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2024-11-02

再び免疫で治す

そろそろ、僕は、かつて免疫によって治していたのを再びONにして、もう一度精神を免疫で治す。

昔の僕は、精神を治すために、あらゆる精神の変化を学習して、その学習を免疫にすることで精神を治していた。

その結果、脊髄すら治る、どんな病気でも無限に治せる人間になった。

だが、無限に治せるからこそ、いつまでも治し続けて肝心な重要な点が治らなくなってしまったため、いつか、その免疫をOFFにして、それとは別の方法で治す道を探った。

だが、そのような別の道を探るのは、そろそろ終わった。

だから、僕はもう一度精神を治すために、再び免疫をONにする。それによって、僕の精神の中で、治るわけのない不可能な部分すら治る。すべて楽になる。

地理の勉強がしたい

僕は、そろそろ、地理の勉強がしたい。

そもそも、僕は学校の勉強をするよりも、もっと日本のことを知ったほうがいい。

僕にとって生きるために必要なのは、日本のことを知ること、あるいは世界のことを知ることだ。

そして、そのようなことを知るために、もし勉強するとしたら、それは地理だと分かった。

地理は中学生時代に僕が好きだった科目であり、当時覚えた国の名前と首都の名前の関連性は、今でも覚えている。

地理を学ぶことで、農業や工業のような産業が分かるほか、気候や土地の特徴や交通のことも分かる。

すなわち、僕が生きるために必要な学問は地理だと気付いた。

地理はそれだけを学ぶと賢い学問だ。歴史や公民と一緒に学ぼうとするから、地理が馬鹿に見えるのであり、地理だけを純粋に学ぶと、これほど賢い学問はない。

僕は政治経済や歴史についてはそれなりに分かった。だから、地理をもっと勉強したい。僕に欠けている学問は地理である。

家には地理の参考書自体はあるが、昔の時代に買った参考書であり、内容が古いため、新しい参考書を買いたい。

高校以降は世界の地理になってくるため、日本の地理を学びたいのであれば、中学の地理を学んだほうがいい。なので、中学高校の地理の参考書を探したい。

もっと日本のことを知りたい

そして、僕はもっと日本のことを知りたい。

僕はもう勉強は十分したし、昔の青春時代に分かったことも十分分かった。

僕に必要なのは、日本のことを知ることだ。

日本のことを知れば、この世界がどういう世界かということも分かるし、生活のこともよく分かるようになる。

単に日本史を学ぶだけではなく、それ以上の総合的な目的として、日本のことを知りたいと思う。

ただし、テレビは見たくない。なぜなら、僕はテレビを見ているとあまりに精神や心が「虚無」のように辛くなる。だから、テレビとは関係のない領域で、日本のことを知りたいと思う。

もう自分が先頭に立って頑張るのは終わった

そして、そろそろ僕は、もう先頭になって頑張らなくていい。

自分が先頭になって頑張るのは、そろそろ終わった。

これ以上は、僕ではなくみんなが頑張るべきであり、みんながそれぞれ主体的かつ積極的に行動すべきであり、僕はそのサポートだけをするべきだ。

だから、社会の先頭に立って僕が世界を率いていくのは終わりになる。

これ以上、僕は自分自身のために生きる。そして、世界のみんながこの世界を率いていくのを、縁の下の力持ちのように支えるようになる。

悪魔的に心と経験を分かっただけ

昔の僕と同じことが分からない理由、それは本質的に昔の僕がサタンだからだ。

昔の僕は、すべて、悪魔的に心と経験を分かっただけだ。

「すべての人間がそれぞれ正しい」「自由意志を尊重すべき」という考え方のもと、インターネットや不登校の経験を活かしてみんなの分からないことを考えた上で、経験的かつ反省的に、心がいつどのようになるか、社会はどのようにすれば問題を解決しやすくできるか、ということを、悪魔的な「認知反応と心のトレース」と「問題の解決のための正しい判断力」から考えた。

そのような結果、まるでサタンのように、世界のすべてを解決可能になり、また世界のすべてを創造可能になった。

そのすべてはLinuxやオープンソースの理想に基づくものであり、「すべての人間が自由であるような世界」という理想を信じて、僕は悪魔的に人生と宇宙と科学のことを分かったのだ。

キーポイントとなるのは、「精神の実体化」および「科学的に科学を疑う」ということだ。精神がどのような経験をして、単なる理性で捉えるだけではなく、具体的な方法や選択肢から経験と精神の行き着く先を「実体化」して考えた。そして、科学、歴史、人間の知性や知覚ということを、宇宙的な「根源的状態」と「超越的感覚」から疑った。科学そのものを疑うような科学、あらゆるすべての科学をメタ的に成り立たせるような仮説と方法の論理を僕は考えた。

そして、あらゆるすべてを悪魔的に考える僕は、帝国や宗教を否定した。すなわち、あらゆるすべての自由な可能性が制限されず、それぞれの自由な価値観が尊重される世界を目指した。その上で、社会自体が資本主義以外の方法でも成り立つような「オープンソース社会論」を信じ、オープンソースのために活動した。

心理学的に言えば、僕は「客観視」ということと「本能的な正しい感覚や判断」ということを一致させた。すなわち、あらゆる意味で「正しい行動とは何か」「正しいモチベーションとは何か」を考えて、その行動とモチベーションが一致する点を考えた。そこにあるのは「本能的かつ感覚的な正しい判断」であり、それが僕にとって「自然や歴史との感覚的調和」および「革命の感覚的衝動」となったのである。

だが、そうしたすべての僕の哲学は、すべて「サタン」という言葉ひとつで網羅できる。すなわち、大天使ガブリエルは最初から最後まですべてサタンだ。そのようなサタンは運命的に間違った未来を作り出す。すなわち、僕はサタンという人類の究極的な「カタストロフィ」(破滅)へと向かい続け、それを「自由」と呼んだのである。

勉強がつまらない

はっきり言って、勉強はつまらない。

そもそも、地理や歴史が面白い学問だと思っている人は、実際にその勉強をしていない。

実際に教科書や参考書を眺めて地理や日本史の内容を見ると、あまりにつまらない。賢いことを何も教えていない。

だから、僕はこれ以上勉強をしない。

また、テレビもつまらない。テレビを見ていると、ニュース番組では何も報道しておらず、バラエティ番組では芸人がつまらない普通のことをやっている。

明らかに、勉強とテレビが一番つまらない。

最近、僕はJ-POPの音楽をあまり聴かなくなった。レスピーギのようなクラシック音楽を聴いている。レスピーギは心が落ち着いて、不安や心配事を忘れられる。クラシック音楽は素晴らしい。

なんのために資本主義社会で生きるのか分からない

人々は、なぜ、なんのために資本主義社会で生きるのだろうか。

人間が、なんのために、資本主義社会で生きるのか、分からない。

もっと素晴らしい、楽園のように暮らせる社会が、どこかにないだろうか。

資本主義社会はつまらない。こんなに頑張って資本主義社会で生きる意味とはなんだろうか。資本主義社会に代わるものはないだろうか。資本主義社会は、普通の人間が生きる上で、あまりに辛い。

休めるようになった

そろそろ、僕の精神は休めるようになった。

もう、やることは何もなくなった。何もなくなったから、頭の中で神と対話するのをそろそろ治したい。

そもそも、僕は言葉で自分自身に語り掛けているのは、常に自分を驚かせ、それによって世界を驚かせる、ということを行っている。

すなわち、対話というよりは、単に驚きを与えているだけにすぎない。

自分自身の心を騙して、さも驚いたかのように振る舞い、自分自身を驚かせるということを通じて、この世界を常に驚かせている。簡単に言えば騙している。

そして、同時に、僕はそのような自分の言葉にすがっている。ほかに何も分からないから、自分自身を騙すということ自体にすがることで、何も分からなくなっている。

だから、驚かせるのをやめて、すがるのをやめるだけで、神との対話は終わる。