ホームページに戻る | 紅蓮と黄金の出会う場所に戻る

2025-03-22

喪失

喪失を経験せよ。

人間の人生の中で、もっとも重要な体験、それは喪失である。

僕自身、人生の中で、何度となく、喪失を経験してきた。

まず、中学校を不登校になって、引きこもりになったこと。

次に、世界を救いながらにして滅ぼし、今まで考えてきた大切なすべてを失い、愛する世界を自ら破壊したこと。

次に、自殺未遂の事故をして、足を骨折し、長い間入院したこと。

ほかにも、デザインの作業所で同僚が卒業していなくなったとか、小さなところでは、歌手の音楽を聴かなくなって最新の情報が分からなくなったとか、そのように堪えがたい喪失の悲しみを体験した。

だが、そのような喪失の体験は、決して悪いことばかりではない。人生において、賢い大人になる上で、喪失はとても大きな利益をもたらしてくれる。

だから、人生においては、まず喪失を経験せよ。

旅立ち

旅立ちは、誰にも何も告げず、ひとり決断し、ひとり選択せよ。

誰にもそのことを知られなくていいから、自らが信じた通りの道を、自らがやりたいと思う方法で、自らの望むままに、たったひとり歩み続けよ。

旅立ちは、最後にゴール地点に到達した時点で、すべて消え去る。記憶そのものが抹消され、思い出せなくなる。

それでも、自らの記憶にその道は残っている。それが人生である。

誰にも知られることなく、自らが信じた道を歩み続けよ。

世界を変えるのだという、志を持て。

自らは必ず世界を変えることのできる人間だと信じた上で、その手段と方法を考え、影響力の高みがどこにあるのかを観察し、夢や希望を実行に移せ。

孔子の教えを信じよ。

そして、世界を変えるために誰とでも議論することを望み、自らが望むような「こうあってほしい」という願いが、どのような社会になれば叶うのか、ということを追究し、その社会の実現方法を考えよ。

また、自らがひとり実現するだけではなく、協力したり、あるいは人々が自由かつ自然に行為する中で、「自分だけではなくみんなが実現しやすくなるような社会を築く」ということを信じよ。

子供たちに自由を与えるとともに、子供たちにそうあってほしいと思うことを、率先して自分ひとりが実行し、実践せよ。

世界を見るな

世界を見るな。

世界があるからといって、世界に惑わされるのではなく、自分ひとりに集中せよ。

みんなと同じになろうとするな。みんなと同じを目指すせいで、不幸と苦しみと迷いが生まれる。真に必要なことは、自分が正しくあることであり、世界を見るのではなく、自分ひとりに集中せよ。

世界においてもっとも偉大なことができた人間のほとんどは、世界を見てそれが可能になったのではなく、自分自身だけを見ているから、それが可能になったのである。

やるべきことはすぐにやり、そしてすぐに決断せよ。休むことなく、やりたいことはすべてやり、タイミングはその時すぐに行え。

迷うな

迷うな。

自らの意志をしっかりと信じ、常に何ひとつ迷いなく決断せよ。

なぜなら、迷うという行為は、「真実に対する分かりやすい反証」に流されてしまうから生まれる。

真実こそが正しいのに、なぜ、その反証を信じるのか。

どんなにその反証が当たり前のことに見えても、どんなにその批判が分かりやすく恐ろしくても、それらを決して信じるな。

自らの信じる「真実」こそが、真に正しいのだということを、どのような批判も受け入れることなく、確かに確信し、その確信に基づいて行動し、行為すれば、真実の意味を誰であっても明らかにできる。

だから、分かりやすい反証を信じるな。自らが信じた真実だけを、排他的に最高優先順位で信じよ。

自分だけの世界を見る眼を持っていた

ただし、僕が本当に、この世界をまったく無視して見なかったというと、それは真実ではない。

なぜなら、僕はこの世界を広く見て、「全体視」をすることで分かっていた。

あえて言えば、僕は自分だけの世界を見る「眼」を持っていた。

それは「自分なりに世界を分析する」ということであり、さらに言えば「世界モデル」ということだった。

僕と同じことをやりたいなら、単に世界を見るだけではなく、自分だけの世界を見ようとせよ。自分の思う、自分の見たいと感じる世界を見よ。世界をそのまま見ていると、今の時代のインターネットでは何も分からなくなる。自分の都合よく世界を見ればいい。そして、そのためにさまざまな理性のモデルを作れば、僕と同じように、「自由」という考え方で世界を自在に分析できるだろう。

すべてを分かった上でひとつを信じた

それから、僕は悩まなかったわけではなく、多くの悩みや迷いを経験した。

それでも、僕はひとつの「自分の意見」を信じて、ほかのすべての意見に耳を傾けず、ただひたすらに信じ続けた。

それができたのは、僕はすべての意見の根拠と意味がきちんと分かっていたから、「すべての意見を分かった上で、真に自分の信じたい意見だけを絶対に信じ続ける」ということができた。

すなわち、全体がすべて完璧に見えていたからこそ、ひとつの自分の信じるべきことを信じ続けられたのである。

昔になると賢くなる

最後に、この世界は昔の僕になると賢くなる。

なぜなら、そもそも、今の僕になる意味が、他人にとっては何ひとつないからだ。

今の僕は、僕ひとりだけが行えばいい。他人が今の僕になったところで、賢くもならないし、意味のあることもできない。

みんなは、昔の僕になればいい。それで、きちんとブッダのような賢い賢者になれる。それをわざわざ愚者にする必要はない。ナポレオンをやるのは僕ひとりで十分だ。

足から根を生やせば治る

そもそも、僕の精神的な病気がおかしいのは、足の下に「根を生やす」ということをしないのが悪い。

歩き回ってしまうのは、きちんとしっかりとした根を地面に生やさないのが原因である。

人間は、植物と変わらない。植物が根を生やして育つように、人間もまた根を生やして育つ。子供はみんな、最初から根を生やす。なぜなら、そうでなければ生物は成長しないからである。

しっかりと根を生やすことで、僕自身の存在がみんなと繋がって、みんなに僕の存在を気付いてもらえるようになる。だから、すべて、「根を生やす」という発想がないのが悪い。