おとめ座の三等星ヴィンデミアトリックスは、西側の資本主義世界と、東側の社会主義世界に分裂した星である。
ヴィンデミアトリックスにおいては、西側と東側に星のすべてが分裂し、西側では資本主義社会、東側では社会主義社会を行っている。
西ヴィンデミアトリックスは、言ってしまえばアメリカや日本のような資本主義国家であり、現代の日本社会とそんなに変わらない。
まず、食べ物が美味しい。食堂やレストランももちろん美味しいのだが、ハンバーガーやポテトチップスのようなジャンクフード、アイスクリームやチョコパイのようなお菓子がとても進歩していて、なんなら一流料理店の料理よりも美味しい。
次に、ものはいくらでも溢れていて、便利なサービスが多い。
ヴィンデミアトリックスでは、西も東もどちらもインターネットが進歩している。西ヴィンデミアトリックスでは、インターネットは今の日本と同じように、サービスを遠隔地から操作するために使う。そのため、西ヴィンデミアトリックスでは、たくさんの便利なサービスを低価格・低コストで利用できる。
だが、西ヴィンデミアトリックスでは、資本家がとてもたくさんの富を持っていて、資本家が金の力で王侯貴族や政治家を兼ねるようになって、資本家による「資本政府」を作るようになった。
すなわち、資本政府においては、金持ちが政治を行い、金持ちが政策を決め、金持ちが法律を作る。金のない貧乏人は、金持ちの作るルールに従わなければならない。
そして、西ヴィンデミアトリックスでは、奴隷制が復活する。すなわち、貧乏人でどうしても生きるすべがなくなった人間は、奴隷として奴隷商人によってひとり3万円ぐらいの値段で売られる。売られた先で、すべての命令に従って、主人に奉仕して生きなければならない。もし逆らえば、「奴隷反逆罪」という罪になり、合法的に殺される。
西ヴィンデミアトリックスでは、すべてが金で決められるため、警察や軍隊は金があるものに従う。すなわち、資本家が金の力で軍事力を持ち、資本家が金の力で治安を維持する。だから、同じような犯罪であっても、資本家の得になるような犯罪は刑が軽くなり、資本家の損になるような犯罪は刑が重くなる。
そして、奴隷の値段は年齢や性別によって異なり、10代の若くて美しい少女のような奴隷は何百万という金で買われるが、50代の老人の男のような奴隷は二束三文でゴミのように売られ、「人間の命の価値は金よりも低い」とまで言われるようになる。
そのような、西ヴィンデミアトリックスに対して、東ヴィンデミアトリックスは、かつての東ドイツのような国である。
東ヴィンデミアトリックスにおいては、インターネットは監視社会のために使われる。東側体制を維持するために、あらゆるすべての機械に含まれる個人データが、インターネットによって自動的に中央政府に送られる。そして、政府に反抗的な考え方を持つ人間は、「反社会的思想罪」と呼ばれる罪になり、強制収容所に送られる。
だが、東ヴィンデミアトリックスにおいては、金儲けでも選挙や投票でもない、新しい社会秩序の維持のための社会制度を、インターネットを利用して実践している。それは「代表業システム」と呼ばれるものである。
代表業システムにおいては、国民はなんらかのひとつの「代表業」に所属する。この代表業は個人の得意とすることや専門知識や経験によって通常はひとつ選ぶが、そのようなスキルや経験がなくても選ぶことができる。代表業は市民あるいは人間を代表するものであり、「職業」に代わるものである。
そして、同じ代表業を持つ人々は、インターネットにおける「代表業議論システム」において、みんなで議論する。この代表業議論システムは、「国民代表会議」と呼ばれる。国民代表会議において議論したことが、そのまま国の政策になり、同時に自らの代表業が会社員や公務員のような職業に相当し、会社や消費などの経済を動かす。
そのようにすることで、東ヴィンデミアトリックスにおいては、金儲けでも選挙や投票でもない、「第三の社会秩序の構築方法」を実現したのである。
このほか、東ヴィンデミアトリックスにおいてはほかにも優れた点がある。それは「人権擁護」の立場に立ってすべての政治が行われることだ。すなわち、国家が国民を犠牲にしたり、人権を無視して奴隷にしたり、誰かが誰かを殺したり、強いものが弱いものをいじめたり虐待したり、といったこと一切が禁止される。そのため、東ヴィンデミアトリックスでは死刑が存在せず、軍隊も持たず、差別的な言論やヘイト行為も存在しない。国民を監視する技術が進歩したのは、軍隊を持つことなく治安を守るために、インターネットを使った監視技術を積極的に導入したからだ。
そのような東ヴィンデミアトリックスにおいても、政府を批判することは許されない。なぜなら、「政府を批判するような言論は社会的テロ行為であり、人民に対する人権と平和の侵害である」という宣言が行われる。そのため、あらゆるすべての人権が全員に自由に認められながらにして、政府を批判するということだけが絶対にできなくなる。それが東ヴィンデミアトリックスの「人権の尊重」である。
おとめ座の三等星ヘゼは、資源がなくなって人類が絶滅の危機に瀕している国である。
ヘゼにおいては、かつては地球の日本と同じように、石油燃料や天然資源をいくらでも使った、環境を破壊してでも資本主義経済を進歩させるような時代があった。
だが、その時代が300年ほど続いて、石油や天然ガスのような地球にもともと存在していた資源は、何もなくなって、枯渇してしまった。
自動車を動かそうにもガソリンがなく、電気を使った機械を動かそうにも、火力発電所で使う原油や天然ガスがないため、電力を使うことができない。
そのため、へゼの人類は文明社会を生きることを諦めた。へゼの人類は、文明的な生活を放棄し、古代のような昔の生活、あるいはアフリカの黒人のような原始生活を行って生きている。
また、へゼでは、かつての栄華を誇った時代の資本主義経済による、自然環境の破壊も深刻である。
ヘゼにおいて、川は現在の地球における自然豊かな生物のたくさん存在する川ではない。コンクリートの上に何も含まれていない無色透明の水が流れるような、用水路のような川ばかりになってしまった。
そして、現代の地球の問題とされている「海洋プラスチック汚染」をさらに超えた、「海洋ゴミ汚染」や「海洋化学物質汚染」により、海の生物たちはとても食べられるようなものではなくなってしまった。
そのようなヘゼにおいて、大発生した生物種がある。それは昆虫である。
すなわち、魚類や哺乳類や爬虫類や鳥類がいなくなって、自らを捕食する捕食者がいなくなった結果、生命力の強い昆虫が極めて大量に発生し、まるで「へゼという星の新しい主役」のようになってしまった。
ヘゼにおいて、人類は古代のような昔の社会に戻ったり、あるいはアフリカの黒人のような原始生活をしながら、昆虫食によって生き長らえているが、実際は人類は絶滅の危機に瀕しており、ヘゼにおける生物の主役とは言い難い。ヘゼにおける生物の主役は昆虫であり、いずれ植物以外には昆虫あるいは昆虫から進化した生物種しか、ヘゼにはいなくなるだろうと言われている。
はっきり言って、結局、この世界は金儲けだ。
金を稼ぐことがチャンスであり、金儲けをすることが正義だ。
僕が日本のことが分からず、一般常識のことを何も知らないのは、社会主義を信じているからだ。悪のような経験しかできなかったのも、すべて社会主義を信じているせいだ。
昔はそうではなかった。昔は自由が好きで、支配者が嫌いで、それぞれの人間の多様な価値観を信じながら、金儲けはよいことだと信じていた。
社会主義を信じてテレビを打ち倒す革命家のようになってから、すべてがおかしくなった。
だから、もう一度金儲けを信じたほうがいい。金儲けは正義であり、国民を豊かにし、生活を楽にするのは、社会主義の革命ではなく、資本主義の金儲けだ。
今日はX(旧ツイッター)に、デザイナーになりたいと思う苦悩のような気持ちを書いた。
実際、僕のような人間がデザイナーになんかなれるはずがない。絵も下手だし、努力もできないし、才能もない。こんな人間をデザイナーであると呼ぶことが嫌いだ。
それでも、僕はほかに、何かやりたいことがあるわけじゃない。何もやりたいことがないのに、デザイナー以外になれるはずがない。
だから、デザイナーになれるわけがないのに、ほかにやりたいこともなく、日々を単にやり過ごしていくだけで、時間だけを無駄にしている。何もできないままで人生が終わってしまう。
結局、結論としては、絵をきちんと練習して、上手くなるしかない。ただし、それは簡単なことじゃない。僕にとっては乗り越えることが不可能な壁かもしれない。
あるいは、別にやりたいことを見つければいいのは分かるが、人生においてできるようなことはもう全部やった。そして、それはそれで満足した。
詩人である僕の唯一の愉しみは、詩や小説をこの日記に書くこと。それしかないのだから、それを楽しみながら、目的ばかり追いかけるのではなく、今の自分の見ている世界を楽しみたい。
そして、今の自分ばかり考え続けるのではなく、もっと世界のことを見たいと思う。