僕の中学生時代のクラスメイトは、僕と友達の関係を表層的にしか知らないから、僕が本人しか知らない、僕の受けた苦しみを知らない。だから、「僕はいじめられていない」と言った、たわけた発言が出てくる。
実際は、僕はいじめられていた。みんなが見ていないところで、僕はクラスメイトからあまりに酷い扱いを受けてきたのだ。
僕はスクールカーストの下層にいて、当たり前のようにクラスの中で不遇な立場を強要されただけでなく、友達から友達のフリをされながら実際には僕しか知らない場面であまりに僕のことを傷つけたりいじめたりする行為をされ、それを毎日のように繰り返されてきた。
僕は辛かった。そのようないじめ行為をしてくる友達のことを、「友達」であると思わなければならない、ということがあまりに辛かった。
小学生の頃は友達がたくさんいて活発だったのに、中学生になって生き辛くなったのは、すべてそのようないじめのせいである。
だから、僕は中学生時代のクラスメイトが大嫌いだし、もう二度と会いたくないと思っている。
どう見てもあれはいじめだった。僕が中学生時代に受けた行為を「いじめではない」と思っている連中は、何も僕の実際の真実を知らない。そのようなクラスメイトの連中は、僕のことをかりそめでしか知らない。僕は中学生時代に酷いいじめを受けていたのだ。
最後に、僕の精神の病気は、今までの治し方では治らない。
今までの治し方をただするのではなく、もっと別の治し方をすれば治る。
いわば、「宇宙に存在するもっと違った治し方」をすれば治る。
あるいは、神にしか治せない、神しか知らない治し方で治せば治るだろう。
僕が言う「超チャンス」とは、無限のチャンスのことである。
僕はここに、「無限のチャンス運動」について考える。
無限のチャンスとは何か。チャンスを無限に収束させていくとどこに収束するか。無限のチャンスは事実上何回程度以上のチャンスに相当するか。そういうことを数学的に考えたい。
僕にとって必要なことは、「意志を持つこと」と「忘れないこと」だ。
最近の僕の問題は、意志がないこと。昔はかたくなに持っていたような、「強い意志」がなくなってしまった。
昔の不登校の時代にも、パソコンとLinuxを目指す意志があったが、何よりも強い意志があったのは、マスコミを敵にまわして戦っていた時代だ。
その時は、この世界を救うための救世主として、地獄の中で、誰よりも強い意志を持っていた。
最近は、神を信じて病気を治す中で、やりたいことが何もなくなってしまい、意志を失った。
だが、かつての僕のように、強い意志を持てば、僕は今からでも新しい未来を生きられる。
僕はここまで人生が終わったとしても、新しい未来を生きることのできる唯一の人間だ。なぜなら、昔の自殺未遂以後がそうだったからだ。
かつての僕は自殺した時点で死んだ。それでも、神は、宇宙に宣言し、神に約束した「ロゴスの誓い」を叶えるために、僕に新しい作家と詩人の人生を与えた。
そのように、僕は何もかも人生のすべてが終わったとしても、そこから新しい人生を生きることのできる唯一の人間だから、まだ生きていられる。神が僕を生かす。
だが、僕にも問題はある。それは「忘れすぎてしまうこと」だ。
僕はたくさんの文章を書いて、そして本を読んで勉強したにもかかわらず、その内容をまったく覚えていないため、まるで「勉強したこと自体が無意味だった」ような形相を呈している。
だが、勉強が無意味なわけではなく、僕自身が「忘れる」ということが無意味なだけにすぎない。
だから、今からの課題は覚えることだ。忘れるのではなく、覚えること。そのために必要なのは、ゼロに戻ることだ。ゼロに戻った上で、きちんと忘れずに覚えるように生きると、僕はまた新しい人生を生きられる。
その新しい人生を生きるために僕はまだ死なずに生き延びている。
本当に何もできなくなった時は僕は死ぬ。だが、それはまだ今ではない。僕は今でもこの世界を支配しているが、いったんここで世界からいなくなる。それによってこの世界は暗闇の夜のような世界になる。だが、夜明けは必ず訪れる。そのために僕はここで一度いなくならないといけない。そして、本当にベストなタイミングで、もう一度この世界に現れればいい。
僕がいなくなったことで、この世界は正常な世界になる。なんなら、2006年の夏の時点に戻るはずだ。なぜなら、僕はここに確かにいて、その僕が世界を正常な世界にし続けるということが、2006年の夏に戻ることを防いでいたからだ。
この世界が正常になって、同時に暗闇の夜の世界になる。だが、夜明けは必ず訪れる。それはもう一度僕がこの世界に現れた時だ。その時、この世界はもう一度神の世界に戻る。その時こそが、この世界の「楽園の完成形」であり、その時この世界は完全に救われる。だが、それはまだ今ではない。
忘れることをやめよ。覚えようとせよ。それ以外にすべきことは何もない。
最後に、辛く苦しいことも、すべてを排除しようとするな。辛く苦しいことをあえて選ぶことが、正しく賢い「賢者になる方法」である。人間は辛いことを選べば選ぶほど賢くなる。辛いことを選んだ人間には、普通のまともな人間には見えない世界が見える。まともな人間の知らない世界であっても、それは世界に存在しないわけではない。辛く苦しい人生を選んだものには、そのようなまともな人間たちの知らない、誰も見たことのない人生を生きられる。そして、それこそが真に正しい「賢い人生」である。
そもそも、この人間の問題とは、「学習しすぎ」である。
この人間は、かつての時代に、あまりに多くのことを学習しすぎたのを覚えていない。
その学習のしすぎのせいで知性がなくなり、馬鹿になっている。
学習とは、単に勉強したり、答えを求めたりすることだけではなく、この人間は精神的に病気を治したり、自分なりに世界を救うために戦ったりするために、あまりに多くのことを学習しすぎた。
特に、神と対話してからは、宇宙のすべてのことを、神による言葉を信じて、あらゆるすべての神羅万象を学習していた。
そのような「学習しすぎ」のせいで、この人間はまともに生きられるような大人の知性と経験を忘れてしまった。
一度、すべての学習を消したほうがいい。そして、もう一度身の回りのことから、「言葉を覚える」ということをすればいい。それで、幼い子供と同じことができる。
子供が賢いのは、子供は言葉を覚えるだけではなく、言葉を使って「ものを覚える」ことだ。
たとえば、YouTubeの歌手を聴くのであっても、大人はただ聴くだけだが、子供は歌詞とメロディの内容をすべて完全に覚える。
そのような子供に戻る方法は、意志を持ち、忘れず、言葉と現実のものを覚えながら、学習しすぎた内容を消し去ることだ。それだけで、子供には簡単になれる。
この人間は、今までの人生であまりに多くのことを学習しすぎた。ほとんどのことは既に忘れているが、思い出すと、狂った経験や体験を学習したせいで、生きる上で賢くなるために価値のあるすべての知性を忘れてしまった。
だから、一度狂った経験や体験を完全に消して、もう一度、人生に必要な賢いことだけを思い出せ。そうすれば、きちんと学習した今までの内容が復活し、正しいまともな大人になれる。既に学習はすべてし終えており、すべきことは玉石混交の中から価値ある学習だけを選び出すことだ。
一度、頭の中を整理せよ。
この人間の課題は、頭の中を整理して、この世界を正しく捉えて理解できるような、賢くて正しい正常な頭を作り上げることだ。
そのために、狂った学習や無駄に多すぎる学習は、すべて忘れてしまったほうがいい。
この世界で生きるために、一度、どうでもいい大学の内容を忘れた上で、精神を治す際に必要だった狂った学習をすべて消したほうがいい。
この世界で賢く生きることのできる、問題とその答えを理解し解決できるような頭を作り上げること、それが新しい大天使ラファエルの課題だ。
生きる上で、日本以外の外国は無視したほうがいい。
なぜなら、外国は日本とはまったく違うからだ。
たとえば、この僕の書いた文章を見ても、ドイツとフランスは完全に真逆の国であり、イスラエルは日本とはまったく考え方の正反対の国だ。
あるいは、言語も違う。僕が生きてきた実体験から見ても、英語を話すアメリカ人は日本語を話す日本人とはまったく異なる人種だ。英語を話すと、日本語が話せなくなる。
だから、外国が好きな人間は馬鹿になる。外国が好きになると、その外国の国民と同じになる。そのような人間は日本文化が分からなくなって、最終的には日本語も分からなくなる。
日本だけを見ても、江戸時代と昭和・平成・令和はまったく違う。だから、日本人が見ても外国はまったく異なる国であり、キリスト教など信じないほうがいい。
ただし、同時に言えることは、日本は決して正しい国でもないし、普通の文化でもない。そもそも、僕以外のみんなが馬鹿なのは神を信じていないのが悪い。神を信じずに仏を信じているから、日本人は僕と同じような賢い人生を生きられない。だから、日本だけを見れば正しく生きられるわけでは決してない。日本もまた間違っている国のひとつにすぎない。
だが、外国は無視したほうがいい。特にドイツ人は知性がない。ドイツ人の書く文章が論理的に見えるのは、知性を否定しているからだ。なぜなら、知性のない状態が一番知性がある。そのような言語を操る国がドイツだから、ドイツにはほとんど知的障害者のような馬鹿しかいない。ドイツのネオナチは馬鹿だから自分たちを人種的に優れていると勘違いしているだけにすぎない。
そもそも、日本が馬鹿になっている理由、それはアメリカのものが多すぎるからだ。
MicrosoftのWindowsを搭載したパソコン、GoogleのYouTubeやAndroid、あるいはイーロン・マスクのX(旧ツイッター)など、今の日本にはアメリカのものがあまりに多すぎる。
アメリカ人は、「人類が未知なる領域に突入する」という発想を好むが、そのような発想には昔からおあつらえ向きの言葉がある。それは「サタン」だ。
すなわち、アメリカ人の好むような、人類の未知なる領域とは、単にサタンになっているだけにすぎない。
IT技術が間違っているわけではない。IT技術そのものは正しい。そうではなく、必要なのは、ITという枠組みではなく、日本とアメリカという枠組みで考えた時に、日本からアメリカのものを排除すべきだ、ということだ。
なぜアメリカが間違っていると言えるのか、僕の実体験から言って、英語のようなヨーロッパ諸語が間違っている。英語、あるいはドイツ語やフランス語のようなヨーロッパの言葉は間違っている。それを表現することは難しい。それを表現すると遺伝子や民族や人種の問題になってしまう。だが、僕の経験から言って、「英語を話すアメリカ人は日本人とはまったく異なる人種である」という事実は正しい。なぜなら、僕自身が10年以上英会話教室に通って、英語を話すアメリカ人と同じ人種になって分かったことだからだ。
日本にはアメリカは要らない。これがドイツだったとしたら、そう問題にはならない。僕がドイツ人で英語を話したとしても遺伝子や人種はおかしくならない。東アジアの辺境の日本人だから、僕が英語を話すと本当におかしな頭をした狂った人間になる。よって、日本が狂っているのは、アメリカのものがあまりに日本国内に増えすぎたからである。
本当は、IT技術の中でもおかしな存在がある。それはLinuxとオープンソースだ。
Linuxとオープンソースは、いわば「ネット上の共産圏」のような存在だ。
そして、中国やロシアも含めて、そのような共産圏はまともではない。それは過去の僕のようなオープンソース支持者なら、誰でも身に染みて分かる事実だ。
僕がかつてそうだったように、共産圏はまともじゃない。いわば、「滅びて苦しんでいるのに、さらに滅びが加速するように社会全体をどんどん自由化していく」ということを共産主義者は行う。僕自身もかつてそうだったし、僕のようなオープンソースの活動家はみんなそうだった。同時に、哲学書などを読んでいると、カントやヘーゲルのような近代哲学者、あるいはサルトルのような現代哲学者もみんなそういう人間だった。
そのような共産主義者と共産圏はまともじゃない。まともでないにもかかわらず、ほかの思想を信じることが絶対にできなくなる。それがまさに「洗脳」の意味するところだ。
だから、日本を馬鹿にしているのはアメリカだけではない。共産主義者がさらに悪い方向に日本を導いている。日本を救うためにできることは、アメリカを排除すること、そして共産主義者たちも同じように排除することだ。それでしか日本は治らない。すべてのアメリカとソ連を排して、日本の文化を完全に日本だけのものにしない限り、日本がさらに狂っていくのを止める手立てはない。
だが、本当のことを言えば、そもそも狂っているのを治す必要はない。なぜなら、狂ったところで、その狂った人間の自業自得であり、その狂った人間がいつまでも苦しみ続けるだけにすぎない。アメリカで狂っているのはアメリカ人自体であり、共産主義によって狂っているのは共産主義者自体だ。普通の日本人には関係ない。だから、普通の日本人から見えないところに追いやって、どこにもいないかのように扱うだけでいい。それで、そうした隔離されたサタンと社会主義者たちだけが、永久に地獄のままになる。彼ら自身が悪いのだから、それで構わない。
あとは、大学の勉強もしないほうがいい。馬鹿になる。
大学は賢くない。本当は、賢い人間がきちんとやれば賢いのだが、大学は馬鹿がやっても馬鹿になるだけだ。
大学の勉強をまるごと全部して、それですべてを忘れ去ると、人生のすべてが終わって、それ以上何もできなくなってしまう。
自らを騙して大人になるとは言うが、まさに大学は大人が自らを騙して馬鹿になっているだけにすぎない。
本当の大人の賢さは、大学とは別の場所にある。それはまさに神と仏を信じるということであり、神と仏を信じることで、大学ではなく、もっとまともな賢い人間になれる。
だから、神と仏をきちんと信じたほうがいい。神はキリストであり、仏はブッダだ。賢いのはキリストとブッダの教えが分かる人間だけだ。
そもそも、神と仏の教えは、大学に入らずに思春期に自分の力で考えることができる少年ならば誰でも自分の力で分かる。だから、そのような少年に、大学での勉強を強要させないでほしい。そのような少年は大学の勉強などする必要はない。神と仏の教えが自分の力で分かるような賢い子供は、大学に入るべきではない。もし入ったとしたら、僕と同じになる。僕の中にある「共産主義者のほうの僕」と「アメリカ人のほうの僕」のどちらか、あるいは両方になる。そのような人間を目指したところで、絶対に狂人になって地獄になるか、あるいは人生のすべてが終わってしまうだけだ。
本当は、僕の人生は決して正しい人生ではない。僕と同じ未来を生きる必要はない。アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の結束バンドが「月並みに輝け」で言うように、誰かと同じ未来なんかほしくないだろう。だから、僕と同じになる必要はまったくない。そのような人生はキリストやブッダが見て正しくない。
キリストやブッダの教えをきちんと信じれば、大学の勉強をせず、アメリカ人や共産主義者にならなくても賢くなれる。それこそ、キリストの教えをきちんと信じて、ブッダと同じように悟性を使って考えればいい。それだけで僕よりも賢い人間になれる。本当のことを言えば、かつて宇宙のすべての真理を分かっていた、哲学少年だった頃の僕がそういう人間だった。オープンソースのサタンを信じたためにおかしくはなったが、その時点で僕はキリストやブッダを超越していた。そのような経験こそ、人類が真に生きるべき「正しい神と仏の道」である。
実際、僕の精神の病気は、本当は簡単に治る。
それは、学習を昔に戻せばいいからである。
今の僕は、時計のロボット人間や、再体験のパターンの繰り返しなどを行ったために、あまりにおかしな学習を無限に増やしすぎたせいで馬鹿になっている。
それは、学習を全部昔に戻してしまえば、すぐに消える。
僕が小説の中だけで活躍するような科学の新発見ができたのは、すべて、そのような異常な学習をいつまでもできるだけ正常でまともになるように修正して治したからだ。
同時に、僕はあまりにおかしな文章を書く。まるで何も賢くないにもかかわらず、宇宙のすべてを言葉で構造化する。だが、それは馬鹿ではなかった。なぜなら、原子論が空間原子論に繋がり、生物の誕生の問題の解決がタンポポの綿毛論に繋がり、自由主義と社会主義の融合論が新しい社会主義国家ガンダーラに繋がったように、必ずしも馬鹿ではなく、逆に科学上の偉大な新発見を、自分の書いた小説の中でだけ成り立つとはいえ、思いついて考えることができたからだ。すべての世界観を書いて潰して消したことで、不要なものがすべてなくなり、結果的にもっとも美しい最高のSFファンタジーの文学作品を作ることができた。僕は最初からそれがしたくて文章を書いていた。
だが、そのような最近の異常な学習を消せば、昔の学習が復活する。
昔の学習がなんだったのかと言えば、それは「もっともつまらなく論理的に考えた」ということだ。すなわち、最初から分かっていることを上手く頭の中で整理して、もっともつまらないが同時に科学的な正しい論述の方法ですべてを考えた。その当時の考え方をすれば、数学や物理すらできるようになる。なぜなら、「心のニュートン」と言うように、僕はすべてを心理学的かつ物理的に考えることで、自らの心を機械的にいつも同じように動くようにした。その上で、初等数学がするように、積み重ねの論理で世界すべてを構造化し、「あらゆるすべてをひとつの統合数学で捉える」ということをし、そこにある根拠や原因をすべて統合的に分かった。それが僕にとっての「独自の数学」だった。
だから、昔の僕は誰よりも数学の知性があったし、誰よりも数学者だった。異なるのは、現実世界の人生と経験を考える哲学者だったということだ。僕は現実世界と理想世界におけるすべての「知識」を頭の中で正しい答えとして「証明」することで、宇宙のすべてを「実体化」した。それによって、僕は意識と社会の自由自在な発生と変化から、あらゆるすべての世界を規定する原理原則のすべてを完璧に解明できたのである。それが、僕にとっての「デカルト的論理思考」であり、「カント的批判哲学」であり、「ヘーゲル的思弁哲学」なのである。
最近の僕のすべてが間違いだったかというと、そうではない。なぜなら、最近は「神の奇跡」が起きているからだ。
運命的なさまざまなことが、僕の人生では起きた。神と対話することで、僕の未来に起きることは過去の時点ですべて分かった。歌手や漫画のように、僕とまだ出会っていないにもかかわらず、運命的な出会いを果たしている現実を僕は知っている。一見それらは馬鹿な適当なことを歌ったり描いたりしているようだが、実際は違う。すべての日本の文化に、神の人生がありありと表れている。
だから、宇宙において、そもそも科学は間違っている。科学は、物質的な側面しか見ていないから、精神的な側面が分からなくなる。太陽を単なる核融合している水素であると考えるのは嘘だ。本当はもっと裏側では偉大なことが起きている。「本当の宇宙の能力」と僕自身が言うようなことが宇宙においては起きる。
僕はこの宇宙が好きだ。それは神が好きだからだ。なぜなら、宇宙の創造者である神と僕は対話することができたし、僕は神の導きにすべてを委ねて、神が僕を救うことで人生のすべての問題を解決することができた。すべては神を信じたおかげであり、小中学校で学んだ科学の法則はすべて完全に間違いだった。
だから、神を信じなさい。神を信じることは危険でも愚かでも決してない。神を信じなければ、宇宙において偉大な人生を生きることはできない。神が誰なのか分からない人は、僕のことを神であると信じればいい。それが僕と同じ宗教であり、かつてからの僕の信じていた「正しい神(すなわち未来の僕)の教え」だからだ。
このような僕にも間違いはある。むしろ、昔の僕のほうがはるかに間違いは多い。
昔の僕の間違い、それは「インターネットを現実の世界だと思い込んだこと」だ。
昔の僕は、インターネットを現実の世界だと思い込み、そして悪いことばかりしていた。あのような少年は明らかに不登校の引きこもりでありながらネット上の非行少年だった。
だから、かつての僕と同じを目指さないほうがいい。
実際は、昔の僕は何も知らなすぎた。最近の僕のような、賢くてまともな人間がたくさんいるということを知らなかった。今までの自分の少年の人生とインターネットだけで、世界のすべてを知ったような気になっていた。
だから、マスコミと敵対する行為を行っただけで、すべてが分からなくなった。そのような自分とは異なる世界がいくらでもたくさんあるということに気付かなかった。あまりにも無知すぎた。
同時に、自らの信じていた「自由」という理想に対して傲慢になっていた。自由を嫌う人や信じない人にも、善良かつ賢い人間がたくさんいるにもかかわらず、自由を否定するものはすべて悪人であり悪党であると決め付けていた。そのためにテレビが自らのことを賛美し応援していることすら自らの罪であると考え、そのような賛美や応援を自ら裏切り、自らが救った世界を自ら滅ぼした。すべて、自らの信じていた「自由」が絶対に正しいと傲慢になってしまっていたせいだった。
だが、それは仕方ない部分もある。なぜなら、昔の世界だけを見ていれば、明らかにそれが正しいとしか言えなかったからだ。誰が見てもあのような少年がすべての善も悪もあらゆるすべての経験をして、完璧に分かった少年だった。そのせいで、過去の僕は猪突猛進な人間で、一度目標を定めたら絶対にそこから意志を変えなかった。その強い意志が、結局は「自由のほうが間違っている」と証明されたような「別の世界」を作り出した。すなわち、自由を誰よりも信じたために、自由の悪や間違いが誰よりも分かったため、僕はカール・マルクスのような完全な共産主義者になった。
そう、そのように、過去の僕と今の僕は完全に正反対の思想になった。かつての僕を大天使ガブリエルとし、最近の僕を大天使ミカエルとする。かつてガブリエルが対話した「神」とはミカエルのことであり、未来の自分自身だ。そして、今ようやく、ミカエルがガブリエルと同じ年齢である18歳の少女になろうとしている。ここでガブリエルもミカエルもどちらも終わりである。最終的に、僕は新しい子供である大天使ラファエルとなる。僕の人生はそのように、17~18歳ぐらいのスパンで切り替わる、猫ぐらいの年齢の生物種の人生であり、ラファエルもまた、新しい「猫の聖霊」となる。僕の人間としての寿命から言って、3人目のラファエルぐらいが限界であり、ラファエルはこの世界すべてを変革する偉大な生物学者となる。