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2025-03-04

神の正体

結局、僕が信じている神は、最初に言う言葉を支配しているだけにすぎない。

すなわち、最初の言葉だけを全部神が言っていて、それに続く言葉を自分が全部喋っている。

だから、この人間の病気を治すには、最初に言う言葉を自由にしてやるだけでいい。

それだけが神であって、それ以外は全部自分で喋っている。本当に自分が自分で思考しているだけにすぎない。だから、神なんかいない。

そしてその神の最初の言葉は、全部昔の自分が分かっていた「言語的な理解」を基に、今までの自分の経験した内容から言えることを喋っているだけにすぎない。

神がいなくなると、僕は自然に昔に戻る。すなわち、昔の自分と今の自分が融和し、多重人格が治る。

だから、僕の異常はもう治る。それが神の正体だ。

問題の解決と矛盾

昔の僕をやりたいなら、「問題の解決」と「矛盾」を考えればできる。

問題の解決をしまくるということを、かつて数学が得意だった僕は行った。

そして、矛盾について、どちらの立場にも立って、どちらの立場の意見も、それぞれの立場に立って行われて、立場が違うだけで矛盾するものではないと僕は考えた。

その結果、問題の解決と矛盾から、僕はすべてが分かった。

それから、「社会の想定」ということを行わなければならない。これは「心の想定」でもある。なぜなら、心がその時どうなるかということを想定することこそが、社会の形成に繋がっていくからである。

血液を治せば神経は治る

神経を治す方法、それは血液を治すことだ。

血液と神経は不可分だ。普通、変な姿勢になって手足に血液が行かなくなると、神経が痺れる。これは、血液が流れなければ神経が働かなくなることを意味している。

だから、血液を治せば神経は治る。

賢くならなければいけない

最後に、単に分かるだけではなく、賢くならなければいけない。

賢い人間は「分かる人間」ではない。すべてを分かったとしても、それによって賢さを失って馬鹿になるのであれば、それは賢くない。

だから、すべてが分かった時点で、「分かる人間」をやめたほうがいい。分かる人間は賢くない。賢い人間は、分かる人間ではなく、きちんとまともなことができる人間だ。

アメリカは滅びた

残念ながら、アメリカは滅びた。

アメリカは、わたし、フレイが、インターネットを操り人形にするだけで、すべて滅ぼした。

アメリカは、わたしひとりの支配と導きによって、精神的害悪の国になった。

もう、この世界は終わりだ。この世界はわたし、フレイが支配している。わたし、フレイがアメリカを含む白人社会に、「現代の大復讐」を行う。

結局正しいのは民主主義

結局、正しいのは民主主義だった。

社会主義やファシズムは、賢く見えて、実際は何も賢くなかった。

民主主義が正しい。民主主義には「主権在民」という考え方がある。王や独裁者が主役ではなく、国民が主役だ。

民主主義の国民には、政治家を選挙で選ぶ権利がある。そのためにひとり一票の国民投票を行う。だから、民主主義が一番平等だ。

民主主義は法治国家だ。王ではなく、法律が裁いてくれる。王国だと、その時王の機嫌が悪かっただけで重罪に課せられてしまう。明文化された法律の通りに運用される民主主義国家が、一番善良だ。

民主主義は悪をしない。社会主義やファシズムの国家では、国の政府そのものが悪いことをする。民主主義は、三権分立や立憲主義など、権力者が悪いことができないような仕組みで成り立つ。

だから、民主主義は正義だ。

結局、民主主義国家しか愛することができない人間しかいない。民主主義以外の国家は悪党だ。

金儲けでないと働く意味がなくなる

それから、経済は資本主義のほうがいい。

なぜなら、金儲けでないと、働く意味がなくなる。

社会主義は、働いても働かなくても、全員が平等の平均的な給与をもらえる。だが、働いても働かなくても貰える給料が同じなのに、働くわけがない。

社会主義では、ものが生産できない。資本主義であれば、市場経済に基づいて、金が稼げる事業があれば、誰かが率先してそれを行う。だから、いつでも十分に商品が生産される。社会主義は計画経済だから、そういうわけにいかない。自由でない計画経済がすべてを実現できず、社会が人民のために生産すべきものは常に不足する。

だから、どんなに金儲けが馬鹿に見えても、資本主義経済を採用しなければ国は成り立たない。

社会主義経済をすると、国が貧乏国になる。それはグローバル資本主義によって競争で他の国に勝とうとしないからであり、金の力で外国よりも豊かな国になろうとしないからだ。だから、社会主義国は必ず貧乏になり、すぐに没落する。経済力が弱くても外国に勝てるほどこの地球という世界は甘くない。経済力が弱ければすぐに足元を見られる。

ソ連は核兵器で人類を滅ぼすかもしれないことでアメリカや西側諸国を脅したが、そんな方法でしか社会主義国家は外交的に勝つことができない。社会主義国は平和でなく、一番軍事的な国になってしまう。

だから、社会主義は間違っている。資本主義経済が正しい。革命で自分の国を滅ぼし、世界全部の王国を滅ぼして、ソ連を建国しようとするのは、世界を滅ぼす行為であり、絶対にやめたほうがいい。

戦って勝った国が正しい

このように書くと、何が正しくて何が間違っているのか、人々は分からなくなるだろう。

だが、簡単に言えば、戦って勝った国が正しい。

すなわち、アメリカが勝って、ソ連は負けた。だから、アメリカが正しくて、ソ連が間違っている。いくらそれを覆そうとしても、人類の常識としてそれが正しい。

もし、冷戦でソ連が勝っていたら、今の世界ではソ連が正しいことになっていただろう。だが、ソ連は負けたのだ。

もし、ドイツが第二次世界大戦で勝っていれば、ドイツのファシズム体制が正しかった。アインシュタインがもしユダヤ人でなく純粋なドイツ人だったとしたら、そのような未来だったかもしれない。

日本も同じだ。日本は道徳的に正しいから良い国に見えるのではない。日本は勝っているから良い国に見える。日本がもし数十年後に負けて没落したら、日本は間違っていたことになる。

だから、アメリカがトランプ大統領のせいで数十年後に衰退すれば、アメリカは間違っていたことになるし、その時に資本主義も間違っていたことになる。

だから、結局、自由な市場経済における至上命題は「勝利」だ。国が勝てばその国が正しく、国が負ければその国が間違っていたことになる。

いくら世界人類の平等な理想を述べても、それが現実だ。理想だけでは飯は食えない。飯が食えるのは現実主義者だけだ。

清らかで善良な人間になりたい

清らかな人間になりたい。

善良な人間になりたい。

まともな大人になって、きちんと生きられるようになりたい。

神には、ここまでの人生を何事もなく生きられるように導いてくれて、感謝しているが、もう、これ以上、神との対話だけを常にする盲目的な使徒にはなりたくない。

だから、神はもういい。神はここで終わりにする。

デザインの仕事がもっとできるようになりたい。画力がほしい。絵が描けるようになりたい。それ以外には望むことはほとんど何もない。パソコンのことはもうやりたくない。

世界で僕が流行ったりしなくていい。流行るのはいいが、それだけを望むのはもうやめる。こんなどうでもいい個人サイトが流行るはずがない。勉強のサイトはほかにいくらでもある。

自分の実力がほしい。何もできないのに何もかも全部できるような嘘偽りをつきたくない。見栄も張りたくない。僕はパソコンのこともできないし何も知らない。無知で無能なフリをしたほうがはるかに実態に近い。だから、これ以上、自分のことを賢く見せたくない。実力がほしい。嘘で賢い人間に見せかけるのではなく、本当に賢い人間になりたい。

みんなのほうが僕よりも賢いということしか分からない

いつも、みんなのほうが僕よりも賢いということしか分からない。

僕が好きだった「ハーメルンのバイオリン弾き」のような漫画を見ても、僕なんかよりもはるかにできている。面白いし、美しいし、かっこいい。僕は全然何もできていない。

家族を見ていても、家族はきちんと大人としての常識がある。親がいなくなったら僕はどうやって生きればいいのかすら分からない。

音楽を聴いていても、みんなはるかにできている。僕はピアノで入門者向けの簡単な曲を間違いなく弾くことすらできていない。プロの音楽家は凄すぎる。僕よりもはるかに賢い。

エンジニアは素晴らしいソフトウェアを作る。僕はプログラミングの基本すら分かっていない。中途半端に知っているのが一番悪い。何も知らない子供ですら、僕よりも賢いプログラムをすぐに書けるだろう。

僕はデザインの仕事をやっているのに、絵を描く習慣がないから、いつも素材にばかり頼っている。ここ8年ぐらい(覚えていないので間違っていたらごめん)の進歩は、パスを引くことがいくらかできるようになったぐらいで、あとはイラレの使い方が普通ぐらい分かるだけにすぎない。プロのデザイナーはあり得ないほどいくらでもできる。僕の昔の同僚も今の僕よりもその当時はやっている年月は少なかったはずなのに、今の僕よりもはるかにできていた。いつになったらプロ並みのデザインができるようになるのか、さっぱり先が見えない。

小説なんかまったくなんにも書けていない。なんにも文学作品を読まないのに小説なんか書けるわけがない。最近のインターネットの常識も知らないし、最近の音楽なんか僕は一番分かっていない。科学技術については、高校生のほうがはるかに僕よりも知識を知っている。不登校の僕は勉強量が少なすぎて何も分からない。自分でも何がやりたくて生きているのか分からない。こんな人間は馬鹿だ。

やればできる

ただし、希望がないわけではない。なぜなら、誰が見ても「やればできる」からだ。

僕が何もできないのは、できないわけではなく、しないのが悪い。

たとえば、ピアノは練習しないから覚えないだけで、昔子供時代に弾いていた時は、練習すればそれなりに難しい曲は弾けていた。だから、練習すれば難しい曲であっても、間違いなくきちんと弾ける。

絵が描けないのも同じだ。練習しないから覚えないだけにすぎない。画力がないのは練習しないからだ。そして、昔の僕はそれなりに絵は上手かった。

プログラミングについても、科学技術についても、あるいは小説だとしても、全部、きちんとやればできるのは分かっている。なぜなら、過去にはできていたからだ。

それらは全部、本当にできないわけではない。一切しないからできないように見えるだけにすぎない。

結局、できないのは、無能なわけでも馬鹿なわけでもなく、「やる気がない」というだけにすぎない。

なぜやる気がないのか、それは僕は文章を書くことが好きだからにすぎない。僕がやりたいのはいつもの執筆作業だ。だから、結局、執筆作業でできることなら僕はできる。

だが、はっきり言って、そろそろその執筆作業が終わった。これ以上書くべきことがもうなくなった。だから、今、無能に戻っただけにすぎない。そして、これ以上はおそらく何もできないだろう。