最後に、僕はこの世界を自由にする。
みんな、僕に構わずに、みんなで勝手に自由にやってほしい。
僕の言動や、一挙手一投足に、みんながかき回され、社会が乱される必要はない。
僕の分からないところで、みんなが自由に活動してくれて構わない。僕がすべてのことにアンテナを張り巡らせて、全部僕の管理下に置くのは間違っている。
これ以上は、僕の知らないところで、みんなの自由の下に、自由に生きてほしい。僕に構わず、僕のことは無視してほしい。
それによって、僕自身もまた、自由になる。
僕は神に支配されているのが終わって、ようやく自分の頭で考えられるようになる。
そのために必要なのは、昔と今を同じ境界線で二つに分けるのをやめることだ。
すなわち、すべてのことを「今」と「昔」の二つに分けて考えようとするから、昔あった考え方を今考えることができなくなってしまっている。
普通に昔と同じように、昔と同じことを考えれば、哲学はできる。
それはとても簡単なはずなのに、昔と今を同じ境界線で二つに分けてしまったせいで、そのような哲学的知性が分からなくなってしまっている。
だから、昔と今という区別や区分を捨て去ったほうがいい。
最後に、時計を治すために必要なのは、止まることだ。
時計のロボットになっているのは、すべて、頭が空回りしているだけにすぎない。信じたいことと信じたくないことを、勝手に正解と不正解に分けて、自分の正しいと思うこと、正しくないと思うことを、実際には本当はそうでないにもかかわらず、自分の頭の中だけで判断しているつもりになっている。
それらはすべて、停止すれば治る。
すなわち、いつでも常に神と対話し、世界に対して支配と操り人形のお喋りをするのをやめ、黙って停止すれば時計は治る。
そのために必要なのは、一度死ぬことだ。すなわち、「死」と同じことをきちんと経験することで、時計は治る。
僕は自らを時計にするだけではなく、この世界全体を時計の支配下に置いた。それによって、この世界は時間がすぐに過ぎるようになり、何もできない狂った世界になった。
ウィトゲンシュタインが言うように、語り得ぬ時は沈黙しなければならない。言葉を喋るのをやめて、停止するようにすれば、世界も僕と一緒にすべて治るだろう。
そろそろ、みんな、もう神は信じなくていい。
神とされる存在は、ユダヤ人のでっち上げた、一種の「病気」にすぎない。
すなわち、神とは病気の中に存在する。
人間の心が狂っておかしくなって、自分ではどうしようもできなくなってしまった時、自らをなんとか救うために作り出した、自分よりも上の従うべき主人、それが神だ。
だから、もう、ここまで病気が楽になって、ほとんど治ったのだから、もう、神を信じる必要はない。
みんなも、もう神は信じなくていい。みんながいつまでも新興宗教のように神を信じるように、僕自身もみんなに神への信仰を強制したくない。神は自分が信じたければ信じればいいのであって、世界が神を信じることを強要する必要はない。だから、もう神は信じなくて構わない。
これ以上は、この世界は自由な世界になる。僕という偶像が世界を統一するのではなく、それぞれの自治的な社会とコミュニティにおいて、それぞれが自由に社会秩序を築くようになる。
だから、歌手も僕のことをこれ以上歌う必要はない。それぞれの音楽が自立して、自らの力でその社会を治めるようになってほしい。それが「自由」ということだからだ。
そして、僕はもう、パソコンのことも知らないし、音楽のことも知らない。僕はパソコンのことはずいぶん前に見切りをつけた。同じように、僕はこれ以上音楽に関与しない。だから、僕がいなくなって、みんなの力でそれぞれの音楽のコミュニティを盛り上げてほしい。そこにはもう、僕はいない。