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2024-12-17

大谷翔平は打者専任でいくべき

僕が大谷翔平について思うことは、「二刀流は今のところ続けるべきだが、投打どちらかに専念するのであれば打者に専念すべき」である。

まず、大谷翔平ももう30代。少しずつ体は衰えるし、今までのような無理はできなくなる。そして、手術を何回もしているように、怪我のせいで、投打どちらかに専念せざるを得なくなる。

だが、投手として大谷翔平を見た時、むしろ、大谷以上の投手はたくさんいる。なんなら、田中マー君やダルビッシュ有などは大谷以上とも評価できる。

しかしながら、打者として大谷翔平を見た時、大谷以上の打者というのはほとんどいない。ジャッジだけは唯一ひとりだけ「大谷以上の打者」と言えるかもしれないが、本塁打と盗塁の50-50を達成したのは、メジャーリーグ史上で大谷翔平ただひとりだけだ。

もともと、大谷は最初から日本を経由せずメジャー志望だったし、その時は投手で行くつもりだったから、本人は複雑かもしれないが、手術をした関係上、かつて「日本人最速」と言われたような豪速球は投げられなくなる可能性が高い。だから、大谷翔平は打者専任でいくべきだと思う。

今のところ、二刀流は継続のために頑張っているが、それでも、どちらかに専念せざるを得なくなる日は近いと思う。その前にサイ・ヤング賞が取れれば素晴らしいが、打者専任であっても三冠王を取ることのできるかもしれないだけのポテンシャルがある大谷翔平は、あまりに能力が高すぎて、何を得れば成功なのかが分からない。打者専任で三冠王を取ったほうがいいのか、それとも二刀流で最多勝とサイ・ヤング賞とともにホームラン王になるのがいいのか、本当によく分からない野球選手だ。

僕と同じことができなくした上で僕は世界を解放する

最後に、僕と同じことができなくした上で、僕はこの世界を解放する。

そもそも、僕はこの世界を、自分と同じことが絶対にできないようにしたように見えて、実際はそれと同時に、みんなを「強制的同一化」によって、完全に僕と同じにしてきた。

その魔法から世界を解き放つために、僕はこの世界が、僕と同じことができないようにする。

そして、その上で、僕はこの世界を支配から解放する。

それによって、まるで奇跡のようにこの世界は正常になる。この世界が僕によって強制的同一化されていたのが、最後に治る。そして、それと同時に僕がこの世界を解放することで、この世界は「完全にまともな世界」になる。

すべては、神を信じたことによる奇跡だ。僕は神を信じた。奇跡を起こしたのは、僕ではなく神である。神が僕に、奇跡を起こさせてくれた。

僕が何も望まない理由

僕はもう、人生すべてに満足していて、これ以上何も望まない。

そもそも、僕は人生で得ることのできるすべてを既に得ている。

普通のまともな人間は、IT技術も知らないし、哲学についても僕のようにすべて完璧に分かる経験をしていない。引きこもりになった経験もなく、学校教育から自由になるということの意味も分からない。

普通の人間は、僕と同じようにデザインやピアノはできない。そのようなことを学ぼうとする人間はそんなにいない。みんなは高校の勉強をきちんと学校でしている関係上、僕のように教科書を自由に読んで学ぶことができない。

普通の人間は、本を読まないし、文章も書かないし、ホームページも読まないし、神も信じない。僕のように「世界を敵にまわして戦いながら文章を書く」ということができない。

普通の人間は、歌手と運命の出会いをしない。それ以外にも、僕だけが手に入れた、金で得ることのできないものを僕はたくさん持っているし、たくさんの誰も知らないことを知っている。

だから、言ってしまえば僕にできることは最初からみんなにはできない。たとえば哲学ひとつであっても、普通の学生はヘーゲルの原著を読んでも分からないのに、僕だけがなんにもしなくてもヘーゲルの言いたいことがすぐに分かるのだ。

だから、僕はすべてに満足している。これ以上、僕は何も望まない。これこそが最高の人生だと僕だけは知っている。宇宙のすべての「正解」が分かった人間は、地上の歴史において僕ひとりだけである。

治らないのが治っている

そもそも、僕の精神がおかしいのは、「治る」ということが間違っている。

まず、精神は普通の人間は治らない。何かをして精神が治る人間というのは普通はいない。

それでも、僕だけが精神を治すことができるほど、心理学的な精神分析に卓越したせいで、僕は精神を治すことができるようになった。

だが、この「精神を治す」という作業は、いつまで経っても終わらない。すなわち、いつまで経っても完了せず、いつまでも精神が治り続ける。そのために休むことすら許されない。

はっきり言って、治ることが間違っている。治らないほうが正しい。

それこそ、精神的に言って、「それ以上治らない状態で止まっている状態」こそが正常である。そう、治すということがまさに異常であり、それ以上治すことができなくなってそこで行き止まりになっていると、それが正常な精神の状態なのである。

だから、そもそも、馬鹿馬鹿しいから精神は治らないほうがいい。「ここで精神を治すのをやめてストップする」ということをすれば、それだけで本当に治したい部分がすぐに治ることだろう。