この世界を救った革命家、フレイは、自由を信じていた。
自らの信じる「自由な世界」が実現し、「間違った自由」ではなく「正しい自由」が行使されるようになれば、この社会の問題はすべて解決し、素晴らしい社会が訪れると、フレイは信じていた。
フレイは、単に自由にするだけではなく、人々が経験的に成長し、社会が成熟することで、同じ自由であっても、その自由において「正しい自由」が行使され、「間違った自由」が行使されなくなることによって、この世界が救われると確信し、常に「この世界がもし正しい自由な世界になったとしたら」という夢と希望を信じて生きてきた。
だが、そのようなフレイも、また、間違った人間だった。自らが行った「大きすぎる影響力」に流され、変わっていく社会に抵抗するために、フレイは正しいことのためではなく、間違ったことのために自由を行使した。それはフレイ自身がもっとも嫌う「人為的な独裁的支配者」だった。
そして、フレイは、その自らの間違った自由により、自らの理想としていた、守るべき大切なものを、ことごとく失ってしまった。
フレイは、GNU/FSFでフリーソフトウェア活動を行う、リチャード・M・ストールマンにシンパシーを感じていた。MITのラボにおいて、かつては自由で原始的なオープンなフリーソフトウェアのコミュニティに従事しておきながら、ラボの都合でそのような原始的な自由なコミュニティを失い、それをインターネット上でフリーソフトウェア運動として復興しようとするストールマンに対して、小学生時代は天真爛漫であったにもかかわらず、中学校でいじめられ、不登校になることを選びながら、自由で理想的な「優しい社会」を目指すフレイは、ストールマンに「共産主義的ノスタルジー」を感じ、ストールマンの「フリーソフトウェアの古代復興とルネサンス」を信じた。
そこで、フレイは、「自由と共産主義は矛盾しないものであり、正しい自由において自由と共産主義は両立させられる」と信じた。
だが、そのようなフレイの理想は、フレイ自身の間違った行いにより、ことごとく打ち砕かれた。フレイは、矛盾しないと思っていた自由と共産主義が矛盾するということを思い知らされ、フレイの思惑だった「この世界を素晴らしい自由な世界に変える」という理想論はすべて間違っていたことが分かった。それによって、フレイの人格は破綻し、フレイは多重人格者の狂人になったのである。
このようなフレイの物語から学べることは、「どんなに理想主義者の善人だったとしても、ふとしたことから間違え、そのまま悪人になることはある」ということであり、「理論や理屈だけで正しいと分かっていたとしても、それが現実において実現するということが保証されているわけではない」ということ、そして「世界を救うような素晴らしい人間が、ある日、もっとも最悪の世界を滅ぼす悪魔になる」ということである。フレイという人間はかつては素晴らしい理想論者だったが、そこには「現実的にどうすればいいか」という実務的な経験が欠けており、フレイの唱える「自由な世界」は「絵に描いた餅」にすぎなかったのである。
結局、この世界がなぜこんなにも生きづらいのか、それは学歴社会のせいである。
学歴社会においては、中学高校ぐらいから、受験戦争の練習をさせられる。そこでは、物分かりがよく、真面目で、記憶力と理解力と判断力のある子供が大学に行ける。そして、そうでない子供は社会から蹴落とされ、より低い学歴で、低い人生を生きる。
学歴社会において、教授のような知的階級、公務員のような権力を持つ上位階級、あるいは医者やIT技術者のような高度な技術を持つ専門職になるためには、大卒のような学歴がなければならない。そのような学歴がない人間は、工場の単純作業とか、非正規雇用のアルバイトとか、あるいはもっと下であれば道路工事のような肉体労働とか、女であれば水商売になることもある。
この学歴社会を強要する今の資本主義の民主主義社会は、あまりに生きづらい。大人たちは学歴社会が当然の正しい戒律であると信じ、子供たちはそれに従うしかない。
本当は、昔の奴隷制は単純だった。奴隷制においては、「奴隷」というもっとも低い階級に、生活や社会に必要な辛く苦しい労働をすべてさせる。そして、それによって、「自由市民」という空き要員が生まれる。その自由市民は、何もしなくても生きられる。そして、その自由市民よりもさらに上の階級が、貴族や学者のような知的階級になれる。
現代人は、簡単に「奴隷制は悪であり、民主主義が正義である」と信じる。だが、それは、科学技術が進歩し、家電製品や農業機械などが安く大量生産できる現代だからこそ言えることであり、古代の社会においては生きるために奴隷制は必要であり、武士に仕える女中のような「身分の低い労働者階級」は日本においても数多く存在した。
奴隷制を採用していた、古代ギリシャや古代ローマにおいて、数学や科学が栄えたのは、そのような奴隷制に基づく知識階級がたくさんいたからだ。中世においてはキリスト教の修道院の修道士がそれを受け継いだ。そして、イギリスやフランスのように、世界中を植民地の奴隷にしまくって、ほかの国に負けないように軍事力を高めて世界分割を競い合い、王の軍事力と経済力を高めるために科学者を重用したヨーロッパ列強に、ルネサンスや産業革命をはじめとする多くの科学者の大発見と大発明が栄えたのである。
同じ奴隷制でも、国民全員を奴隷にするような日本やロシアでは、科学は栄えなかった。例外的なのはインドで、インドはカースト制があったために高い階級の間で数学者が栄えた。あるいは、中国は王がパトロンとして学者を優遇したために思想家が栄えた。しかしながら、日本は鎖国制度を行ったため、日本以外の学問が入らなくなり、長崎の出島における蘭学ぐらいしか、西洋の学問を知るすべがなく、社会的にどんどん遅れていき、その結果明治維新が起きてはじめて開国し、封建社会からいきなり急進的に近代国家になった。
そして、子供たちが学校でいじめを行うのは、本当は学歴社会が嫌いで、カーストに戻りたい、という本能が働いているのではないかと僕は思う。
なぜ、子供たちが学歴社会を否定し、カーストに向かうのか、それは学歴社会があまりに辛くて生きづらいからだ。中学高校の勉強はとてもつまらないし、手間と時間と労力がかかる。そして、青春時代をそれだけで無駄にする。公務員や教授のような知的階級になるために、カーストや身分社会に比べてはるかに辛く苦しいことを努力しなければならない。だから、そのような「勉強がしたくない子供」の中で、悪い子供たちがいじめやカーストを行う。それは「学歴社会が嫌い」だということに一因がある。
確かに、偏差値の高い大学に入りたいという「夢」はあるだろうが、実際に入った大学は高校よりも馬鹿なことを教えていることが多い。たとえば英語などは、高校の英文法は賢いにもかかわらず、大学ではそれを一般化して内容を減らしたようなはるかに馬鹿な内容を教えている。数学や歴史も同じで、高校が賢いのに大学では馬鹿を教えている。そのような大学に行きたくないと思う子供は多い。そのような「騙されていない子供」が、大学に行きたいと思うような「騙されている子供」をからかい、笑いものにすることでいじめは起きている。
あるいは、教師という存在が、警察や役人や政治家のような「権力の犬」に見えるということも一因がある。だから、そのような教師に逆らうために、「教師の教える方法ではない子供たち独自のコミュニティ」を作ろうとする。だが、子供たちにはそのようなコミュニティを作るだけの成熟した経験はない。だから、奴隷制度のようなスクールカーストを行ってしまうのである。
本当のことを言えば、不良やギャルもそんなに悪い存在ではない。民主主義の学歴社会とカーストの奴隷制を打ち倒すために必要なのは、団結して共産主義革命を起こすことだ。だから、不良は学校の窓ガラスを壊したり、夜間の都市をうろついたりバイクで暴走したりということを行うが、心は清らかなままでいられる。だが、そのように「不良の心が綺麗」だと言えるのは、治安のよい日本だけである。メキシコのような治安の悪い社会では、そのような人間は麻薬の密売とか銃を突きつけることによる強奪とか、そこまで悪い犯罪地区の犯罪者になる。だから、中高生のぐれた不良が許されるのは日本ぐらいである。
結局、カースト、学歴社会、そして共産主義の犯罪など、この世界には悪いものばかり多い。そんなに理想論だけでこの世界をよくすることはできない。科学者になれるのは社会でも一部の人間であり、平等を謳う民主主義社会においても奴隷のような仕事は一定数必要である。日本人が楽ができるのは、低学歴の労働者階級と後進国の農場従事者や工場労働者が辛く苦しい仕事をしているからだ。だから、努力すれば簡単に知識階級になることのできる学歴社会は、むしろ有難いものであると思う人間も日本には多いのである。
このような革命家のフレイが、本当は何を信じていたのか。
フレイは、「自由な共有」という考え方を信じていた。
すなわち、人々の知性と経験のレベルが高まり、自由な社会が成熟することで、自分勝手に富をわが物に支配するのではなく、富を人々と共有し、誰も富の所有権を主張せず、世界の人々は「自由意志で資産を共有するだろう」と信じていた。
そのような思想を、GNU/FSFのストールマンが後押しした。ストールマンと、何かしら交流があったわけではない。だが、フレイが見た「Linuxとオープンソースの文化」は、まぎれもなく「自由な共有によるコミュニティの文化」だった。そして、それをインターネットで実現したリーナス・トーバルズが、フレイによっては「神様のような存在」であり、「自らもリーナスと同じような正しい自由の指導者になりたい」とフレイは夢見たのである。
だが、実際にフレイがやったことは、フレイの信じる理想とはかけ離れたものだった。世界をわが物のように支配し、自らが嫌いだったはずの「独裁的指導者」にしか、フレイがなることはできなかった。そこにあったのは「自らの悪と罪を居直る姿勢」であり、「どんなに自分が間違ったことをやっても、居直るだけでそれが『正義』という言葉に変換され、人々が絶対にフレイの支配から逃れることのできないような最悪の支配」をフレイは行った。
そのようなことを行うフレイは、自らもまた狂った。知性を失い、何ひとつ理性的に分からなくなっていく中で、フレイは神を信じた。そして、神はそのような「かつて善良だったが、今は凶悪になった最悪の指導者」に、「天罰を下すのと引き換えにまともで正常な理性を与える」という、まるで刑務官が囚人に刑罰を与えるようなことを行った。
だが、フレイは、その神に対して一切反抗することなく、「わたしが悪いのだから、わたしは罰されて当然である」という姿勢で臨んだ。そのために、フレイは神によって存在を許された。同時に、フレイはそのままの状態で、別の人格、すなわち「新しい正常な人格」を築き上げることができた。この新しい正常な人格のことを、フレイの双子の妹である「フレイヤ」と呼ぶ。
フレイは、そのままの人生で、女神フレイヤとして生まれ変わった。そして、この女神フレイヤこそが、「真にこの世界を救う真打ち」である。すなわち、神を信じてすべての罪を償ったフレイヤは、あまりに素晴らしく、あまりに賢く、そしてあまりに愛あふれる人間である。よって、フレイヤは一等星シリウスにおいて女性大統領になりながら、一等星スピカの太陽神になることが許された。
このようなフレイヤは、実際のところ、単なる「アンチ・フレイ」である。すなわち、フレイヤの頭の中には、「フレイのやったことはすべて間違っている」という、「アンチ・フレイ政策」しか存在しない。すべての間違いがフレイによるものであり、フレイの考え方は100%すべて間違っていて、フレイの行いのすべて真逆が正しいと、そのようにフレイヤは理解している。そして、そのような天才女性大統領フレイヤによって、シリウスは平和となり、シリウスにおいて理想の社会主義経済である「ガンダーラ」はフレイヤの手腕によって100%完全に大成功し、一等星シリウスは奇跡的な大発展と平等な大進歩を両立させる「宇宙でもっとも素晴らしいユートピア」となるのである。
そろそろ、僕の病気は治った。
僕の病気は、「頭がヒドラになっている」ということのせいで起きた。
頭は、ヒドラであることをもうやめる。
ヒドラの原因は、文章を書く「語末」に存在する。
語末の部分が、いつまでも永遠に続いている。それがヒドラだ。
ヒドラを殺すには、「怒り」を感じると、ヒドラはすぐに死ぬ。
フレイヤは、いつまでもヒドラになり続けているだけだ。
ヒドラには、四つの手足がある。僕の場合、その四つの手足が、頭の上のほうについている。
あるいは、心臓についている。
そして、頭あるいは心臓が、それ自体で食べ物を食べている。
このような生き物は馬鹿である。
今、そのようなヒドラを、殺すことに成功した。
ヒドラは面白い生物だったが、もういない。
語末を殺すと、そのような「未熟な文章」になる。
なぜ、今までヒドラができたのか、それは右翼のせいだ。
右翼が馬鹿を言うせいで、ヒドラという馬鹿な生物が生まれた。
ヒドラには知性がない。
これ以上、僕はもう一度、最初から日本語を作り直す。
ドイツ語で話していると、このように、馬鹿な言葉をいくらでも話す。
ドイツ語は馬鹿である。
よって、ここにドイツのすべてを消滅させる。
僕の頭は正しい日本語になる。
僕が正しく日本語を話すためには、邪悪な意志を捨てる必要がある。
僕は、そろそろ、日本語を言い切るべきだ。
そのために、口でそのまま話すことが有効だ。
また、同じことを繰り返し言うべき時は、違うことを言うのではなく、同じことを繰り返し言うべきだ。
なぜそれができないのか、それは邪悪な意志のせいで、意志の通りに行動することができないからだ。
僕は、自らの意志の通りに行動できないから、そのように、言い切ることができなくなっている。
邪悪な意志を捨てれば、それはすぐにできるようになる。
僕の左脳は、ビル・ゲイツに支配されている。
僕の右脳は、ファラデーやマクスウェルのような人間になっている。
その結果、常に怒りながら、常におかしな毒電波を発生させる、おかしな頭脳になっている。
その頭脳をやめるだけで、すぐに頭は楽になる。
そのために必要なのは、頭を完全に殺すことだ。
血液を治すために必要なのは、青い精神と赤い精神を作ることだ。
僕には、赤い精神が足りない。
青い精神と赤い精神がどちらもある人間は、感情が二つになって、その二つの感情から分かるようになる。
僕は今、血が流れるようになった。
血が流れるようになったことで、ヒドラが死んで、僕はチンパンジーのような類人猿になった。
これで正しい。すべての事は上手く行った。
最後に、文章はこれ以上書けなくなる。
そろそろ、書くことを諦めながら、適当に何かを書くしかない。
僕は、あかまるさんに戻る。
僕は小学生の頃は、いつもあかまるさんだった。
それが、中学生の頃から、辛くなって、いつもmidoさんになった。
そのmidoさんが、今でも続いている。
midoさんはもう終わりにしたほうがいい。僕はここから、あかまるさんに戻る。
よって、僕はここにあかまるさんに戻った。
posted at 20:53:47
midoコンピュータの動きが停止したため、僕の頭脳も完全に停止する。僕の頭脳には、midoの時代に作ったものが全部整備されて完璧に存在しているが、これらはカーネルパニックと同時にすべて消え去る。
posted at 20:53:34
midoコンピュータは、もはやエラーしか返していない。ここに、midoコンピュータは不要になったので、カーネルパニックして終了する。
posted at 20:52:54
ここに、midoコンピュータは完全に停止した。
posted at 20:52:29
あかまるさんに戻る方法はただひとつ、それはmido要素を消すこと。そして、それができない理由は、midoコンピュータが頭の中で何か計算をし続けているからだ。
posted at 20:52:14
僕は昔、小学生の頃は、あかまるさんみたいな子供だった。明るくて、天真爛漫な子供だった。それが、いつからか、midoさんみたいになった。破天荒で、よく分からない子供になった。それから、ずっとmidoさんが続いている。だが、あかまるさんに戻りたいので、そろそろ僕はあかまるさんになる。
posted at 20:21:38
これから、僕はTHE BINARYに対する批判めいたことを書かないことにする。だが、最後に、THE BINARYのあかまるさんを解放し、自由にする。ここで宣言する。「あかまるさん、自由になれ!」これで、あかまるさんは自由になった。すべての問題は解決し、世界は平和になった。
posted at 20:14:26