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2024-02-06

世界から救済を消せ

そろそろ、この世界から、「救済」を消したほうがいい。

そもそも、僕が間違っているのは、この世界を「救済」したことを利用して、この世界を事実上支配し、「好き勝手なことを言い散らかせる」ような状況を作って、この世界を滅びへと導いているのが悪い。

すべて、僕がこの世界を救済したのが悪い。僕はその救済した権利を悪用して、この世界を滅びへと導いた。また、「いつでも救済された状態に戻れる」という状況を維持したまま、救済しないで滅ぼし続けることを維持したために、おかしな精神の病気が治らなくなり、僕自身も、常に恐怖と苦しみを感じ続けるようになった。

世界は、それによって何もできなくなった。既に救済されているにもかかわらず、その救済した救世主の本人が、その救済されたという事実を利用してこの世界を滅びへと導く。そのようにされると、人々は何もできない。救済された状態に戻ることもできず、自ら救済を望んで反抗することもできない。

そのせいで、この世界も、また僕自身も、何もできなくなった。

なぜ、僕自身が何もできないのか。それは、この宇宙には、「世界を滅ぼした本人が世界を救うことはできない」という絶対原則があるからだ。僕自身が世界を滅ぼしているにもかかわらず、その本人が同じやり方でこの世界を救うことはできない。だから、救済された世界に僕が現れ、世界を自ら滅ぼすことを選択した時点で、僕本人にはこの世界を救うことは絶対にできない。

また、この宇宙には、もうひとつ絶対原則がある。それは「悪いことをして世界を良くすることはできない」という原則だ。すなわち、タリバンのようなテロ行為を行って、この世界のマスコミとインターネットを事実上支配し、強引にこの世界を別の世界に作り変えるという方法では、この世界を楽園にすることはできない。どんなに経験豊富で知能が高くても、悪事をして善行を行うことは決してできない。

必要なのは、この世界を滅ぼし続けている、「救済」という奇跡をこの世界から消滅させることだ。そのためには、左翼勢力を潰すことも、自由をいじめることも、あるいはネットに八つ当たりをすることも必要ない。きちんと救済そのものを取り除いて、この世界の全員に、そのままで自由を与えればいい。そうすれば、この世界は解放される。

必要なのは、「可能性」のようなことを信じないことだ。可能性を信じたということが、僕にとってこの世界を救う「唯一の希望」だった。荒くれた資本主義の平成の時代を生きた僕は、「可能性をきちんと考えて成立させる」ということから「希望」が分かった。その希望が、この世界を「救済」するに至った。だが、その救済は決して素晴らしいものでもなんでもなかった。僕自身がこの世界を滅ぼした時点で、生まれたのは「地獄」であり、「楽園」でもなければ「天国」でもなかった。

だからこそ、今こそ、僕はこの世界から救済を抹殺する。二度と蘇ることのないように、「救済」の息の根を完全に止める。この世界が「救済」から自由になり、真に「解放」されることこそが、今の僕の望みである。そして、自らがこの世界を救いながらにして滅ぼし、何もできない状態にした償いとして、僕はこの世界から「自分自身」を抹殺する。自分自身がすべて消え去ることで、この世界は最後に「嘘ではない真の救済」を得ることができるだろう。

言葉によって世界を導いた

だが、僕自身が、決して何も分かっていないわけではない。

そうではなく、僕はいつもすべてのことを、経験と過去の人生から、完璧に分かっていた。

「この世界を正しい世界に変える方法」を、頭の裏側で完璧に分かっていながら、僕は言葉とロゴスでこの世界を「自由な世界」になるように導き続けたのだ。

実際、それは本当は正しい行いではなかった。だが、それでも、僕は「人間にできる限界」に挑戦していた。人間が、たとえ政治的な実権をもたなくとも、権力や支配ではない「自由な世界」の中で、僕は「社会を変革する指導者」になろうとした。それは野心からではなく、「今できるすべての力を最大限、チャンスを逃すことなく全力ですべて使った結果」だった。

今できることを、そのできる間に、最大限すべて行いたかった。世界を滅ぼす前に、滅びるよりも前にできることをすべてやりたかった。今の自分が世界を支配できている状況があるとしたら、その状況が許す限り、自分のできること、やるべきこと、やりたいことをすべてやりかった。いずれ世界に打ち滅ぼされるその時が訪れる前に、僕は「自らが人生でやりたかったこと」をその時、今この瞬間にやるつもりだったのである。

ギリシャよりもローマに向いている

このような僕は、ギリシャよりもローマに向いていると思う。

本当は、昔の僕は明らかにギリシャに向いていた。その理由は、数学的な哲学的論理の論考から、自らの力で論理的に考えて、「偉大なる巨大な哲学」を作ることができる、まるでプラトンのような人間だったからだ。

今の僕には、そのようなプラトンのような哲人の理性はなんにも残っていない。今の僕は中学校の数学すら解くことができないほど、数学的知性の劣った人間になっている。

だが、数学的知性が劣っているということは、それ自体が知能が劣っているということを意味するわけではない。なぜなら、数学や、あるいは過去の僕のような社会論や心理学的知性のような考え方は、「分かっていない人間のための学問」だからだ。何もきちんと分かっていないから、社会や心理のことを数学的に考えることができるというだけにすぎない。真にきちんと分かった人間は、数学や心理学や社会学のような「馬鹿の学問」をしなくなって、逆に神を信じるようになる。

このような人間は、ギリシャよりもローマに向いている。だから、僕は今から、ゆっくりと古代ローマの勉強がしたい。そもそも、僕がこのホームページに書いた「常識の世界観」は、すべて、ローマの勉強をすればさらに揺るぎない、完璧なものになる。僕が書いている世界観の内容は、古代ローマそのものだ。また、僕が作り出した神話は、僕は「現代のローマ神話」を作っただけにすぎない。だから、何を考えても、僕と古代ローマよりもベストマッチングな関係はないと言えるのである。

古代ローマの勉強をすぐにして、すぐに終わりにする必要はない。古代ローマの勉強は、今までの僕の勉強方法では勉強できない。すぐに知識を知って、それで終わりでは、古代ローマのことを何も理解したことにはならない。だから、もっとゆっくりとローマの勉強をしなければならない。

ローマの勉強をするために、僕は「ローマ人の物語」というシリーズを持っている。だから、これ以上、何か本や書籍を新しく買いあさる必要はない。この本だけを読めばいいし、すぐに読み終える必要もない。ローマの勉強は長い時間をかけて行ったほうがいい。

王としての仕事が終わった

今、僕の中で、「救済」が二度と息を吹き返すことのないように、息の根を止めた。

それによって、この世界では、「争い」が再び復活する。

この世界は、再び、それぞれの勢力が争い合う、自由な勢力争いの世界になる。

この世界の人々は、つまらないだろう。なぜなら、自らが信じていた「救済」に、意味がなかったということが分かったからだ。

救済が終わったため、僕の王としての仕事は終わりとなる。

すなわち、事実上、僕はこれ以上何もできない。これ以上のことは、一切が何もできなくなる。

この世界は再び自由になった。僕という名前の「皇帝」による専制支配が終わった。それによって、この世界は、統一された平和な均衡がなくなり、人々はそれぞれが勢力争いと階級闘争をするようになる。すなわち、いつもの「暗黒の暗闇の世界」に戻る。

もう、この世界で、僕は何もしない。僕はこれ以上、残りの人生で、歴史と生物の勉強をする。それ以外に何かをするつもりは、もうない。

この世界を支配し、自らが自由に発する言葉によって自由な理想の世界へと導き続ける、大天使の王、天軍大首聖ミカエルは死んだ。