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2025-08-01

精神が発散できなくなっている

結局、僕の精神がおかしい理由は、過去に作った精神が中途半端に発散できなくなっているせいである。

この「発散」とは、たとえばストレスを発散するのと同じである。ストレスがたくさん溜まると、精神が辛くなる。ストレスを発散すると、精神が楽になる。

僕の精神は、過去に発散したかったにもかかわらず、発散することができなかった、中途半端に発散できず途中のままになった精神が、いつまでも発散したいと望み続けて、おかしく狂っている。

あるいは、やり切ればよかったにもかかわらず、最後までやり切ることができず、中途半端に残った精神がおかしくなっている。

これは「抑圧が無意識の中に溜まりすぎた」ということである。それは過去の精神がおかしくなった最初の時点だけを治そうとしても治らない。その後に作ったすべての発散できなかった精神が、溜まりに溜まっているからである。

過去の治し方の問題は、僕はそのような発散できない精神を「抑えつける」ことで殺そうとした。だが、発散したい精神をいくら抑えつけても、さらに発散したいと望むだけだ。だから、過去の治し方を変えて、純粋にそのまま発散し終えるようにすれば、僕の精神はすぐに治る。

神との対話をやめる

そして、そろそろ、僕は「神との対話」と呼ばれる、おかしな対話行為をやめたほうがいい。

この対話行為をやめるためには、人格そのものを治す必要があり、そのためには足ではなく頭を治す必要がある。

言葉で分かろうとしないほうがいい。言葉で分かることなんかでは宇宙のことは何も分からない。「人間の言葉で宇宙のことが分かる」と誰が決めたのか。誰も、言葉で宇宙が分かるなどと言っていない。

物理も同じだ。誰が、「物理で宇宙のことが分かる」と言ったのか。物理では宇宙のことは何も分からない。

もう、神への信仰はやめたほうがいい。ここでやめなければ、一生死ぬまで対話が続いてしまう。それではつまらないだろう。