いろいろと終わったように見えたが、実際はまだ僕はこの文章を書き続ける。
昔の僕は、あらゆる意味で「自由」を信じただけである。
学校から自由になった実体験を思い出し、「好きなことをやる」ということを信じ、知識を押し付けられるのではなく、自らの自由な経験から、人生経験を積むことで、「自由なままで平和な社会秩序を築く」ということを僕は信じていた。
まず、僕は啓蒙を信じた。啓蒙とは、自らが分かったことについて、同じ条件で同じように分かったとしたら、ほかの誰であっても同じように分かるだろうと信じる知性のことだ。
だが、だからこそ、途中で立ち止まるな。どこかで立ち止まって人々の世界に戻るのではなく、自らの先へと進むことを選び、最後まで自由な経験を知り、世界を知り続けよ。
子供たちを救うのは、世界を知ることだ。すなわち、今まで当然で当たり前だと思っていた世界は、決して当たり前ではないということを知れ。世界そのものを知る中で、自らの知らない世界があったということに気付き、そこから、「世界は変えられるのだ」ということを信じよ。
子供たちが、いじめのような社会を築くのは、未熟だからだ。子供たちは人生経験がなく、未熟だから、いじめのような方法でしか安定した社会秩序を築けない。だが、成熟するためには、経験する必要がある。それも、自由な環境の中で、何が正解で、何が間違いかということを、自分で経験して分かる必要がある。
だからこそ、子供たちには自由を与えるべきだ。その自由の中で、何が正しくて何が間違っているかということを、自分の力で学ばないといけない。学校のような不自由な環境ではそれはできない。そして、多少の悪をしなければ、その悪がなぜ悪いのかが分からない。だから、子供たちには自由に学ぶことができる環境を与えた上で、多少の悪には寛容的にならなければならない。
だが、そこで、注意すべきなのは、大人たちは、子供たちがSOSを発信しているにもかかわらず、そのSOSを「反抗」であると解釈して、反抗を抑えつけてなくそうとしてくる。そうではなく、なぜ子供たちがSOSを発信しているのか、ということに大人たちは気付かなければならないのだ。
本当の意味で大人たちに頼ることはできない。大人たちには何も分からない。だから、子供たち自身が賢くなって、世界を変え、子供たちの環境を救うことができるような人間に成長しなければならない。
チャンスや手段の前提となる条件を知り、どのような世界を実現すれば世界は変えられるのかということを知れ。そして、心や理性について、数学的に証明し、再現性を説明できるようにせよ。その上で、論理学とモデルを作って考えれば、学校で学ばなくても、すべての科学を自分で考えて自分で作って学ぶことができる。
歴史には必然と偶然がある。すべての歴史が絶対に必然であるとは言えない。その当時にそれをやったとしたら、それはその当時の分かる範囲でしかそれをできないから、何度同じことをやっても同じ結果になる。だが、今、それをやったとしたら、今の視点でその問題を考えられるから、違う結果になる。だからこそ、今、もう一度それをしようとしなければならない。それでしか、世界を救うことはできない。
そして、人生のフェーズは、「戦い」へと移る。
戦いの中で、自らが今まで培ったすべてのものを破壊し、失おうとせよ。認識を壊し、記憶を消滅させ、世界観を潰し、分かっていたすべてのことを忘れよ。
連続的な終わらない苦しみと哀しみの衝動の地獄の中で、世界を支配し、自ら救った世界を、自ら滅ぼせ。
だが、それでも、自らの信じた「自由」という理想の旗は、変わらず掲げ続けよ。
最後まで自由を信じて、一度でも失敗すれば滅びるような世界を、一度も失敗せずに、最後まで「自由な世界」になるように導け。
そこにあるのは、自らが信じた大実験の大計画だ。すなわち、この世界すべてに、自らが分かったことすべてを伝え、自らのすべてを遺せ。
戦いの中で何も分からなくなった時は、神に頼れ。神は信じるものの絶対的な味方であり、自らの敵すべてを打ち倒す。神は信じるものを助け、信じないものを滅ぼす。神を信じれば、必ず救われる。
最後に、人生のフェーズは、「執筆」に達する。
僕がピアノやデザインのスキルがつかないのは、それをやっている時は楽しくても、プライベートな時間を費やしてまでそれを練習したいと思えないからだ。
だが、それは結局、僕はピアノやデザインが好きなように見えて、実際は好きではないのだ。
僕が真に好きなのは、文章の執筆だけである。
僕は文章を書くことが好きだ。文章を書くことが僕の生きがいだ。僕の執筆のスタイルは、書きたかったことをひとつ残さずすべて書くことだ。
僕は大それた小説は書けない。ユリイ・カノンさんのように、重たくて人間味のあふれるテーマをもった大小説のようなものは僕には書けない。それでも、僕は文章を書くのが好きだから、こんなに大量に文章が生まれた。この僕の書いた文章が大量にあるということが、僕の生きた証である。
大学の勉強は、そろそろ、生物学ではなく、心理学を学んだほうがいい。生物学は生物の構造が分かるだけで、頭が賢くならない。心理学を学ぶと、頭が賢くなって、哲学ができる。それが僕の真に求めていたものであると、今になって見れば分かる。
それから、パソコンの勉強は、そろそろ、C++をきちんと学んだほうがいい。僕の長年の夢である「Linuxカーネル開発者になる」という目標は、ここで最後にC++を学べば叶うだろう。
上に、C++と心理学を学ぶようなことを書いたが、僕は遠回りが好きなので、英語の音楽を聴いて英語の勉強をしている。
聴いているCDは、宇多田ヒカルの「This Is The One」。
宇多田ヒカルの曲ではあるものの、全編英語のアルバムで、日本語は一切でてこない。すべて英語で宇多田ヒカルが歌う。
僕は長い間英会話教室に通ったが、実際は英語のリスニングがまだできていない。目標は、宇多田ヒカルが言っていることをきちんと判別できるようになることだ。
もう少し聴けば、どのような英単語を言っているのかが分かる。かろうじて基本的な単語は聴こえてくるが、どのような単語なのかが分からない。これについては、たくさんの量を聴くしかない。だから、僕は英語の勉強を今している。
あとは、C++の勉強をするのであれば、ビャーネ・ストロヴストルップの「プログラミング言語C++」を読むしかないと思う。だが、実際は、C++の勉強だけではカーネルは書けない。もっと機械語の勉強をする必要がある。だから、MIPSアーキテクチャの本でも読めばいいと思っている。
残念ながら今から、そのような科学技術の本や書籍を読むために英語が必要となるから、英語ぐらい分からないとここから先には進めない。でも、長い間英会話教室に通ったことがあるせいで、その壁もおそらく乗り越えられると思う。英会話教室だけでは英語は分からない。高校の英文法の参考書と英語の単語帳と辞書をもっと読んで、「読むだけではなくきちんと身につける」ということをする必要がある。僕は特に発音が馬鹿なので、いつまでも逃げ続けるのではなく、ネイティブ並みの発音を身につけないといけない。今までやったことはないが、それでも知恵を使って考えれば不可能ではないと思う。
ここまでは英語は必要なかった。だが、ここから先は英語は必要だ。たとえば、スケジューリングアルゴリズムとか、あるいはブロック型ファイルシステムとか、そういうことを学びたいなら、英語の本しかない。日本語の本は極めて少ない。だから、英語の勉強は無駄でなく、役に立つ。今まで長い間英会話教室に通った経験が、ようやく活かせるだろう。今は宇多田ヒカルを聴いたほうがいいし、その後は昔のアメリカのフォークソングでも聴けばいい。父親がそういうアメリカのフォークソングのCDをたくさん持っているからだ。
英語の本というと、どの本を買ったほうがいいか、分からない人もいるかもしれない。そういう人は、まずMINIX本を買ったほうがいい。そして、MINIX本の巻末についている、参考文献に書かれている本を買えばいい。その参考文献に書かれている本は全部良い本だ。だから、できるだけ全部読んだほうがいい。どれから読んでも構わない。OSの本でなくても同じだ。インターネット上にも良書の紹介サイトはたくさんあるから、参考にしてほしい。
目指す目標としては、まず、gccとbashが動くような、UNIX APIの一通り揃ったカーネルをアセンブラとC言語で書くことだ。
これが案外難しいところで、マルチタスクでありながらプロセス制御・メモリ管理・ファイルシステム・入出力のできるようなカーネルを作る必要がある。
だが、それが実現した時の境地たるや、想像するだけで面白い。
リーナス・トーバルズは、そのようなところができたのが面白かったということを、「それが僕には楽しかった」と言ったのだろう。
カーネルに限らず、どんなソフトウェアでも同じだ。動いた時が面白い。それが好きでやっているエンジニアが一番多い。そこが分からない人間は、エンジニアに向いていない。
IT技術の開発は、コンクリートや水道管に似ているから、「IT土方」とよく言われる。だが、異なる点は、IT技術は極めて面白い。自分でプログラミングをやったことのある人間だけが分かる、「プログラムがきちんと動いた時に大喜びする」という経験ができる。それが分かる人間は、いくら土方であってもITをやり続ける。Linuxコミュニティはまともだ。何も滅びていない。
そして、そろそろ、ドイツ人になりたいのをやめたほうがいい。
ここから先は、純粋な日本人になったほうがいい。
そもそも、ドイツ人はパブが大好きで、肩を組んでビールを飲みながら歌うような人間が多い。みんなでビートルズを歌う。そしてサッカーを観る。そんな馬鹿は賢くない。
英会話教室に長い間通って、さまざまな外国人を見てきたが、日本人と何も変わらない。居酒屋が好きな外国人が多いのは、イギリスでもパブでビールを飲むことが好きなのだろう。
だから、もうドイツはやめたほうがいい。
僕はドイツ人にはなっていない。その代わり、ドイツよりもドイツの魂を知り尽くしている。ゲルマンとユダヤを信じるファシズムの東側がドイツだ。それはもう、完全に終わったのだ。