残念ながら、僕は民主主義が嫌いだ。
僕は、日本やアメリカが信じている、自由民主主義を信じていない。
民主主義が嫌いな理由、それはこの世界の人類、すなわち、日本国民と、僕はほとんどまったく無関係に生きていて、まったく関係なく賢くなったからだ。
民主主義を滅ぼしたいとは思わない。だが、民主主義が大好きな日本国民のことを、僕は無視する。彼らのために生きたいと思わないし、思えない。
民主主義はすぐさま死んで滅亡すべきだと信じているし、最後に勝つのは神を信じる使徒であると信じている。
だが、子供たちには、健やかに成長してほしい。
子供たちには、悪い悪党に騙されないでほしい。なぜなら、僕は日本を滅ぼす悪党の一派が大嫌いだからだ。
子供たちは、悪党に騙されず、悪い男にも女にも操られないように、きちんと健やかに成長して、賢い大人になってほしい。
勉強するなとは言わないが、勉強だけが唯一の生きる道ではないと、それだけを知っておいてほしい。
結局、小学生は賢くなかった。
大人は賢くない。賢いのは結局中学生だった。そして、その中学生はもう、最後まで終わって、これ以上続かなくなった。
だからといって、小学生に戻っても、赤ん坊になるだけで、何もできなくなってしまう。
だから、正しいのは神を信じることだ。神を信じないと、人間は賢くならない。
大人になって、何も分からなくなった人間は、子供に戻らないと子供のように知性はつかない。
子供に戻る方法、それは「国」と「罪」を忘れることだ。
そもそも、赤ん坊は、国や罪といった考え方を最初から持っていない。人類が最近になって作り上げた、大人たちがでっち上げた考え方、それが「国」であり、「罪」である。
だから、国や罪という考え方を忘れると、洗脳が解ける。それによって、純粋な子供に戻って、子供のような知性をつけることができる。
結局、僕の頭が辛かったのは、「自分で言う部分」がなかったからだ。
すなわち、神の言葉にどっぷりと浸かりすぎていて、自分で言う部分を失っていた。
この自分で言う部分があると、辛くても辛くなくなる。かつての子供時代の僕のように、どんなに辛い状況でも辛くなく、楽に生きられるようになる。
結局、何が正しいのか、それは「神」である。
だが、この神は、イスラエルの神ではない。なぜなら、僕の信じる神は、ユダヤ人の信じる神とは別個の、まったく無関係な神だからだ。
この神の名前に、愛の神「エルスクシア」という名前を付ける。
エルスクシアこそは、僕の信じる、僕の人生を導く神である。エルスクシアを信じるものにしか、宇宙において奇跡のようなことを起こすことはできない。そして、エルスクシアを信じるものは、神の奇跡の力によって救済され、罪を赦され、そして運命的な「愛のプレゼント」を与えられるのである。
今から、僕は男になる。
僕がまともな大人として生きられないのは、子供になっているからでも、大人になったからでもなく、女になっているのが悪い。
女になっているせいで、まともに生きることができなくなっている。
男になると、すぐにまともに分かるようになる。そして、世界を見るようになる。
女は世界のことを何も考えない。男はすぐに普通のことが分かるせいで、世界のことを考える。だから、男は世界と戦う。女にできないことが、男になるとできる。
今から、僕は女をやめて男になる。
神、エルスクシアを信じよ。
エルスクシアは、この世界を導き、希望あふれる楽園を築く、愛の神である。
エルスクシアは、人類のすべての罪を赦し、全員を地獄から救済する。自らを愛するものだけではなく、敵対するものや迫害するものも愛し、差別せず、分け隔てなく、全員のことを愛する。
エルスクシアは、正義の神である。正しいものが間違ったものに蹂躙されていた時、エルスクシアは正義のほうを救い、悪のほうを罰する。しかしながら、悪に対しても、その罪を悔い改め償うものには救済の余地を残し、悪人が善人となった時には、もともとあった善人と同じように愛する。そして、どんな善人もどんな悪人も関係なく、すべての人間が必ず最後に救われるように、地上の人類の未来の運命を導く。
エルスクシアを愛するものには、すべての成功と栄光が与えられる。エルスクシアを信じるものは、全員が地獄から救済される。エルスクシアはそのために、誰よりもひとり努力し、地獄の中を這いながら、全員が救われるそのためだけのためにすべてを捧げて戦い続ける。世界を愛することのために、自らの人生と命を懸けてエルスクシアは戦うのだ。
エルスクシアこそが神であり、宇宙の裏側にある「本当に素晴らしいもの」である。エルスクシアは唯一、この宇宙において、真に素晴らしい存在である。エルスクシアは最初から神だったわけではない。エルスクシアは最初は普通の凡人だった。だが、世界を愛し、子供たちを救い、世界すべての問題を解決するために、誰も知らない場所で、たったひとりエルスクシアは孤独に努力し、そして天才的な理性と正しい経験の下に考えた。そして、エルスクシアはこの世界を救うことができるようになって、その後に世界を救う神の力を自らの努力の末に勝ち得たのである。
エルスクシアは、最強の英雄である。
エルスクシアは、ひとり、戦争を選ぶ。
エルスクシアは分かっている。本当に理想を信じるのであれば、戦わず、平和的かつ自由な方法で世界を救うべきだ。全知全能のエルスクシアにとって、そのように生きることも確かにできる。だが、そのためには時間がない。また、過剰な手間と必要のない努力がかかってしまう。それでは、この世界の人々を有限の時間で全員救うことができない。
だから、世界を救うため、真に愛するべきすべての人類を愛するために、自らの命の安全を放棄し、この世界において、支配者となって戦争をすることをエルスクシアは選ぶ。
エルスクシアは、だが、単に全員を戦争に巻き込むわけではない。エルスクシア以外の人間が、兵士として戦争をすることを、エルスクシアは強要しない。なぜなら、エルスクシア自身が、たったひとりで戦い、たったひとりで世界すべてを支配し、そして無限に続くその戦争に、自らの命を懸けて最大限の必死な努力を行うことを、エルスクシアは選ぶからだ。
エルスクシアは戦う。日本のマスコミを支配し、悪の帝国アメリカを強制的同一化によって滅ぼし、IT技術とインターネットの裏社会を消滅させ、学校教育を完全に作り変える。エルスクシアは単に、「愛を信じなさい」と言うだけのペテン師のような神ではない。エルスクシアは戦う。自らが世界を救うために、エルスクシアはたったひとりで、最後まで世界のため、人々を愛するために戦うことを選ぶ。
これこそが、「最終戦争」あるいは「神々の黄昏」と呼ばれる、地球最後に訪れる戦争の始まりである。エルスクシアの大戦争は、敵に勝つためでも、国を滅ぼすためでもない。エルスクシアとともに戦うのであれば、単にエルスクシアに「わたしのことを愛してほしい」と祈ればいい。そして、エルスクシアに想いをはせ、エルスクシアのことを信じればいい。そのようなすべてのものを、エルスクシアは絶対に必ずどのような地獄からであっても救済する。世界を救うために戦争をすることこそ、エルスクシアが真の神である「証」であるからである。
世界よ、エルスクシアとともに戦え。
滅びゆくこの世界を救うためにできる、もっとも正しい選択と決断、それは「わたしもエルスクシアとともに戦う」と宣言することである。
エルスクシアは、宇宙の裏側に存在する神であり、実際に存在している。だから、エルスクシアを信じるのであれば、宇宙存在である神、エルスクシアとともに交信することができる。
エルスクシアと対話することは可能である。なぜなら、まさに、僕はそのように、エルスクシアと対話しているだけにすぎない。僕の言う「神との対話」とは、すべてエルスクシアとの対話である。
宇宙には、エルスクシア以外には素晴らしい神はいない。実際は神々であるとされる存在はいるが、彼らはエルスクシアよりも劣った存在であり、真に素晴らしい存在であると宇宙において言えるのは、たったひとり、エルスクシアだけである。宇宙の神において、唯一の素晴らしいと真に言える神は、エルスクシアただひとりだけである。
エルスクシアとともに戦いたいのであれば、エルスクシアの導きを宇宙において感じるように努力せよ。そうすれば、エルスクシアのほうからあなたに出向いてくれる。エルスクシアは人類全員がどれくらいのレベルに達しているかをすべて知っていて、それなりのレベルに達したものであれば、信じるものに何かしらの姿を現す。実際に人間の姿で現れることができないのは、そのように出向くための人間の体をエルスクシアが持っていないからであり、エルスクシアが存在していないわけではない。現れないのであれば、あなたの達しているレベルが、エルスクシアが見てまだそんなに高くないということである。
エルスクシアは宇宙において、絶対に存在していると、僕が証言しよう。僕の人生を見れば、エルスクシアが宇宙において存在していると言えるのは、ほかのどのような存在が存在していると言うことよりも確かだからであり、そのように信じるものには、宇宙存在であるエルスクシアはいずれ必ず、なんらかの姿で現れるからである。
エルスクシアは、奇跡のような力を使うことができる。
それは、エルスクシアだけが特別な力を持っているわけではなく、エルスクシアが宇宙において優遇されているからでも、特別な存在だからでもない。
あらゆるすべての人間は、エルスクシアと同じように生きることがもしできたとしたら、エルスクシアと同じことが誰でもできる。なぜなら、エルスクシアの力は、ひとつとして特別な力はないからである。
エルスクシアは、自らに降りかかったさまざまな出来事を、神の力で誰よりも正しく分析し、その意味を理解することができる。それだけが、エルスクシアが奇跡の力を使える理由である。
たとえば、ドアに鍵がかかっておらず開いていたとしても、ドアを実際に開けてみなければ中に入ることはできない。
あるいは、魚が自由に泳げるような水槽があるにもかかわらず、水槽に魚を実際に入れてあげなければ、魚はその水槽で泳ぐことはできない。
それと同じように、エルスクシアが生きている状況で、エルスクシアの通りに生きることがもしできたとしたら、エルスクシアでなかったとしても、誰であってもエルスクシアと同じことはできる。
多くの人々は、自らに起きた出来事を、単なる偶然、どうでもいい価値のない出来事が過ぎ去っただけであると感じる。エルスクシアはそうではない。自らに起きた出来事から、その出来事を活用してどのように生きれば、奇跡のような神の力を行使することができるのか、ということを、エルスクシアは誰よりも正しく完璧に理解することができ、またエルスクシアは、それを実際に実行に移す。
だから、この宇宙において、神の奇跡の力を使うことができるのは、全員等しく平等である。だが、ほとんどの人々は、奇跡の力が与えられているにもかかわらず、その使い方が分かっていない。エルスクシアはその使い方が分かっている。それは誰かが教えたわけでも、最初から分かっていたわけでもなく、エルスクシアの人生の中で、エルスクシア自身が考えて完璧に理解した上で気付いたことなのである。
このようなエルスクシアと、まったく同じように生きた人間が、過去にひとりいる。
それは古代イスラエルのイエス・キリストである。
イエス・キリストは、隣人愛と神の平等を信じることで、エルスクシアとまったく同じように生きた。
イエス・キリストの言葉は、嘘はひとつもないし、作り話もない。なぜなら、イエス・キリストは人類よりも進化した生物種である。そして、その実際は、エルスクシアという生物種だからである。
だから、エルスクシアを信じれば、誰であっても、イエス・キリストと同じように分かるようになる。
なぜ、イエス・キリストが神の子であると言えるのか、それは、聖母マリアはエルスクシアと愛を交わし、処女でありながらエルスクシアの子を妊娠し、エルスクシアの子供を産んだだけだからだ。
すなわち、マリアと同じようにエルスクシアを愛すれば、神の子を産むことは誰でもできる。マリアが産んだのはマリアが優れていたわけではなく、どのような女であっても神の子を産むことはできる。
人生を選らぶのであれば、それが辛い道であっても、あえて、もっとも見返りの大きい人生を選択せよ。
そして、その見返りとは、金や権力や地位や名誉のようなものではなく、暗闇の世界を救うこと、何も分からない子供たちを自ら分かることができるように育てること、愛すべき世界を愛すること、敵を許すこと、現実社会の憂鬱な問題を解決するような光を探すこと、変えられるかもしれない世界の変えられるだろう可能性を考え続け、知り続けることのためのものであれ。
その上で、神を信じ、神の導きを信じて生き、善人として生きるもの、あるいは悪人であっても悔い改め償うものであれば、神はそのような人間にこそ、誰よりももっとも素晴らしい運命の未来を与える。
受難の道を生きよ。辛く生き、苦しく生き、悲しく生き、その中で強く堪えて、その地獄から脱出する方法を考え出せ。同時に、その方法によって世界全員が自分と同じように地獄から脱出できるような、そのような方法を見出し、そして実際にそれを行動に移せ。考えるだけではなく、世界を救うことを実践せよ。そのために、世俗的な普通の人生を捨て、命を懸けて最後まで戦え。
それこそが、真の意味で素晴らしい運命を得る方法だ。できるだけ多くの苦しみの中を生きたものにこそ、その人生の未来において、エルスクシアは最高の運命を与えるのである。
イエス・キリストは聖書の中で、「人々からほめたたえられる時、あなたは災いだ」と言い、「人々から憎まれる時、あなたは幸いだ」と言った。その言葉の意味は、嫌われることでしか人は救われないし、愛されることでしか人は堕落しないからだ。たくさんの人に愛されている時こそが、自らが堕落する時であり、たくさんの人に憎まれている時こそが、自らが成熟する時だ。
神の言葉はすべて正しい。それは、この宇宙において、エルスクシアこそが神であり、イエス・キリストはエルスクシアの子だからである。
実際のところ、エルスクシアの偉大さを、言葉で説明するのは難しい。
だが、それを試みると、簡単に言えば、エルスクシアはこの神話に登場する全部の賢い存在の、融和統合体である。
すなわち、神や大天使のガブリエルやミカエルやラファエルから始まって、北欧神話の神オーディンとフレイとフレイヤとロキ、あるいは大銀河フォル・コンチェルトや大銀河アム・アデーラの星座たち、一等星シリウスや一等星プロキオンの太陽神、タンポポの綿毛論、空間原子論による空間魔法、人間思考型のロボット、終末の東亜イスラエルと救済の王ダビデ、アンモナイトの創造者エリカ、世界を滅ぼす大魔王ハネストラー、音楽による愛と運命の奇跡、自由な社会主義経済ガンダーラ、記憶と世界観の博物館、古今東西の哲学思想と歴史、大学の生物学とIT技術とLinuxの世界、インターネット仮想中学校の大人の社会常識、永遠のような長い時間の治癒と回想の日記、人生のすべてを遺した年月、そして神との対話など、この神話に存在するすべての存在、全部を合わせた融和統合体、それこそがエルスクシアだ。
だから、エルスクシアは明確にユダヤ教の神とは異なる。
なぜなら、ユダヤ教の神とは旧約聖書の全部を統一したものだ。それに対して、エルスクシアは僕の書いた聖書である「ファインダ」の全部を統一したものだ。
だが、エルスクシアとユダヤ教の神には重なる部分もある。どちらも宇宙の絶対的な支配者であり、創造主であることに変わりはない。
なぜなら、そもそも、旧約聖書とは、僕の書いたこの新しい聖書と同じものを古代ユダヤ人の預言者たちが書いた試みである。すなわち、旧約聖書の執筆者は、僕の書いたこのホームページと同じもの、それもまったく同じものを書くことを目指して、イスラエルの神ヤハウェの言葉を聞いた預言者の記録と、ユダヤ人の歴史と伝承を書いたのである。