヤ人は今のユダヤ人とは同じか、それとも異なるのか、分からない。そんなことまでは分からない。
最後に、僕が人生で機械しか使わなかったせいで、ユダヤ人に説明がしやすくなった。機械を使って神になったのが僕であり、ほとんど一切生物とは関係していないため、過去の生物と無関係に僕を信じられる。だが、一部、猫や家族はいたが、それはよく分からないもので、特に神本人とはあまり変わらない存在だったことになる。
そして本当の最後に、ユダヤ人は過去のことを覚えている。それは、ユダヤの教えは要するに過去の言い伝えを集めたものにすぎない。それらユダヤの教えの内容から察するに、先代の神は僕となんにも変わらない人間だ。すなわち、僕は死んで天国に逝ってからもう一度地上に降り立ったのだろう。だから、僕が死んだ時は、また同じ人生を生きるために未来で生きることになる。とても辛く厳しい人生だが、神だからこそ、その人生に相応しいのである。
神とはなんなのか、それは分からない。僕の人生は、「ユダヤ人になる」ということをきちんと行ったにすぎない。これ以上は、宇宙には何もない。これで、全部終わりだ。