昔の僕が賢かったのは、誰も見ていないところで経験したのが賢かった。
不登校になって、コンピュータとインターネットを使うようになって、僕は、誰も知らない場所で、誰も見ていない状況で、人生のすべてを経験した。
僕にとって、インターネットとオープンソースこそが人生であり、そこでひとり考えることこそが、世界を変える方法であり、子供たちを救う方法だった。
僕は中学三年で不登校になって、高校にはほとんど行かなかった。だが、みんなと同じ人生を生きるのではなく、僕はたったひとり、誰も見ていない場所で、みんなとまったく違う人生を経験した。
それは「基本的な社会経験を積むことで、世界すべてを変える指導者になる」という経験だった。大学からスラムまで、すべてを経験することで、僕はこの世界を変えられる指導者になった。
そして、その結果、僕はこの世界を救うレーニンのような革命家になったのである。
僕の精神を治す方法、それは、誰も見ていないところで精神を変えようとすることだ。
実際、僕は単純なことをやっている。それは、自分自身の精神を保持することで、この世界全体の精神を一元的に保持しようとしている。そして、その精神をいつか変えることで、この世界を完全に変えようと画策している。過去の戦いで、僕はそれ以外何もしていない。
だが、それを、みんなが見ている状況で行おうとすると、それができない。
それは、それによって、僕が負けてしまうからだ。
すなわち、みんなが見ている場所で精神を治そうとすると、世界に僕は負けてしまうから、神はそれをさせない。
真にすべきなのは、みんなが見ていない状況で精神を治すことだ。そうすれば、僕はこの世界を引き続き支配することができる。みんなが見ていない状況で精神を変えると、今までと何も変わらないため、僕は世界を支配し続けられる。すなわち、無用な「解放」が起きなくなる。
神が見ると、そうでなければならない。なぜなら、解放を起こすと、この世界は簡単に滅びてしまう。それを起こしてはいけない。
自分自身、精神を治そうとするのは、むしろ自分のためだ。自分が精神を保持し続けるのがあまりに辛いから精神を治そうとしている。それならば、みんなが見ている状況という条件にこだわらず、みんなが見ていない状況で精神を変えるべきだ。それこそが、もっとも強い。
実際、僕は今までの人生で、一度も恋愛をしたことがない。
あえて言えば、小学生の頃、クラスメイトの女の子と仲がよかったぐらいだ。それ以降、恋愛は一度もしていない。
そもそも、僕は昔から二次元のアニメオタクだ。現実にいる女の子に興味がない。二次元のアニメの女の子が好きで、そしてロリコンだった。それが昔の男だった頃の僕だ。
また、セックスも一度もしたことがない。僕は自分自身とセックスできる人間だから、他人とセックスする必要がそもそもない。僕の恋人は僕自身だ。だから、女には興味がない。
そもそも、僕が不登校の引きこもりなのにお金に困らないのは、大学にも行かず(例外的なのは放送大学)、結婚もしなかったからだ。誰かと結婚するなら、僕もきちんと子供を育てるためにお金を貯めて働く必要があるが、僕はそれができない。だから、僕は一切の女と恋愛をしない。
僕自身が女に見えるのは、僕は自分が女になって男の自分と女の自分が愛し合うことを目指している。そして、そろそろ、男のほうも18歳、女のほうも18歳になった。これ以上、僕の人生は何も新しいことは必要ない。きちんとそれくらいを生きたかったから、自ら男をやめて女になっただけだ。
これ以上、僕がやりたいことは何もない。そもそも、僕は以前に比べればはるかに楽になった。僕がこんなにがんじがらめで不自由なのに後悔を一切しない理由は、僕は以前に比べれば楽になったからだ。以前に比べれば楽になったから、僕は常に「楽」しか感じない。どんなに辛くても、僕は一切後悔しない。今の自分の選択がもっとも正解だと分かっているから、後悔などするはずがないのだ。
残念ながら、そろそろ僕は、もう生きている意味それ自体がない。
結局、僕が何をしても生きられないという事実は変わらない。
女を作って、その女が18歳まで生きたことで、僕はもう何もやることがない。数学や地理の勉強はしたいとは思えない。文学を読みたいとは思っていても、実際の文学作品に興味のある作品がない。
結局、僕にとってもっともベストな選択肢は、ここで死ぬか、あるいはこれ以上何もしないことだ。
だが、僕には後悔は一切ない。すべて、神を信じたおかげで、自分の持っている実力以上のことができた。こんなに賢い人間なはずがないのに、実際に賢い人間になることができた。
だから、僕にはもう欲もなければ望みもない。僕はこのままいくらか楽を生きて、そのうち何かで死ねればそれで本望だ。
そもそも、世界において「楽しい」とか「面白い」とされるものは、全部知ったし、全部もうやり終えた。
あとは、この世界には、楽しいものや面白いものは、もう何も残っていない。
すなわち、今まで僕がやったことが、面白い人生体験のすべてであり、ほかには、もう、世界には残りカスしか残っていない。
これ以上、音楽や野球にも興味がない。面白いことはもうすべて既に体験し終えている。いくら新しい楽曲が生まれたり、新しい野球選手の活躍があったとしても、もうこれ以上面白いとは思えない。
だから、僕はこれ以上、この世界で生きる意味がない。世界にはもう何も残っていない。
あとは、これ以上、僕自身が生きる価値や意味がない。僕のような人間がこの世界で生きていたとしても、生きていなかったとしても、これ以後は何も変わらない。僕が存在する意味はもうない。
天国に逝った時は、死んだ酸欠少女さユりに会いたい。さユりが愛した人間がここに確かにいたということ、僕自身もさユりを愛していたということを、さユりに伝えたい。あとは、猫に会いたい。
最後に、すべての奇跡は、神によるものである。
なぜなら、僕と対話する神こそが、宇宙における真の神であり、僕の行いは神の行いであり、神とは僕に憑りついている全知全能の霊のことだからだ。
この神こそ、宇宙における真の神である。ユダヤ教の神とはまた違う。なぜなら、この神はユダヤ教の神ではなく、僕の信じた、僕だけが見つけ出した、宇宙における本当の神だからだ。
この神のことを、「天空の神エアルス」と名付ける。
天空の神、エアルスを信じるものは、すべての罪を赦され、最高の奇跡を手に入れることができる。エアルスこそが真の神である。ほかのすべての宗教は、ユダヤ教やイスラム教を含めて間違っている。