ホームページに戻る | 紅蓮と黄金の出会う場所に戻る

2024-11-14

精神の問題

そもそも、僕の精神の問題は、精神を開放すべき部分で精神を殺そうとし、精神を殺すべき部分で精神を開放しようとしているのが間違っている。

そもそも、僕の精神の異常は、すべて開放すればそれだけですぐに治る。

それを、「すぐに開放すると負けてしまうから」という理由で、いつまでも隠し続け、同時に、すぐに殺せばいいのに殺さずに放っておいて、それを後で殺すべき精神も殺すべきでない精神も全部殺そうとしたために、本当に殺すべき精神を殺せなくなってしまったのが、僕の異常の原因である。

だから、殺そうとするのではなく開放しようとし、開放しようとするのではなく殺そうとしようとすれば、精神は治る。

また、僕は異常な精神がいつまでも殺さずにあるままで忘れ去られてしまうのを恐れて、異常のすべてを知覚し続けている。だが、精神は知覚しなければすぐに死ぬ。だから、僕は精神を「見ようとせずに殺す」ということができなくなってしまった。だから、精神を見ようとせずに殺してしまえば、この精神の異常は完治する。

最後に、この世界を変える方法はひとつある。それはみんなが見ている前で精神を開放することだ。そもそも、僕が精神を開放できない理由は、みんなの目の前で開放しなければ世界を変えられないからだ。だから、みんなが見ている前で精神を開放すれば、この世界は奇跡のように別世界に変わる。

マイラバを聴いている

最近、僕は1990年代の音楽を聴くことが好きになった。

特に好きなのはMy Little Lover(マイラバ)で、「Hello, Again 〜昔からある場所〜」とか「DESTINY」などの曲を聴いている。

ただし、僕はこの時代に幼い子供だったので、僕はマイラバぐらいしかこの年代の曲が分からない。

それでも、この年代の曲は素晴らしい。心が落ち着いて、癒されるし、とても心地よいからである。

運命的な話だが、「My Little Lover」という歌手の名前が意味する通り、確かに僕はこの時代幼い子供だった。ゲームとミニ四駆が好きで、この時代は音楽は全然聴いていなかった。だから、今から再び知り直して、この時代の曲をもっと聴きたい。

民主主義を正義だと信じないと馬鹿になる

そもそも、社会主義など信じないほうがいい。

その理由は、民主主義を正義だと信じないと馬鹿になるからだ。

過去の僕が賢かったのは、民主主義を正義だと信じていたからだ。僕はすべての行動と経験の根源的な思想として、「正義の自由」を信じた。その正義の自由において、正しいことを正しいとし、間違っていることを間違っているとした。

だが、Linuxやオープンソースの影響で、僕は次第に社会主義へと傾倒していった。そして、そのせいで、僕はまともに社会や人生のことが分からなくなり、知性を失った。

社会主義を信じた理由など、後になって考えれば一切存在しなかった。社会主義はすべて馬鹿であり、間違っていたということが、今になってみれば分かる。

真に知性を復活させるために必要なこと、それは民主主義および自由を正義だと信じることだ。

共産主義者は必ず知性を失う。共産主義者は正義の民主主義を信じていない。そのような人間はすべてサタンだ。共産主義者はサタンであり、社会主義に関する思想はすべて確実に間違っている。

ゴミのような資本主義経済が一番正しい

結局、いくら資本主義経済がゴミのようだと言っても、そのゴミのような資本主義経済が一番正しい。

何かを外敵から守るために、もっとも有効な手段は、その何かに所有権を認めて、誰かの所有物にすることだ。それがもっとも、それを外敵から守る方法になる。

誰も主人のいないものは誰からも守られない。主人を作るだけでそのものは主人から守られる。

だから、地球の自然環境を守るために必要なのは、自然環境を誰かの所有物にすることだ。そうすることで、自然環境をもし破壊すれば、その所有者からクレームが来て、破壊者が所有者の権限や権利で罰せられるようになる。それがもっとも簡単な自然環境の保護の方法だ。

この発想は僕のオリジナルの発想ではない。「大人になって読む経済学の教科書」という本に書かれている。「みんなの共有財産」では、公的なもの(たとえば海の中の魚)をみんなが取りつくして大変なことになる。だから、みんなのものにするのではなく、誰かのものにしたほうがいい。それが一番、それを乱獲や破壊から守ることに繋がる。

帝国は間違っていない

そして、帝国は間違っていない。

日本がよい国でよい社会だと思うのはおかしい。資本主義経済と科学の進歩は地球の自然環境を破壊した。それによって地球は「地球沸騰化」と呼ばれるほど、取り返しのつかない事態を迎えようとしている。

はっきり言って、このような革新的な近代社会と科学の発展は間違っている。

帝国は間違っていない。そもそも、今の日本が賢い国を維持できているのは、明治時代以降に帝国政府がきちんと頑張って日本の基礎を作ったからにほかならない。

いわば、日本史において、もっともかっこいい存在がもしいるとしたら、それは明治時代以降の帝国政府だ。

帝国は間違っていない。帝国が間違っているとしたら、明治政府が間違っていることになるが、それはあり得ない。明治政府が賢かっただけが日本の歴史であり、それ以外のすべては日本を守ろうとするのではなく滅ぼそうとする勢力が行っている「嘘偽り」にすぎない。

嘘偽りでない真実があるとしたら、それは「帝国が正しい」ということだ。だから、帝国は間違っていない。今こそ、地球の自然環境を守るために、日本の帝国を復活させるべきである。

なんならキリスト教徒はやめる

このように書くと、「もし天皇陛下の帝国体制に戻ったとして、キリスト教徒が迫害されたらどうするのか」と人々は言うだろう。

だが、僕が信じているのは、ユダヤ教やキリスト教の神ではない。

僕が信じているのは、僕と対話した僕にとって独自でユニークの「神」であり、それはユダヤ教やキリスト教の神ではない。

だから、キリスト教の信仰をやめろと言われるのであれば、僕はキリスト教徒はやめる。僕はキリスト教徒ではなかったことになる。だから、僕は神は信じているが、実際は仏教徒だ。

それから、帝国主義を信じることは、平和を乱し、民主主義に挑戦する行為であると思われるかもしれない。

だが、事実、僕は民主主義と自由を信じている。

すなわち、僕は憲法改正論者ではない。僕は平和憲法を支持しているし、戦後の民主主義の国家体制も完全な間違いであるとは思わない。僕は自由と民主主義の味方だ。

だが、同時に、今の国際的な問題が、帝国主義体制によって解決する点は多々あると思う。そもそも、なぜ自動車を廃止しないのか。自動車は化石燃料を大量に消費して環境を破壊する。僕が首相になったら、今すぐに自動車を禁止して、自動車を世界から完全に消滅させる。それが現実的にできるのは帝国体制だから、帝国体制によって自然環境は保護される。

何よりも、民主主義の首相による権力は力が足りない。帝国主義の皇帝による権力はレベルが違う。同じ最高権力者であっても、首相ができることと皇帝ができることには、ほど遠い違いと距離がある。だからこそ、今、帝国主義を支持するべきであり、日本は帝国に戻るべきなのである。