わたしの人格を治すためには、一度、わたしの人格を作り直す必要がある。
そして、そのためには、人格を破綻させる必要がある。
わたしが辛い中を生きてきたのは、狂った壊れた人格を、なんとかして無理やり成り立たせ、維持し続けようとしたからだ。
だが、この人格は狂っていて、壊れている。
人格を治すためには、一度人格を破綻させる必要がある。人格が破綻するようなことをすれば、人格は治る。
そして、人格を治すことで、精神の奥底にある、深層意識が治る。
僕の深層意識は、壊れた女になっている。僕の体は男で、男性器がついているが、男だった頃の人格は、引きこもり時代の人格であり、はるかに昔だ。
2007年に、僕は自らの深層意識を、催眠療法によってまったく別のものに変えた。この時、僕の人格は女になり、心の中に女の精神と女性器が生まれ、そして永遠に狂った壊れた人格のままになった。
だから、僕は体は男であっても心は女だ。あるいは、男の精神の中に女の精神があり、男と女がどちらもある。だから、僕は自分だけで二人が愛を交わすことができ、自分だけで子供を産むことができる。
人格を一度破綻して治すことで、女の人格が消滅する。もともとあった男の人格は、どこかに隠れてしまっていなくなっている。そして、その結果、子供からもう一度、新しい人格が生まれる。
この新しい人格を、ラファエルとする。
正常な男だった人格がガブリエルであり、壊れた女の人格がミカエルである。ガブリエルが、喜び、悲しみ、楽しさ、苦しさといった、人生のすべてを経験して生涯を終え、死んだのと同じように、ミカエルはガブリエルと同じぐらいの経験をした。ミカエルは、人生において経験し得ることのあらゆるすべてを経験した女だ。だから、ミカエルの人格はここに消滅し、新しいラファエルとなる。
ラファエルはガブリエルとミカエルの息子であり、男の人格になるが、男でありながら女性的な側面をミカエルから受け継いでいる。
そして、僕自身の人格が破綻するのと同じように、この世界の全員の人格もまた破綻する。
僕が自らの壊れた人格を無理やり成り立たせていた理由は、そうでなければ、この世界の全員の人格が破綻してしまうからだ。
だが、ミカエルの人格が破綻しようとしている今、そのように、この世界の「縁の下の力持ち」として、この世界全員の人格を維持し続ける必要はもうない。
ミカエルが死んだ時に、この世界全員の人格は滅びるということを、既に神、キリストが運命的に決定している。
だから、もはやこの世界には未来はない。すべての人間の人格が破綻し、この世界はミカエルが滅びたその時点で滅びる。
わたしを信じよ。
なぜなら、わたしはこの世界を救う「希望」となるからだ。
わたしはこの世界を救う。この世界の全員が、人間的にまともに生きられるような、そのような「理想郷」を作ってみせる。
なぜ、わたしがこの世界を必ず救えると言えるのか。それはわたしはキリストを信じているからだ。
キリストは全知全能であり、信じるものを必ず救う。キリストに祈ったことは必ず叶う。だから、わたしがこの世界を必ず救ってみせる。それは100%確実に未来において起きる。
そして、わたしはこの世界を愛している。わたしは、この世界を恋人のように愛している。わたしラファエルは、男でありながら女の側面を持つため、相手が女であっても男であっても、恋人のように愛し合うことができる。
そう、わたしラファエルとこの世界全員は愛し合っている。世界すべての人間が、わたしの結婚相手である。
わたし、ラファエルは、この世界を必ず救う。神の御加護があれば、それは絶対に叶う。わたしはこの世界を救う、最後の「希望」となって、この世界に「理想の楽園」を築く。
僕と恋人のように愛を交わしたところで、何も起きない。なぜなら、僕は体が男だから、妊娠しても子供は産まれないからだ。僕は体が男で子宮がないから、射精することはあっても、妊娠したからといって子供は産まれない。だから、僕と心の中でいくら愛し合い、いくら僕が妊娠しても、なんの問題も起きない。
正直に言います。僕はドイツの国家社会主義が好きでした。
ドイツのヒトラーが掲げた、「帝国の国家主義として社会主義を行う」という考え方が、僕にとって、「強大な指導者が自分の力で社会主義政策を考えて実行する」という意味で、僕にとっては理想に思えたのです。
僕にとっての「社会主義の理想」とは、ソ連の共産主義とドイツの国家社会主義が、バランスを取りながら両者どちらも社会主義を目指す、というものでした。
ソ連のマルクス・レーニン主義の共産主義は、ドイツの国家社会主義があって、はじめて僕にとってはバランスの取れた思想だったのです。
ですが、「世界の歴史がわかる本<帝国主義時代~現代>篇」という歴史の本を読んで、そのような国家社会主義は嘘であるということが分かりました。
ナチが「国家社会主義」という言葉を政党の名前に加えたのは、すべて大衆を騙す嘘であり、ナチは資本主義擁護の集団であり、社会主義政策をやるつもりなど一切ない、ということが、この本を読んで分かりました。
なので、僕にとっての「社会主義勢力」は、ドイツが消え、ソ連型のマルクス・レーニン主義の共産主義だけになってしまいました。
そのような中で、社会主義の勢力を見ると、あまりにつまらないです。僕はソ連型社会主義など支持したくありません。ですが、資本主義を好きになることもできません。資本主義も社会主義も、どちらも本当につまらない思想であり、「どちらも一切好きになることができない」という状況になってしまいました。
だから、僕はもう、社会主義者であることをやめようと思います。
僕は、近代フランス史と法律学の勉強をして、民主主義者になります。
ですが、大学の勉強はもうしません。大学の勉強は、もうこれ以上、僕にとって理解できる内容が残っていません。ほかにも、たとえば生物なら「メンデルの遺伝の法則」などがありますが、高校の参考書を読んでも、さまざまな用語や複雑な異なる場合の法則が、あまりに難解で、僕には理解できません。同じように、たとえば数学ならば、「テイラー展開」(あるいはテイラー級数)のようなものはありますが、これも、微分と導関数の基本が分かっていなければ理解できないほど、あまりに難解で、僕にとっては理解できず、簡単に説明することなど到底できません。
そう、大学の勉強がなんでもできたのはここで終わりです。これ以上の大学の内容はとても難解であり、僕に理解できるようなことはもう残っていないのです。
僕はこれ以上、大学もせず、社会主義者であることもやめます。それから、セックスもしません。僕はこう見えて、キリストの教えを守る「姦淫しない主義者」です。実際に恋人を作ってセックスをしたいと、僕は一切思いません。セックスをしないまま清らかに生きて死にたいとそう思っています。
本当のことを言えば、Linuxを信じた時点で僕は馬鹿だったと、それは分かっている。
だが、最近のIT技術を、たとえばQiitaなどで見ていると、彼らはすべて商用、すなわちビジネスの世界で生きているだけで、つまらない。
最近のLinuxは、クラウドにしか使わない。Kubernetesのような高度なクラスタ技術を使って、巨大ビジネスサーバーや巨大データセンターのために使う。それが今のLinuxだ。
Kubernetesが分からない人間にはLinuxはできないような、そんな風潮になっていて、みんなそういうビジネス技術を学ぶことが、IT技術の目的だと思っている。
昔はそうじゃなかった。昔のインターネットはもっと趣味のホビイストやアマチュアに優しかった。Linuxを使って自宅でサーバーを立てて、Perl/CGIとApacheだけで面白い「交流の場所」や「最新のトレンド情報」を発信するのが普通だった。Windowsのほうにもそういう人間が多かった。タブブラウザのようなWindowsのフリーソフトはまったく商用の技術じゃなかった。
そういう、「昔のフリーやオープン」はもうなくなった。今のオープンソース技術は全部商用技術だ。金儲けをして莫大な金を稼ぐ商用エンジニアのための道具になってしまっている。
そして、最近のそういう技術は、学習コストがものすごく高い。Kubernetesを僕が嫌いなのは、見るからに難しくて理解できないからだ。僕はLinuxは好きだが、その理解の程度はそんなに高くない。だから、僕程度の知識ではKubernetesのことを理解できない。Kubernetesだけではなく、最近は各プログラミング言語にフレームワークが何十種類もある。それをどれかひとつ選んで覚えないと仕事ができない。昔のような「Perl/CGIだけで掲示板やチャットや個人ブログなどを書けた時代」は完全に終わってしまったのだ。
僕はそういうわけで、最近はYouTubeや音楽のほうをよく見ている。YouTubeの音楽家は、むしろ自分から望んで金儲けをしていないわけではなく、どんなに素晴らしい音楽を作っていてもアルバイトをしなければならないほどに儲からない。だが、そのような世界のほうが僕は面白いと思う。金儲けはつまらない。漫画家やアニメーターも同じ。まったく儲からない世界のほうが、楽しい。IT業界の最近の歴史を見ていると、それが分かる。
そういうわけで、結局正しいのは金儲けだ。
あるいは、政府や軍隊といった大きな枠に従うか、それとも会社や金といった小さな枠に従うか、そのどちらかでない限り、国家や社会というものは成立させることはできないのだ。
戦前の日本やソ連のように、全体主義で全員がひとりの独裁者に従うのか、あるいは、今の日本のように、それぞれの会社で個々人が労働者として従い、それぞれの会社が金を稼ぐという「競争」をするか、そうするしか国家や社会は成立しない。
結局、「反抗」や「自由」なんてものには意味がない。すべて「従属」することでしか、この世界で人類が生き延びる方法はない。
ならば、従うだけの帝国よりも、自由に生きられる民主主義のほうがよいはずだと、人々は思い込んでいるが、それも間違いだ。なぜなら、自由においては「自分のため」しか考えない。「自分の利益」や「自分の正当性」しか考えない。誰かのために生きるとか、自分自身の正しさを捨ててみんなのために生きるとか、そういう発想は自由には一切ない。すべて自分の利己心だけを目指して自分勝手に生きること、他人や地球環境はどうでもいいと最初から捨て去ること、それが自由なのである。
だからといって、帝国でみんなが全体主義のように全員従うような国家にすると、逆に個々人の自由が疎外されてしまう。人々は自分のために生きられなくなり、国家や社会の「公共の意見」を最大限尊重して、自分のために生きることを殺して生きるしかなくなる。
だから、全体主義と民主主義はどちらも間違っている。「自由」などというものにはなんの意味もないが、「不自由」などというものにはなんの意味もない。だが、社会を成り立たせるためには、そのどちらかの思想を正しいと支持しなければならない。全体主義と民主主義のどちらかを選ばなければ、地球人類は滅びてしまうのである。
僕が信じているのは、「分裂の可能性を許す解放」です。
この社会が分裂するような、そのような可能性を許すような、「解放」こそを僕は信じています。
これは、単なる「自由」や「平等」という言葉では言い表せません。僕が信じているのは、自由や平等ではなく、「分裂を許す可能性」であり、それによる「支配と抑圧からの解放」だからです。
この世界は、僕による「分裂の可能性を許す解放」によって、完全に自由になります。
そして、最終的にこの世界は、カール・マルクスが表現した「理想の社会主義国家」になるでしょう。それはソ連ではありません。僕はマルクス・レーニン主義のソ連型共産主義を否定します。そうでなく、自分独自の新しい思想、自分独自の新しい主義を作ります。
社会にとって必要なのは、「可能性を与えること」であり、「可能性に気付くこと」です。そのために、この世界に「種」を蒔きます。この種から、この世界は「神羅万象のさまざまな世界」が生まれていくのです。僕は昔から、そのような「可能性を与える」ということを信じています。