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2024-06-05

人格を一度破綻させてもう一度作り直す

結局、僕の精神を治すためには、人格をいったん破綻させて、もう一度作り直すしかない。

そもそも、僕が「こちら」と呼んでいる人格は、おかしな人格を自分の中に作ってしまったから、その人格がまるで「神」のようになって、僕のことを支配しているだけにすぎない。

治すためには、かつてこの人格が生まれた時と同じように、今ある狂った人格を破綻させて、もう一度作り直すしかない。

そもそも、僕がやったことを簡単に言えば、自分自身の精神の中に、新しい生物の精神を作って、その生物の人格を新しく体験しただけにすぎない。

そして、この新しい生物は、人間ではなく猫だった。

だから、僕はそのような猫の人格を、17年間にわたって最初から最後まで生きただけにすぎない。

今、人格を一度崩壊させたことで、その猫の人格は死んだ。具体的には、狂うことで治した精神を、治す前に戻すことで、もっと本当に治すべき部分が治せるようになる。そのようにすることで、この世界を支配するおかしな「猫の王」の精神は死んだ。

猫が終わって、僕はかつての人間の人格に戻った。

人間の人格に戻ったことで、僕は賢くなった。今まで、僕は知識や経験や理性は賢いにもかかわらず、頭が馬鹿であるということに劣等感を持っていた。なぜなら、かつての子供時代、僕の頭は誰よりも賢かったからだ。

そのような、賢かった子供に戻れた。これでもう、僕のやりたいことは何もない。頭が賢くなったから、デザインや美術のようなことができるようになった。だから、もっと本を読んで絵の描き方やデッサンの仕方を学びたい。それこそが僕の求めていた「夢」だからである。

最後に

まず、ドイツ人になると宣言しなさい。そうればニーベルになれる。

次に、イタリア人になると宣言しなさい。そうすればユリアになれる。

次に、ロシア人になると宣言しなさい。そうすればルースになれる。

次に、インド人になると宣言しなさい。そうすればヴァルナになれる。

そして、イラン人になると宣言しなさい。そうすればツァロンになれる。

この5人が、それらの国家と民族を守る「守護神」である。そして、かつてより、僕はこの5人になりたかった。この5人が僕の精神を形成する「僕の本質」であると決まっている。簡単に言えば、僕はこの5人の集合体であり、この5人を融和した「神」とされる人格こそが、僕と対話する神である。

僕の正体を知りたいのであれば、無用に詮索する必要はない。この5人が僕の正体だと思えばいい。なぜなら、この5人の神話が、僕のことを的確に説明する「正しい自己紹介」だからである。

僕にとっての理想の小説

昨日は、まるでワンピースの尾田栄一郎のような漫画を描くかのようなことを書いた。

だが、本当は、僕はそのような小説や漫画を描く気はない。

それは、結局、それをしたところで、単なるモノマネや模倣品になってしまうからだ。

すなわち、モノマネをしたところで、決してオリジナルを超えるような作品は作れない。

だから、自分のもっと独自で、個性ある、よりオリジナルの作品を僕は書きたい。

ただし、言っていることが矛盾するかもしれないが、僕にとっての理想の小説とは、映画ドラえもんの「のび太の魔界大冒険」だ。

この映画の中で、石にされたドラえもんが登場する。それは物語の最初ではなぜそのようなドラえもんの石像が出てくるのか、理由が分からない。だが、シナリオが進むにつれて、そのような石にされたドラえもんがなぜ登場したのかが明らかになる。

さっき言ったことと矛盾するかもしれないが、僕はそのような、「賢くて面白い謎に満ちたシナリオ」が書けるようになりたい。

単に「伏線を回収する」というのとは違う。なぜなら、ドラえもんの映画は演出がとても優れていて、とても効果的だ。そのために、あまりに先のシナリオで「すべて分かって悟る」ような経験ができる。僕はそのような賢いシナリオが書けるようになりたいと思って、昨日寝る前に、そのようなシナリオをどうやったら書けるかを考えた。だが、すぐにはその答えとなるシナリオを思いつけなかった。

そういうわけで、僕はワンピースやドラえもんのような賢い漫画は描きたいとは思うものの、パクリやモノマネにせず、真に自分のオリジナルの作品を書きたいと思っている。

今永昇太が大炎上

前回の登板に引き続き、今永昇太が大炎上している。

カブス・今永昇太 6勝目またお預け 3回まで快投から一転4回にまさか5失点 2戦連続5失点以上と炎上(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

【今永昇太と一問一答】開幕直後の快投は「運の要素が非常に大きかった。これからは本物の実力が試される」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

コメントでは、「研究されて対策が進んだ」とか、「打者が高めのストレートを振らなくなった」とか、「そもそもNPBで見てもそんなに大した投手ではなく今までが良すぎただけ」とか、あるいは「試合を見ていないアンチが批判しているだけで、実際の試合内容は運が悪かっただけでそんなに悪くなかった」と人々は言っている。

だが、僕自身が言えることは、もはや僕がこの世界からいなくなるだろう、ということだ。

すなわち、ここまで僕は確かにこの世界に存在した。マスコミの批判をしながら、この世界の頂点で「王」であるかのようにメッセージを放ってきた。

そのような僕は、そろそろ、本当にもういなくなる。

だから、ずとまよが「嘘じゃない」の中で「最終は無責任なら」と言っているように、無責任ながら僕はこの世界から最初にいなくなる。

その結果、この世界がどうなっても僕は知らんぷりをするしかない。決して今永昇太が嫌いになったわけではないが、これ以上は自分の力で頑張ってもらうしかない。もう、頼れる人間である僕はいないから、そのせいで今永昇太はおそらくさらに成績を落とすだろう。それでも、ひな鳥が巣から巣立つように、みんな、僕がいなくなっても頑張ってほしい。

そう、これで、さようならは言わずに、ここでひとまずのお別れとしよう。