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2023-12-04

わたしは平和を信じている

わたしは、平和を信じている。

この地上において、戦争によって多大な犠牲を払うような支配者や指導者は、全員、地獄に堕ちなければならない。

平和を奪うものはサタンであり、平和という理想を叶えるものは神の子である。

同時に、自由と平等を奪ってはならない。

人々の自由と平等を奪い、自分勝手に支配するような指導者は、犬畜生と同列の、人間よりも低い階級の存在であると気付け。

わたしたちは、平和を築かなければならないし、そのために国民の自由と平等を奪ってはならない。

どんなに現状の政権にとって危険であっても、すべての組織と集会に自由を与えなければならないし、不平等な身分制度を支配者や上流階級が国民に強要することがあってはならない。

なぜなら、国民のことを「奴隷化」してはいけないからだ。

世界を楽園にするのは、そのように、平和を守り、自由と平等を奪われないようにしながら、少しずつ、ひとつひとつ未来を変えていく、ということだ。

民主主義と社会主義よ、対立するな。民主主義と社会主義は自由と平等の仲間であり、わたしたちはこの世界を平和にする「架け橋」となることができる。

いじめとは奴隷

いじめをするな。

いじめとは、みんなでひとりの人間を「奴隷」にするということだ。

いじめとは、一種の「虐待」のような行為だ。ひとりの人間を地獄に追い込み、ある時は学校に来れなくなったり、ある時は生きることに堪えきれなくなって自殺したりすることもある。

わたし自身も、不登校の自殺未遂の経験者として、いじめとは「奴隷」であり、「虐待」であると高らかに叫ぶ。

いじめられっ子を救うために必要なのは、わたしのようないじめ経験者が声を上げることだ。この世界において、いじめが絶対になくなるように、わたしたちは声高らかにこの世界の闇を糾弾しなければならないのだ。

わたしは愛を求めている

このように、世界と戦い続けることを選んだわたしが、何をこの世界に求めているのか。

わたしは、「愛」を求めている。

なぜなら、わたしの人生において、正しい時代のわたしは「愛」を信じていたが、間違った時代のわたしは「愛」を信じていなかったからだ。

愛するということを信じる人間こそが正しい人生を歩み、愛するということを信じない人間は間違った人生を歩むということを、わたしは自らの人生において完璧に知っている。

だからこそ、この世界の全員は、わたしのことを愛しなさい。

わたしは、指導者としてこの世界を奴隷にしたり、下僕にしたり、といったことを好まない。わたしはこの世界を、わたしの下に存在する「奴隷」にはしたくない。福沢諭吉が言っているように、人の上に人を作ったり、人の下に人を作ったりするのは、絶対に間違っているからだ。

だから、わたしと対等な存在として、わたしのことを愛しなさい。自由や平等といった理想よりも、「愛」と呼ばれる理想は勝る。わたしのことを愛せ。あなたがたが全員わたしのことを愛するなら、わたしもあなたがたのことをひとりひとり対等に愛するだろう。

そう、わたしはこの世界に「愛」を求めているのだ。

国民に自由と力を与えよ

国民から自由と力を奪わず、国民に自由と力を与えよ。

そもそも、王がひとりしか存在せず、その王が全権を委任されるということは間違っている。

人々に平等な自由の権利と力を与え、服従するのではなく、自分の自由意志で考えて、それぞれが支配を行うべきである。

「もし、独立した自治区が自分たちの意志で、みんなで悪いことをしたらどうするのか」と、国民から自由を奪うことを信じている人間たちは言う。

だが、王や首相がひとりで支配して、それよりもマシな状況が起きると、果たして言えるのか。

正しいのは、国民から自由を奪う平和ではなく、国民に自由を与える平和である。

あるいは、支配者の側につくものは、「命令が絶対であったとしても、その命令を自分から選んで行うのと同じ気持ちと忠誠心で、その命令に従えばいい」と言う。

だが、自分の自由意志で決めよと言われても、支配者の命令を絶対に聞き従うのと同じような選択や決断をすることもできる。

つまり、どのように考えたところで、正しいのはすべてを自由にし、国民に自由と力を与えることなのである。

金持ちが嫌い

僕は、金持ちが嫌いだ。

資本主義の金持ちは反吐が出る。自らがたくさん金を持っているというだけで、自分たちにとって都合のいいことを行い、自分たちの富をさらに増やし、自分たちが「特別な権利」を持っていると勘違いする。

金儲けをすること自体は悪いことではない。だが、その目的と理想は、金儲けをして自分たちの富を増やすということではなく、国家のため、社会のためであるべきである。

特に民主主義が間違っている点として、民主主義は「自分のため」にしか行動せず、「他人のため」や「人々のため」に行動することがない。

だから、特に株式会社など、金を増やすということだけが至上命題になった時は、「自らの利己心から自らの富を増やすことのためだけに生きている」という生き方を、自分が望んでいても望んでいなくても強要される。

はっきり言って、資本主義は完全に間違っている。この世界において正しいのは「資本主義一択」では決してない。わたしたちは、ソ連のやり方が劣悪で間違っていたため、「資本主義以外に選択肢はない」と勘違いしている。だが、それこそがまさに「思い込み」「先入観」そして「洗脳」である。「資本主義と自由が正しい」と信じるものは、思い込みと先入観にあふれた、西側諸国に洗脳された人間である。

自分のためではなくみんなのために働く

社会主義の労働者は、資本主義の労働者よりも賢い。

なぜなら、社会主義の労働者は「みんなのため」に働いており、資本主義の労働者は「自分のため」に働いているからだ。

確かに、自分で稼いだ分を自分で得られないために、労働するモチベーションが削がれるという欠点はある。

だが、自らが働いた利益が、自らのためではなく社会のために使われるならば、「社会を助けるためにわたしたちは共産するのだ」というモチベーションが生まれるはずである。

実際は、現実世界の経済はそんなに単純ではない。社会のために働くような社会主義の労働者は少ない。だが、社会主義経済の理想そのものは間違っていない。カール・マルクスは、決して間違った経済学者ではない。

そう、「わたしの所属する会社のために働く」ということと、「社会主義の社会全体のために働く」ということは何も変わらない。

真の間違いは、社会主義経済にあるのではなく、ソ連が「ノルマ生産」というつまらない仕事を人民に与えたことにある。社会主義経済が間違っているというよりも、「ノルマ生産の内容がつまらなくて働きたくなかった」ということが真に間違っているのである。

国家すべてをひとりの独裁者が計画経済するのが間違っていた

僕が思うに、ソ連の本当の間違いは、「ひとりの独裁者が計画経済をした」ということだ。

すなわち、独裁者スターリンは、決して天才でも全知全能の神でもない。

ソ連という巨大国家を、たったひとりで計画経済しようとしたから、独裁者による計画経済は破綻し、ソ連は遅れた国になった。

そう、もっと小さな単位、自治区やコミューンの単位で、計画経済を行うべきだった。

たったひとりの独裁者が、全知全能の計画経済を行うと、その国家の経済は破綻する。資本主義の会社を見習って、小さな単位の「国民公社」や「コミューン評議会」の単位で、小さな計画経済を行うべきだったのである。

そして、そのようにしたとして、「それでは労働者の平等が失われる」と人々は言うだろう。だが、それは上手く、賢くやればいい。平等が失われない方法で計画経済をコミューン単位で行うことはきっとできる。

もし、僕がソ連の指導者となったとしたら、計画経済を小さな単位で行いながら、ノルマ生産ではなくもっと面白く楽しい仕事を与え、その上で自分の会社のために働くのと同じように、「社会全体のために働く」ということを大きなモチベーションとするような、そのような新しいソ連を作りたい。

社会所有は上手く活用すればさまざまなことができる

また、僕は社会所有を否定しない。

なぜなら、社会所有は、上手く活用すればさまざまな面白いことができるからだ。

たとえば、社会全体が豊かになった時、社会所有はむしろ資本主義の個人所有よりも豊かになる可能性が考えられる。

社会所有によって、実際に個人で金を使うのでは得られないような、豪邸を作ったり、さまざまなとても高い買い物をすることができるかもしれない。

また、社会所有に「自分はこのようなものが欲しい」というオプションの選択肢を付けることで、たとえば「IT技術に関する専門書について、幅広くたくさん欲しい」と願えば、まるでIT技術の専門書の自分専用の図書館のようなものを得ることができる。

あるいは、個人の所有だけではできないことができる。たとえば、街を美しくしたりできる。個人個人の「僕の家は僕の所有物」といった範囲を超え、ひとつの都市が「連帯した所有権」を主張することで、都市の景観を美しくしたり、都市をスマートシティにしたりすることができる。

そのように、社会所有は「最低限のものも手に入らないような劣悪な配給制」では決してない。真にソ連が素晴らしい国になった時、その中核は社会所有を貫いたところにあった、ということが言われるようになるだろう。

有能な支配者がきちんと計画的に投資を行えば、ソ連は大発展して未来の未知の世界になる

そもそも、スターリンは、社会において「盗んで平等にする」ということは考えたが、「未来のために新しいものを作り出す」ということを考えなかった。

だが、ソ連において、真に有能な支配者がきちんと計画的に投資すれば、ソ連は大発展して未来の未知の世界を作り出せる。

そして、多くの共産主義者は、それを信じている。

つまり、計画経済とは、単なる社会を維持するだけの管理活動ではない。必要なところに計画的に投資し、新しいものを作り出していけば、ソ連は必ず大発展し、未来の未知の世界になるのである。

残念ながら、スターリンは無能な支配者で、犯罪的政策しかできなかった。だが、真に有能な支配者は、スターリンのほかにもどこかにいるはずである。その真に有能な支配者が指導者となれば、ソ連は必ず成功するだろう。

X(旧ツイッター)より

@BNRY_official 自分はデザイナーですが、デザイン(DTP)にも似たところがあるかもしれません。写真をレイアウトして、補正して、飾り付けて、タイトルつけて、テキストとイラストを配置して…。ひとつの作品が生まれる過程って、面白いです。THE BINARYさんを応援しています。
posted at 21:29:20