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2025-06-25

ガンダムジークアクス

今日は、6:30と朝早く起きたので、作業所に行く前に、昨日録画したガンダムジークアクスの最終話を見ていた。

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最終話の感想は、まず、僕やみんながあまりに「シュウジ=アムロではないか」という予想をしていたせいで、割と普通のエンディングだった。

前回の話で、最後にRX-78-2ガンダムが出てきたので、僕は「いよいよアムロが登場する」と思っていた。でも、乗っていたのはシュウジで、アムロはジークアクスの声(エンディミオン・ユニット)としてだけ登場した。

なので、少し拍子抜けをしてしまった。

それでも、重要なキャラはキシリア以外死なず、誰も不幸にならない、ハッピーエンドになったので、「流石はスタジオカラー」と思った。

ただし、僕が馬鹿なのかもしれないが、僕は最終話まですべて見たが、それでも、このアニメのシナリオがよく分からない。

僕が見たのは第7話からだったが、それでも第1~6話はAbema.TVで後から見たので、一応このアニメの話は全話見たし、第1~6話を見た後で第7話以降ももう一度見たのだが、それでも、この話のシナリオが分からない。伏線も多く残されているし、正史とされる世界もファーストと異なるようで、はっきり言ってわけが分からない。見ていると、何を見せられているのかをその時分からなくなることがよくある。

特に、X(旧ツイッター)やヤフコメなどを見ているから、なんとか話を追えているが、もし、アニメの本編だけを見た場合、この話は理解できなかったと思う。

だが、それでも、マチュやニャアンの行動原理がよく分からない。マチュやニャアンは重要なことは行動的に行っているが、行き当たりばったりで、自らの信念や思想がなく、シュウジだけを追い求めて行動している。そのせいで、まるで感情や人格のないロボットが、天から操り人形のように操られているような感触を持ってしまう。

それでも、シナリオは決してつまらないわけではない。最終的に、キシリアを除いて、マチュも、ニャアンも、シャリア・ブルも、エグザベも、シャアも、ララァも死ななかった。シュウジだけはどこかに消えたようだが、向こう側に戻って、ジークアクス世界をもうこれ以上消さないということを、アムロの宿ったジークアクス(エンディミオン・ユニット)の「これ以上ガンダムがララァを殺すところは見たくない」という言葉、そしてマチュの「そんなことはしなくていい」という言葉によって、どこかに消えてもマチュやニャアンを見守ってくれていると思う。

何より、シロウズの姿に戻ったシャアが、こちら側のララァを迎えに行くところは、ファーストのオールドファンからすれば、「もう戦争とは関わらず、シャアとララァが二人幸せに暮らせる世界線が見れた」ということで感動話であり、このアニメのシナリオの目的(ララァがジークアクス世界を作った目的)はそれだったから、それが完全にハッピーエンドになってよかった。また、マチュが最後にちゃんと主人公のようにシュウジの白いガンダムをニャアンとともに戦って倒して、ジークアクス世界も消え去らず、ララァも死ななかった。キシリアは死んだが、新しいジオンはアルテイシアとシャリア・ブルやエグザベによって、新しいニュータイプのための虐殺のない国になる。これ以上のハッピーエンドはないと思う。

あとは細かいところとして、スタジオカラーは展開と演出が上手い。何より、「そうなると思わせてそうならない」という見せ方がとても上手い。マチュが独房に入ってもすぐに出てくるし、カバスの館のララァを宇宙に連れ出すように見えてララァは地球に残るし、マチュとニャアンが決闘するように見えて早々に対戦は終わるし、RX-78-2ガンダムにアムロが乗っているように見せかけて実際は乗っているのはシュウジで、そしてジークアクス世界を消し去るためにララァを殺すと言っておいて、実際はそうならない。そういう「なるようでならない詐欺」がとても上手い。これは非難ではなく、作品を作る上でそのような演出が効果的だということの勉強になった。「今後の展開に話題性を与える」という点では神業のようだったと思う。

最後に、ジークアクスが終わったことで、完走できたという達成感と、解放されたという解放感がとても強い。今日はデザインの仕事でもひと段落ついたので、二重で解放感を感じている。二期が始まるのであれば、しばらく時間を置いて始まってほしい。重要なキャラはザビ家以外誰も死んでいないし、ガルマやミネバは登場せず生きているだろうから、二期をやるのはやりやすいだろうと思う。

2025.06.26-27編集

時間

僕は、さまざまな知識を知って、文章を書いた結果、頭には知識から分かる部分ばかりになってしまって、「時間」という考え方が少なくなってしまっている。

昔の僕が賢かったのは、知識を知らなかったから、昔の僕は「時間」ということでしか考えられなかった。

時間とは何か。時間とは変化だ。すなわち、世界の変化を司る「法」の部分、それこそが時間だ。

時間を理解することで、存在の在り方と、人間の行動が分かる。行動には、能動的な行為と受動的な行為がある。また、ものは人間が支配する、人間の一部であり、人間の可能性を高める。存在には、自ら自身が自ら自身を変えていくような自律的な存在と、外部から作用を加えられるだけの受動的な存在がある。そして、自律的な存在を司るのは、自分自身を常に保ち続けるという「恒常性」であり、その上で、存在と存在が関わり合う社会である「生態系」が考えられる。

そのようなことを考えるためには、世界の変化を司る法である、「時間」を考える必要がある。あるいは、時間ということにさえ気付いて、知識的にではなく時間的に考えれば、昔の僕と同じことは誰でも考えられる。だから、昔の僕は大した人間ではない。

みんなが賢い

そもそも、僕自身は何も賢い人間ではなく、賢いのはみんなだ。

みんなが自らのことを馬鹿だと思うのは、賢い人間であるにも関わらず、賢いことができない人が多いからだ。

普通の人間は、賢いことができない。それは賢いせいである。すなわち、賢いせいで、逆に賢いことができないのである。

僕が賢いことができるのは、すべて、神を信じたからだ。神を信じたせいで、神の導きにより、普通の人間ができない賢いことができるようになった。だが、それはすべて、イレギュラーなことや、普通の人間であれば無駄で無意味だと感じるようなことをやっているだけにすぎない。すべて、僕は馬鹿だから賢いことができるのである。

また、昔の僕は決して賢くはない。なぜなら、昔の僕なんか中学生なら誰でもできる。僕と同じことが、中学時代に、数学だけを勉強すれば誰でもできるということを、最初から僕は分かっている。だから、中学校の勉強のような内容が増えただけである。それが、僕の行った「賢いこと」である。

最終話をもう一度見た

最終話を一度見て、ネットのヤフコメやXを見て、自分が何も分からずに見ていたことが分かったから、今、録画した最終話をもう一度見た。

そうすると、ジークアクスの最終話は、めちゃくちゃ面白い。

シュウジの口癖は、「と、ガンダムが言っている」だ。だが、そのように、シュウジの行動のすべてを決めてきたガンダムが、はっきりと「もうガンダムがララァを殺す光景は見たくない」と言っている。そう、ガンダムはそう言っている。

だから、シュウジはそれに従う。考え方を改めたわけではない。シュウジの信じる通りにしただけだ。今まで散々ララァをガンダムで殺してきたシュウジのために、ガンダムの裏にいる「本当の裏の支配者」、すなわちアムロ・レイが話したのだ。

願わくば、マチュやニャアンとシュウジがもう一度出会えますように。それだけを僕も願います。さあ、第2期の始まりだ。

アムロ・レイが今回登場しなかったのは、声優の不祥事などいろいろと都合があるようだ。だが、向こう側の世界で苦しむアムロの怨念が、ジークアクスの世界にも届いた。本当に辛く苦しんでいる様子が伺える。また、シャアがシャリア・ブルに殺されそうになって、ジオンから離れたのはよかった。あなたが未来で何をするかみんな知っている。ララァと末永く、お幸せに。それが世界の目的であり、ララァがあなただけを常に守ろうとした結果だからだ。まさしく、アムロも神であり、シャアも神だった。

第2期の予想

あとは、第2期の予想をしよう。まず、ジオンはアルテイシアがやるようだが、アルテイシアって、要するにセイラさんでしょう?地球連邦軍の人ですよね?もしかしたら、僕はファーストを見ていないから間違いかもしれないが、だから、アルテイシアのジオンは地球連邦軍によって乗っ取られる。そのジオン側の地球連邦軍と、ジオン駆除の地球連邦軍に分かれる。まさにエゥーゴとティターンズ。

そしてシャアは当たり前にアルテイシアの味方だから、エゥーゴの中心人物となる。それに対してバスク・オムやパプテマス・シロッコが戦う。そして史上最高のニュータイプ、カミーユの登場。そのままZにするなら、おそらく、たぶん、できると思う。そうすると、ネオ・ジオンのためにミネバの摂政としてハマーン・カーンが登場するだろう。そこらへんをどう面白くするか、カラーの続編に期待だ!

あとは、カミーユをどう登場させるかだ。僕のガンダム知識が限界なので、これ以上は分からないが、カミーユの記憶はララァにはおそらく存在しない。ララァはファーストで死んだ(ですよね?間違いだったらごめん)。だから、ララァ以外の世界の主を作る必要がある。その「ララァ以外の主」という発想をすれば、もう一度シュウジが登場したとしても面白くなる。今度はララァのためではなく、別の主のためにシュウジが頑張る。ただし、このジークアクスの正史とされる世界ではララァは死なずシャアが死んでいるので、ララァがどこまで知っているのかは実際分からない。

そして、向こう側の世界に行くのではなく、もう一度ジークアクス世界でマチュやニャアンとシュウジが出会う。それ以降は勝手に自由に考えればいい。シュウジが何かしら目的を持っていて、マチュとニャアンがそれを一緒に頑張るようにすればいいと思う。そんなシナリオなら、僕でも思いつくが、実際、Zまで同人的にパクるといろいろと文句がつくだろうから、興行的な売り上げを考えて、もしジークアクスが興行的に大成功すれば、そんな第2期も作れるか、あるいは作らざるを得なくなると思う。

実際のところ、新作を作るにあたっては、Zはどうでもいい。それよりも、マチュとニャアンの未来を、今作品のような空気扱いではなく、きちんと主人公として扱ってやってほしい。クランバトルに再び参加して、ものすごく優秀なパイロットになって、ジオンを守るために戦ってほしい。ジークアクスはマチュとニャアンの物語であり、ララァやシャアの物語ではない。実際のところ、カミーユは要らない。そもそもカミーユはオールドファンであっても嫌いな人間が多い。

第2期のシナリオの骨格は、「どこにも行き場所のないニャアン」と「お尋ね者のマチュ」になる。このニャアンとマチュが、自らの未来のために戦う。「守ってくれる人なんか要らない」とマチュは言ったが、彼女たちには守ってくれる人は必要ではなく、同じ境遇のともに戦う仲間が必要だ。ニャアンとマチュは名前を変え、シャアと同じように仮面をつけて、再びクランバトルに参加する。そして、クランバトルで得た大金を使って、宇宙のスペースコロニーで自分たちの居場所を見つけるために旅をする。そしてシュウジに再び出会う。そして、シュウジは今度はララァではなく、新しい世界の主である、さらにもうひとりの神であるカミーユに仕えるのだ。