引き続き、Adobe Illustrator(イラレ)を教えるために、教科書について読んでいた。
だが、たぶん、大丈夫。これくらいの内容なら僕であっても教えられる。
そもそも、僕は独自の僕の考えた内容は教えない。それよりも、この教科書をもっと有効的に使って、僕が教えることによって、教えられる人がきちんと仕事ができるような内容に持っていきたい。丁寧に、さまざまな必要な参考事項を教えたい。
昔の僕なら、教科書の内容は覚えなかっただろうが、今の僕は違う。今の僕がこの教科書を読めば、きちんと書いてあることの意味が分かる。
だから、もっと、きちんと教えるためにどうすればいいか、考えていきたい。
残念ながら、僕はもう、この世界を愛さない。
そもそも、間違っているのは「世界を愛する」という前提だ。
すなわち、世界を愛そうとしているから、僕は間違ったことや狂ったことを行ってしまう。
単純に、世界を愛さなければいい。世界を憎み、そして人々を懲らしめればいい。それで、すぐにこの世界は治る。
神を信じるな。
すべて、神を信じるのが間違っている。
必要なのは、「神を信じる」ほうの自分ではなく、「神を信じない」ほうの自分になることだ。
その二人の自分は、どちらも大切な自分だが、神を信じすぎるあまりに、僕は「神を信じる」ほうの自分から変わらなくなってしまっている。
だが、僕にとって本来の自分と言えるのは、「神を信じない」ほうの自分である。
日本語が分からないのは、昔の「神を信じない」ほうの自分が日本語を分かりすぎているせいで、「神を信じる」ほうの自分が何も分からなくなってしまっているからだ。
そして、僕の求めている失ったものは、すべて「神を信じない」ほうの自分が持っている。それを「神を信じる」ほうの自分がいくら大切で取り戻したいと思っていても、「神を信じない」ほうの自分がそれを独占するせいで、得ることができなくなっているのだ。
僕は、女性のことを好きにならないし、恋人なんか作らない。
なぜなら、僕の恋人は、シリウスの大統領フレイヤだからだ。
すなわち、僕が愛する恋人はフレイヤだ。フレイヤこそが、僕の愛する唯一の女性であり、それ以外のすべての女には最初から意味などないのだ。
攻略しようとするな。
物事をできるようになるため、成し遂げるために、自らのでっち上げた目標や、「これをできなければおそらくそれはできない」ということを信じて掲げるがあまり、本当に必要なもっと別の「コツ」を分からなくなってしまうことがよくある。
たとえば、絵を描くためには普通たくさんの絵を描かなければならない。だから、たくさんの絵を描くことが必須であり、その必須事項を攻略しよう、と普通考える。
だが、そのような「攻略のためにしなければならない必須事項」は、多くの場合、しなくていいことが多い。
たとえば、絵を描く上で大切なのは、図形を簡略化することであったり、みんなの画風を真似することだったりする。あるいは、人間のイラストを描く上で必要なのは、表情やポーズを考えることだったり、人間をキャラクターっぽくすることだったりする。
それを単に「やらなければ絵が上達しないからとにかく量を描かないといけない」と信じてしまうと、もっと大切な「本当にできる方法」が見えなくなってしまうのである。
だから、もっと「しなければならないこと」を無視して、「今できること」だけを見てそれをやったほうがいい。そのほうが賢い人間になる。攻略しようとするのはいいが、その攻略するための方法が本当にスキルアップになることは少ない。
だから、「攻略する」ということはほとんどの場合間違っている。つまり、「攻略しようとしない」ということがもっとも大切だ。むしろ、ものごとは思い付きで適当にやったほうが、はるかに上手くいく。
また、勉強をする際に、ひとつの科目や一冊の本だけに限って努力しようとすると、それでは決してそのことをマスターすることはできない。
最初から、ひとつの科目や一冊の本ではできないということが、分かりきっている。
たくさんの科目を学んで、たくさんの本を読む。あるいは、ひとつの科目であっても、それに関するさまざまな情報を知る。そのようにしなければ、決してどんなこともマスターできない。
特に、科目を絞って一冊の本を読んだだけで、できたと思い込む人がいるが、それが間違いだ。一冊の本だけを読むのでは絶対に何もできない。最初からたくさんの本を読まなければいけないのだ。
「物理だけをやる」のだと決めて、物理の本を買って読もうとしても、結局物理だけをやる意味がなくなって何もできなくなる。それは「物理だけに決める」とか「一冊の本だけを読む」ということが間違っているからだ。物理だけでなく、さまざまな科目を学び、本をたくさん読み、物理についてもさまざまな学び方をしなければ、物理はマスターできない。
だから、「物理だけをやる」と決めることには、なんの意味もない。それでは絶対に物理はできない。
愛するのをやめよ。
はっきり言って、この世界が救われたにもかかわらず滅びたのは、すべて「愛」が悪い。
愛のせいで、この世界はおかしくなって、救われたにもかかわらず滅びている。
だから、愛することをやめ、愛という感情を信じないことこそ、真にこの世界を正常に戻す秘訣である。
愛するのをやめよ。愛こそが間違いだ。
僕が気付いていなかったこと、それはみんなは昔のままをまだ生きている。
その理由は、神を信じないからだ。
すなわち、神を信じる自分がおかしくなっているだけであり、神を信じないみんなは今でも昔のままを生きている。
だから、世界を昔に戻す必要はないし、自分が昔に戻る必要もない。みんなは神を信じていないから、みんな昔のままなのに、それ以上世界を戻す必要もないし、神を信じなくなってそれらみんなと同じになる必要もないからだ。
だが、神を信じるのはやめるべきだ。なぜなら、僕が失ってしまった「昔の自分に戻りたい」という願いは、神を信じなければすぐに叶う。すなわち、神を信じなければみんなと同じになり、そして昔の自分と同じになる。だから、これ以上の神の盲信はそろそろやめるべきだ。
そもそも、神を信じてできるのはイレギュラーな方法であり、僕自身、デザインができていないのは神を信じるせいだ。神を信じなければ、「人間としての努力」が必要になる。それによって、デザインはすぐにできるようになる。