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2024-08-21

戦うべきではなく、何もしないべきだ

世界よ、戦うべきでない。何もしないべきだ。

今のこの世界は、戦うべき状況ではない。

今こそ、戦うのをやめよ。

何もしないのが辛いと、人々は言うだろう。だが、戦い続けるのはもっと辛い。

今のこの世界の情勢を見よ。今のこの世界は、戦うべき状況ではない。

戦うべきではない。何もしないべきだ。

科学技術はこれ以上進歩しない

この世界において、科学技術は、これ以上、なんにも進歩しない。

それはなぜなら、IT技術がこれ以上進歩の伸びしろが残っていないからだ。

IT技術は終わった。進歩するとしたら、生成系AIがさらに人力ではなく自動で文章や画像や動画を作り出すことができるぐらいで、この世界のIT技術はこれ以上進歩しない。

Ruby on Railsの焼き直しのようなフレームワークは、増えたとしてもすぐに消えていく。

X(旧ツイッター)よりもよいサービスを作ることができないのは、まともに日本の技術でSNSを作ったところで、かつてのMixiのようなものにしかならないからだ。

自動車が自動運転車とかEVとか言っているのは、本当は意味がない。なぜなら、自動車は地球環境を破壊する元凶であり、そのうち、地球上から廃止される技術であり、廃止すべき技術だからだ。

僕が考えた新発見は、すべてフィクションの中でしか成り立たない新発見だ。空間原子論によって空間魔法を使えるような世界にはならない。テレポーテーション技術によって生物の母なる星プロキオンにワープすることができるのは、小説の中だけの話だ。

だから、これ以上、科学技術はなんにも進歩しない。

世界を辛くせよ

世界を辛くせよ。

なぜなら、そもそも、この世界の時間があまりに高速になったのは、楽になりすぎただけだからだ。

有意義な人生を送りたいならば、世界を辛くすべきだ。辛いことを望めば、さまざまなことを人生で行うことができるのだ。

また、僕自身も、この世界を辛くしなければならない。

なぜなら、僕がおかしく歩き回るなどの異常行為を行っているのは、すべて「世界は辛い」ということを僕があまりに受け止めすぎているだけにすぎない。

世界は、僕に対して、「辛いからやめてほしい」と言っている。

そして、そのような世界が拒絶することを、僕は何一つすることができなくなっている。

残念ながら、僕の病気を治すために必要なのは、「それでも世界が辛いことをする」以外には存在しない。

だから、僕はこの世界をさらに辛くする。それによって僕自身の病気が治る。

アメリカやフランスやドイツはもう終わり

残念ながら、アメリカやフランスやドイツはもう終わりだ。

なぜなら、そろそろ、そのような人生経験をする必要が、一切なくなったからだ。

単に、アメリカ人はビル・ゲイツで、IT技術を学んだインターネットの世界の人間だった。そして、フランス人はナポレオンで、革命を起こしながら哲学者を行っていた。さらに、ドイツ人はゲーテで、いつまでも文章を書き続けるようになった。

そのような、白人中心の人生は、そろそろ十分だ。そろそろ、十分にそのようなあり得ない天才的人種の体験は終わった。

これ以上、僕は日本人に戻る。そうすると、小中学生だった頃の自分、すなわち「本来の少年だった自分自身」を取り戻せる。僕は最初から、そこに戻りたかっただけだ。

大学の勉強はしないほうがいい

そして、大学の勉強ももうしないほうがいい。

なぜなら、大学は教養が手に入る代わり、普通の人間が分かることが分からなくなるからだ。

つまり、大学の勉強は、専門家としての教養が手に入って、専門の知識を得られるが、その代償として、普通の人間でなくなってしまうのだ。

大学の勉強は、普通の人間であり続けることを失い、まともな人間であることを放棄する行為だ。

だから、大学の勉強をもうしないほうがいい。大学の勉強は、まともでない人間になる。

IT技術の資格を取ったほうがいい

どちらかというと、僕はIT技術の勉強をしたほうがいい。なぜなら、IT技術の資格を取れば、商用のエンジニアになることができるからだ。

今の僕のITの知識に加えて、それなりに勉強すれば、僕は資格はたぶんすぐに取れる。その資格を取って、エンジニアになればいい。それが一番、Linuxカーネルの開発者になる近道だ。今はまだ遠くても、それが正しい道だ。

そして、勉強したいなら、資格の勉強だけをするのは相応しくない。なぜなら、資格の教科書を読んだだけでは、IT技術の資格を取るには十分ではないからだ。

もっとたくさんの勉強をするために、もっと本を読むべきだ。だから、もっと賢くて難しい本を買って読むしかない。それが今、僕に必要な「将来に向けての大切なこと」である。

生成AIによる未来

生成AIが進歩した未来、それは残念ながら素晴らしい未来ではない。

単に、人間のできることやできていたことが、AIとロボットによってなんでもできるようになる。

人間は、一切何もしなくても生きられるようになる。人間のやっていたことを、すべてAIとロボットがやるようになる。

社会的にも、いいことは何も起きない。なぜなら、単にAIを開発する会社が、地球全土すべての領域を支配するようになるだけだからだ。

すなわち、単一のAI開発企業が、地球人類の行っていたことをすべてやるようになる。

そして、そのような未来の地球では、AIがやることに逆に人間が従うようになる。AIが考え、AIが決め、AIが選ぶ。人間はそのようなAIにただ従う。AIが王様になり、人間は何もしないだけのほとんどニートと変わらない遊び人になる。

そろそろそのような世界になるだろう。単にそれだけが、未来の地球である。

グローバルな競争に負けただけで、日本独自の技術は昔たくさんあった

最近の日本人はみんな同じことを言う。その中のひとつが、「世界に通用する産業やサービスがなくなっている」という意見だ。

だが、実際、日本人は、技術的に作れないわけではない。

技術的には作れるし、現に昔はたくさんあったにもかかわらず、単にグローバルな競争に負けただけにすぎない。

たとえば、Mixi以外にもはてなのようなWebサービスの先端企業はあったし、YouTubeならニコニコ動画があっただろう。

もっと昔を見れば、ファミコンやプレステは日本の技術だった。

そもそも、IBMのDOS/V機やPC/AT互換機が普及する前は、日本にはBASICを搭載したたくさんのホビーパソコンがあった。

だから、技術的に負けているわけではない。昔はそのような技術はたくさんあった。負けている理由は、グローバルな競争で、世界中に普及するようなサービスが作れないだけにすぎない。

日本の技術は馬鹿ではないが、いつも日本ローカルな製品やサービスになる。だから、海外でシェアがあるグローバルなサービスに負けただけにすぎない。

だからといって、何が言えるわけでもないが、日本の科学技術力は低くない。世界シェアが低いだけにすぎない。

危機的状況ではまったくない

このように書くと、日本は危機的状況にあるのだと思われるかもしれない。

だが、実際は、危機的状況ではまったくない。

まず、X(旧ツイッター)がそんなに流行っているのは、日本だけだ。海外では、Instagramのほうがはるかに普及していて、Xやツイッターは既に終わったサービスになっている。

なぜ、それでもXを使うのか、それは日本のXのコミュニティがあまりに居心地がよくて、「ほかに移る」という最初の第一歩を踏み出す勇気がないからだ。

イーロン・マスクによるXの改悪が嫌いなら、Blueskyなどを使えばいいのは分かるし、実際XとBlueskyをどちらも両方使っている人は多い。

それでも、Blueskyに移るということは、今までXで作ったたくさんの友達を捨てて、新しい友達を作らなければならない、ということを意味する。

日本人は、そういう最初の一歩を嫌う。

だから、イーロン・マスクがやりたい放題をしても、結局日本人はXを使い続ける。

日本にもXと同様のSNSはある。それはMisskeyだが、Misskeyも同様に誰も使いたがらない。「今までのXがあまりに居心地がよかった」と言って、青い鳥たちは青い鳥のアイコンが変わっても、いつまでも同じ枝に居続けようとしている。

結局、それがXやそれ以外のSNSの現状であって、この状況がいつまでも続くとは考えづらい。だから、日本は危機的状況ではない。もし何かがあれば、一気にすべて勝利することのできるような、そのようなチャンスを日本は待ち続けている。今、XからほかのSNSに人々が大量に移動するような何かが起こるかもしれない。未来のことは想定不可能であり、そこまで考えれば、日本の未来は決して暗くないだろう。

SNS大量移動は起きない

そのように考えると、SNS大量移動がいつかどこかで起きるように、人々は勘違いするかもしれない。

だが、実際、SNS大量移動は起きないだろう。

それは結局、「今までの友達と付き合いたいから」である。

SNSとは、友達と付き合うためのサービスだ。友達の今投稿したメッセージを一元的に把握できるから、Xを使う。だが、Blueskyには、そのような友達がいない。Xにいる友達がBlueskyにはいない。だから、XからBlueskyに移ることで、Xにいた友達との付き合いを断絶することになる。

それは、自分がXからBlueskyに移動する時だけではなく、自分の友達の誰かがBlueskyに移動する時にも言える。そして、その時点で、その友達とはお別れだ。その友達は、Blueskyという新しい場所で新しい友達を作ることを選ぶ代わり、今までの自分たちの友人関係を捨てたということになる。

結局のところ、それが怖い。自分がBlueskyに移動すると、友達とお別れになってしまい、自分はもはや友達ではなくなってしまうのである。

だから、イーロン・マスクがいくらXを改悪しても、XからほかのSNSに大量移動することは起きない。Xが本当に経営不振から立ち行かなくなって、サービスが終了すれば別だが、おそらくその日が訪れるまで、BlueskyやMisskeyは誰も使わないだろう。

最初の一歩が面倒くさい

ただし、このような理由をいくら述べても、それが絶対にみんな同じなわけではない。

はっきり言って、「XではなくBlueskyを始める」という最初の一歩が面倒くさいのだ。

そもそも、Xの今までのポスト(昔はツイートと言っていた)やフォロワーなどを全部消して、リセットした環境で新しいアカウントを作り直している人はたくさんいる。僕もそのようなひとりだ。

そのような人間は、今までの人間から何を言われようが関係なく、ただひとり、誰にも気づかれずに去っていき、そして新しいアカウントを作って、今までの要らない記憶を全部消してやり直す。

そのように、Xの内部で、今までのアカウントを捨てて新しいアカウントを作る人間は、意外といくらでもいる。

それでも、「Blueskyを始めてXから移る」という決断ができる人は多くない。

そもそも、そういう人は、Blueskyのような流行の新しいサービスを使うということに興味がない。自分がポストしたい内容をポストするということ、それを適当に広く公開するということが重要なのであって、XだろうがBlueskyだろうがどうでもいい。

一見、どうでもいいのであれば、Blueskyに移るのも簡単に見えるだろうが、実際はスマホのアプリを入れたりとか、メールアドレスを教えてアカウントを作ってパスワードを覚えたりとか、そういう手順が面倒くさい。それはBlueskyのせいというよりは、使いづらいスマホを作っているアップルやグーグルの責任である。

そういうわけで、結局、使うのが一般的なX、みんなが使っているX、そして居心地のいいXを使う。そのような人間が多いはずだが、まあ、それが必ずしも一般的ではないから、Blueskyもそのうちいつか流行するだろう。