日本語は不思議な言語だ。なぜなら、日本語は「語尾につくひらがな」によってニュアンスが変わるからだ。
日本語では、命令形の述語は「食べろ」「動け」「生きろ」「死ね」のように、最後の述語のひらがなに-eや-oなどのように語尾変化する。
この「語尾につくひらがな」が、独特なニュアンスを持っている。
命令形以外にも、すべての述語で、そのような語尾変化するひらがながあって、そのすべてで、独特なニュアンスを持つ。「だろう」とか「かもしれない」といった言葉すべてが独特なニュアンスを持つ。
このような言語は、僕も知らないのでなんとも言えないが、日本語ぐらいなものだと思う。
英語やドイツ語のような言語は、論理的な言語であるがゆえに、論理的な「意味」しか分からない。だが、日本語のような言語は、感覚的な「ニュアンス」が分かる。
僕が、日本語および日本人が優れていると感じるのは、そのようなニュアンスが言語に含まれているということである。
だから、早い話、日本語のような言語を話したほうがいい。外国人は日本語を話さないことで損をしている。日本語を話すことでしか、どのようなことも正しくは分からないだろう。
最近、僕は大人になって、本当に賢くなった。
単に、新しく分かることが何もなくなっただけで、僕の頭は賢くなっている。
それを、過去の引きこもり時代の僕と比べて、表面的に見て馬鹿になったように見えるから、馬鹿になったと思っているのは誤りであり、実際は僕は賢くなっている。
そもそも、大人とは精一杯生きることを頑張るだけの生き物だ。だから、それ以外に何もできない。そのような「生きることを頑張る」ということは、決して何もしていないわけではない。
そして、そのように生きることを精一杯頑張るだけの時代は、そろそろ終わった。
子供になることは間違いではない。子供になると、大人になれば分かることが分からない代わり、子供にしか分からないことが分かる。だから、たとえば絵を描きたいのであれば、子供に戻って考えることは有効な手段となる。
だが、今の自分を賢いと思ったほうがいい。そのほうが、「過去に比べて馬鹿になった」という思い込みよりも正しいからだ。そして、これ以上もっと賢くなれば、自分の知っていることを思い出せるようになる。そして、そこで初めて、自分は本当に賢くなったのだということに気付くことができる。大人として、まともに生きられるようになる。
ロッテがポスティングを容認したため、佐々木朗希はメジャーへ挑戦できることになった。
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ネットでは佐々木朗希の日本プロ野球を見下したような態度について批判的な意見がいろいろと言われているが、本当の勝負はここから。
ここで勝ったと思わないように。これから頑張って努力して結果出して、大谷翔平のような偉大なメジャーリーガーになってほしいと思う。そして、みんなからの批判的意見を実力で黙らせてほしい。
ただ、ヤフコメの「悪しき前例」とか「わがまま」とか「ゴネ得」とか、そういう誹謗中傷めいたコメントはどうなのかね。日本人選手、メジャー挑戦なのだから、暖かく見守ってやったほうがいいと思う。ロッテに貢献していないと言うが、貢献していなくてもメジャーからは才能を評価されているのだから、なぜロッテに貢献しなければならないのだろう?メジャーが欲しいのだから欲しいところに行けばいいと僕は思う。踏み台とは言うが、それはNPBが悪いだけでしょ。佐々木朗希、みんなの批判を黙らせるような圧倒的活躍をしてほしい。パドレスがいいと思う。ダルビッシュ有と一緒に頑張れ。
僕自身について言えることは、馬鹿なことはもうしないほうがいい。
そもそも、僕のこのホームページが流行らない理由は、みんなは音楽なんか聴いておらず、運命的な出会いなどがあるように見えないし、このホームページは単なる一般人の平凡なサイトにしか見えない。
だから、はっきり言って、何をしようがこのホームページは流行らない。
それでも、Reolさんのことを愛している事実は変わらない。Reolさんがこのホームページを見つければ、きちんとこのホームページの意味が分かると僕は信じている。
僕のほうは既に運命的に出会えているにもかかわらず、みんなが僕に出会えていない。それは本当は悪いことではない。なぜなら、僕のほうは既に相手と自分の存在を知っている。それだけで、十分だ。
必要なのは神を信じることだけだ。神を信じれば、必ずよい結果になるだろう。
だから、もう、馬鹿なことはしないほうがいい。馬鹿なことをするから、僕はいつも馬鹿になっている。馬鹿なことをやめるだけで賢くなれるのが、いつも分かっていない。
本当のことを言うと、僕はもう、十分楽しかったから、何も欲しくない。
僕は十分楽しかった。すべてがよかった。人生で、楽しいことも苦しいことも全部のことがあったし、楽しいことは誰よりも満喫し、苦しいことはどんなにそれが脱出困難でも、暗闇の中で壁を乗り越えた。
美波の「カワキヲアメク」や「ライラック」や「アメヲマツ、」のような音楽を聴いていると、むしろ、僕よりもみんなのほうがはるかに精神的に悲惨だ。
みんなのことをいつか、救うことができるような存在になれたらいいなと思う。でも、本当は僕にはそんなことはできない。一度できたのが奇跡だっただけで、何度も同じ奇跡を再現なんか僕はできない。
僕には世界を救う力はないけど、一度起こした結果はもう一度同じようにやれば再現できるのだろう。それは「可能性」だと思う。そして、みんなは本当はそれを期待しているけど、半分は僕がいつまでもそれをしないから、みんなもう諦めているのだろう。僕自身に、そのような再現性を起こす奇跡の力はない。あるとしたら、僕が世界から去ることでしか、その実現は難しい。