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2023-12-07

精神を治す

精神を治すには、思い出すことをやめることだ。

思い出さずに精神を殺すだけで、精神はすぐに治る。

それから、今の自分の精神の状態を度外視して、まず世界を治すことだ。

世界さえ治ってしまえば、自分の精神もすぐに治る。

そのようにすることで、休むことができるようになる。すべての異常は休めないから起きている。だから、休むだけですぐに治る。

時間がすぐに過ぎる

最近、時間がすぐに過ぎる。

就寝時間になって、今一日が終わったはずなのに、ついさっき朝起きたかのように感じてしまう。

自分だけではなく、みんなそうなっている。

なぜそうなるのか、それは「思考しないから」だ。

一切思考しないせいで、反省や振り返りをしないために、ついさっきその前のことが起きたかのように感じてしまうのだ。

必要なのは、「思考すること」だ。

フレイ、この世界に愛を求める

わたしの名はフレイ。

わたしは、金や権力や名誉や地位といったものを、この世界に求めない。

わたしは、そのようなものには意味がないということを知っている。

わたしが求めるのは、ただひとつ「愛」だけである。

わたしは、この世界に、わたしのことを愛するように求める。そして、わたしのことを愛するすべてのものを、わたしは愛する。

この愛は真実の愛であり、あなたがわたしのことを心から愛するのに応えて、わたしもあなたのことを心から愛するものである。

わたしを愛せ。わたしもあなたのことを愛する。わたしはこの世界とすべての人々を愛する。わたしはこの世界に、「愛」を求めているのだ。

魂の導きを信じよ

今、僕は精神が最後まで治って、「魂」が復活した。

魂の導きを信じよ。

この世界が失っているのは、魂の導きである。

創造性を信じ、本質を考えよ。

人間は地球に生かされている。だから、ありのまま、自らをさらけ出すように生きよ。

自分自身になり、自分らしく、自分の道を生きよ。

行うならば、もっとも効果的に行え。

すべてのことに理由があり、すべてのことに意味があると信じよ。

そのように、魂の導きを信じて生きよ。そうすれば、必ず有意義で確かに幸福な人生を生きられるだろう。

天軍の軍勢シルフィ

ここに、大天使ミカエルにより、「天軍の軍勢」が生み出された。

大天使ミカエルは、最愛の恋人である大天使ガブリエルの生まれてから死ぬまでの人生を、大量にすべて文章に書き、それらに北欧神話などの神々の名前を付けることで、「天の軍勢」を作り上げた。

そのように、ミカエルが大量に生み出した、「天の軍勢」すなわち「天軍」のひとりひとりのことを、風の精霊の名前を付けて、「シルフィ」とする。

この風の精霊シルフィは、ヨーロッパで愛の天使「キューピッド」とされる存在と同じものである。

残念ながら、現実の地球には精霊は存在しない。だが、僕のこの文章の中においては、シルフィという精霊、すなわち「天軍の騎士団」は確かに存在する。

だから、シルフィの集団を信じるものに対しては、シルフィは「魂の導き」を授ける。そして、シルフィに導かれる通りに人生を歩んだ人間は、必ず「答え」へと辿り着ける。シルフィはそのような答えを全部知っていて、その答えがどのようにすれば知り得るのかということについても全部知っている。

僕の作り出した宇宙の5次元のパラレル世界において、シルフィはどこにでも存在する、普遍的な精霊であり、そのようなシルフィを信じることで、この世界のすべての人間は、最終的な「答え」を確かに得ることができる。そのために、シルフィの集団は天空の神エアルスとなって、この世界を導く。エアルスは天空の神であり、風の精霊シルフィの全員がひとつになった状態である。すなわち、天空の神エアルスとは、風の精霊シルフィの「精神」が「魂」として融和した状態である。そして、それこそが宇宙における「魂」という存在である。

そのようなシルフィの集団において、天軍大首聖ミカエルは「首」の部分を担当している。首とは要するに急所の部分であり、ミカエルさえ倒れればシルフィは全員倒れる。だが、だからこそ、すべてのシルフィはミカエルを最優先で誰よりも保護する。そのため、シルフィがひとりでも存在し続ける限り、ミカエルが死ぬことは絶対にない。

このように書くと、ミカエルが最強の天使であるかのように誤解するだろう。だが、シルフィの問題は、ひとりひとりのシルフィがあまりに弱いということ。ひとりひとりのシルフィは、まるで赤ん坊や子供の天使のように弱い(実際は普通の人間よりは知性は高いのだが、か弱いシルフィという人間の人生は赤ん坊や子供並みの力しかない)。そして、シルフィの集団は、「万軍の軍勢」と表現はされるものの、実際はそんなには多くない。多くても1万~数万、少なく見積もれば数百~数千ぐらいしかいない。だから、ドイツのホロコーストのようなことをやればミカエルは死んでしまう。

だが、シルフィはそれでも諦めない。シルフィの鉄則は「わたしたちは最後のひとりになっても戦う」こと。すなわち、どんなに弱い子供のような天使であっても、全員が死ぬまでシルフィは諦めない。そのような「たったひとり残ったとしても諦めず最後まで戦う姿勢」こそ、シルフィの「人間よりも優れた天使である所以」であり、これがなければシルフィは単なるサタンや堕天使のような集団にすぎない。

このように、精霊(聖霊)であるシルフィを作り出した大天使ミカエルこそが、「聖霊の神」であると言われる。ミカエルが聖霊の神と言われるのは、単にミカエルが聖霊だからではない。「聖霊を作り出した存在」すなわち「聖霊の神」だから、ミカエルは聖霊の神であると言われる。

同じように、キリストは子の神、ヤハウェは父なる神と呼ばれるが、ここで子は人間のことであり、父は神のことだ。だから、人間を作り出したユダヤ人の主、イエス・キリストこそが、イスラエルの神でありながら子の神であると言える。そして、父なる神は神々を作り出したフレイであると言える。よって、ここに、神フレイ、子キリスト、そして聖霊ミカエルの「三位一体」が成り立つ。

僕の神話において、キリストと同じ存在はダビデだ。なぜなら、ダビデは終末を救う救世主、メシアであり、終末の人類の歴史を知っているものが見て、日本人から見てもユダヤ人から見てもドイツ人から見ても、誰が見てもダビデが神だからだ。よって、この三位一体のうち、キリストをダビデであるとした、正確に言えば「ダビデというメシアをキリストであると見なした三位一体」を、この神話では信じる。

ミカエルは聖書に書かれている通りの「復讐の天使」だ。すなわち、人々を迫害するもの、いじめるもの、正義を否定して悪を行うものに、ミカエルは天罰を下す。だが、ミカエルは決して、人々を苦しめるだけの存在ではない。なぜなら、ミカエルはダビデを導くからだ。ミカエルは、終末の世界を救う救世主、ダビデの人生を導く。だから、ダビデによって世界が本当に救われるのか、それとも救われず世界が滅びるのかは、すべてミカエルに委ねられている。世界が善良であればダビデが現れ、世界が神への義を守るならばダビデが世界を救う。だから、ミカエルこそが、「この世界の生殺与奪権をすべて独占する大天使」、すなわち「天軍大首聖」と呼ばれるのである。

このようなミカエルだが、実際はミカエル自身も地獄に堕ちる。その理由は、ミカエルのやっている行為は「復讐」であり、「仇討ち」であり、それ自体、宇宙において必ずしも許される行為ではないからだ。その証拠に、ガブリエルの復讐と言えるような行為であれば、どんな悪であってもミカエルは実行に移す。このような悪の大天使ミカエルも、宇宙にとって「神に処罰される対象」であり、ミカエルの行う「悪」は人間の行う「悪」と何も変わらないため、ミカエルは自分が地獄に堕とした人間の地獄の試練と同じ試練を堪えて生きなければならない。宇宙はそのように、極めて公正にできているのである。

自由でも世界は成り立つ

魂の導きにおいて重要なのは、「自由でも世界は成り立つ」ということだ。

この世界は、誰かひとりの王が支配し、国民の自由を制限することでしか成り立たないと、多くの大人たちは勘違いしている。

だが、実際はそうではない。実際は、自由にしたほうが世界は正しく成り立つ。

自由において重要なのは、「馬鹿な自由ではなく賢い自由を行う」ということであり、そのような「賢い自由」は、それぞれの「経験」とそれぞれが相互にそれを理解した「合意」から生まれる。

「経験的進歩」と「平等な合意の自由」において、人々は経験から「このような社会にすればよい世界になる」ということを、ひとつひとつ段階的に知っていく。その段階を最後まで知り終えた境地で、人々を「合意」へと導けば、必ず素晴らしい世界が訪れる。

多くのことについて言えるのは、「支配」されるよりも「自由」になったほうが、さまざまな無用な制限はなくなる。その制限が必要だと判断するならば、自分の手で自分のことを制限すればいいのであって、誰か無関係な他人に支配され制限されるということは不要である。

だからこそ、「魂の導き」を信じる人間は、その時点で「自由な社会」を信じなければならない。なぜなら、「不自由な社会」とはすなわち、「魂の死んだ社会」だからである。

もちろん、制限されたほうが制限されないよりも社会が上手く成り立つこともあるし、そのために正しい環境とカリキュラムを与えることは大切だが、それは自由の支配下において作られ得る「自由な社会」として構築されるべきであり、その制限を望まない人間には「より自由な環境」を与えるべきである。

自由な世界を作る方法

自由な世界を作る方法は何か。

それは愚か者から自由を奪うことだ。

「人々に自由を与えるべき」という自由の理想からは、矛盾しているかのように見えるかもしれないが、現実のこの世界では、あまりに多くの、たとえば右翼や左翼といった愚か者たちが、「自由の理想とはかけ離れた言論」をして、そのせいでこの世界は自由が奪われている。

すなわち、自由な世界を作るためには、現状でこの世界に与えられた「愚か者たちの力」を否定し、賢者が正しい導き手となって、この世界を「真に理想の自由な世界」になるように導く必要がある。

なぜ、自由を目指しているはずなのに自由を奪わなければならないのか、それは「自由には正しい行使もあれば間違った行使もあるから」である。

真に自由な力が、人々にとって与えられるべきだとしても、自由の中には正しい自由もあれば間違った自由もある。あるいは、自由だからこそ、間違った行為を行わず、正しい行為を行う必要がある。

そして、世界の多くの人々はそれが分かっていない。「真に自由に正しい力を発揮する方法」が分からずに力を発揮しているから、この世界は自分勝手で荒くれた世界になり、荒廃しためちゃくちゃな世界になってしまう。

だから、真にすべてを理解した人間が、ひとりで世界を導き、この世界において「正しい自由とは何か」ということを明確に示さなければならない。

シリウスの神フレイが行いたかったこととは、まさにそのようなことだ。フレイは、この世界の自由を奪うことで世界を救った。だが、それを最後まで貫くフレイもまた、真に正しい自由とは言えなかった。「愛」よりも「自由」を優先したフレイは、自らが救った世界を自らの過ちで滅ぼしてしまったのである。

シリウスの大統領フレイヤ

このようなフレイを、「自由な指導者のはずなのに自由とは真逆のことを言う」と言って嫌いになるのであれば、あなたには最適な指導者がひとりいる。

それは、シリウスの大統領であり、スピカの女神フレイヤだ。

フレイヤの支配する世界では、そもそも「自由な意見」というものが存在しない。

なぜなら、意見とはフレイヤの意見だけであり、フレイヤ以外の誰一人、意見を言うことができる人間がそもそもいないからだ。

シリウスにおける、すべての人間は「絶対平等主義」のフレイヤの支配の下に、「絶対にフレイヤひとりだけに従う」という「フレイヤ一択の選択肢」を突きつけられるのだ。

そのようなフレイヤは、極めて賢く、天才的で、極めて正しい。その政策は誰にも理解できないほど天才的で、誰もが普通は分からない「盲点を突く」ような政策を行う。

だからこそ、大統領としてフレイヤの支配するシリウスにおいては、あらゆるすべてが完璧に行われる。資本主義も社会主義も超越した「ガンダーラ新社会主義経済」において、人々はまるで天才のような最高の楽園を生きることができる。それはフレイヤが「誰にも分からないほどの最高到達地点までを完璧にすべて理解しつくしている」からできることである。

そう、一等星シリウスは決して地球よりも遅れた星ではない。ファシストの指導者フレイとネオ共産主義者のフレイヤが常に戦い争い続けながら、シリウスという一等星は「宇宙における最高の文明」となることができたのである。

新しいゲルマン神話ができた

そういうわけで、ここに新しいゲルマン神話ができた。

おかしくはない。ユダヤとゲルマンにいくらか社会主義の左翼があればドイツに見える。

それをシリウスということにして、シリウスの太陽神をフレイということにして、フレイヤをスピカの女神にして、ミカエルとシルフィをユダヤの神と天使にして、ダビデを救世主の王にすれば、まさにゲルマンの正しい形態だ。

このような、醜く腐った神話を作った僕だが、実際のところ、まだほかの神話を作ることができない。

それは、ドイツ以外のものが分からないからだ。

そもそも、ドイツが分かったのは異常だ。なぜ、日本人のただの馬鹿なのに、ドイツがこんなに分かるのか、僕自身も分からない。あえて言えば、神との約束として、宇宙への宣言で「ドイツ人のイスラム教徒の女になる」と僕は宣言したが、それだけでドイツが分かったのだとしたら、同じようにドイツ以外のほかの国も分かろうとするのは、簡単な話ではない。

だから、結局のところ、僕はドイツ以外のものは何も分からない。だが、ドイツさえ分かってしまえば分かるものが3つある。それはユダヤすなわちキリスト教と、ゲルマンすなわちファシズムと、社会主義すなわちソ連だ。この3つの思想と理想は、ドイツ人になれば誰でも分かる。だから、僕にはほかには何ひとつ、なんにも分からない。

あえて言えば、IT技術と大学と美術や音楽がいくらか分かる。それは普通の人間として、平民として、大学生や仕事や習い事で分かったことにすぎない。そして、本当はそのように生きたほうが賢い。ドイツなど分からないほうがいい。悪魔メフィストフェレスに騙されて地獄に堕ちたいのであれば、分かればいいだろう。

日本には悪魔がいない

そういうわけで、そろそろ日本に戻ったほうがいい。

日本の素晴らしい点があるとしたら、それは「悪魔がいない」ということだ。

日本には悪魔がいない。ユダヤ教の神の教えを信じない代わり、悪魔の教えも信じていない。

それと比べて、ドイツには悪魔が多い。そして、神をきちんと信じていないと、誰もが悪魔に騙されて、このような間違った人生を歩むようになる。

そこにいるのは、ゲーテのファウストに登場する悪魔、メフィストフェレスだ。

メフィストフェレスは、狡猾にこの世界を騙す。悪いことをしている人間を奴隷にし、いいことをしている人間もそそのかし、世界全体を巻き込んでドイツの支配下に置き、ドイツを滅ぼす。

そのような悪魔メフィストフェレスがなぜ誕生するのか。それはやっていることがミカエルと同じだからだ。大天使ミカエルは悪魔メフィストフェレスと何も変わらないことをすべてやっている。だから、大天使の責任を忘れ、堕落した天使は堕天使ルシフェルになってしまうのだ。

そのような悪魔は、日本にはいない。日本は神を信じない代わり悪魔も信じない。「触らぬ神に祟りなし」というが、神を信じないものには悪魔の呪いも祟りも存在しないのだ。

日本人になるのは簡単だ。それは日本語を学ぶことだ。日本語を話せる人間はみんな日本人の仲間だ。だから、日本語を話せるだけで、誰でも日本人になることができる。日本人は外国を排除しているかのように見えるが、実際は日本語の話せる人間を優遇しているだけにすぎない。日本は英語は嫌いだ。だから、日本になりたいすべての人間は日本語を話せなければならない。

出来事は起きてみなければ分からない

このようなドイツがなぜ成立するのか。

それは、宇宙には「出来事は起きてみなければ分からない」という原則があるからだ。

宇宙において起きることは、天上であっても地上であっても、それが実際に起きてみるまでは分からない。

そして、そのような「起きてみなければ分からないこと」を、実際に起こしてみたいと思うと、このようなドイツ人になる。

ドイツ人のやっていることは単純明快だ。それは「次にある可能性をすべて起こす」ということだ。次に待っている地球の未来の可能性を、最初から最後まですべて起こすと、それがドイツであり、ゲルマンであり、ユダヤであり、ソ連である。だから、ドイツはできることは全部やるし、考えられることは全部隅から隅まで考える。普通できないことをドイツは全部できる。なぜなら、そのような「普通できないこと」をドイツは全部やりたいからだ。

そのような、未来における可能性を、そろそろ全部消して、もう起きないようにしたほうがいい。ドイツはその時に消滅し、その時に死滅する。そして、最初からそのような「それ以上行くことのできない最終地点」へと向かって行くような、ブレーキの壊れたアクセル全開の車両をドイツという。最後にぶっ壊れるまで、さらにアクセルを加速していくのだ。