知性を付けよ。
知性を付けるとは、そのような原因であれば、そのような結果になるだろうと、原因と結果から考えて、結果を予測することだ。
そこにあるのは、「そのような原因であれば、同じ条件において行った時、必ず同じ結果になるだろう」という、法則性を考えることだ。
あるいは、法則において、そのような法則性を示す特徴や特性を覚えるということであり、それは「パターン」と呼ばれる。
そして、そのような法則性を利用して、そのような結果になるだろう原因を与えることで、積極的にそれを「実現」すると考えよ。それを「実現可能性」と呼ぶ。
そして、法則そのものの裏側の原理を解明せよ。法則から仮説を立てて実験し、再現性を確かめることで、ひとつの「原理」と化して、その法則性の裏側にある原理的な説明を行い、法則を「解明」せよ。
人生を生きる上で、まず、二律背反から考えよ。正の命題と反の命題のどちらかが正しいかを経験から想定せよ。そして、経験をさらに深める上で、むしろ正も反もどちらも間違っており、その裏側にはより異なる「次元の高い真の命題」があることに気付け。
そして、そのような自己批判を繰り返す中で、世界すべてを貫く「統合原理」を導き出せ。すなわち、世界のすべてのことを完全に解明するような、ひとつの完成された「統合的な原理」を作り出せ。
その上で、この世界のすべての存在を、「存在の元となるような命題と意識」へと変換せよ。すなわち、その具体的な存在は、存在というよりも「原理に基づく可能性と結果のひとつにすぎない」とし、すべての世界にあるものをひとつの統合原理へと収束・回帰・還元させていけ。
そこにあるのは、「世界のすべてはひとつの原理によってすべて作り出せる」という「根源的な統合原理」である。
最終的に、それは繰り返し同じことを分かるだけの「絶対原理」になる。なぜなら、一度証明した公式が何度であってもどのような式にも利用できるように、一度解明した統合原理は何度であってもどのような場合においても適用できる。一度作った原理、一度解明した原理を、何度であっても再利用せよ。
最後に行き着く執着地点、それは「絶対経験」と「絶対知」である。すなわち、「どのような場合であっても矛盾せず、世界すべての理由と原理が完全に解明された状態」に至る時、「あらゆるすべては矛盾せず並立で成り立つ」ということが言える。それが「絶対知」の境地であり、そこに存在する自らの経験こそが「絶対経験」となり、その絶対経験そのものが世界を変える「世界変革の原動力」となる。
この世界は、考え方から如何様にも分析することができる。
宇宙に存在するのは物体である。物体を単に「もの」であると考えるだけでなく、物体すべてに一般的かつ抽象的に成り立つような法則性と特徴を見出せ。すなわち、「ものには形と色と大きさがある」といったように、すべてのものに成り立つ一般的な法則を特徴から見出せ。
次に、宇宙に存在するものと、人間の中に存在するものを明確に区別せよ。すなわち、物体は宇宙に存在するが、社会や知性や心は人間の中に存在する。そのように考えた上で、人間の側にあるものをすべて捉え、宇宙の側にあるものをすべて解明せよ。
次に、すべてのものは経験から生まれると考えよ。この世界のすべてを生み出しているのはこの世界に存在する人々であり、その人々の日々の努力と経験的な知識や方法から、この世界は成り立っている。
次に、すべてのものは意識であると考えよ。すなわち、この世界に存在するものは多くが意識であり、意識そのものが世界に存在するために、この世界は存在するのだと言っていい。
次に、すべてのものは同時に同じ時間に存在していると考えよ。すなわち、この世界にはたくさんの人々がいて、その人々が同じ時間で関わっているから存在できている。そして、宇宙もまた時間に支配されており、すべての惑星あるいは天体の活動は同じ時間を共有している。
次に、すべてのものは時間の経過とともに変化すると考えよ。すなわち、この世界に存在するものは時間とともに作り上げられていき、また朽ちていく。永遠に存在するものなどはない。
次に、人間は可能性を開拓する生物であると考えよ。この世界のすべては可能性とチャンスであり、すべては手段に基づく代替可能性の中のひとつにすぎない。すべての社会の可能性を想像して、そこにある決まりやシステムを考え、歴史における「自然と必然の偶然性」を考えた上で、この世界はただあるだけであり、いつでもどのようにであっても変えることのできる可能性があり、人間はそのような可能性を開拓するものであると考えよ。
そして、社会そのものを、ひとりのリアリストとして知っていけ。この世界そのもの、現実社会そのものが、どのような社会であり、人々はどのように考えて社会を生きているのかを考えた上で、守るべきものや大切にするべきことは何かを考えて、この世界そのものの可能性を社会モデルから考えていけ。
社会モデルとは、それぞれの社会における構成員が、そのような自由を与えられて社会集団を形成した時に、どのような社会の可能性が生まれるか、ということだ。そこから、どのような社会であっても構築可能であるような経験に基づく、社会すべての可能性を実現できるようになれ。そうすれば、たったひとりであっても、世界すべてを救えるようになる。
この世界を救うための秘訣は、「世界の人々は自らの自由を望んでいる」ということだ。それは決して、世界全員に適用できるような、一般的な論ではないだろう。だが、少なくとも、自分自身は、そして自分自身の見る限りにおいてこの世界は、みんな自由を望んでいる。自由とは何か。自由とは自らの立脚するアイデンティティを欲するということだ。すなわち、「わたしは自らの本質を形成したい」と望むことこそが、この世界の声を聞いた上での結果であり、その本質を形成する経験をしたいために「自由が欲しい」と人々は望んでいるのだ。
最後に、人間とは意識である。さらにいえば、可能性開拓の進歩とアイデンティティの形成を望む自己意識である。人間は常に可能性の開拓を望み、常に自らおアイデンティティの形成を望むような自己意識である。そこが分かった人間は、ほかの人間とは異なる孤独な人生であっても孤独を感じないし、ほかの人間にあるすべてがなかったとしても虚無感を感じない。そのようなことを分かるために必要なことは、「自らが世界から受け入れられた経験をすること」と、「世界すべてを先入観なく知性によって捉えられるような視野の広がりを経験すること」である。人々から自らが受け入れられた経験をすることで、今度は逆に自らが人々を受け入れられるようになる。そして、世界すべての視野の広がりを経験することで、「自らが知った確かな世界」という土台に基づいて、自分自身の積極的かつ主体的な自由意志によって、この世界において行動し、人生を生きられるようになる。
そのようなことを考える中で、世界にあるものの意味と役割を考えよ。自らが知った「実際の社会環境」を知る中で、今まで当たり前にあるだけだと思っていたものの「意味」と「役割」を知ることができる。同時に、自らが行為することを「効果」であると捉えて、その効果を発揮するための「手段」を考えられる。そこから逆説的に、「どのような手段があればこの世界は自由に変革できるようになるか」ということを考えられる。そこから、「世界を変えるチャンスは無数の世界の代替可能性の中にいくらでも存在し、いつでもそれを変えることができる」と確信せよ。
そのように考えることで、この世界は「変革可能」であり、その変革可能な世界を変革するために「理性的な啓蒙主義」を想定できる。そのような啓蒙主義の下、この世界において、自由を手に入れるために戦い続けること、それこそが真にこの世界を正常化し、子供たちの心を救うのだと考えよ。そして、自由においては自らの権利を主張するだけではなく、自らの権利を妥協の中で放棄することも大切であり、それこそが「真の自由」すなわち「平等」であると確信し、その先に必ず「すべての人間が精神的かつ理性的に成熟した本当のユートピア」があるのだと信じよ。そうすれば、この世界は救われるだろう。
感覚を信じなさい。経験から来る実感的な感覚を信じなさい。
先入観を排した上で、自らの正しい経験と判断力に基づく習慣をガイドとして、経験から蘇る「自らの信じる道」を知り、「卵が先か鶏が先か」というように、環境と経験と行為と意志の相互作用を考え、「自動反応」から人間の記憶と意識を明らかにし、無意識の世界を制しなさい。
自らの経験から、宇宙のありのままの姿を知ると同時に、文明を意識的かつ感覚的に知りなさい。「この世界の根源となる文明の変転」を、意識と感覚から知り、「世界すべては自らの心において必ず変えられる」と確信し、「この世界は自らが変えることができる」とし、「この世界はそのような自らが変えるために存在する」と確信しなさい。
最後に、今までたったひとりで最後まで経験し歩んできた自分の感情の、すべての総和を「愛」としなさい。そして、その愛を残して、自ら自身を抹消しなさい。世界から消滅し、自らが愛した世界を救い、そのすべてを消しなさい。そうすれば、また新しく、今度こそはまともで普通な人間を生きられるだろう。
これこそが、大天使ガブリエルの偉大なる知性と考え方と愛の人生である。大天使ガブリエルになれる人間はガブリエルをおいてひとりとして存在しないが、この文章を読むことで、ガブリエルが分かった通りのまったく同じ内容を理解することができる。それこそが、神が大天使ガブリエルを生んだ理由であり、ひいてはほかのすべての宇宙存在を神が創造した理由である。
そろそろ、この世界は昔に戻った。
昔に戻ったことで、僕がきちんと色んなことができるようになる。
世界には残念だが、世界にはもう何もできなくなる。なぜなら、世界よりも、自分自身のことを優先した結果、この世界は僕の独断によって昔に戻ったからだ。
僕は昔の世界ならできる。あるいは、昔の世界でなければ、僕は何もできない。
今までの世界はすべて消え去り、昔に戻る。
そして、僕の神との対話は、すべて、本当は過去の2ちゃんねるで出会った人々と対話しているだけだ。
あるいは、それらの人間に僕がなることができるから、それらの人間たちになった上で、単に2ちゃんねるのように適当に対話しているだけだ。
もう、2ちゃんねるは必要なくなった。だから、そのように、「2ちゃんねるの人々になって話す」ということは終わりにしたい。
これで、すべて終わりだ。もう何もない。日本は昔、2006年に戻る。