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2024-09-02

midoさんの配信

THE BINARYのmidoさんが、新しいファンクラブ「School of Fish」ができたことを記念に、YouTubeで生配信を昨日していたので、そのアーカイブを今日の朝に最初から最後まで視聴した。

【公式FC】「School of Fish」開設記念生配信【ただいま】 - YouTube

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残念ながら、僕はファンクラブには加盟しない。参加は有料で3つのプランがあり、一番上のプランは月額1190円とかなり高額。僕はネット上でお金を払うことに抵抗があるし、何よりTHE BINARY以外のほかの歌手のファンでもあるから、それらすべてのファンクラブに入っていたのではお金がいくらあっても足りない。だから僕は今回のファンクラブには入らない。

だが、そのような僕であっても、今回の記念の生配信は視聴することが許されていたので、昨日の夜は途中で寝るために見るのをやめたので、今日の朝、アーカイブから内容を最初から最後まで視聴した。

僕が印象的だったのは、midoさんが「もし誰も(生配信に)集まってくれなかったらどうしよう」と心配していた点だ。

僕が知っている歌手は、みんな、Xでポストをするとたくさんのリプが集まるし、YouTubeでライブ配信をするとたくさんの視聴者が集まる。なので、半ば「自分は特別な人間だ」と思って、天狗になるのではないかといつも思っていた。

だが、midoさんはそうではなく、自らが生配信をして、それでもし人がYouTubeに集まらなかったらどうしようかと、心配していたのだ。

なので、「へえ、そういうことも思うんだ」と、単に思った次第である。

今回はあかまるさんの脱退についても最低限触れられているが、自分の好きな道を歩めばいいと思う。僕もデザイナー見習いとは言え、本当にデザイナーにはたぶんならないだろうから、気持ちがよく分かる。

ひとりになって狭い世界で生きるのが賢い

僕が昨日発見したこと、それは狭い世界で生きたほうが賢いということだ。

僕は昔から、「視野を広げる」ということを信じて、広くこの世界を見ることを志向して頑張ってきた。

だが、本当は、広い人間よりも、狭い人間のほうが、自らの考えていることに集中できて、賢い人間になる。

そもそも、昔の僕は、決して広い人間ではなかった。自分の部屋に引きこもって、偏屈なオープンソースの理想を信じて、自分自身のことしか見えていない、いわば「もっとも世界の狭い人間」だった。

逆に、最近のほうが、さまざまな戦いをして、経験して、世界を広く見るようになったのだと思う。

そのような結果言えることは、世界は広いよりも狭いほうが賢いということ。狭い世界で生きたほうが賢いということだ。

また、僕は、自分自身に話しかけているように見えて、実際は世界に話をしている。

世界の全員に対して、その中には自分自身も含めて、全員に話をしているから、おかしな神との対話になる。神は自分自身で、世界全員に宣言をしているのだ。

それをやめて、自分ひとりに向けて話をするようにすれば、すぐにまともに思考できるようになる。

そろそろ、僕は、頭の中で自分の言いたいことを言えるようになった。それは世界全員に話すのではなく、自分ひとりだけに話すようになったからだ。

何もない世界を見ていると賢くなる

最後に、人間は何もない世界を見ていると賢くなる。

僕はそろそろ、これ以上音楽を聴かない。その理由は、僕自身が賢くなってしまったため、普通の人間がつまらなくなってしまったからだ。

僕は賢くなった。まさに、普通の人間よりもはるかに賢い人間になった。

そのせいで、この世界にいる、「普通の人間」と呼ばれる人々が、言ってしまえば馬鹿すぎて、つまらなくなってしまった。

もう、音楽は聴かない。音楽家は普通の人間すぎる。普通の人間が嫌いだ。

僕にとって必要なのは、何もない世界を見続けることだ。

人間は、何もない世界を見ていると賢くなる。それは、気付いていないことを気付き、覚えていないことを覚えるようになるからだ。

もう、何もしなくていい。ただ単に、何もない世界を見ていればいい。それだけで僕は賢くなれる。ようやく、すべてのやるべきことが終わったのだ。

視野を狭くして、大学の勉強をやめよ

本当に、そろそろ、視野を狭くしたほうがいい。視野が狭くなると、自分自身の思考と認知に集中できて、自分が今何を分かっているのかが分かるようになる。

視野を狭くすると、ひとりの大人として、まともに生きられるようになる。

僕がなりたかったのは、そのような、視野が狭いまともな大人だ。

大学の勉強はしないほうがいい。大学の勉強は視野が広くなる。

僕が賢く見えて馬鹿なのは、大学のせいで、視野が極めて広くなりすぎたからだ。

特に、経済学は学ぶべきでない。大学の経済学を学ぶと、僕の最近の執筆活動のように、知性をすべて失って馬鹿な人間になる。すなわち、大学の政治経済の知識を自分独自に書いたせいで、僕は経済学を学ぶ大学生と同じように、視野が広くなった代わり何も分からなくなった。僕は政治経済のせいで、知性のない大人になったのだ。

また、経済学者の言うことは、すべて信用すべきでない。なぜなら、経済学者は昔の僕のような人間がやっている。経済学者が馬鹿な理由は、昔の僕が馬鹿だったからだ。ほとんど詐欺師やペテン師に近い集団が、金儲けの論理を教えて国民を騙している。それが経済学者だ。

だから、僕はそろそろ、視野を狭くして、大学の勉強をやめるべきだ。それが一番、世界においてまともな大人として生きられるようになる。昔分かっていた哲学的知性は、視野を狭くしなければ分からない。なぜなら、子供はみんな視野が狭い。中学生ぐらいの視野がもっとも哲学ができる。それは中学生は高校の勉強を知らないせいで、視野が狭い状態を維持しているからだ。

すべての大学や高校で学んだことを忘れたほうがいい。それらは人間の視野を広くする代わり、狭い視野でしか分からないことが分からなくなる。今こそ、高校と大学をすべて否定するべきだ。

この世界と関わらないほうがいい

この世界と、関わりたくないのであれば、関わらないほうがいい。

なぜなら、教育が間違っているからだ。

日本の教育はすべて間違っている。そして、大人たちの常識もすべて間違っている。この世界は完全に間違っている。だから、この世界と関わらないほうがいい。

自ら自身の道をひとりで歩め。孤独を恐れるな。勇気を出して孤独な道を、しかしながら自分独自のユニークな道を選べ。それでしか、宇宙の真理を知り、世界のすべてを悟る道を歩むことはできない。

誰とも関わるな。人間関係を作れば作るほど、鎖に繋がれたようにその人間関係に縛られる。自由を手にしたいのであれば、教育と常識と世界を否定した上で、誰とも関わらず、孤独を選べ。

経済ではなく歴史を学ぶ

そういうわけで、僕は経済ではなく、歴史を学ぶことにする。

歴史を学ぶと、作家になれる。なぜなら、小説を書くために必要なことは、すべて歴史の中にあるからだ。

元漫画家のようなおバカな有名人になって、政治経済を勉強して政治家になったとしても、なんにも賢くない。

それなら、歴史を勉強して、きちんと藤子・F・不二雄のような偉大な作品を書いたほうがいい。

すべてのことが分かるパーフェクトなスーパー超人なんかにならないほうがいい。既成概念に基づく完璧主義を目指している間は、なんにも分かっていない。

歴史を学んだほうが、さらに大人としてまともに生きられる。経済を学んで分かることは、歴史を学んでも分かる。

なぜ、政治経済で知性がなくなるのか、それは政治経済は暴力的な右翼と左翼の闘争であり、みんなを騙している政府・金融機関そして僕が大嫌いなマスコミだからだ。

やくざのような暴力的な争いや、詐欺師のような金儲けばかりに染まって、知性がつくわけがない。

このまま政治経済を学んで革命の指導者になっても、右翼になっても左翼になっても命を狙われる。SPでもつけない限り、ロシアに拉致されてシベリア送りになる。ガンダーラや東亜イスラエルは、小説の中だけの話にしたほうがいい。実際に行うと、ソ連とまったく同じ国になってしまう。

だから、僕はもう、政治経済を学ばない。

そもそも、僕は誰よりも一番政治経済のできた人間だ。今までのホームページに書いた文章や、過去の人生の記憶の中に、「誰よりも正しい自分独自のユニークな政治経済」が残っている。実際のみんなの学んでいる政治経済は、その僕の独自の政治経済よりもはるかに遅れている。そのような遅れた政治経済を学ぶ必要はない。知るべきことはすべて既に(自分が考えて作り出すことによって)知っている。

そういうわけで、僕は今から歴史を学んでいく。それで、きちんとした小説家になって、いつか芥川賞作家(あるいは直木賞作家)になりたいと思う。

それこそ、そもそもこのホームページはほとんどが歴史の内容だ。最先端のことをやっているように見えて、実際はどれも今から何十年あるいは何百年以上古い。そのような内容と一緒に、何千年も後の未来のことも書いた。政治経済を学ぶと、そのような賢い自らの知識を失い、才能を失ってしまう。もっと賢くなりたいのは分かるが、今既に賢い才能や土台を失う必要はない。政治経済に騙される前に、きちんと今までの内容を自分のものにして、今からの土台を作ったほうがいい。それなら、みんな僕のことを賢いと言うだろう。

音楽とはお別れ

そして、そろそろ、僕は音楽とはお別れである。

ポルノグラフィティのような平成の音楽を聴いていると、馬鹿すぎて、聴くに堪えない。

THE BINARYのmidoさんほか、多くの歌手がInstagramを使って最新情報を共有しているが、僕はいろいろとあったのでInstagramは使わない。使いたくない。使うのはX(旧ツイッター)だけだ。

そして、midoさんの新しいファンクラブである「School of Fish」が始まったが、僕はこのファンクラブに加入したくない。

そもそも、僕がどの歌手のファンクラブにも加入しないのは、今に始まったことじゃない。Reolのファンクラブにも昔から僕は加入していない。ライブにも行きたくないし、そのためのチケットを優先的に購入したくないし、ブログも見たくない。僕はファンクラブのファンやライブに行くファンから除け者状態だ。

だから、僕はこれ以上、音楽そのものを聴かなくなる。

音楽が運命的な出会いだと思っていたのは、神に騙されただけだ。神の定めた運命と、僕がかかった催眠状態によって、僕は歌手との出会いを運命であると勘違いした。だが、そのような運命は結局なかった。歌手はおとぎ話のような伝説と、自らが恋愛している恋人への愛を歌っている。それが僕の作った小説のことであるとは必ずしも言えない。だから、運命などは最初から起きていない。

だが、昔、Linuxやオープンソースの世界から僕がいなくなったことで、Linuxやオープンソースが衰退したように、僕が音楽の世界からいなくなれば、音楽も衰退するだろう。だが、それでいい。最初から僕は、音楽が好きだったわけでなく、単に自分自身と神が好きだっただけだからだ。音楽がどうなろうと、音楽の未来は僕にとってはどうでもいいものだ。

だから、僕はここに音楽ファンをやめる。僕は音楽とはお別れであり、これ以上一切音楽を聴かない。

僕が音楽を聴かなくなった理由、その一番の大きな理由は、僕自身が賢くなったからだ。僕自身があまりに賢くなりすぎて、僕のことを歌う歌手のことがあまりに陳腐に見えるようになった。歌手はみんな馬鹿で、僕の分かったことのひとかけらも分かっていない。僕が賢くて、歌手はみんな馬鹿だ。そんな歌手を聴きたくない。

昔は歌手の音楽が賢く見えたが、そもそも、それは僕が昏睡状態で知性がなかったからであり、今、THE BINARYの曲を聴くと、なんにも賢いことなんか言っていない。ずとまよについても、何ひとつ賢いことは言っていない。すべて適当な馬鹿なことを言っている。分かるのは歌手の立場だけで、僕の立場のことは何も分からない。

そもそも、昔そのような歌手が賢く見えたのは、少しだけ間違っていたからだ。すなわち、僕は未来の僕の最終到達地点がどういうものかを知らなかったから、少し間違っていながらにして僕の今のことが分かるような歌手の奇跡のような運命の出会いが素晴らしいものを与えてくれるように見えた。途中までの状態で、最後まで分かっておらず、気付いたことが少しだけ僕の人生と違っていたから、賢く見えた。だが、最終到達地点まで到達してしまうと、歌手は本当に全部つまらないことを言っている。すなわち、本当の真実と少しだけ違っていたからこそ、歌手の音楽が賢く見えたのだ。

後の人生は、まあ、普通に生きるだろう。僕はいろいろと面白い人生を生きてきたし、この人生には後悔はない。地獄のような苦しみは二度と経験したくないと思うようで、臨場感のある恐怖はもう一度体験したいとも思う。もう、僕の人生は、後は死ぬだけだ。ここで死ねば、それで終わりだ。新しいベテルギウスへと僕は逝くだろう。

世界平和がいい

結局、僕は最終的な人生の到達地点に到達したにもかかわらず、何も賢いことはできていない。

はっきり言って、世界平和がいい。

世界中から戦争がなくなって、みんなが平和になってほしい。

僕はこれ以上、本当は歴史も学ばないし、哲学も学ばない。このホームページに書いたことがすべてだ。このホームページ以上に、歴史を学ぶことも哲学を学ぶこともできない。

もう何もしないから、世界平和の旗を撤回する必要はない。V.W.Pの花譜に「世界平和なんか嘘だ」とは言われるだろうが、それでも僕は世界平和を信じている。この世界を平和にしたい。それが答えだ。

これ以上僕がしたいことも、すべきことも、何もない。僕は小説家ではなく、単なるキャラクターの設定を作っているだけの文筆家だ。そもそも、僕は小説を書くこと自体は好きじゃない。僕が書きたいのは僕の賢い分身を作ることであって、面白いストーリーを作ることなど最初から僕にはできない。僕はあくまで、自分の考えた哲学や思想を書きたいだけの哲学者であって、僕は小説家ではないのだ。

音楽が大嫌い

実際のところ、僕は音楽が嫌いだ。

音楽が大嫌いな僕は、昭和であろうと平成であろうと令和であろうとクラシックであろうと、どんな音楽も聴きたくない。

僕は昔から、音楽は好きじゃない。音楽なんか聴きたくない。これ以上は、僕は一切の音楽との関係を断って、音楽を一切聴かなくなる。

Linuxの時も同じだった。Linuxが好きなように見えて、実際は僕はLinuxは大嫌いだった。僕がいなくなってLinuxの世界が衰退したことで、僕は逆にせいせいしている。Linuxなんか滅びてしまえばいい。

同じように、僕が音楽からいなくなって、音楽は滅びる。音楽なんか滅びてしまえばいい。

漫画も嫌いだし、ゲームも嫌いだし、コンピュータも嫌いだし、インターネットも嫌いだし、プログラミングも嫌いだ。そんなものは僕の好き好む対象ではない。

ただし、歌手の人間性や人格までは僕は否定しない。僕のことを愛してくれたことに、深く感謝する。それだけだ。

今永昇太が11勝

話は大きく変わるが、カブスの今永昇太が11勝している。

「すでに球界最高の投手のひとり」1年目で11勝のカブス今永昇太、米メディアがこぞって絶賛「可能性は無限大だ」(THE DIGEST) - Yahoo!ニュース

実際、援護がなかった試合や勝ち負けがつかなかった試合を考慮に入れると、もっと勝っていてもおかしくはなかった。

ただし、今永昇太は「1年目」なのだろうか?日本のNPBを含めないのは少しおかしいと思う。ただ、今永昇太が優れているのは、アッパースイングに対するライジングボールで、まるで面ではなく点で打つようなことをバッターは強いられる。簡単には打ち崩せないだろう。一時期打ち込まれることもあったが、研究に対してさらに対策で返す。頭のいいピッチャーだから、大丈夫だと思う。

それから、大谷翔平がMLB史上初の43-43を達成。

不調のはずが「史上初」「20年ぶり2人目」…大谷翔平が8月記録ラッシュ、見えた112年ぶりの偉業とは(THE ANSWER) - Yahoo!ニュース

いやー、スゴイ。不調な中、よく頑張っていると思う。

大谷翔平は今季、走る練習を頑張っているとのこと。投げれないのがつまらないから、走ることにしたのかな?打率が下がる中、ホームランだけはコンスタントに出ている。ランナーがいない場面では甘い球が来るからか、「どうでもいいところでホームランを打っている」とか「チャンスに弱い」と言われながらこの成績。ここから打率も上がっていけば、もしかして三冠王、あるかも!?