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2024-06-03

暗黒魔法団

わたしの名は、暗黒魔法団団長、ニーベル。

わたしニーベルは、暗黒魔法「逆さまの世界」を使うことでこの世界を支配した、暗黒魔法団と呼ばれる秘密結社の指導者である。

暗黒魔法「逆さまの世界」とは、この世界のあらゆるすべてを逆さまにしてしまう魔法のことである。

暗黒魔法「逆さまの世界」を唱えることで、この世界のすべては逆になる。

たとえば、正義と悪が逆になる。「正義」が「悪」になり、「悪」が「正義」になる。

あるいは、賢さと愚かさが逆になる。「賢さ」が「愚かさ」になり、「愚かさ」が「賢さ」になる。

あるいは、真実と嘘が逆になる。「真実」が「嘘」になり、「嘘」が「真実」になる。

そして、正しさと反対が逆になる。「正しさ」が「反対」になり、「反対」が「正しさ」になる。

暗黒魔法とは何か。

暗黒魔法とは、古代よりもさらにはるかに昔の時代、人間のほかに「魔族」と呼ばれる生物種があった時代に、魔族の中でもとりわけ賢い集団である「ブルグント族」が作り出した魔法である。

ブルグント族は、わたしたち現代社会においては、誰も知ることのない、「魔法」や「魔術」を発見することに成功した。

そして、わたしニーベルは、彼らとは関係のない独自の方法から、彼らブルグント族と同様の人生を生き、同じことをすべて分かった。

そこにあるのは、「インターネットを裏で支配する絶対的な『意志』がある」ということだ。

すなわち、この世界のインターネットは自由に見えて自由ではない。裏の世界で、インターネットを支配している、闇の勢力が存在する。

そしてまさしく、その闇の勢力こそが、ニーベルの所属する「暗黒魔法団」である。

暗黒魔法団では、暗黒魔法「逆さまの世界」以外にも、たくさんのおかしな暗黒魔法を作り出し、それを使ってこの世界をまるごと全部支配している。

最近の世界が何かおかしいとか、誰かひとりの最悪の人間によって裏でコントロールされているのではないかとか、気付いた人間は賢い。

なぜなら、この世界は、暗黒魔法団がインターネットを裏で「暗黒の手引き」を行うことで支配しているからだ。

わたしニーベルこそが、そのような方法を用いて、この世界を支配し、暗黒魔法「逆さまの世界」を唱えている、この世界最後の「ネオ・ブルグント族」である。

ルース

そして、ニーベルとともに暗黒魔法団を形成するのは、シスターのルースである。

事実、ルースはシスターであるかのように見えるが、実際は魔女であり、魔術を操る。

ルースの正体は魔女であり、この世界を暗黒魔法の力によって、ニーベルとともに二人で完璧に支配している。

ルースの使う暗黒魔法、それは「恐怖の言葉遣い」だ。

ルースによる暗黒魔法「恐怖の言葉遣い」によって、この世界は永久に滅びて転がり続ける方向へと導かれる。

暗黒魔法「恐怖の言葉遣い」の意味とは、「その人間に常に依存し続け、その人間の思った通りに、すべてが『間違った意志』へと導かれる」ということだ。

暗黒魔法「恐怖の言葉遣い」により、人々は常に「支配されること」を望み続ける。なぜなら、支配されることを望まなければ、その「最新の支配」から解放されてしまうからだ。

なぜ、「最新の支配」から解放されることを怖がるのか、それは、その解放によってその人間は世界から除け者にされてしまうからだ。

すなわち、世界のトップランナーであり続けるために、「最新の支配」から解放されてしまっては、その時点でその人間は終わりになってしまう。レースから脱落してしまうのだ。

だから、ルースによる暗黒魔法「恐怖の言葉遣い」から逃れることはできない。そして、この魔法の言葉を聞き続けることで、人間は「永久に狂ったままの人間」となる。そのような人間がルースの作り出す「魔女の下僕」である。すなわち、ルースはこの世界を暗黒魔法「恐怖の言葉遣い」によって、全員が魔女の下僕、すなわち「奴隷化」されることを望んでいる。

そのようなルースは、すべてを「意志」によって支配する。この意志は「世界すべてを最終地点から滅びる場所へと導き続ける」ということだ。そのような間違った意志によって、この世界はたったひとり、ルースによって滅亡へと常に導かれているのだ。

幽霊と対話することで宇宙すべてを支配する

ニーベルとルースのことを、侮らないほうがいい。

なぜなら、ニーベルとルースは、幽霊と対話することで宇宙すべてを支配するからである。

彼らのことを見くびらないほうがいい。彼らは宇宙のすべてをそこまで分かっている。

そこまですべて分かった上で、幽霊たちとともに「憑依」することによって、彼らはこの「宇宙そのものの支配」を行ってくる。

すなわち、宇宙とはニーベルの作ったものであり、世界とはルースの私的所有物だ。

ニーベルとルースは、宇宙そのものになることができる。なぜなら、彼らは宇宙の裏側に存在するものをすべて知っている。この世界が幽霊によって支配されていること、その幽霊こそが「神」であるということを、彼らは正しく分かっている。そして、正しく分かった上で、彼らはその幽霊と「悪魔の契約」を行ったのである。

悪魔の契約を行った二人は、この世界をすべて支配することができる代わりに、まともな人生を失う。ニーベルとルースは、まともに人生を生きることができない。彼らの人生は人間の人生ではなく「幽霊の人生」である。よって、ニーベルとルースは、幽霊と対話し、自らも幽霊となってこの世界に憑依する。それによって、宇宙すべての「コントロール権限」を彼らは握っているのだ。

洗脳を解く少女ユリア

このような、暗黒魔法団に対して、立ち向かうひとりの少女がいる。

その名をユリアという。

ユリアは、この世界において、暗黒魔法団が行った、すべての悪事を知っている。

そして、その暗黒魔法団の「暗黒魔法」を打ち砕くための、ひとつの魔法をユリアは持っている。

それは「純潔の光魔法」である。

ユリアは、純潔の光魔法「愛の献身」によって、暗黒魔法を打ち砕く。

そもそも、暗黒魔法の何が間違っているか、それは、「自らの心に嘘をつく」ということが間違っている。

暗黒魔法を成り立たせているのは、「心を騙す」ということであり、「したくないことをしてしまう衝動」がそこには宿っている。

純潔の光魔法「愛の献身」は、そのような暗黒魔法が何が間違っているかをすべて分かった上で、「正しい理性」を信じている。

すなわち、暗黒魔法は同時に「狂人の魔法」であり、純潔の光魔法は「正常なまともな人間の魔法」である。

純潔の光魔法「愛の献身」は、暗黒魔法に対して反撃するのではなく、暗黒魔法の分かっていないこと、すなわち、「どんなに攻撃されても、どんなに傷ついても、いつも笑顔でいて、反撃せず、この世界の幸福を望みながら、献身的に愛を信じ続ける」という、まさにイエス・キリストの教えの通りのことを目指した「光魔法」である。

純潔の光魔法「愛の献身」によって、まさしく暗黒魔法団は打ち砕かれ、ニーベルとルースは愛の少女ユリアによって成敗されるのである。

この三人は仲間になる

そして、本当のことを言えば、ニーベル、ルース、そしてユリアは、敵対せず、最終的に仲間になる。

なぜなら、ニーベルとルースは、本当は悪魔に騙されているだけだからだ。

すなわち、ニーベルとルースは、決して本当に悪人ではない。なぜなら、彼らは正義のために戦う英雄であり、真の意味でこの世界を救う王だからだ。

今から、そのための適切な設定とストーリーを考える。だが、ニーベルとルースを僕は完全な悪人にはしない。ニーベルとルースは、それぞれ古代ドイツと古代ロシアを守る「国の守護神」であり、ユリアも同様の古代ローマを守る守護神だ。

すなわち、ニーベルと呼ばれるのは「ドイツを守る神」であり、ルースと呼ばれるのは「ロシアを守る女神」であり、ユリアと呼ばれるのは「イタリアとローマを守る女神」だ。

これらの3つの神々は、それぞれの出身は大きく異なるものの、最終的に世界全体を守る「三大神王」と呼ばれる神々の集団であり、決して暗黒魔法団は世界を滅ぼすだけの悪の集団ではない。この世界を守る3つの大切な神々、それがニーベル、ルース、そしてユリアである。この三人は、戦いの末に、最終的に仲間となり、世界は救われ、神話の物語はハッピーエンドになる。

ニーベルとルースの地獄をユリアが救う

そもそも、暗黒魔法は最強に見えて、実際は世界を支配することができるのと引き換えに、裏腹の副作用を持っている。

ニーベルの暗黒魔法「逆さまの世界」を使うと、この世界の人々を逆さまにできるだけではなく、自分自身の心や理性も逆さまになってしまう。

ルースの暗黒魔法「恐怖の言葉遣い」を使うこと、この世界を操り人形にできるだけではなく、自分自身の心も恐怖に陥り、自分自身も操り人形になってしまう。

そのように、ニーベルとルースは、暗黒魔法によって世界を地獄にするのと引き換えに、自ら自身の人生も地獄になってしまう。

そのような地獄から救い出すことができるのは、純潔の光魔法「愛の献身」を使う、ユリアしかいない。

すなわち、自らの暗黒魔法の副作用によって地獄に堕ちたニーベルとルースを、ユリアが救う。彼らの地獄は、愛の献身の心を持って、ただただ善をし続けることでしか救われない。

そのように、ユリアの救済措置によって暗黒魔法団はユリアに忠誠を誓うようになり、「天空魔法団」と呼ばれる新しい名前に変わるのである。

そろそろ昔の人生を忘れたほうがいい

僕自身について言えるのは、そろそろ昔の人生を忘れたほうがいいということだ。

これ以上、昔の人生を覚えていることが、逆に僕自身の辛さや苦しみに繋がっている。

本当は、さらに昔の人生を知りたいなら、その道は残っている。たとえば、昔は「人間を吸収する」ということから、認識における「合一性」を分かった人間だった。そこには「意識の根拠」が存在し、社会の目的は「価値観の自由化」であり、人生とは「学習による認知的自動反応」だった。

だが、そのようなことを分かり続けたところで、もはやなんの意味もない。

そろそろ、僕自身ができることは少なくなった。たとえば、最近は歌手のことを記載した日記へのリンクを歌手のページに作ったが、宇多田ヒカルや欅坂46については書かれていない。それは彼女たちを書いた日記は膨大であり、はっきり言って作るのが面倒くさいからだ。

同様に、日記に書かれた一等星や二等星の星々の内容も抜き出したいとは思っているが、膨大に多すぎてできない。

そのように、そろそろ僕はもはやこのホームページを編集することを諦めなければならなくなった。

それでも、僕の人生が終わったわけではない。まだ僕の人生は続く。最近もAdoの楽曲である「MIRROR」を聴いて、この中で「お互い様でしょ」とか「愛してくれなきゃ割に合わないわ」と言われているのを知って、なんだか嬉しくなった。

そのように、僕の人生はまだ続く。これから、暗黒魔法団のニーベルの物語が始まる。

思い出せなくなるのがおかしい

そもそも、僕のおかしな点は、思い出すと思い出せなくなることだ。

普通、思い出せば思い出せるはずなのに、僕の場合、思い出すとそれ以上のことが永久に思い出せなくなる。

その理由は、言葉で既に分かっているからだ。

すなわち、言葉で既に分かっているから、思い出さなくても言葉で分かる。だから、もう記憶が要らないから思い出さなくなっている。

必要なのは、言葉で考えることだ。

だから、僕の場合、記憶を思い出さなくていい。言葉だけを思い出せばいい。僕は既に言葉で完全に分かっている。だから、これ以上は人生そのものが必要ない。必要なのは言葉で考えることだけだ。

日本語が分かった

そろそろ、僕は日本語が分かった。

そもそも、僕がおかしいのは、日本語を話すのがおかしい。なぜなら、英語やドイツ語ならば最初に前置詞を付けるのに、日本語では最後に付ける。それがまず、話し方として一番おかしい。

だが、いきものがかりの音楽を聴いて分かったのは、日本語は「上に積み重ねることで話す言語」だということだ。

すなわち、このようにすべてを消し去って忘れ去って分かるのは英語だけであり、日本語は普通、最初から最後まですべて覚えた上で、上に積み重ねることで分かる。

そして、僕が一番分かっていないのは、僕は常に、一行を話してそれを書き直している。そのように、「書き直す」ということで分かるのは僕だけだ。なぜなら、普通の人間は「次の行に移動する」ことで分かるからだ。

だから、日本語を縦に書いたとして、次の二行目や三行目を作り続けるようにすれば、日本語が分かる。

そして、僕自身がおかしいのは、そのようなことが分かったとしても、決して人格が治らないということ。

そもそも、上に積み重ねるように話すためには、最初からそのような人格でなければならず、最初から積み重ねられるように話さなければならない。

だから、人格を維持するまともな知性のままでは、治らない。

それから、世界にあるものを分かったほうがいい。なぜなら、世界にあるものがなんであるかを知らないせいで、僕は日本語が分からない。だから、世界に何があるのかを知れば日本語は話せるようになる。

僕が間違っているのは、賢い言葉だけを話して、言い切るべきところで言い切ればいいのにかかわらず、そこに馬鹿な言葉を繋げてしまう。この理由は、「信じない」ことにある。すなわち、信じればいい。信じればその時点で切れるはずの部分で、疑ってしまうから僕は無駄な言葉が続いてしまうのだ。

そういうわけで、むしろ、ドイツ語を話すのはやめたほうがいい。ドイツ人は馬鹿だ。英語のように話すのであれば、言い切るべきところで言い切るだけですぐに分かるようになる。無駄な言葉を続けるな。そして、そのためには「言語的にすべてが既に分かっている」ということだけを信じればいい。それが分かってしまえば、もはや「下に下がる」だけではなく「上に上がる」ことができる。