僕は、何もなくなったほうがいい。
そもそも、普通の人間は、人間関係や原因と結果ぐらいしか、分かることはない。
そのような、人間関係や原因と結果は、今の僕には存在しない。
だから、逆に、何も考えず、何もなくなったほうが、僕にとっては正常である。
何もなくなると、日本語がきちんと分かるようになる。日本語は何もない人間にしか分からない。なぜなら、普通の正常な子供には何もないからだ。
昔の僕と同じことが分かりたいならば、何もなくなることだ。
何もなくなった人間にしか「精神」は分からない。なぜなら、そのような人間が分かっている「精神」とは、すべて「何もない状態の精神」だからだ。
そもそも、僕が馬鹿になったのは、あまりに認識を書きすぎたからだ。
認識を書いて、認識を証明して、認識を破壊しすぎたせいで、僕は何も分からなくなった。
だが、そこにある真の問題は、「精神が増えすぎた」ということである。
すなわち、何かを書いた時点で、その書いたことが「おかしな精神」として作り出されている。この作ったおかしな精神のせいで、僕は何も分からなくても分かるようになった。
この、書くことで作り出されたおかしな精神こそが、僕が馬鹿になっている元凶である。
だから、このおかしな精神を消すことで、僕は賢くなれる。
おかしな精神を消すために必要なのは、「何もなくなる」ことだ。
逆に、大切なことを忘れずに、大事に覚えておこうとし続けるせいで、僕はまともなことが分からなくなり、大人として生きることができなくなっている。
だから、大切なことはそろそろ忘れたほうがいい。それだけで、僕の「馬鹿になる病気」は治る。
そもそも、僕が男なのに女になった理由は、「何かある状態を保ち続ける」せいである。
普通、女は、何もなくなることができない。
男は、何もなくなるのが楽なのに、女は、何もなくなるのが辛い。その理由は、男は常に何もない状態を保ち続けるのに、女は何かある状態を保ち続けるからだ。
だから、結婚は悲惨なことになる。男は何もなくなるのを好むのに、女は何もなくなるのを嫌う。そのせいで両者の関係は嫌い合うようになる。それが結婚の「欠陥」である。
そして、僕は何もなくなるだけで、いつもの男に戻ることができる。
何かある状態を保ち続けるということは、何も分からない馬鹿の状態を保ち続けるということであり、その通り、女は馬鹿な状態を保ち続けることでしか生きられない。だから、女は常に馬鹿な女になる。逆に、男には何もない状態を保ち続けることしかできない。だから、賢い男には何も分からない。女が普通に分かることが男には分からない。
だから、何かが分かりたいならば、僕のように、男と女を完全に分離した上で、男の人生を20年生きた後で女の人生を15年生きるしかない。それが僕の35年間の人生であり、昔と同じようなことが分かりたいのであれば、男に戻るだけですぐに分かる。
どうでもいいかもしれないが、今日は以下のような野球のニュースを読んでいた。
【中日】高橋宏斗が味方の細川にデッドボール “由伸フォーム”で大乱調(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
僕は高橋宏斗という選手のことをなんにも知らないが、「何かのモノマネから自分の持ち味を消す」ということはよくないことだと思う。
僕は基本的に、このホームページからパクリを消す。パクったのが明らかな内容は全部消すし、修正しなければならないところは全部修正する。「パクリも残す」という発想は一切しない。
ただし、過去に何も考えずにホームページを書いていたせいで、明らかにまだ残っている。だから、ほとんどそのパクリを消すためにこのホームページをまだ書いている。
何かのモノマネから、自分の持ち味を消さないほうがいい。高橋宏斗選手には、自分の今持っているものが「第一に守るべき宝」であると知ってほしい。野球の投球フォームの改造は元に戻らない。今まで確立してきたものは山本由伸よりも優れたものになる。それを消すと山本由伸を逆に超えられなくなるだろう。さらに上を目指すために、そのことを承知の上で頑張ってほしい。野球は難しい。