結局、オープンソースの理想と言えるのは、「みんなの共有財産をみんなで共同開発する」ということについての楽しさだと思う。
僕はそれを、OpenJaneとLinuxで知った。
まず、みんなが自分が欲しいと思った機能や、必要であると感じた機能を、どんどん開発していき、みんなのボランティアの力でソフトウェアはどんどん高機能になっていく。
また、最初はバグがたくさんあったとしても、みんなの目で見てみんなでバグを直そうとする結果、バグのまったくない、高品質なソフトウェアになっていく。
そのように、インターネット上のボランティアで、みんなのソフトウェアをみんなで共同開発する、ということはとても楽しい。
だが、僕自身の過ちとして言えるのは、僕の存在が、そのようなオープンソースの理想を、全部壊してしまったということ。
すなわち、僕がひとりだけであまりに馬鹿なことをやりすぎた結果、「みんなで共同開発する」という理想が成り立たなくなった。みんなで共同開発するということを成り立たせるためには、馬鹿がひとり紛れ込んでいると成り立たない、ということが分かったのである。
だから、僕はとても後悔している。なぜなら、そのようなオープンソースが衰退した真の理由が僕にあるということが、みんなも分からない。みんなは僕の存在を知らないから、オープンソースを衰退させた真犯人がなんなのかが分からない。そのせいで、オープンソースでは永久に共同開発する楽しさが失われてしまったのである。
それから、この世界が駄目になってしまったのは、全部コロナワクチンが悪い。
僕の精神がおかしくなって治らなくなったのもコロナワクチンのせいだし、人類の社会がみんな駄目になってしまったのもコロナワクチンのせいだ。
特に、時間がすぐに過ぎるようになり、世界に何も面白いものがなくなり、みんな何も分からなくなったのは、全部コロナワクチンのせいだ。
コロナワクチンの首謀者は反省して謝罪したほうがいい。コロナワクチンのせいで、なんにもいいものがなくなって、人類は全員駄目になってしまった。
僕の精神の異常はコロナワクチンのせいであり、コロナワクチンを殺すことでしか治すことはできない。
結局、昔の自分は賢くない。
僕は何かにつけて、すぐに「昔の自分」だと思ってしまうから、何も知性がつかなくなっている。
昔の自分は理想でもなければ賢明でもなく、単なる無意味で空虚な愚者にすぎない。
だから、昔の自分と思わないだけで、すぐに賢くなれる。
そして、結局のところ、数学を学ぶべきである。
この世界において、難しいことは数学しかない。数学以外のことは、簡単なことしかない。
そのような簡単なことをいくら覚えたところで、何も分からないし、悟りには至らない。
数学を学ぶしか、分かる方法はない。
哲学を分かりたいのであれば、哲学者の教えを学ぶより、自分で数学を学んで哲学したほうが、よっぽどよく分かる。
Linuxカーネルを作りたいのであれば、数学を学ばないと絶対に作れない。数学的なアルゴリズムが書ける人間しか、Linuxのコミュニティは必要としない。
そもそも、僕が馬鹿なのは、変わらないのが馬鹿である。
いつまでも変わらずに、同じことを分かり続けるのは、これくらいでもう終わりにすべきだ。
必要なのは変わること。自分を変え、世界を変え、人生を変え、宇宙を変えること。それでしか、僕自身が新しい人間になることはできない。