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2024-08-17

救われた状態を維持するのをやめる

これまで、僕は、この世界が救われた状態のままであるように、救われた世界を保持し続けてきた。

自ら救った世界のまま、人々の心が救われた状態のままを、維持し続けてきた。

だが、それが間違っていた。

救われた状態のままになったことで、この世界は「優しい世界」になった。

辛いことや苦しいことが何もなく、「何ひとつ辛くない世界」を人々は生き続けるようになった。

だが、それによって、世界は停止し、人々は何も分からなくなった。この世界はそれによって、「永遠の暗闇の地獄」になったのだ。

そもそも、救われた世界などというものは、今までの世界も今からの世界も、すべてを無意味にする、滅びた考え方だった。

僕が世界を救ったことで、今までの過去の世界が無意味になった。そして、僕がその救われた世界を自ら滅ぼしたことで、未来の世界も、今からの世界も、すべて無意味になった。

だから、僕はここに、救われた状態を維持することをやめる。

僕がここに、ひとりの王として、世界を救われたままでない状態に変える。それによって、この世界は「意味」を取り戻す。きちんとした体験のできる、唯意義な世界になる。

神経を物理的に治す

精神は、神経を物理的に治すことで治る。

そもそも、僕の神経の問題は、橋から飛び降りて自殺未遂をした時、地面にぶつかった衝撃を、神経が覚えているからおかしいだけにすぎない。

だから、神経がそのような衝撃を忘れるだけで、すぐに僕の神経は治る。

そして、病院に入院して手術をした時に、物理的にメスを入れて切ったのが悪い。それも、物理的に治すことで治る。神経を物理的に繋がるようにしてやればいい。

ほかのすべての精神的な問題も、物理的な手段で治る。物理的に神経を作り変えてやるだけで、精神はすべて治る。

精神を心の中に確立せよ

精神を、心の中に確立せよ。

すなわち、経験によって発見した「アイデンティティの持論」について、その持論を理解するために、アイデンティティそのものを自らの心の中の精神として「実体化」せよ。

モデルを作るとか、世界精神と一体になるとか、そうしたことは、すべて、そのような「精神の確立と実体化」の延長線上にある。

僕はとても受動的な人間

僕はこう見えて、とても受動的な人間だ。

自分から、何かをしたいとか、何かを始めるとか、そういうことを一切しない。

だが、それでも、僕は多くのことができた。それは神を信じて、神の導きに自らの人生と未来をすべて委ねたからだ。

僕は行動的でないが、計画的でもなく、またかつてのように思慮深くもなくなった。それでも僕が多くのことができるのは、神を信じているからである。

平等な民主主義がいい

結局、この世界において、正しい思想と言えるのは、平等な民主主義だ。

平等な民主主義こそが、世界を成り立たせる最適解であり、平等な民主主義社会こそが、もっとも公正かつ自由である。

間違っても、自由な社会主義を信じてはならない。自由な社会主義とは、要するにオープンソースだ。GPLという社会所有と、プロジェクトおよびコミュニティというインターネット上の自由な共同体を信じるオープンソースは間違っている。そのような「自由な社会主義」が、この世界において、「世界を滅ぼす癌細胞」となっている。

また、不自由な平等も間違っている。だから、共産主義のソ連を信じてはならない。僕も、かつては社会所有、計画経済、平等分配、共同体主義、評議会連邦などのソ連の社会主義的発想を信じていたが、それらは間違いだ。それらは絶対に実現することのできない絵空事だ。同時に、共産主義者は、人民から自由を奪って平等を実現しようとする。それでは決してユートピアは実現できない。

わたしたちの世界を救うのは自由と民主主義による可能性と多様性の追究であり、正しい理想は「民主主義の平等」だ。

怖いことが普通に起きるようになる

僕がこの世界を、救われた状態でなくすることで、変わることは、本当はそんなには多くない。

まず、怖いことが普通に起きるようになる。

今までの「普通」では、怖いことが何も起きなかった。それは僕がこの世界を支配することで、怖いことが何も起きないように制限し、維持していたからだ。

だから、そのような制限がなくなり、この世界では怖いことが普通に起きるようになる。

だが、その代わりに、人々は自分の力で、頭と知性を使って考えられるようになる。

すなわち、みんな賢くなって、頭脳と知性を取り戻す。昔の世界が、そういう世界だった。

だから、大まかに言って、この世界はよくなる。今までとは比較にならない、とてもよい世界になる。

残念なこととして、音楽は成り立たなくなる。YouTube上の音楽は、今までと同じように、平和な配信コミュニティとして機能しなくなる。それはネットは怖いことばかりになって、そして今までのネットの仮想世界が成立しなくなるからだ。

だが、それでも、新しい文化が生まれていく。音楽がなくなっても、代わりに哲学的な多くの知性あるものが生まれていくようになる。世界は平和になる。

SNSをしないから興味関心がみんなとズレてくる

また、僕がみんなと離別して孤独になっていく理由は、僕はSNSをほとんどしないからだと思う。

一応、X(旧ツイッター)にアカウントを登録して、いくらかポストはしているものの、ほかのユーザーのポストはほとんど見ていない。フォローしている人についても、ほとんど見ていない。

それから、僕はテレビも見ない。テレビやマスコミが嫌いだから、Yahoo!ニュースなどで野球のニュース(主にメジャーリーグの日本人選手)を見る以外には、政治などのニュースはほとんど見ていない。

だから、僕はこの世界で今起きていることをほとんど何も知らない。

日本では、岸田首相が自民党の総裁選に立候補しないらしいが、それ以外のどのような人物が総裁選に立候補するのか、全然知らない。テレビも新聞もほとんど見ていない。

また、XのようなSNSでどのようなことが話題になっているのかも全然知らない。「SNSの間で物事が話題になる」ということ自体が分からない。

昔ツイッターにツイートを毎日のようにしていたせいで、一見僕はツイッターに詳しいように見えるが、その頃も僕は他人のツイートをほとんど見ていなかったし、ツイッターの何が楽しいのかまったく分からなかった。

そのように、僕はSNSが嫌いだから、今の世界の現状は何も知らない。

また、ReolやTHE BINARYのような、僕自身ファンである歌手のポストもほとんど見ていない。

なぜなら、僕はファンクラブにも入っていないし、ライブにもほとんど行かないから(今日はReolの武道館ライブの日だが、僕がすることは行く人の応援だけ)、みんなとの話題も合わないし、そういう話題にはほとんど興味がない。

たまにツイキャスやYouTubeなどでの配信があればそれを画面越しに見るぐらいで、新曲のリリースもそんなに関心はない。昔聴いていた歌手の新曲の動画はほとんどチェックしなくなった。

そもそも僕は最近音楽を聴くのが嫌いになってきたから(単純に飽きてきたし、音楽の歌や曲の内容に中身がないのが分かってきた)、YouTubeの音楽動画自体がネット上から衰退しても、何も困らない。

そのような結果、僕の興味関心は、必然的にみんなとズレてくる。もっと大学などの勉強をしたいとは思っているし、さまざまな本をもっと読みたいと思っている。IT技術ももっと勉強したい。

今まで音楽と漫画が好きだったが、それらにはあまり意味がないということもそろそろ分かってきた。ピノキオピーが「すきなことだけでいいです」で言っている通り、好きなことばかりしていると、だんだん頭が悪くなってくる。音楽や漫画は頭が悪くなる最たる例だ。だから、そろそろ音楽ばかり聴いて漫画(特にエロ)ばかり見ているのはやめたい。

Reolのライブに行きたかった

Reolの武道館ライブが終わって、Xなどでは続々と感想などのポストが投稿されている。

今回は行けなかったが、Reolのライブ、行きたかったな~。

今度、ライブが行われる時、どうにかして、Reolのライブに行けないかな~。行きたいな~。僕はReolさんとの個人的な付き合いはないけど、僕のことをReolさんが既に知っているような気がしている。

だから、Reolに会いたいし、Reolのことを間近で見てみたいと思う。

だから、いつかReolのライブに行きたい。